四
この国では珍しくない、金髪碧眼の少女が二人、ブレイハ伯爵家の屋敷の一室でそこにいた。
一人は侍女であり、主人にお茶を入れていた。仕事柄なのか、堂々した振る舞いをする少女で、歩き姿も美しい。機敏なその動きは彼女の主と正反対だった。
この部屋の主かつ、伯爵家の長女かつ愚鈍姫という蔑称を恣にしている少女は、ソファにゆったりと腰掛けて本を読んでいた。
侍女はお茶を淹れながら、いつもは本など手に取ることもない主が、熱心にページをめくっていることに強い好奇心を覚えていた。
「ありがとう。アイラ」
お茶を淹れ終えると礼を言われ、アイラは一礼した。その際に本に視線を向けるが、自分の主が何の本を読んでいるかは分からなかった。
「あの、リリアナ様。一体なにを読まれてるんですか?」
一瞬、悩んだのちに好奇心が勝てずに彼女は訪ねた。
「プレゼントの送り方を探してるのよぉ。恋愛小説だものぉ」
「プレゼント……レオですか?」
「今年はねぇ、気合を入れてるのよぉ。今までで一番、素敵な贈り物だと思うのぉ」
何をプレゼントする気なのか、アイラには推測しようがなかったが、珍しく怠惰な主がやる気を見せていることにアイラは安堵していた。
愚鈍姫などと呼ばれている主でも、アイラは彼女の温厚さや、それ故にある優しさと無邪気さが気に入っていた。
だからこそ、いくらこの家での立場が弱い主人であろうとも、彼女の助けにはなりたいと思っていたのだ。
「それにねぇ、ほら。必要になるかもしれないでしょう? 環境が変わるからねぇ」
愚鈍姫が婚約するということに関しては、既に屋敷内で周知の事実だった。公表はもう少し先だというものの、彼女なりに結婚に向き合うのだとアイラは少し感心した。
「あ、もう下がっていいわよぉ。もうすぐ、レオも戻ってくるでしょうしねぇ」
「かしこまりました」
こう言われたらアイラに出来ることはない。何せ彼女は使用人の手を煩わすほど、何かを積極的に行うということがないのだ。
アイラはもう一度深く礼をして、部屋を後にした。
「レオが帰ってくる前に、これ、隠さないとねぇ……」
愚鈍姫の名にふさわしく緩慢な動きで立ち上がると、彼女は手にしていた本をとりあえず寝台の枕の下に入れておいた。
そうして、もう一度ソファに戻ろうとしたところで、扉が開かれた。
銀髪の青年と目が合うと、しばらく二人は動けなくなってしまった。彼女には隠し事に対する後ろめたさがあり、青年には彼女が立っているという事実への驚きがあった。
「どうなさったのですか?」
「少しね、寝ようかと思ったのよぉ。でも、レオがいるなら、起きてるわぁ」
「あれだけ寝てるのに、まだ眠いんですか?」
彼女の就寝時間の早さと起床時間の遅さを鑑みると、常人よりはるかに多く寝ているはずだった。
「私はいつでも眠れるわぁ」
彼女はのんびりと言いながら、彼女が愛用しているソファへと戻った。レオはその動きを目で追って、ふとテーブルの上で湯気を立てている茶を見つけた。
「本当に眠る気だったんですか?」
「え? ええ……」
「このお茶、まだ淹れたてですよね」
「あ……」
本に気を取られていたために、お茶まで気を配っている余裕がなかったのだ。彼女はどうしたものかと思ったが、結局はお嬢様という立場で強引に押し切ることにした。
「ちょっと、嘘ついたのぉ。でも、どうしてかは秘密」
しばらくの間、レオはじっと彼女を見つめていた。しかしふいに何を思ったのか茶の入ったカップをソーサーごと取り上げると、ゆっくりとそれを持ってソファに近づいてきた。
「どうぞ」
「? ありがとう」
「お嬢様にとっては、そろそろ飲み頃です」
「さすがレオねぇ……」
三年という長いようで短い期間の中で、完璧に自らの主の好みを把握しているのだ。それはどんな飲食物を好むかということだけでなく、それをいつどこで食べたいかということまで熟知している。
レオからすれば、それは従者として当たり前の仕事だったが、世の中そういう気のきく従者ばかりではない。
レオはお嬢様に自分の出自をばらさないように細心の注意はらって仕えてきた。そういう意味では、従者としての適性があったことは、彼にとって幸運だったと言えるだろう。それに、彼が優秀な従者でなければ
、すぐに仕事を止めさせられていた危険性もあった。ブレイハ家への復讐を目的としてこの家に来たレオは、そう簡単に止めるわけにはいかなかったのだ。
「仕事ですから」
本当はここまでしなくともこのお嬢様は文句をつけないだろうということはかなり初期から分かっていた。しかしのんびりとしながら、案外、使用人に対する気遣いのできるこの主を、いつのまにか支えたいと思っていたのだった。
「美味しい」
カップに口をつけると、へにゃりと幸せそうな笑みを浮かべた。そしてカップをソーサーに戻すと、それごと膝の上に降ろす。
「そういえば、プレゼントのことだけど……」
「決まったんですか?」
貰い主に向かって送り手が堂々と話してしまうのはどうなのかと思ったが、それこそ愚鈍姫だとレオは思い直した。
「ええ。きっと、驚くわよぉ」
「本当ですか?」
彼女は確かに時折、突拍子もないことをすることがあるが、その源にあるのは怠惰の精神であることが多い。それが分かっている以上、レオが本当に驚くようなことを彼女ができるようには思えなかった。
「今までで一番最高だわ……。さいご、だけどねぇ」
愚鈍姫の婚約話は、屋敷で最も熱い話題である。ブレイハ伯爵や、ドミニクの口ぶりから察するに、結婚までの時間もあまりないだろう。そうなれば、確かに来年の誕生日はお祝いどころではないだろう。
最も、レオからすれば、その最後のプレゼントでさえ受け取ることができるか分かないのだ。彼女の好意を無駄にするのは心苦しく思うが、それでもレオの復讐心は潰えていない。
「私がいなくなったらぁ……幸せになってよぉ。ついでにねぇ……忘れちゃえばいいわぁ」
いなくなるのは彼女ではない。
レオが彼女の前から姿を消すのだ。しかし、レオのやろうとしている復讐とは、要はブレイハ伯爵の悪事を告発することである。
つまり、その火の粉は彼女にも及ぶだろう。愚鈍姫という評判は、きっと彼女が無罪であることの証明にはなる。しかし、彼女にはブレイハ伯爵家の娘という重荷がどこにいっても付いて回り、事実が明らかになれば、彼女にも悪意が向けられることになる。
のんきな彼女は、誰も味方がいない状態で、ちゃんと生きていけるのだろうか。
「どうしたんですか? 急に」
「急にじゃないわぁ……分かってたことよぉ。私はブレイハ伯爵家の、長女だからねぇ」
彼女の笑顔は、何故か少しさみしげだった。それは結婚への不安なのか、それとも他の何かなのか。
「お嬢様が望むなら、ついて行きますよ」
そんな約束をすれば、自分が苦しくなるだけだと分かっていても、レオは言わずにはいられなかった。復讐を終えた後、それでも彼女が受け入れるなら、救いの手を差し伸べよう。
レオがそう決意したと言うのに、何故か、彼女はからりと笑って首を横に振った。
「望まないわよぉ。そんなこと。あなたのためにならないわぁ」
膝の上に置いていた茶を彼女は再び口に運んだ。どうやら少し温かったようで、レオは次を淹れるべく茶器を持って準備を始めた。
彼女はその様子を見ながら、優しい笑みを浮かべていたのだった。
ブレイハ家のとある部屋で一人の男が泥棒の如く何かを探している。
彼の髪の色は妹と同じく金色で、それを整髪料をつかってきっちりとまとめあげていた。
「これは……!」
男が探していたのは、妹の従者の”弱味”だったのだが、彼はあるものを見つけてしまったのだった。
「あの愚鈍姫がどう思うか……見ものだな」
何も知らない愚かな妹が、従者の裏切りを知った瞬間を思い浮かべて、男は暗い笑みを浮かべた。彼にとって宿敵といっていい二人を一気に片付けるチャンスが巡ってきたのだ。
「それにしても……レクセル侯爵家か」
見つけたものをすぐにでも父である伯爵に届けようとして、部屋にかけてあった暦に目を止める。
「誕生日か。むしろこの日がいい……。せいぜいそれまで、夢見ているんだな」
小さな部屋で男は、嗜虐心をむき出しにして嗤った。