二十年目のサンタクロース
「 あなたへ
あなたが逝ってしまってから二十年がたちました。長い長い年月を歩んできたような気もするし、あっという間だったような気もしています。
航介も今年で二十歳。私の手を離れていきます。正直に言うととっても寂しくて、いつまでも側にいて欲しいのです。こんなこと、子離れしていないのがばれてしまうので本人には言えないのだけれど。
今年もあなたの命日がやってきますね。クリスマスに亡くなるなんて降誕されたキリスト様とすれ違って天国へ行ったみたいで、お葬式の時はちょっと笑いました。あなたを追いかけていかなかったのはお腹の中に航介がいたということもあったけれど、お葬式で笑えたことが大きかったように思います。
航介は来年から介護施設で働くことが決まりました。優しいあの子なら立派に勤めてくれるでしょう。施設の人気者になると思うわ。これも親バカだって笑われるから、あの子には秘密。
私はあの子に秘密にしていることが結構あります。あなたと結婚式を挙げられなかったのが残念だと思っていること、一人で子育てしてきて寂しかったということ、サンタクロースは本当はいないんだっていうこと。
もちろん航介も、とっくの昔にプレゼントを届けているのがサンタクロースじゃないことなんか知っているでしょう。でも、今でもあの子はサンタクロースを信じているふりをしてくれるの。去年はちょっと冗談でもと思って、就職試験勉強をしていたあの子に参考書を贈りました。
「母さん、サンタクロースはスパルタ教師みたいだね」
そう言ってあの子は笑ってくれました。もちろん、その後、私から本当のプレゼントをあげたのよ。私が初めてあなたにプレゼントしたものと同じ万年筆。
医師という仕事柄、文字を書くことが多かったあなたはよく使ってくれていたけれど、航介はどうかしら。介護士さんは文字を書く機会は多いのかしら。
航介に贈る万年筆を買った時、私はあなたのことを思い出して泣きそうになりました。毎年やって来るクリスマスはやっぱり寂しいです。苦しいです。あなたの最期の時にあれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかったって後悔が押し寄せてくるんです。きっとあの場にもう一度戻ったとしても、私ができることなんてあなたの手を握ることだけだって頭ではわかっているのに。
だめですね。あなたに手紙を書くときはやっぱり泣いてしまいそうになる。甘えてるんですよね、私。もっとしっかりしなくっちゃ。あなたの側に行ける時まで。
それじゃあ、そろそろ航介の枕元に最後のプレゼントを置きに行きます。泣いても笑ってもこれが最後のクリスマスプレゼント。サンタクロースは子供のところにしか来てくれないんだもの。大きくなっても航介は毎年、早寝してくれるんですよ。
足音を忍ばせて、あの子の側を通って、寝顔を少し見つめて。
あなたが経験できなかった最後のサンタクロース役、立派に勤めてきます。」
真奈美は夫が使っていた、遺品となった万年筆の蓋をしめて、手紙を封筒に入れた。十字架が光る祭壇の引き出しに、二十通目の手紙をしまって、そこに忍ばせておいた小さな箱を取り出した。手のひらに乗るほどの小さな箱には赤と緑、二本のリボンが結んである。
息子へ贈る最後のプレゼントはネクタイピンだ。航介の名前に合わせて船の舵輪の形のものを選んだ。大人になり、これから広い世界に漕ぎ出していく我が子がしっかりと行く道を決められるようにと願いを込めて。
足音を忍ばせて廊下を進む。洗面所の前を通って、納戸を背に航介の部屋の扉の前に立つ。ドアノブをそっと握って回す。音を立てずに扉を引く。細く開けた隙間から体を滑り込ませるように室内に入る。丸くふくらんだ布団の横を通って枕元に手を伸ばし、小箱を置いた。
「メリークリスマース!」
突然、背後から大きな声がして、ぎょっとした真奈美はあわてて振り返った。大きく開け放たれたドアの側に赤い服で赤い帽子、白いひげを長く生やした男の人が立っていた。
「今日は良い子にプレゼントを配っていたんだが、あなたの息子から頼まれごとをしてね。このカードと封筒をあなたに渡してくれと」
驚きから抜け切れていない真奈美は手を出してサンタクロースから封筒とカードを受け取った。そのままサンタクロースを見つめ続ける真奈美に、サンタクロースは微笑んでみせた。
「読んでみてごらん」
真奈美は聖母子像が描かれたカードを裏返した。
「 母さんへ
僕を育ててくれてありがとう。あなたの息子として生まれてこられて幸せです。」
真奈美は去年、航介にプレゼントした万年筆で書かれたカードをぎゅっと胸に抱いた。サンタクロースがもう一度促す。
「封筒も開けてごらん」
言われた通りに封筒を開いて中身を取り出し、真奈美は絶句した。ウェディングドレス姿の花嫁とタキシード姿の花婿が手を握り合い、こちらに向かって幸せそうな微笑みを送っている。
花嫁は真奈美、花婿は亡くなった夫、康雄だった。
「これは……、どうして」
サンタクロースはパチリとウィンクした。
「私の友達の小人が魔法をかけたのさ」
そう言い残してサンタクロースは部屋を出て行く。真奈美は茫然と、去っていくサンタクロースの白い靴下を見ていた。
真奈美は昨夜のショックが抜けきらぬまま、ぼうっとした頭で朝食の準備をしていた。手作りのグラノーラと牛乳をテーブルに出して動きが止まる。いつもならサラダやフルーツ入りヨーグルトなども準備するのだが、そんなことも思いつかないまま祭壇に立てかけた写真を何度も眺めている。
挙げられなかったはずの結婚式、写すことが出来なかった写真。それがなぜここにあるのか、それは真奈美の理解を超えていた。
「おはよう、母さん」
リビングに顔を出した航介は手に小箱を持っていた。
「プレゼントありがとう。ネクタイピン、大切に使うよ」
真奈美は軽く頷いて、ハッとした。
「そのプレゼントはサンタクロースが……」
航介は楽しそうに微笑む。
「僕はもう大人だからサンタクロースが来てくれないことは知っているよ。だけど母さんのところには来たでしょう」
大人になった航介には何も秘密にする必要はないのだ、子供のころのようにあれもこれも秘密にしなくてもいい。何もかも話していいのだと理解した真奈美の目から涙がこぼれた。
「来たわ、サンタクロース。私の人生で一番素晴らしいプレゼントを持ってきてくれた。これ以上の贈りものはないわ」
航介は照れ笑いを浮かべて、泣きじゃくる真奈美の肩を優しくさすった。その手の温かさが夫そっくりで真奈美の涙は止まらなくなった。泣きながら、それでも真奈美は笑っていた。
その日の夕方、仕事から帰った真奈美に航介が泣きついてきた。
「母さん、アイロンが難しくて服のシワが伸びないんだ、助けて」
久々に聞く子供っぽいSOSに真奈美は噴きだして航介の部屋に入った。アイロン台の上には赤と白の衣装がしわくちゃになって横たわっている。
「あらー。これはもう一度洗った方が早いかもしれないけど。霧吹きでなんとかやってみようか」
「お手数をおかけします」
小さく頭を下げる航介に真奈美はニッと笑ってみせた。
「講習費はトイレ掃除一か月で手をうちます」
「ええ? 長いよ。せめて一週間」
「短い、二週間」
「わかった。じゃあ、二週間で」
交渉が無事終了して真奈美は航介にアイロンがけのコツを教えながらサンタクロースの衣装のシワをきれいに伸ばしていく。
「この衣装、買って来たの?」
「いや、借りたんだ。レンタルショップにずらっと何着も並んでたよ」
「すごいわねえ。昨夜はレンタルサンタがいっぱい活躍していたのね」
「そうだね。ミニスカサンタの衣装もあったよ」
「プレゼントをくれるんじゃなくて、もらう方よね。ミニスカサンタは」
「はは、そうかもね」
真奈美はアイロンを置くとサンタ衣装を冷ますためにハンガーにかけながら、背中越しに航介に尋ねた。
「あの写真、どうやって合成したの?」
「パソコンで画像ソフトを使ったんだけど、すごく難しかったよ。絵を描く才能がないとダメみたいだ」
「すごく上手にできてたわ。もしかしたら本当にお父さんと結婚式を挙げたんだったかなって思っちゃった」
そこで黙ってしまって真奈美は顔を伏せた。その背中が寂しげで、航介が心配そうに声をかける。
「父さんのこと思い出させて悲しくさせたんだったらごめん。でも僕も二人の結婚式を見てみたかっ
たんだ」
真奈美の肩が小刻みに震えた。泣き出したのかと、航介はあわてて真奈美の肩に手を置いたが、真奈美はくすくすと笑いだしのだった。
「あの写真ね、ひとつだけ変なところがあったわよ」
「え、どこ?」
「お父さんはね、私より背が低かったのよ」
振り返った真奈美は優しい目で航介を見つめると、爪先立って自分よりはるかに背が高い息子の頭を撫でた。
「お父さんを超えて、いい男になってね」
航介はしっかりと頷いてくれた。
真奈美は心の中で康雄に報告する。
「あなた、あなたの息子はあなたよりかっこいい男になりそうよ。私が天国へ行くときにはきっと素敵なロマンスグレーになっているわ。その姿を見るまで私はそちらへ行けないけど、寂しがらないで待っていてね。
あなたの最愛の妻、真奈美より」