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兄の帰国 【3】

 ほのみは少年に尋ねた。

「えーと、あなたリュカオンくんだよね?」

 すると、首を傾げる。

「リュカオンクン? ちがうぞ、リュカオンだ。リュカってよべ」

「じゃあ……リュカ?」

「そうだ」

 おずおずとほのみが言うと、少年――リュカは、深く頷いてから、じっとほのみの顔を見つめた。

 男の子にこんなに間近で顔を見つめられるの、初めてだ。それも、こんなに綺麗な顔をした子に……。

 心臓が自分で分かるくらいドキドキしていて、ほのみは胸の前できゅっとスケッチブックを抱きしめた。

「おまえ、ほのみか?」

「あ、あたし? うん。あたし、黒生くろうほのみ! よろしくね!」

 気を取り直し、ほのみは元気よく片手を差し出したが、リュカはそれを無視し、青い瞳でほのみの顔を凝視した。

「えーと……リュカ? よろしくね……」

 握手も知らないのかしら? とほのみはばつ悪くなりながら、手を引っ込めた。

 ほのみより少し背が高い。と言ってもほのみ自体が大きくないので、彼も小柄だ。ただ、肩幅はそれなりにあって、腰の位置が高い。手足もすらりと長く、そのぶん実際の身長より高く見える。

 本人が綺麗なぶん、だらしない身なりが気になった。皺だらけのジャケット、そこから飛び出したネクタイ、シャツも一番上のボタンがきちんと止まっていない。創やその婚約者の女性は気にならなかったのだろうか? とはいえ、いきなり直すのも失礼だろう。

 それよりも、いつまで顔を見てるの……。時々紫に変わる不思議な青い瞳に凝視され、ほのみは困り果てた。

「ほのみ……ほのみ……ほのみ」

「あの……」

 綺麗な形の唇が、何度も名前を呼ぶのがとてもくすぐったく感じて、ほのみは顔を伏せた。

「ほのみ、かわいい」

「えっ!?」

 ぎょっとして顔を上げると、真顔で見つめられていた。

「かわいいほのみ、あいたかった」

「ええっ!?」

 見たこともないような美少年に、いきなりそんなことを言われ、嬉しいというよりひたすら困惑した。が、これは社交辞令だ! とすぐに思い直し、笑って頷く。

「あっ、う、うん……あ、あたしも、会えて嬉しいよ!」

「俺もいるんだけどな」

 蚊帳の外に置かれている三太の呟きはリュカの耳に入っていないようで、彼はほのみの顔だけを見ていた。

 がしっと、両手で肩を掴まれる。

「オレ、ほのみ、に、ずっとずっと、あいたかった。だから、うれしい」

「……あ、……ありがと……」

「ほのみは、かわいい。すごく」

「ひぃ……」

 たとえお世辞でも、こんな公衆の面前で綺麗な子に「可愛い」だの「会いたかった」だのと言われて、ほのみの顔は熱く火照ってしまった。さすが外国人。言うことがストレートだ。嬉しいと言うわりに、ちっとも笑っていないけれど。

「かわいい、ほのみ。すごく、かわいい。あいたかった」

「う、うん」

「かわいい。ほのみはすごく、かわいい。せかいいち、かわいい」

「……うん」

「かわいい。すごく」

 リュカは真顔で、同じ言葉をオウムのように繰り返している。

 ……お世辞にしてもちょっとしつこいと、思い始めていたときだった。

「けっこん、しよう」

「う、うん……って、えええええええええっ!?」

 またも、ほのみの大声が空港内に響き渡った。

「すげーな。ほのみでいいのか」

「どういう意味!?」

 感嘆している三太をほのみがキッと睨む。そんな二人を眺め、リュカが首を傾げる。

「どうした?」

 不思議そうに兄妹を見る少年の姿に、ほのみははっとして声を上げた。

「大兄ちゃんね! 大兄ちゃんがこの子に変な日本語教えたのよ!」

 創は歳の離れた妹に優しく、とても可愛がってくれた。良く言えばちょっと過保護で、悪く言えば兄バカだ。昔から「ほのみは可愛い」と毎日飽きもせず褒めてくれた。

「ねえ……リュカ。あなたの日本語、うちのお兄ちゃんから習ったんじゃない?」

 気を取り直し、リュカに向かって優しく尋ねる。

「大兄ちゃん……じゃなかった、創お兄ちゃん。分かる?」

 リュカが、こくん、と頷く。

「ハジメ、オレに、ニホンご、おしえてくれた。リュカは、せかいいちの、いけめんだから、せかいいちかわいい、ほのみと、けっこん、しろって」

「やっぱり! ていうか、何言ってんの、大兄ちゃん!」

 不在の兄に怒鳴るほのみを、周囲の人間がジロジロと見ながら通り過ぎる。

「ハジメ、いろいろ、おしえてくれた。ほのみは、ねてるとき、おもらし、する」

「きゃああああ!」

 何度目かの悲鳴が空港内に響き渡り、人間たちが驚いて振り返った。

「まあ、小学六年までしてたもんな。わりと最近だよな」

 さっきは騒ぐなと注意していた三太も、腹を抱え笑っていた。

「しっ、してない! もうしてないよ! 大兄ちゃん、この子になに教えてんの!」

「おねしょするってことだろ」

「いやあ!」

「ほのみ、どうした? おもらし、したか?」

「あなた、ほんとは意味分かってないんでしょ!」

 顔を覗き込むリュカに、真っ赤な顔でほのみが怒鳴る。相変わらず感情の読めない無表情でリュカが首を傾げたとき、軽やかな声が届いた。

「リュカ! ごめんなさい、遅くなってしまって」

 銀髪の女性が、ガラゴロと大きな荷物を引きながら、手を振りながらやって来た。

「ヴァヴ」

「出口で、このケージが引っかかってしまって、後ろの人にぶつかってしまったのよ。慣れないから、力加減が難しいわね」

 彼女が片手で軽々と引いてきたのは、スーツケースでは無く、ケージだった。かなりの大型犬が寝そべってもまだ余裕だろうと思えるほど、大きなものだ。車輪(キャスター)付きとはいえ、普通の女性ならば、片手で軽々と引いて来られる代物ではない。

「ご挨拶は終わったの?」

 優しく尋ねる女性に、リュカはやはり無表情で頷く。

「そう。えらいわ」

 と、子供のように少年の頭を撫でる姿は、まるで母のようだ。

 この人が、大兄ちゃんの婚約者だという女性。まだ狐につままれたような気分で、スケッチブックをぎゅっと胸に抱き締め、身構えた。そんなほのみを見て、彼女はまず驚き、それからぱっと笑顔を見せた。

「ほのみ! まあ、ほのみね!」

 頬に手を当て、大げさに喜ぶ。そんな外国人らしいチャーミングな仕草も様になっている。

「会えて嬉しいわ! 創の言っていた通り! 想像していたより、とっても可愛い!」

「あ、は、はい……ありがとうございます」

「俺もいるんだけど」

 三太が呟く。美女は三太のほうを見て、花が綻ぶような笑みを浮かべる。そして、親しげに手を握った。

「ああ、あなたは三太ね! 創に聞いていた通りの金髪!」

「兄貴……俺の印象はそれだけか」

 三太が遠い目をする。

黒生くろう三太さんたです。よろしく。こっちは妹のほのみ」

「はじめまして。私はヴァルヴァラです。ヴァヴと呼んで。お会い出来て、とても嬉しいわ」

 三太の横で、ほのみもちょこんと頭を下げた。

「ほ、ほのみです。黒生ほのみ……」

「よろしくね、ほのみ。可愛い私の妹」

 長身の美女はほのみの目線に合わせて腰をかがめ、握手の代わりに抱き締めてきた。

 ヴァヴからは不思議な匂いがした。これは、外国の森の匂いかしら? そんなの嗅いだことは無いし、あるのかも分からないけれど、何故かそう思った。

 しばらく抱擁された後、ようやく離してもらった後で、手を握られた。彼女の手はひんやりと冷たく、寒い国の住人を思わせた。 

「ああ、本当に、ほのみなのね。彼、いつも言っていたわ。ほのみはとってもとっても可愛い妹だって。眼鏡の次武に、金髪の三太、そして、世界一可愛い、かけがえのない宝物のほのみ。みんな大切な弟と妹だって」

「いや、どう考えても格差がすげーんだけど……」

 三太の呟きはやはりヴァヴの耳に入っていないらしい。彼女は微笑みながら言った。

「ああ、お会いできて、本当に嬉しいわ。よろしく、日本の、黒生家の皆さん」

 それからぼんやりと立っている少年の肩を抱き、引き寄せた。

「この子はリュカオン。リュカと呼んであげてください。私は貴方がたと同じ狼人間ライカンスロープ。この子は半吸血鬼ヴァンピール。姉弟ではないけれど私にとってもリュカは大事な子。ほのみと一緒の学校に通うので、仲良くしてあげてね」

「あ、はい……」

 まるで母国語のように日本語を話し、いきなりのお姉ちゃん宣言に、ハグ。不安も緊張も忘れてしまうほど、ほのみはその存在感に圧倒されてしまった。

「あの、それで大兄ちゃん……兄は、まだ中ですか?」

 ほのみはスケッチブックを抱え直しながら、美人で朗らかな兄の婚約者に尋ねた。

「大兄ちゃん、すっごくマイペースだから……。トイレかな。まさか売店で立ち読みしてるとかじゃないよね。ほんと、困りますよね、のんびり屋で……」

 ちらとゲートの向こうを見て、苦笑いしながら呟くほのみに、ヴァヴは微笑みを崩さないまま、少し悲しそうな目をした。

 そんな彼女の表情に、ほのみは顔を強張らせた。

「……えっ……と……うちの、お兄ちゃん……帰ってきてるんです……よね?」

「はい。創も、戻ってきました。一緒に」

 そう言って、傍らに置かれた大きなケージを、大事そうに撫でる。中にはたしかに獣の気配がする。でも――犬じゃない? その懐かしい気配に、ほのみははっと目を見開いた。

「ハジメ」

 リュカがケージに向かって、そう声をかけた。

「ほのみだ。ハジメ、あいたがってた」

 大きなケージには、中が見えないよう目隠しがしてある。ほのみはケージに縋り付き、隙間から中を覗いた。

 ――まさか! ……まさか!

「大兄ちゃん!」

 スケッチブックがばさりと音を立て、床に落ちた。

「大兄ちゃん! 大兄ちゃんなんでしょう!?」

 中の獣と目が合った。大型犬では無い。乗り継ぎも含め幾つもの国の検疫をくぐり抜けてこられるはずのない生き物が、確かにそこに佇んでいる。

 漆黒の毛並みを持つ狼。

「……大兄ちゃん……どうして……?」

 大きなケージの中で、黒狼は静かにうずくまっている。声をかけても返事は無い。その前にほのみはずるりと膝を落とした。

 灰澤村で細々と生きる狼一族・その長兄である黒生くろうはじめは、獣の姿のままケージに押し込められ、大切な妹の姿を目にしても、何も語ってはくれない。

 ほのみは、もう分かっていた。

 この姿で帰って来たということは、彼が人間の姿になれないということ。

 つまり、兄の身に何かあったということだ。

「ごめんなさい、ほのみ」

 ヴァヴがほのみの肩に手を置き、小さな声で言った。

「彼は、ストリゴイとの戦いの中で傷ついて……命は取り留めたわ。けれど、その代償に、心を失ってしまった。心の無い狼は、人の姿になれない」

「ストリゴイ……?」

 ゆっくりと顔を上げたほのみに、ヴァヴが悲しげな顔で頷く。三太に驚いた様子は無い。

 きっと、二人の兄はとっくに知っていたのだ。創がこうなってしまったことを。

「……何よ……それ、なんなの……?」

「てき、だ」

 それまで無表情だった少年が、険しい顔つきで言った。けれど、呆然としているほのみには、その声がいやに遠く感じられた。

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