プラシーボ
コーヒーを買って事務所へ戻ると、そこにはアストの他に田辺と、そして行方不明のはずの磯崎がいた。なんと田辺が探し出したのか。それは驚きだ。でも連絡ぐらいするべきだ。
「僕だって探偵ですよ」
田辺はうれしそうに言った。
「チームプレーと言う言葉を知らないの?」
そうわたしが言うと、アストが遮った。
「そういうことは奈々には言えない台詞だと思うがな。ところで磯崎くん。どうして逃げ出したのか説明してもらおうか」
磯崎は赤いTシャツを着ていた。派手なロゴ入り。下はジーンズ。髪の毛は金色。ピアス付き。別に麻美にこだわらなくても、恋人は見つかりそうな感じはする。ルックスも悪くはない。
「事件にしたくなかった。警察なんてめんどうなだけ」
「それはそうかもしれないけれど、逃げたりすれば余計に面倒になるわ」
「悪かったと思ってる。でも、なんでもないケンカだったんだ。たまたま手元に刃物があっただけで。麻美も本気じゃないんだ」
「それはわからないわ」
そう言うと、磯崎は声のトーンを上げた。
「わかるよ。オレがつきあっている女なんだ」
何よ、偉そうに。わたしはそう思ったけれど口にはしなかった。
「だから、もう麻美の監視はしなくていいんだ」
「そうはいかないでしょう。彼女はまだ興奮しているわ」
「してないよ。もう一人になって落ち着いている」
「一人って?」
「ああ、それはですね、奈々先輩。僕が電話をしたんです。磯崎さんと一緒に。山田と館内は帰しました」
わたしは、急に不安になった。なんでだろう。麻美を一人にしたからって何が起きるというんだろう。
「彼女は・・・・麻薬を使っている」
磯崎が頷いた。
「そこまで知っていたんですか。さすが探偵」
皮肉っぽくはなかった。あきらめたような顔で磯崎は言った。
「それも原因の一つです。僕が警察に話せば、いずれそのことも言わなくてはならなくなるかもしれない。それで逃げた」
「あなたがマリファナを教えたんだわ」
「それも知っているんですか」
驚いた顔をして磯崎は続けた。
「後悔しています。興味本位だったんです。彼女がやってみたいと言って。効かないって事はわかっていたし、すぐに飽きるだろうと」
「効かない?」
そう声を上げたのは田辺だった。
「ええ。効かないわ、田辺くん。日本で栽培されている大麻はサティバ種っていってね、麻薬としての成分が低いの。もともと繊維用だから。インディカっていう種類から比較すると、ほとんど十分の一くらいしか効かないの。ほとんど気分の問題っていうくらいの効きしかないわ。もしもハイになれたとしたら、プラシーボ効果ね」
「奈々先輩、プラシーボ効果ってなんですか?」
「偽薬効果、つまり、嘘の薬なんだけど効いてしまうこと。ほら、酔い止めだよって飲まされると乗り物酔いしなくなるって話あるでしょ?たとえただのビタミン剤だったとしても。あれと一緒ってこと」
「おいおい・・・お前、何処でそういう情報を仕入れているんだよ・・・」
眠そうな顔でアストが言った。
「ちょっとね・・・やっぱり、お酒ばっかり飲んでいると体に悪いだろってアストが言うしね」
「待てよ。ドラッグはアルコールよりも体に悪い」
「そうね。もちろん、薬に頼る気は無いわ。どちらも体に悪いこともわかっている。マリファナは、タバコより習慣性が無いって言うけど。大麻取締法ってね、そもそも意味のわからない法律なのよ。繊維業界、とくに化学繊維業界を保護するためにアメリカの政府が意図的にやったことらしいわ、戦後の統治下で。日本にはインディカ種は入ってきてないもの」
「そうなんです、探偵さん。だからすぐに飽きるはずだと思ったんです。でもそうはならなかった。彼女はネットで薬を探すようになった。そしてバイト先も良くなかった。手にいれようとすれば手にはいる環境だったんです」
「それ、まじっすか」
田辺は驚いて言った。
「知らないだけなんです。今、手にいれようとすればドラッグなんて選んだりしなきゃ、すぐに手に入る」
磯崎は、さも当り前という顔でそう言った。
「金はどうしていたんだ?」
アストが質問した。磯崎はうつむいた。
「いろいろと。女だし。それに彼女は自分だけじゃなく知り合いにも広めていた。オレは止めたかった。だから浮気調査と言って調べてもらおうと思ったんです」
「ドラッグの流れを、か」
アストがうなった。だいぶ眠気は飛んだらしい。
「今夜のケンカも、半分はそれが原因でした。ドラッグのことで」
「大変だな、あんたも」
アストは、ソファーから立ち上がった。
「ちょっとコーヒーを買ってくるよ。磯崎くん、もう少し話をして解決方法を考えよう。田辺、付き合え。コンビニへ買い出しに行くから。飲みものと食いもんが要りそうだ」
「いい人ですね、町田さんって」
磯崎は、弱々しく微笑んだ。なのに、わたしにはそれが皮肉っぽく聞こえた。




