海に向かうならオートバイの後ろに乗って行きたい
時代は2000年よりちょっと前。
携帯電話はあるけど、スマホって何?っていう時代。ちょっと昔の大学生たちのお話。
わたしは彼の背中にしがみついて、高速で流れていく海岸線を眺めていた。
ヘルメットの内側には長く伸ばした髪の毛が視界を遮るように揺れている。
暑い夏の日差しは半袖の腕を焼いていたけれど、オートバイが作り出す冷風が、それを冷やしていた。
そう、夏。
何処まで行くの。
わたしは、彼の耳元でそう叫ぶ。
だが、彼は返事をしない。いや、それどころか振り返ったりもしない。
きっと彼の耳には届かないんだろう。
高速で流れていく景色とエンジン音が、わたしの声を吹き散らす。
わたしは、何処までだっていいや、と思い直す。彼と一緒なら、何処へでも。
そう思った瞬間に、わたしは不安に駆られた。
彼と一緒?
どうしてその言葉がわたしを不安にさせるのか、わたしにはわからない。
海岸線は、丘陵地帯から砂浜へと変化して、ところどころにパラソルが見え始める。
そう、夏なのだ。
「奈々、奈々」
誰かが呼んでいた。
オートバイに乗っているのに、誰が声を掛けるっていうんだろう、とわたしは思った。
「そんなところで寝ていると、風邪ひくぞ」
急速に海岸線が遠のいてブラックアウトした。
そこが何処なのか、わからなかった。
「奈々、講義をさぼるなよ」
知っている顔だ。だれだっけ?背後の窓からは夕日が差し込んでいた。その向こうには大きな銀杏の木。ふらつく頭で視線を戻せば、薄汚れたロッカーと乱雑に雑誌やらギターやら壊れたストーブやらの置かれた室内の風景が目に入った。
「あら、寝ていた?わたし」
「寝ていたか、じゃないだろう」
そう言いながら、その男はわたしの正面にあるソファーへと腰を下ろした。
ギシっという音とともに埃が舞う。薄暗い部屋に赤い光が充満して彼はシルエットだった。シルエットのまま、彼は荷物をどさりと音をたててテーブルに載せた。ページが開かれたままの雑誌の上に。
サークル室。
ああ、そうか。昨日の夜も眠れなくて、それでわたしはここへ来た。
いや、それは省略のしすぎ。
明け方になってうとうとしたけれど、結局は眠れなくて、それで大学へやってきたのだけど、午後からの講義に出るほどの元気が無くてサークル棟へ来たんだった。
え?そうよ。どうせわたしは怠惰な学生よ。放っておいて。
腕時計を探す。
見つからない。
「ねえ、今、何時?」
彼は、ポケットからケータイを取り出して時間を確認する。
「7時12分。午後の」
「そう。どうでもいいけど」
「どうでもいいなら聞くなよ、奈々」
「聞いたらどうでも良くなったの」
「いつもながら、勝手な奴だ」
放っておいてよ、とわたしは思う。サークル室の中は急速に暗くなっていく。一対のソファー、その間に置かれたテーブル。そのどちらにもガラクタとしか呼べない物たちが載っている。週刊のマンガ誌とか東急ハンズで売っているようなパーティーグッズとか空き缶とか空きペットボトルとか、カセットテープのウォークマンとか。
あ、ウォークマンはガラクタじゃなかった。これはサークルの備品。サークル活動をするために必要な録音機能付きの骨董品。
ソファーの向こう側にはロッカーがある。その中にはビデオカメラや普通のカメラ。望遠の出来る高価な器材。その隣のデスクにはパソコンが載っている。あれも重要な仕事道具。半ば営業活動をしているわたしのサークルには絶対に必要な器材。
「アスト、おなか減ってるでしょう?」
そう、町田アスト。名前の漢字は教えてもらえない。
「すいてないぜ」
彼は、そう答えた。それから小馬鹿にしたような目で続けた。
「何が言いたい?」
「食事に付き合って」
「なんでオレが・・・」
「アスト、お腹減ってるもの」
「減って無いって」
「減っているの」
「勝手なやつだ」