二節 ↑↑↓↓←→←→
いやまいったね。まいったまいった。
やっぱ俺ってば天才だわ。
だって矢印じゃん? 矢に印じゃん? それが扉の方向いてるじゃん?
行けってことじゃん!
……と気付いたのは、しこたまウンウン唸って意味もなく引き出しを開け閉めして、天地の構えからフルチンでヨガをしようとパンツに手をかけた矢先の出来事だった。
「デスクさん、そうならそうって教えてくださいよ~」
虚空に抗議しても応答はない。所持金ウィンドウを呼び出して誘ってみても無反応だ。
今更ながら、このウィンドウは何なのだろう。
視覚に映像を投影する眼鏡があるのだから、まるっきり未来の技術ってわけでもないか?
いや、だとしたら装置はどこだ? 服を脱いで確認したが、ポケットにも体にも、そんな機械は付いていなかった。
やっぱり未来だ。未来の技術だ。俺はタイムスリップしたんだ!
できればアルファコンプレックス的未来はかんべんな。うー幸福幸福。
さあ気分は落ち着いたな? いくぞ。この扉をくぐって部屋を出る。
一応安全そうな部屋だし、離れるのは不安があるが。
かといって、いつまでもここに引きこもっているわけにもいかない。
出なければ。
出る。
行くぞ。
あと一回深呼吸してから。
よし。
行く! って言ったら行くぞ。
行け! あ、今の「行く」じゃないからノーカンな。
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「ツッコミありがとう!」
叫んでドアノブをグリッと回す。そうさ、俺はちょっとばかしの応援がほしかったのさ。
→
まただよ。
あーはいはいそういうことね。
わかったわかった。
矢印に沿って進めと、そういうことなんだな。
「だが断る」
この藤崎高虎が最も好きなことのひとつは、矢印に沿って進むと思っている奴に「NO」と断ってやる事だ。
ヒャッハー! 的なノリで横の部屋の扉を開け放つ。無人。
ならばとさらに対面の部屋。無人。
舌打ちしながら突き当りの部屋。まあ無人っすわ。うん予想してた。
……独りなのだろうか。
造りや調度品から想像するに、ここは洋館の中ではなかろうか。
廊下には赤くて毛足の短い絨毯。スラリとしたシャンデリアが太い蝋燭を乗せて睥睨する。
窓はない。そういえば部屋にも窓はなかった。その割に明るいのは等間隔で吊るされた照明のおかげだろうか。
廊下を挟んで扉が並ぶ。一側に8つ。つまり扉は16。室内は、おそらく同じ造りなのだろう。
物音ひとつしない。
つばを飲み込む音が、妙に大きく感じられた。
蝋燭の映す影が、独りでに動いたような気がして。無意識のうちに、一歩、後ずさりしていた。
声を出してみるか? 「おーい、誰かいませんか」と。
いいや、嫌だ。するしないの問題ではなく。嫌だ。
あまりに不気味だ。この状況は異常だ。
「パラノイアじゃなくてクトゥルフでした、なんてのはやめてくれよ」
精一杯の強がりが薄っぺらい。
わかってる。不用意な行動は危険だ。俺はまだ、ここがどこかすら分かっていないんだ。
嫌な感じで冷静になれた。
ここはどこで、これは何で、あれは誰だ。
情報が足りない。事態の輪郭すら不透明だ。
であれば、やはり指示に従うほかない。
矢印は通路の先を示している。突き当りと反対方向で、見ると開けた空間の先に同じような廊下が見える。
そろり、そろりと足音を立てないようにして歩く。
廊下の終わりは、広い空間だった。
エントランスホールとでも言えばいいのか。
一階二階が吹き抜けで貫かれていて、左手に――便宜上、北とする――二階部分で左右に分かれた豪奢な階段。
お高いホテルなんかにありそうなアレだ。妙に幅の広い。
今いるのは階段から続く二階のバルコニーで、手すりの先に見える二階の東側にはこちらと同じような廊下が伸びている。左右対称の造りなのだろうか。
天井に吊るされたシャンデリアは一層豪勢でありながら上品で、これはとんでもないお屋敷だと馬鹿でも分かる。
で。
矢印は階段を降りた先、一階の中央に。
→→→
今度はえらく細かい。というか多い。一階の東廊下に向かって矢印が連なっているのが見える。
階段を降りて、矢印に沿って進む。矢印を踏まないようにね。注意しようね。何があるかわかったもんじゃないしね。
という事でやってきました扉の前。
一階は部屋の数が少なく、東廊下には左右に都合四つの両開きの扉しかなかった。
矢印の道は扉の二つ目、北側の前で唐突に↑に変わっている。
入れということだ。今までの流れからして間違いない。
二の足を踏む俺を誰が責められる。
初めて区切られた部屋に入るよう指示されているわけで。これに不安を感じない人間がいるなら、そんな奴とは絶対に友達になれない。
心臓が暴れている。耳の後ろのほうで脈動しているようだ。
大きく息を吸って、静かに吐き出すと、そっと扉に耳をそばだてる。
入退室前には聞き耳という鉄板を今更思い出したのだ。
……
…………
お? 人の声がする! ような気がする。
なんだよ驚かせるなよな~。
みんなお待たせ主役の登場だ!
俺は颯爽と扉を開けて入室した。
室内は随分と広い。ぶっとい柱が四隅に聳え、正面奥の一段高くなった壇上は緞帳が下ろされている。
パーティー会場のような、いや行ったことなんてないから体育館のようなと形容するべきか。とにかく広々とした部屋の中には、思った通り人がいた。いてくれた。
独りじゃない安堵に膝が崩れそうになる。
しかも部屋の全員が俺に顔を向けてくるものだから、余計に――いや怖い。何十人もの見知らぬ視線が俺を貫いてくるのだ。
怖いって。けど安心したのは本当だ。
1,2,3……31人。
二階の東西に片側16室あると仮定すれば、これで全員だろうか。
32人の男女。
子供からお年寄りまで、年齢も性別もバラバラだ。人種は日本人(アジア人)が多いか? 一目で外国人と分かるのは数人だ。
二、三人の塊を作ってボソボソと話をしている。
俺も誰か適当に捕まえて情報収集をしようと一歩踏み出し。
壇上から、パッパラパー、なんて間抜けなファンファーレが聞こえてきた。
一斉に話し声が止む。
全員の視線が一か所に、つまり壇上、ゆっくりと開かれる幕と、そこにいる一人の女に注がれる。
その女は、スーツにネクタイを締めた――訂正。あれ女じゃないわ。幼女だわ。
小学校低学年くらい。頭の悪そうな顔をしている。
手にはマイク、足元にあるのはラジカセか。音の正体はアレらしい。
徐々にファンファーレの音が小さくなってゆく。曲が終わろうとしている。
あのスーツ幼女がキーマンであると、この場の誰もが理解している。
故に待つ。待つさ、当然待つ。疑問が山盛りで、誰かに答えを教えてもらいたい。事情を説明してほしい。
そんな期待を込めて、32人は言葉を待った。
やがて、ファンファーレが鳴りやんで。そうして。
口を開いた。
「よく来たゴミども!」