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少年と少女のプロローグ【1】

 少年は、戦う。


 花の匂いに満たされる春も無く。

 強い陽光を近く感じる夏も無く。

 大地が落葉に覆われる秋も無く。

 氷と雪に冷たく閉ざされる冬も無く。

 朝も、昼も、夜も、関わり無く。


 それに終わりがあるのかすら、考えたことはない。


 獣の仔が産まれ落ちたときから立ち方を知っているように。

 自分が戦い続けなければならないことを、知っていた。




 ――タ……ベ……タ……イ……タベ……タイ……。


 歌うように、女が頭を振る。

 それは呪詛のようであり、途切れない旋律のようでもあった。


「ストリゴイ」

 その呼びかけに応えるように、闇に紛れた女の頭が揺らめく。

 顔の中心にぽっかりと二つの穴が空いている。

 眼球が無いのだ。

 無いはずの瞳が獲物を捉え、その口がにたりと歪む。


 ――アァ……ア……クイ、モノ……。


 それは、すべての生物の天敵。


 ――タベタイ……タベタイ……モット、タベタイ……。


「しってる」

 同じ言葉を繰り返す声に、少年は冷たく返した。

 雪と氷に閉ざされた森は、樹木の枝までも凍りつくほどの冷たさだ。それを全く感じていないかのように、袖の無い粗末な衣服を身に着け、マフラーとも言えない古ぼけた布を首に巻き、爪の伸び過ぎた足には靴も履いていない。

 怪物と対峙しながら手にしているのは、棒の先に削った鉄を括りつけ、かろうじて槍のような形をしているというだけのもの。

 あまりにみすぼらしい姿であるのに、紫闇に沈んだ瞳には悲壮さも絶望の色も無い。ただ真っ直ぐ、倒すべきものを見つめている。

「おまえは、それしか、ない。ハジメが、いってた」

 少年の雪のように白い髪が、闇の中に浮かび上がる。

 傍らには、黒狼と銀狼――二頭の大狼が身を低くし、唸り声を上げていた。

 

 ――タベタイ……タベタイ……。


 少年の言葉に応えることなく、女は歌うように繰り返す。正しくは女では無い。人間の女の頭を中心とした、異形の塊だ。

 頭から下は人の形をしているが、胴体は水死体のようにブクブクと膨らみ肥大化している。その体の至る所から手足が生えていた。その姿は泥を適当に人型に固め、枝を何本も無造作に突き刺したかのようだ。不規則に生えた無数の手足は、それぞれが異なる動物の形をしていた。犬、熊、狼、馬、人、人、人――手足だけではない、皮膚のように貼りついた無数のデスマスク。

 複数の動物を乱雑に混ぜ合わせ、それでいてどこか整然とした、奇妙な異形。

 全身のデスマスクが一斉に口を開く。


 ――イノチ、ゼンブ、タベタイ……。


「そうか。でも、だめだ」

 静かに武器を構え、少年が冷ややかに宣告する。

「もう、ころす」






 最後に大兄おおにいちゃんの姿を見たのは、一年以上前の、冬の日だった。

 日本の冬でも寒がっているくせに、それより冷たい国に出かけてしまった。

 ――ちょっと、出かけてくるよ。

 なんて、まるで近所を出歩いてくる程度の言葉と、優しい笑みを残して。


『白い花が咲いたら、日本に戻ります。 はじめ

 彼方より届いた手紙は、そう締めくくって終わっていた。

 じつに、ロマンチストな大兄ちゃんらしい言葉だと思う。……だけど。

「白い花って、何の花なの!? ルーマニアで咲く花なの? 咲いたって、日本じゃ分かんないんだけど!」

 エアメールを手に、ほのみは叫んだ。

 顎のラインに切り揃えた黒髪が、小さな肩の動きに合わせて揺れる。大きく動く黒目がちな瞳が、手紙の文面を何度も追う。もちろん何度見ても文章が変わるわけはないし、遠い国にいる兄がのん気な考えを変えてくれるわけでもない。

「もー、いつ帰ってくるのよぉー!」

 セーラー服姿の少女は畳の上にちょこんと座り、叫んだ。

 もうじき中学三年生になるが、小柄でよく下級生に間違われる。幼さの象徴のような丸みのある輪郭に、素直にくるくると変わる表情が愛らしい少女は、待ちわびた手紙を読んでいるときこそ笑顔を溢れさせていたが、いまは憂鬱そのものだった。


 黒生くろう家の四兄妹には、父母がいない。末妹のほのみが産まれてしばらくして、二人とも亡くなった。両親の顔を写真でしか知らないほのみを育てたのは、十三歳年上の長兄、創だ。

 創はこれまでも何度か海外に出かけることはあったが、連絡手段といえば一方的に送られてくる手紙ばかりだった。

「だな。開花時期は二、三月だが、この場合、春になったらと読み取るべきだろう」

 スマートフォンで素早く調べ、真面目に答えてくれたのは、次兄の次武つぐむだ。生まれ順が分かりやすいよう付けられた名前の通り、次男である。

「春になったら!? それじゃ、春まで帰って来ないってこと!?」

「春には帰って来ると分かっただけマシじゃないか」

 太い黒ぶち眼鏡のフレームを押し上げながら、次武はこともなげに言った。性格通りの真面目な見た目で、二十三歳になっても一度も染髪したことのない黒髪に、子供時代から変わらないデザインの眼鏡をかけている。

「だいたい、いつも手紙なんてまどろっこし過ぎだよ! 電話してくれればいいのに!」

「電話が無いところに住んでんだろ」

 そう言ったのは、三男の三太さんた。次武の一つ下で、二十二歳。金髪をかき上げながら、欠伸をしている。

「家に住んでるとも限らねーしな」

 三太の言葉に、次武はまた眼鏡を押し上げながら頷く。

「言えてるな。森の中とか」

「あちこち毛がボーボーになって帰って来るかもな」

「イヤだよ! そんなの!」

 ほのみは本気で怒鳴ったが、二人の兄は笑っている。

 一見、生真面目そうな次男と、不真面目そうな三男。性格は正反対だが、この二人はとても仲が良い。年子というのもあるだろうし、創が末妹のほのみばかりを溺愛していたから自然とそうなったのだろう。男兄弟だからかもしれないが、創の心配をするのは、いつだってほのみだけだ。

「もう! いいよ!」

 ほのみは頬を膨らませながら、和箪笥の引き出しを開け、大切に手紙を仕舞った。

 外国から届く手紙には、ほのみの知らない国の様子――おもに気候や自然の情景などが、詳しく、丁寧に、兄の性格をそのまま表したかのような優しい文章で綴られていた。

 その代わり、自分の近況――今、どんな場所で、何をしているのか、どんな人に世話になっているのか、連絡先はどこなのか、そんなことは一つも書かれていない。


 ――肝心なこと書いてよ!


 いつだってそうだった。

 優しくて、大らかで、のん気なお兄ちゃん。

 死んでしまったお父さんとお母さんには悪いけれど、ほのみにとっては創こそが親だった。心配なのはもちろんだが、寂しくて、恋しいという気持ちもある。

 彼は兄でありながら父で、ほのみは妹でありながら娘でもあるのだ。

 もう十四歳だというのに兄離れ出来ていない、幼い、と他の二人の兄からはよくからかわれるが。

 妹が兄の心配して、何が悪いっていうの!

「もー、いつ帰ってくんの!」

 心配はいつしか怒りに変わり、畳をドンドンと拳で叩きつける妹に、二人の兄は触らぬ神に祟りなしとばかりに、ただ黙って見守るのだった。

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