蛇龍
僕は何度か、とぐろを巻いて寝ている龍を見たことがある。最初に見たのは、マグナが山に連れていってくれた時だ。頂上に揺れる大きな何かの尻尾を見つけて近付いた僕は、母龍の尻尾だと気付いた。その時の母龍は威嚇したり尻尾で邪険にしたりもしなかったのを記憶している。僕が何もしないと知っていたのかも知れない。
そんな事を思い出していると、唐突な激痛によって意識が現実に引き戻された。
「っ......」
右腕が繋がっている感覚はある。しかし左腕は先程までは腕が繋がっていたはずなのだが、今は肩すら無くなっていた。どうやら目前の化け物に噛み千切られたらしい。何回か地面を転げたのか、身体のあちこちが痛む。そう言えば、首を絞められて何回か地面に叩きつけられたような記憶がある。あいつの細長い身体に両足を引っ掛けると、体勢が安定したから尻尾を斬ったんだったか。
「でもなんで意識が......?」
おっとっとと......どうした、立ち眩みか? それも尋常じゃなく頭の中に響く。先ほど同じ現象が起きたから意識が途切れたんじゃないのか。どうりで肩すら無いわけだ。でも、右腕があれば刀は振れる。
敵の噛み付きを素早く避けて、背後に落ちていた愛刀:不知火を拾って中段に構える。
敵の状態は......まず尻尾を落とした。顔がどうも蛇に似ているのだが、何回牙を斬っても直ぐに生えてくる。これは鮫の特徴だな。身体全体が蛇のようだが、意識が飛んでいた時に見た龍のようにデカい。鱗で覆われた身体には、足なるものが見当たらない。飛ばないから蛇なんだろうが、禁忌生物なだけあって、顔つきは蛇龍そのものだ。そして何より厄介なのは......噛み痕が痺れてきていることだ。右足の感覚が無い。足は痕だけなのだが、食われた後の左肩からは血が止まらない。これ......麻痺毒じゃないのか?
「蛇の特徴だな、牙は何度でも生え代わるから、折れても敵の体内に毒を蓄積させられる訳か」
実のところ、冷静に分析している場合じゃないのだが、寝たからか思考ははっきりとしている。その分 死が迫っているのを忘れさせているのは、麻痺と衰弱で身体が"警鐘"を鳴らせないからかな。寝たから何なのかと問われれば、寝るんじゃなかったと悔いを叫ぶしか無いのだが、はてさて何か成す術は無いだろうか。雀呂はまだやって来ない。最近餌を上げてないから、探しにでも出たのだろうか。蛇龍が切れた尻尾の余りを振り抜いた。僕はそれを避けきれず直に受けた。刀が再び右手から離れる。
「......おっと」
立ち眩みが頭痛に変わって、意識が再び混濁し始めている。まだ見えている目を頼りに、転がっている刀の方へと右手を伸ばす。その時僕は初めて、自分は地面に倒れているのだと気付いた。蛇龍がじりじり僕に近付く。狙いは......がら空きの腹のようだ。そこまで察してから僕の意識は、再び暗闇の中へと落ちてゆくのだった。
「......っです!」
......。
「しっかりするです!ワイズさん!!」
誰だ。女の声が頭の中に響き、再び僕は覚醒する。
「ユウリ、か......?」
流線型の金髪を揺らす女の子は、少し残念そうな苦笑いをして僕の傍にしゃがみ込んだ。
「ユウリじゃなくてすみません、先輩。ミーシャです」
そう言って優しく微笑んだ女の子の温かい手が僕の背中に置かれる。まだ意識が朦朧としているのか、今の状況が理解できない。なんでここに女の子が? 僕は死んだのか? 顔だけ動かして自分の腹の方を見ると、血がどくどくと流れていた。案の定、噛みつかれたらしい。
「これは......麻痺毒!? それにお腹の骨が折れてます......」
頭上から......これはミーシャの声か、何でミーシャの声が? あれ、さっきもそんな事を考えなかったか。蛇龍は......だめだ、ろくなことを全く考えられない。
「先に傷を治さなければ痛みが出ますね......。先輩、今すぐ私が治しますから! お気を確かに!」
訊いたことのある詠唱、それと同時に頭上で展開する魔法陣に僕は手を伸ばした。おぼろげな意識の中何度も手を伸ばすが、それは掴めない。
もっと先なのか、それとも遠いのか......。
何度も伸ばし続けていた僕の手が、ようやく何かを掴んだ。柔らかい、そして温かい。いつか、触れたことのあった感触だ。
「ユ......ウリ......?」
なんとか出せた言葉に返事はすぐにやって来た。だが、どうしても理解が追い付かない。
「ミーシャ、です。判りますか? ユウリは、あそこですよ」
頭の下に柔らかいものが来て、かなり視点が高くなった。優しげな声の主が、僕の手で指差す方向を目で追ってみた。そこには蛇龍の姿があったが、不思議なことにこちらを向いていない。一体誰が戦っているのか。そこに見えたのは、黒く輝く剣を構えたユウリの姿だった。遠退いて見えた世界が急に明るくなった。だんだん身体に痛みが走り始める。記憶が鮮明になるにつれて、ユウリの今の構えに違和感を覚えた。何かがまずい......! 早く止めなければ!
「先輩、痛みますか? まだ治癒が終わってません。もう少しの辛抱です!」
駄目だ、ユウリ! その技を使ったら......! 過去の記憶を高速で遡る。何かを思い出せそうだ。記憶? ......!
立ち上がろうと身体に意識を張り詰めるが、麻痺で動かない上に後から伴う激痛が脳へ走った。今更ながら、どうして先に麻痺を治してくれなかったのかと思うが、長時間の激痛は、時に人を死に誘うことを思い出した。反面だけ神の特性を持っていても、その僕の残りは人間なのだ。そうか、僕の存在だって禁忌じゃないのか?
そこまで考えて意識の糸が切れた。身体は痛く感じなくても、脳にとっては限界だったのだろう。
目が覚めて僕が最初に見たものは絶望だった。
それまで意識は、どこまでも落ちるただ闇の中へ。




