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 国の北に位置するブレイハ領。その寒さからあまり作物は望めない土地である。しかしながら森林や鉄鉱石など資源は豊富にあり、また国境沿いにあることから、非常に交易の盛んな地でもある。

 その領地の中央通りにある一つの食堂で、いかにも真面目で堅物そうな男が一人食事を取っていた。そこに、数名の男が合流し、口々に料理を注文する。

 彼らの服装は商人とその護衛のようなものだった。小さな商隊が食堂を利用しているという、ブレイハにおいてはあまりにありふれているその光景に、誰も注意してそちらに視線を向けることはない。


「隊長」

「違います。私はあなたの護衛です」

 いかにも堅そうな男は、そう言って商人らしき男の言葉を切って捨てた。

「あ、すみません。でも、どうしてこんな配役なんだか……」

 商人の装いをしている男は、一般的には商家の跡取りと見られるぐらいの年齢で、親の仕事を手伝いはじめたという設定でこの場所にいた。

「そりゃあ、お前ぐらいしか商人に見えそうなのがいないからな」

 文句を言った男の隣にいた男は、頰に傷があり、いかにも傭兵といった風情をしていた。

「敬語を使え。雇用主だぞ」

「すみません。ですが隊長、こんな街の宿屋で、神経質に俺たちの話を聞いてる輩なんかいませんよ」

「それでも、だ。それに俺はアレンだ」

「はいはい。アレンさん。それで、我らが雇用主のルーク殿に、同僚のハノイね」

「セディ、もう少し真面目にやらないとた……アレンさんの説教が止まらないぞ」

 ハノイと呼ばれた男は、軽い調子のセディにそういうと、食堂の入り口に目を向けて言った。

「そろそろ時間だが……あ、誰か来た」

 その声に、その場にいた男四人は全員入り口に視線を向けた。

 ドアが開くと同時に鳴った高い音。それと同時に姿を表したのは、金髪の美女だった。

 格好こそ町娘のものだが、歩き方が普通の女性のそれとは違い、非常にキビキビとしていて、軍人のような無駄のない動きを見せている。

 金色の豊かな髪はきっちりと頭の高い位置で一つに結わえてあり、長くカールした睫毛に縁取られた瞳は海のごとく青い。

 そんな彼女は食堂全体をぐるりと見回すと、迷いなく男四人に向かって歩いてきた。

 そして、思わぬ美女の登場で固まっている四人に向かって話しかけた。

「紫水晶の事でお話があるのですけど、よろしいですか?」

 四人はしばし惚けていたが、紫水晶という言葉が合言葉だったと思い出したアレンは、自分の隣の椅子を引いた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。これが資料です。販路を確保したいので、協力いただきたいのですが」

 そういって自然な動作で書類を取り出すと、商人の装いをしているルークに差し出した。ルークはしばらく自分の役割を忘れていたようだったが、突然我に返って大きく頷く。

「なるほど……よくできた資料で、分かりやすいです」

「二週間を目処にお話をまとめたいのですが、よろしいですか?」

「……あ、はい! もちろんです」

 彼女の言外の意図に気付いたルークは、それに応えたあと、ちらりとアレンの方を見た。

 すると彼は非常に鋭い目つきで金髪の美女を見つめていた。しかし自分の表情の険しさに気づいたのか、少しだけそれを緩めると、一度小さく息を吸ってから聞いた。

「あなたはどうしてこの話を?」

「そうですね……。助けたい人がいるんです。私はそのお手伝いをしようと思って。仕入れ先は、私の実家ですしね」

「お名前をうかがっても?」

「……アイラと申します」

「……それはっ!」

 そう言いながら彼女が差し出したものに、その場にいた四人は唖然としてしまったのだった。









「あぁ……やっぱり太陽は気持ちいい」

「こんなところにいたのか!」

 ブレイハ家の庭の木の下に椅子を置いてのんびりとしていた女性、もといこの家の長女リリアナは、自分に話しかけてきた男性を見て、いつも通り間延びした声を出した。

「あらぁ……お父様。どうかなさいましたぁ?」

 父親であるブレイハ伯爵は彼女の素行にはすでに見切りをつけているし、愚鈍姫と娘が呼ばれることに関しても無関心である。

 今日は敷地内だからということで、従者のレオもいない。だから誰に気にかけられることなく優雅なお昼時を過ごせると思っていた彼女は、にわかに不満げだった。

 そして父の後ろに、自分とは折り合いの合わない兄がいることに気づき、さらに嫌な顔をする。

「お前の結婚のことだ。ようやく最適の相手を見つけたのでな!」

「……どちらさまでしょう?」

「バルツァー伯爵だ」

 ブレイハの東側に領地があり、かの伯爵とブレイハ伯爵は親交がある。

「やっぱりそこも絡んでるのねぇ……」

 愚鈍姫たる彼女は、思うところがあったのか小さな声でそうつぶやいた。しかしその呟きが彼女の父兄に届くことはなく、伯爵は無関心な娘の反応に眉をひそめた。

「まさか知らないのではあるまいな?」

「存じてますよぉ。わかりました。でも、一か月、婚約までに時間をいただけますかぁ?」

「一か月?」

「はい……花嫁修行が始まるまでぇ、一か月だらだらしたいんですよぉ」

 伯爵は娘の言葉を吟味したが、どう考えても彼女にそれ以上の理由はないと確信し、笑みを浮かべて言った。

「そうかそうか! まあそのくらいの期間はかまわん。しかし、その後は、きっちり嫁ぐ準備をしてもらうからな」

 伯爵はそれだけ言うと、もう用はないとばかりにその場を立ち去ってしまう。しかし伯爵家長男かつ兄である男は、まだ言いたいことがあるようで、その場に留まった。

「ドミニクお兄様は、なんの御用?」

「ふん。いい気味だ。愚鈍なお前が知らないといけないから、教えてやろう」

 ドミニクは紛れもなく唯一の後継者だったが、今の正妻がまだ妾だった時の子供だった。逆に愚鈍姫は正妻の娘だったのだが、その性格と母が早逝したことにより、立場が逆転してしまった。

 今は優位に立っているとはいえ、一時でも愚鈍姫と呼ばれる妹に負けたことが許せない兄は、ひどく妹を毛嫌いしていた。

「お前はバルツァー伯爵の三人目の妻だ。お前のような愚鈍姫を正妻として迎えたい酔狂はいないからな」

 ドミニクの悪意を理解はしたが、それは全く何のダメージを与えはしなかった。愚鈍姫たる所以である。

「三人もいるなんて、賑やかそうですねぇ」

 のほほんとそんなことを言うと、ドミニクは妹が思ったような反応をしないことに苛立ち、座っていた妹の腕を乱暴に掴んで立たせた。

「妻になるということは、あの男にこういうことをされるってことだ!」

 そして妹の体を近くにあった木に押し付けると、その勢いで彼女の服に手をかけた。


「服を直すのが大変なので、止めていただけますか」


 もう少しで服の背中にあるボタンが完全に飛ぶという時に、彼の腕を掴んで止めたのは、銀髪の青年だった。

 レオは無表情ではあったが、鋭くドミニクを睨んでおり、その腕を掴む手はドミニクの腕に痕を残しそうなほど強く握られていた。

「離せ、使用人が!」

 ドミニクはそれを振り払うが、自分の妹を傷付けることは諦めたようだった。

「ふん。こいつが嫁に行けばお前もクビだ。せいぜい路頭に迷え。紹介状は書かないからな!」

 通常ならば使用人にとって最上級の脅し文句だったが、レオは全く動じずにただドミニクを見つめ返している。

 主従そろって思い通りにならないとわかったドミニクは、足元にあった椅子を蹴り倒したあと、肩を怒らせて屋敷へと戻っていった。

「ありがとう。さすがに、兄に襲われるのは勘弁だわぁ」

 いくら愚鈍姫と呼ばれていても、さすがに先ほどの状況は理解できていたのだとレオは安心してほっと一息をついた。

「仕立て屋を呼ぶのは面倒ですからね」

 それでも礼を言われた気恥ずかしさと、ドミニクに行動に対する怒りから、刺々しく言葉を返す。

「発散してもいいわよぉ。焔呼びって、それでと多少、解消されるんでしょう?」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 レオはそういうと、まるで頭上に何かを放り投げるかのように腕をすくい上げた。

 その動きに合わせて、空中に焔が舞い踊る。彼の頭上に浮かんだ焔は、ひらひらと小さな火に変わって降ってきた。彼女はそれに思わずといった様子で手を伸ばしたが、その火は彼女の手に触れるまでに消え去った。

 彼はこの国ではさして珍しくはない呼び人と呼ばれる人種で、もっと正確に言えば焔呼びと呼ばれる人だった。ほかに風、水などがあり、この国の主流は風であるため、呼び人自体が珍しくないといえど、焔呼びはあまり数が多くない。

 その三つには呼びだすための鍵となるものが必要なのだが、焔を呼ぶには強い感情が必要とされていた。逆に、強い感情を揺り起こされたときでなければ、その力は発揮できず、また未熟なものは強い感情を抱いたときに無意識に焔を呼んでしまうこともあった。

「焔使いなら、こんなことはないんでしょうね」

 レオは過去に何度か、怒りに任せて焔を呼び出したことがある。それはレオの命を救いもしたが、誰かを傷つける危うい力であるとレオに刻み込むきっかけにもなった。

 そんな場に立ち合わせたことのあるお嬢様は、レオの感情の揺れを見て、発散を勧めてくれるようになったのだった。

「まあ、でもいいじゃない。戦いに出るわけでもないし」

 焔使いとは、焔呼びの格上であり、感情の起伏にあまり左右されずに炎を扱える人間のことである。焔使い、水使い、風使い、とそれぞれ呼ばれるが、これは非常に数が少なく、その才能がときにいさかいごとを引き起こすこともあるため、その力を隠している人もいるほどだ。

「それにしても、あなたまで嫌われてるわねぇ」

 ドミニクの対応を見る限り、純粋にレオへの嫌悪というよりは、自分の妹の従者への嫌悪というほうが正しい。

 つまりレオは完全に巻き込まれているわけである。

 彼女はそれを少なからず申し訳ないと思っていた。しかしレオはといえば、ブレイハ伯爵によく似たドミニクもまた恨みの対象であったため、彼らがどう思おうと気にならなかった。正確に言えば、あの二人と話すときは体の中にある強大な憎悪を抑え込まなければならず、それに必死になればなるほど、向こうから向けられる感情に気を配る余裕はなくなる。

 それよりもむしろ、レオは次に自分の主が続けて言った言葉に大きな衝撃を受けたのだ。


「紹介状は私が書いてあげるわぁ。だから安心してねえ」

「紹介状……? ついて来いとはおっしゃらないんですか?」


 とっさに聞き返したレオに、彼女はしばし固まって、それから首をこてんと傾げて問いかけた。

「ついて来てって言ってほしいの?」

 その問いにレオは答えられなかった。その問いの答えは自明だったが、それを認めることは自らの中に存在する相反する感情を二つとも認めなければならない。

「いつも文句ばっかりだから、いい機会だと思っているのかと思ったのよぉ」 

 お嬢様はそう言って小さく笑った。

「でも、ありがとねえ。ちょっとでもためらってくれて、嬉しいわぁ」

 目の前にいる彼女はなぜか切なげな表情を浮かべてこちらを見つめていた。愚鈍姫と呼ばれていても、レオの行動に表れているあからさまな棘には気づいていたのだろう。


「でも、迷っちゃだめよ。チャンスは二度とやってこないんだから」


 思わぬその言葉にレオはぎくりとして彼女のほうを見た。その瞬間、彼女の体がかすかに震えていることに気付いた。無意識のうちに彼女は、ドミニクに掴まれた腕をさすっている。

 それはレオの意識の外にあった。

 ただ気付いた時には、レオは自分が来ていた上着を脱いで震える彼女にかけてやっていた。彼女が寒さから震えているわけではないことは百も承知だったが、レオは上着の上から彼女の背中をさすっていた。

 自分の無意識の行動に驚いたが、レオは後には引けなかった。自分を見上げる大きな瞳の中には、おどろくほど穏やかな顔をした自分がいる。

 それがとても不思議なことだった。

 最初のころは、いつ彼女の白い首を掻き切るか、そんなことばかりを考えていたのだから。

「湯につかって、よく温めてください。きっと流れていきますから」

 何が、とは言わなかった。

 しかし彼女は触れられた場所をまださすり続けている。

「優しいわねぇ……」

 優しいといわれても、本当に優しい人間にはなれそうにもない。しかしレオは彼女を傷つけることができないのだとすでに気付いてしまっていた。

 彼女が悪いのだ。レオはそう思った。

 のんきで愚鈍姫などと呼ばれているお嬢様は、彼女を傷つける気でいたレオの牙をすっかり抜いてしまったのだった。それが彼女にとって幸運なのか不運なのかわからない。

 レオが復讐を決行した後、彼女の生活は大きく変わってしまう。当初の予定では彼女は最初に手にかける予定だったが、今のレオは彼女の髪の毛一本ですら傷つけたくはないと思ってしまっていた。

「家の中に戻ろうかしら……」

「そうですね」

「ねえ、レオ」

 そういえば、彼女は一度たりとも自分の名前を馬鹿みたいに間延びさせたことがない。そんなどうでもいいことに、レオはいまさら気付いていた。

「なんですか?」

「たまには私を振り回してもいいのよぉ? やりたいことを、やればいいわぁ」

 どうして今日の彼女はこんなことばかり言うのかまったく見当がつかなかった。どうしてこうもレオの心を揺さぶるようなことばかりいうのか。

「では、一緒に勉強しましょう。そんな気分なので」

 それでもレオは表情を崩さずに、いつもと同じ調子でそう言った。

「それは……あんまりいい案じゃないわぁ」

「振り回してもいいんでしょう?」

 彼女は目に見えていやそうな顔をした。

 今にも前言撤回と叫びだしそうな彼女の顔に、レオは思わず頬を緩ませたのだった。




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