調査依頼なんて地味な仕事ですよ
ノートパソコンの電池が切れそうになって、わたしは目を上げた。7時半だった。車のシガーライターから電源をとるアダプターがあるにはあったけれど、そのためにはエンジンをかけなくてはならなかった。
国道脇のパーキングには、捨てられた雑誌や空き缶が見えた。
大型トラックが轟音をたてて走り抜けて行った。
周りに民家は無かった。あるのは早くも刈り取られた水田、水は無く、ただ黒々とした空間がパーキングの照明すら寄せ付けずに横たわっている。
とはいえ、このカローラバンのポンコツエンジンをかけてまで充電しようとは思わなかった。
環境に悪い。
パソコンを充電するのに、黒煙を撒き散らすことはないだろう。それは少し気が咎める。
それにあと10分もすれば移動しなくちゃいけない。コンビニの店長に会って話を聞かなくちゃ。
わたしはノートパソコンを閉じると大きく体を伸ばした。
ドアを開け、車から降りる。時々通るトラックの排気ガスくさかった。
ダッシュボードから勝手にアストのタバコを取ると火をつけた。
吐いた煙がパーキングのオレンジ色の照明に照らされて漂っていく。静かだ。虫が勢いよく鳴いているけれど、本当に静かだ。
また一台トラックがやってきて、通り過ぎていく。尾を引くように音が遠ざかって、やがて静寂に戻る。
道路の反対側はコンクリートの土砂止めが山が倒れてこないようにそびえていた。時折、なんの動物だか分からない声がする。
何処からか、何かが現われてわたしを闇へと連れ去って行きそうな気がした。
それも悪くない。もしその闇に、洋一がいるのなら。
彼は交通事故で死んだ。
バイクに乗っていて、右折しようとしたところに車がやってきたからだ。バイクは見落とされやすい。わたし自身、2輪免許を持っているし、彼のバイクに乗ったこともある。どう考えても無理なタイミングで出てくる車に出会うことなんて珍しくもない。特に、スピードを出していると必ずといっていいほどだ。バイクのスピード感というのは、車にしか乗ったことのない人間には理解できないものなのだ。洋一の乗っていたようなスポーツバイクは、400でも最高速200キロ以上、100キロまでの加速にしてもあっという間だ。
でも、いくらそんなことを考えても、洋一が死んだことを受け入れることが出来なかった。いつか、彼にばったりと出会えるような気がしてならない。
もし、あの闇の中に洋一がいるのなら、わたしは喜んで行く。もう一度出会えるのなら喜んで。
わたしは目を閉じた。
タバコの煙が目に染みたんだ、とそう思いながら。
アラームが鳴って、アストが目を覚まし、わたし達はコンビニの駐車場へ向かった。広い駐車場だった。奥のほうには2台ほど、大型トラックが止まっていた。長距離トラックの運転手が中で休憩しているのだろう。カーテンの向こうから明りがもれていた。
「利沙ちゃんはよくやってくれましたよ」
まだ若い店長がそう言った。
「辞めたのは、去年の1月だったかな。雪がたくさん降ってた頃だった。ここはスキー場が近くてね、結構忙しい時期だったんだけどね。少し困ったよ」
「辞めて、何処かへ行くとか言ってませんでしたか?」
店長は長く伸ばした髪をさわりながら少し考えているようだった。真っ黒に日焼けして、場所が場所ならサーファーの様だと思った。スキー焼けなのかな。
「引っ越すとは言ってたね。松本の方だって。就職が決まったって言ってたけど」
「そうですか。辞める前は、どんな感じでした?何かありませんでしたか?」
「何かって言われてもね。行方不明なんだって?特に分からないな」
「彼氏はいたんですか?」
「うーん。いたね、何人か。でも長くは続かなかったね、みんな。男運が無いんだろうね、彼女」
「最後に付き合ってた人は?」
「さあ、誰だったかな。すぐに替わってたからなあ。誰が最後だったのか分からないよ」
高速道路の上で、わたしはキーボードを打っていた。
ハイウェイラジオが、目的地までスムーズに流れていることを告げていた。アストは満足そうに頷くと、テープに切り替えた。CDは付いていなかったからだ。女性ボーカルのロック系ポップスが流れ始めた。
「誰、これ」
アストはパーキングまでの距離が出ている道路標識をちらっと見てから、
「ベリンダ・カーライル」
と言った。
「誰、それ」
「分からないな。ケースの中にあったやつだから」
このカローラバンの中には、代々のサークル部員の、つまり杉並大学探偵事務所所員の残していったカセットテープが大きめのアタッシュケースほどの箱に入って積まれている。洋楽ありインストありクラッシックありの箱だった。
「八十年代かしら」
「そうだな。九十年前後だろうな」
こういうテープでも、何曲か聞いていると聞き覚えのある曲に当たったりする。それに、曲調でなんとなくいつごろの作品か分かる。それに、最新曲はまず入っていない。
「なんか苦しげね」
あなたが眠っている間も、わたしは歩き続け、雨は降り続き、水量が多くて渡れない。橋はみんな落ちてしまった。
聞き取れた英語のサビはそう歌っていた。
悲しくなった。
高速道路に雨は降っていなかったけれど、わたしには道路を照らす明りがぼやけてみえた。
洋一が眠っている間もわたしは生き続けなくてはいけない。
そういう曲では無いかもしれないけれど、わたしにはそう聞こえて仕方無かった。彼のいる向こう岸に渡る術はないんだ、と言っているように思えた。




