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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
追憶は陽炎のように
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依頼

 事務所に鍵をかけ、巨大な猫のオリにしてしまうと、わたしは急いで階段を駆け降りた。約束の場所は近かったけれど、急がないと間に合わない。

 サークル棟の裏に停めてあった地味なカローラバンに飛び乗り、いかれかけのディーゼルエンジンを始動した。真っ黒な煙をバックミラーで確認すると、後ろを歩いていた男子学生が露骨に嫌そうな顔で手を煽いでいるのが見えた。

「ごめんね」

 そうつぶやくと、わたしはギアをローに入れ、がたごとと駐車場をあとにした。


 そのファミレスは混んではいなかった。

 お昼の時間帯は過ぎていたし、なんといっても平日だったし、それに郊外だった。広い駐車場に斜めにカローラバンを停め、わたしは急いで店内に滑り込んだ。腕時計は二時五分を指していた。

 くるくると見回すと、学生ばかりなのに気が付いた。

 そうよね、大学が近いもの。

 その中に、一人だけ、妙に浮いているOL風のスーツがいた。地味なグレーのスーツ。

わたしは、それが依頼人だと確信した。

「失礼ですが、佐久間さんでしょうか?」

 近寄ってきた店員を左手で制して、わたしはグレーのスーツに声をかけた。

「ええ。杉並の探偵の人?」

 わたしは頷いて、対面の席に座った。

「杉並大学探偵事務所、所長の蓮田奈々です」

 そう言いながら、名詞を手渡す。パソコン制作の顔写真入り。

「電話に出たのは男の子だったわよね?」

 にこりともしないで佐久間という女は言った。二十台後半くらいに見える。地味な化粧、地味な顔。

「あ、田辺くんですね。彼は他の件で出ていますので」

 いくらなんでも、レポートの書き直しで来ることが出来ないとは言えない。事実だけど、

嘘もなんとかっていうやつ。

「そう」

 疑わしそうな目でわたしを見た。

「ところで、ご依頼の件は?」

 めんどうなので、話を進めることにした。いいわ、どうせ仕事をするのはわたしじゃないんだし。佐久間は、しばらく黙ったままわたしを観察していたが、わたしにはわからない何かを納得したらしい。頷いた。

「ある人の経歴を調べて欲しいの」

「経歴ですか?仕事の、ですか?」

「いいえ。プライベートも含めて全部よ」

 そう言いながら、佐久間は自分の隣に置いた大きな布のバッグからB4サイズの茶封筒を取り出した。ほら、あの書類とかが入ってそうなやつ。

「一週間で?」

 わたしは、思わずそう言った。それは無理よ。対象の人物が五才だっていうなら別だけど。

「大丈夫よ。三年前までは資料、揃っているから。最近三年間のうち、足りない部分を補ってくれればいいの」

 そう言いながら、佐久間は取り出した分厚い書類を手渡した。わたしはそれを受け取ると、封を開こうとした。

「駄目よ」

 きつい声で、佐久間が言った。

「え?」

 わたしは驚いて顔を上げた。

「今は開かないで。こんな場所で見ると秘密がばれてしまうから」

 秘密?なにそれ。

「でも、見ないことには、ご依頼の内容がわからないんですが」

 佐久間は首を振った。

「駄目。それさえ読めば誰を調べたらいいのかわかるはずよ。それで充分でしょ?」

 今度はわたしが首を振る番だった。

「そういうわけにはいかないんです。契約書を作らないといけないですし」

「駄目。契約書はどうでもいいわ」

 そっちが良くても、こっちはそういうわけにいかないのよ。うちみたいないい加減なところは、何か問題が起きてしまうとすぐに解散という目に成り兼ねない。じっと、佐久間を見つめるが、はっきりと見返してくる。わたしは、ふうっと息を吐き出した。

「わかりました。じゃあ、こうしましょう。佐久間さんがご依頼になる内容を何処かで書いてください。最後の部分に署名をしてください。それを受け取り次第、こちらも仕事に取りかかりますから」

 黙って佐久間はわたしを眺め続けた。信用出来るのか、それともそうじゃないのか、眺めていればわかるというような。わたしは、表情を変えないで佐久間を見ていた。

「いいでしょう。ちょっと待っていてください」

 そう言うと立ち上がり、化粧室に入っていく。わたしは唖然としてそれを見送った。

「変な人ね」

 置いて行った大きな封筒を開けてみたい誘惑に駆られたが、じっと我慢した。置かれた場所から少しも動かさず、じっと見つめた。

「あの、ご注文は・・・」

 ウエイトレスが近寄ってきてわたしを見下ろしていた。

「あ、じゃあコーヒー」

 そう言うと、露骨に変な顔をする。

「ドリンクバーですね?あちらにカップがございますので・・・」

 そう言いながら、ウエイトレスは足早に立ち去って行った。でもね、わたしは立ち上がるわけにいかないのよ。誰にも見られたくないとかいう佐久間が置いて行った書類があるから・・・。

 あ、そうか。持っていけばいいんだ。そう気が付いた瞬間、佐久間が戻ってきた。

「はい、これ」

 手渡そうとしたのは、四つに折り畳んだ紙だった。これも開くなって言うんじゃないでしょうね。

「帰ってから開けてね」

 あのね、小学生の交換日記じゃないのよ。それでも、わたしは面倒になって頷いておいた。いいわ、後で電話すれば済むこと。

「あとは報酬の件なんですが」

 佐久間はわかっています、と言わんばかりに顔を縦に振った。

「聞きました。田辺と名乗った方に。ですから、それは了解済みです。それもその紙に書いておきました」

「そうですか。では、コピーを取ってからそちらに写しを渡します」

 そう言って、わたしは紙切れを折り畳んだままバッグにしまった。

「いいえ、それは駄目。コピー機にメモリーが残るから。誰が見るかわからない」

 そんなまさか。呆気にとられて見ていると佐久間が続けた。

「控えはいりません。その紙に書いてある通りでよければ夜に電話を下さい。駄目でしたら、この話は無かったことにします」

 そんな無茶苦茶な。わたしは、じっとテーブルの上の書類を見つめた。分厚かった。

「わかりました」

 そう言うしかないでしょ?ここで文句を言ってもしかたない。

「じゃあ、わたしは帰ります」

 佐久間が立ち上がった。わたしも立ち上がろうとしたのを、さっと手で制した。

「ごゆっくりなさっていってください。先ほどドリンクバーを注文されたでしょ?たくさん飲まれないと損です」

 見ていたのか?

「そう、ですね」

 曖昧に笑って、わたしは頷いた。他にどうしろと?

「あ、それから」

 佐久間が、行きかけて再び振り返る。今度は何?

「タニヤマ電機の製品はお使いになられていますか?」

「え?」

「どうなんですか?」

 この人、デンキ屋?何が知りたいの?

「いえ、確か使ってなかったと思いますけど・・・」

「確かめて置いて下さい。あそこの器具には盗聴機が仕込まれていることがありますから」

 わたしは唖然として佐久間を見つめた。佐久間は、さっと振り返ると悠然と歩き去って行った。


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