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杉並大学探偵事務所  作者: カダシュート
憂鬱は暗闇に消えて
10/92

アストは何処にいたのか?

 アストは、事務所のソファーで眠っていた。

 先週号か、その前の号のヤングジャンプを胸に掛けて眠っている。着ている服は一昨日、最後に会った時と同じものだった。よれよれになっているところを見ると、替えていないんだろう。

 わたしは、その傍らに座った。田辺は、まだ現れない。

「う・・・ん?奈々か?」

 アストは、そう言って目を開いた。

「うん。アスト、疲れてるわね」

「まあな」と、つぶやくように言って、アストは首だけを起こし、まぶしそうに目をしばたいた。

「何処へ行っていたの?心配したわ」

「何処へって、お前が尾行しろって言ったんだろう?」

「探したのよ。心配したの」

 探したのは田辺で、わたしじゃないけれど・・・

「仕方ないだろう。やつ、車に乗ったんだよ、あの後、すぐに」

 わたしは、アストの顔を見つめる。

「ヤサにでも帰るのかと思ったんだけどな」

 ヤサって・・・。普通に家とかって言えばいいじゃない。

「いきなり高速に乗って山中湖なんだよ。いい加減にしてもらいたいぜ」

「でも、連絡ぐらい入れてくれてもいいじゃない」

「まあな。でもな、お前が急いで来いっていうから、昨日、いや一昨日か、携帯電話を忘れて部屋を出たんだ。仕方ないだろ」

 わたしは、首を振る。

「でも、公衆電話とか、そういうのあるじゃない」

「ああ、そうだったな。そんなもの使った記憶が無いから忘れていたよ。それに、最近では、あまりお目にかからない」

 嘘だ。いくらなんでも公衆電話は、そこまで減らされてない。わたしは、アストの髪の毛に、そっと触れた。

「本当は、なんなの?どうして連絡をくれなかったの?」

 アストは、じっとわたしを見つめていた。眠そうな目は、充血していて、本当に疲れているのがわかった。ふっとアストがため息をついた。

「心配していたって?奈々、そういう見え透いた嘘をつくなよ」

 そう言うと、わたしの手を振り解く。

「心配の一つもするならな、お前が電話すればいいんだよ」

 そう言うと、彼はジャケットから自分の携帯電話を抜き出すと、デスクの上に放り上げた。それから、立ち上がると、ちらっとわたしに視線を送り、そのままドアの方へ歩いていく。

「田辺も律儀だけど、お前も鈍感だよ、まったく」

 そう言うと、ドアを開けて出て行った。「コーヒー、買ってくる」とだけ言い残して。


 田辺は、アストと一緒に入ってきた。

 きっとサークル棟の下で会ったんだろう。コーヒーの自動販売機は一階にあるし。なんだか、二人は楽しそうにして部屋に入ってきた。二人だけの秘密でもあるみたい。わたし一人だけが蚊帳の外って感じ。

「じゃあ、町田先輩の見たのはパーティーなんですね?」

 そう言いながら、田辺はデスクのところまで行って、そこの椅子に座る。手にはオレンジジュース。

「いいなあ・・・わたしのは?」

 アストも、わたしの隣にソファーが空いているのにデスクのところへ行き、デスクに座る。

「飲み物は、自分で買ってきなさい」

 薄ら笑いでアストが言った。

「なによ」

「奈々先輩、町田先輩は山中湖まで行っていたんですよ」

「さっき、聞いたわ」

アストは、首をすくめて見せた。

「たぶんだけどな、あいつはドラッグを使って宴会を開いていたんだと思うんだよ」

 ドラッグで宴会とはどこかで聞いた話だ、と思ったら、さっきのラジオのニュースだった。世の中は毎日のように悪いほうへ行っているらしい。もうドラッグなんてありふれたものなのだ。

「だからな、オレは田辺に電話したんだよ。この調査は深入りしない方が良さそうだぞって」

 そう言いながら、田辺の方を睨む。

「なのに、田辺は継続調査を引き受けた。まあ、わかるけどさ。大きな事件を取り扱いたいっていう田辺の気持ちもわからなくもないから。でも、その結果がこれだよ。殺傷事件は起きるし、被害者はどっかに消えちまうし」

「そんなこと言っても仕方ないじゃないですか。僕は超能力者じゃないんです。事件がどういう展開をするかなんてわからないんですから。それに、町田先輩は具体的なことなにも言わなかったじゃないですか。電話では、ただ『深入りするな』って言っただけで」

「電話?」

 わたしは、思わず聞き返した。ちらっとアストがわたしを見た。

「とにかくだ。こうなっちまったものは仕方ない。まずは全員の情報をまとめてみよう。それからだろ、これからどうするか考えるのは」

「そうですね。奈々先輩、ジュース、買ってきますか?行くなら早くしてください」

 ああ、もう。


 「僕はですね、病院に着いたんです。県立の病院。救急車は、もう到着した後だったんですけど、すぐに磯崎さんが何処にいるかはわかりました。友達だって言ったら教えてくれました」

 オレンジジュースを飲みながら、田辺は話を始めた。

「で、待ってたんです。手当てが済むの。すぐに終わったみたいですよ。大した怪我じゃなかったそうなんです。刺されたっていっても、腕とお腹にかすり傷がついたくらいのもので。救急車に乗る前から手当ては終わっていたようなもので」

「話はしたの?」

「しました。少しだけなんですけど。すぐに医者が来て『いちおう警察の方へ連絡するから、待っていてくれ』って言うんです。だから待合室で。いちおう、そういう決まりになっているっていうものですから。磯崎さんは、一生懸命に『これは事故だから』って言っていたんですけど『決まりは決まりだから』って堂々巡りなんですよ」

「麻美をかばってたってことね。警察は来たの?」

 わたしは、立ち上がって冷蔵庫のほうへ行きかけた。

「それで、これは事故なんですよ、って磯崎さんは言うんです」

「それは聞いたわ」

 冷蔵庫を開けると、ビールが入っていた。それに手を伸ばすと、バタンとドアが閉じられた。顔を上げたらアストが目を閉じて首を振っていた。

「それで、でも決まりだからって」

 わたしは、ため息をついた。

「それも聞いたわ」

「医者は立ち去って、それで二人になったんですけど、磯崎さんは、事故だって・・・」

「だから!」

 わたしは、思わず声を上げた。

「あ、はい。それで、トイレに行ったんです、僕。お腹が痛くて・・・」

「その間に磯崎はいなくなったんだな、警察が来る前に」

「ああ、そうです。町田先輩」


「奈々と別れた後、オレは長瀬麻美が紙バッグを渡した男を尾行したんだ」

 アストは、タバコを探しているような手つきでジャケットを叩きながら話を始めた。

「さっきも言ったけどな、すぐに車に乗ったんだ、あの野郎」

 ジャケットから出てきたタバコは空になっていた。わたしは、ふと、さっきタバコを買ったことを思い出した。

「どこまで行くのかと思ったら、高速道路に乗るし。途中で止まりもしない。よっぽど追跡するのを止めようかと、何度も考えたよ。寒いし、費用が出るわけでもないし」

 わたしは、自分のバッグからJPSを取り出した。それを一本だけ抜くと、残りをアストに放った。

「お、サンキュー。それでも最後まで追跡したんだ。山中湖だったよ。富士山の近くの。200キロぐらい走ったぜ。最後は凍えるかと思った。バイクだったからな」

 そういえば、アスト、VTで来ていたんだった。

「たぶん貸し別荘なんだろうな。他にも何台か車が来ていたんだ。あいつは紙袋を持って入っていく。人の出入りが無くなったところでオレは敷地に踏み込んだんだ」

 タバコに火をつけて、アストは煙を吹き出した。わたしも火をつける。

「紙袋の中身は白い粉みたいなものだった。それをなんだか大事そうに分けてるんだよな。

あ、これはヤバイなって」

 そう言うと、田辺の方を見る。

「そう言ってくださいよ。ヤバそうってだけ言うから・・・」

「ま、それ以上はいても仕方ないから、車のナンバーを控えて、それから帰ってきた。貸し別荘の事務所とかで聞いても良かったけど、今は個人情報だとかって言って、あんまり教えてくれないからな。帰ってきて車のナンバーから割り出した方が良かろうと思ったんだよ」

「でも、それじゃ時間がかかりますよね」

「事務所で聞けば、オレが嗅ぎ回っていたってバレる可能性が高いからな。まあ、何処の誰っていうのまではわからないだろうけど、向こうは違法行為をしているわけだし慎重にいかないと。それから田辺に電話したんだ」

「え?電話、したの?」

 わたしはアストの顔をまじまじと見つめた。アストはため息をついた。

「だって、田辺くんは、アストと連絡がつかないって・・・」

「オレはな、奈々。お前に頼まれて金にもならない仕事をしたの。せめて電話の一つもしてくるのが礼儀でしょうが」

「どういう意味よ」

「奈々は帰って寝ましたって田辺が言うからな、じゃあいいよって、電話を切ったんだ。それだけのことだ」

 アストはタバコの煙を、ふうっと吐き出した。わたしは、じっとその顔を見つめ続けた。

 やっぱり、よくわからない。

「あの・・・それはですね・・・」

 もぞもぞと田辺はアストとわたしを見比べながら声を上げた。

「つまり、その町田先輩は奈々先輩に電話をして欲しいのかなって思いましてですね・・・」

なに、それ。わたしは田辺を睨んだ。

「行方不明とか言っておけば、奈々先輩は心配をして電話をかけるんじゃないかと思いまして・・・」

 つまり、どういうことなのよ?

「ま、あれだよ奈々。田辺は田辺なりに変な気を回したわけ。オレがな、奈々のことが大好きで、恋心を抱いていると、そう勝手に解釈したわけだ」

 そう言って、アストは肩をすくめてみせた。いかにも演技のような、そんな仕草に見えた。

「ばかじゃないの」

 わたしは、ため息をついた。

「でも、町田先輩だって奈々先輩のこと・・・・」

 アストは、目をそらして、それから「そんなわけないだろ」とつぶやいた。


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