九節 ダンジョン侵入とこじれる人間関係
別館、ダンジョン入口。
『小鬼の洞窟』の前に人が集まっている。
扉を背にする五人に、それを見送る者達という構図だ。
有志五人の手には、館内からどうにかかき集めたアイテムが握られている。
食堂から拝借した包丁にフライパン、部屋から持ってきたランプ、500Gの鉄パイプ。
間抜けと笑うなかれ、これが現状最強装備なのだよ。
さあそれでは、勇敢なる五人の勇者を紹介しよう!
言わずと知れたリーダー平賀さん!
高校球児体育会系玉島さん! 三年生だから先輩だ!
不良少年こと隼人君! オラオラ系だけど顔立ちは幼い中三だ!
そして紅一点! 桃木坂ちゃん! ……え、マジで? お前そういうキャラなの?
あと俺ね。うん。
なんかね、ほら、俺ってば一回死んでるじゃん? お前行けよ一回も二回も変わんねーだろ的な流れに逆らえなかったのさ。
「ショップで換金できそうな物を回収したらすぐに戻る。モンスターからは逃げる。いいね?」
何度目か数えるのも億劫なほど確認してくる平賀さんに、やっぱり何度目か分からない了解を伝える。
今回の目的は、ダンジョンのお約束『お宝』を見つけて持ち帰ること。ダンジョンでモンスターなら、当然それもあるだろうと、こういう理屈だ。前回失敗した偵察の意味合いもある。
『狩り』は、つまりモンスターとの戦闘はしない。もしも遭遇しても逃げの一手だ。
それを臆病と揶揄する者は一人もいない。
命がけだ。
ダンジョンなんてゲームみたいで、死んでもやり直しができて、けれど、失敗すれば命を失うんだ。誰が臆病を笑えるもんか。
「……では行ってきます。二十四時間経っても戻らなかったら、復活チケットをお願いしますね」
リーダーの挨拶に声援が送られる。
期待と不安と、それに、頼りにされているんだという優越感にも似た気持ち。自尊心が満たされていくのが分かる。
出立前の軍人の心境だ。意外と悪くない。
アンリと目が合う。心配そうな無表情に頷いてみると、気を付けて、と唇が動いた。
アンリには残ってもらった。本人は行きたがったけど、彼女には万が一の場合、俺を生き返らせる役を頼んだ。
こればっかりは信頼する相手にしか頼めない。
復活チケットを買うも買わないも自分では決められない。生き返るのは自分でも、生き返らせるのは他人なのだ。
相手が叛意したらそこまで。死者は死者のまま、帰ってこない。だから……復活を頼んだ相手が、実は皆殺しルートを狙っていると最悪だ。
周りから何か言われても、適当な理由をでっちあげて放置すれば苦も無く人数を減らせる。
その点アンリは信用できる。なにしろ実績がある。というか、信用できるほど交流を結んでいるのが彼女くらいなのは秘密だ。次点で平賀さん、石原さんのリーダーコンビかな。こっちは役職込みの信用だけど。
帰ったら他の人達ともコミュニケーションを取ろう、と気持ちを新たに、俺たちは扉の先、小鬼の洞窟へと足を踏み入れた。
暗い。とにかく暗い。はっきりとした光源が何もない。
唯一岩肌や足元でぼんやりと瞬いているのは苔か。発光する苔というものは地球にもあるけれど、それにしては些か色合いが気色悪い。緑紫とでも言えばいいのか、薄気味悪い発光だ。
ふと隼人君が扉を振り返る。つられて見れば、扉の先、洋館に繋がるはずの先は黒く染まっている。
途端に不安に駆られる。たぶん、全員が。
平賀さんも慌ててランプに火を入れた。辺りが明るくなって、皆してホッと息を吐く。
大丈夫。問題ない。こんなでも問題なく館に帰れるはずだ。不良少年こと隼人君が慌てていないのだから大丈夫。彼は一度、館に戻っている経験者だ。
「一応、これ取っときますね」
視界が確保され、玉島さんがリュックサックに苔を入れ始める。31人共同で購入したリュックサック(400G)が早速活躍した。
袋に紐を通しただけのショップ最安値の安っぽいナイロン製のリュックは、一番体力がある玉島さんが背負うことになった。
100m12秒台の快速で、多少荷物を背負っていても、いざという時に走って逃げられるのは彼だろうという判断だ。
そうして苔を集め終えた玉島さんが鞄を背負い直すと、
「……行こうか。何が飛び出るかわからない、注意して進もう」
囁くように言う平賀さん。帰還の判断が下らないということは、苔が換金できるとは思っていないのだろう。
五人はゆっくりと、恐々と、探索を始めた。
洞窟は思っていたほど狭苦しいものでもなかった。縦も横も学校の廊下ぐらいはある。
なにしろ人生初洞窟なので基準が分からないが、腰をかがめて這いずり回る必要はなさそうだ。広い、と形容してもいいかもしれない。
湿気があってジメジメしているのは不快でも、圧迫感がないのは嬉しいところだ。
通路はいくつも折れ曲がって分かれ道になっていた。その度に平賀さんは、これもショップで購入した白のチョークで壁に小さく矢印を書いている。
扉への道しるべだ。ダンジョンから帰るには扉を通る必要があり、迷わないための目印になる。
並行して桃木坂にはマッピングを担当してもらっている。ノートにペンを走らせて、大まかな地図を作ってもらう。これも帰りに迷わないため、そして洞窟の全体像を把握するため。平賀さんのアイデアだ。
隼人君は最後尾。背後を警戒中で。
俺はというと、鉄パイプを握りしめて。
桃木坂のお喋りに付き合っていた。
「小鬼ってゴブリンのことです?」
「たぶん」
「ルビぐらい振っておけってなもんです。あ、もうちょっと灯り下さい。そうそう。藤崎さ~ん、親切足りてないんじゃあないです?」
「そうだね」
「ゴブリンって、やっぱ最弱なんです? ゲームだと雑魚ですもんね。ふへへ。だからここを選んだってのもありますですけど、あんまり弱いと拍子抜けしますよ私」
……いやー、人の第一印象ってあてになりませんな。
この女子中学生、すっげー馴れ馴れしい。
歩き出してしばらくは大人しかった。黙々と作業していて、その姿に、こんなところまでわざわざ付いてきて女の子なのに勇気があるなー、暗いとか思ってごめんなー、なんて感心したぐらいだ。
ところがどっこい、この女。陰キャラとジメジメした洞窟が相性抜群なのか、どうでもいい事をまあ喋る喋る。一応は敬語だが、所々が絶妙に馴れ馴れしい。それがまた鬱陶しい。
手元をランプで照らしてやらないといけないから傍を離れるわけにもいかず、実に質が悪い。
「うるせーぞデカ女。そろそろ食らわせっぞコラ」
ほら見ろ。隼人君怒ってるだろ。
「テメーもいちいち相手してんじゃねーよ」
そのとばっちりは予想外。
けどよくやった。隼人君の一睨みで桃木坂は震えあがって口を閉じてくれた。
「テメーよお。藤崎、マジチョーシこいてんなよ」
え?
「テメーマジでチョーシよお、ぶっこいてんなら殺すぞ? あ?」
えー!? 突然何だ? 俺、そんなに悪いことした?
えー、最近の中学生って皆こんなにぶっとんでんの? こわいなー。
「もっぺん殺されてえのか? あ? 殺ってやんぞこら」
「……あ、もしかして気にしてる? 教会でのこと」
アンリがそうだったように、彼も教会で俺に助けられたと感じていて、それが中学生特有の面白恥ずかしい自尊心をいたく傷つけられていたりして。
それでこんなに攻撃的だったり?
「それがチョーシこいてるっつってんだろうが!」
違うみたいだな。
困ったぞ。彼と人間らしい会話をできる自信がない。猿と意思疎通を試みる科学者の気分だ。
そういえば教会の一件からこっち、彼とまともに会話したのはこれが初めてになる。きっとお互いに必要性を感じていなかったんだろうな。
どうしたものかと考えていると、前を歩いていた玉島さんが振り向いて隼人君を睨みつけた。
「おい、いい加減にしろ中坊。年下なら口の利き方に気ぃつけろ」
その静かな威圧に隼人君は口ごもる。
まあ怖いよな。玉島さん、肩幅が広くてゴツイし背も高い。典型的なスラッガー体型だ。そんな高校生に凄まれたら、いくらやんちゃな中学生でもちょっとね。
「大体、助けてもらった相手に何イキってんだ? 筋違いじゃねえのか」
「けどよ……」
「あ?」
「……」
「返事」
「……はい、すんません……」
おお。凄いぞ玉島さん。簡単に隼人君を大人しくしてしまった。やっぱり年下の扱いに慣れているのかな。体育会系だし。
俺は会釈して感謝の意を示す。軽く手を振って応えてくれた。
いい人だ。俺は心の中で再度感謝した。