困った時の....
髪を結うための紐を買った僕は、
ヘイズを置いて逃走を謀った後、
近くの飲み屋に入り込んだ。
飲み屋のマスターに
促されるままカウンター席に着く。
すると隣の席の農服に
長靴の髪が短い男は、
「もう直ぐ戦争かぁ.....
...俺たち駆り出されるんじゃねえ?」
その隣の髭面の男が頷いた。
「ああ、
ここまで幸先良かったのになあ。
戦争が有るから良かったのかねぇ....」
戦争、ガイが今朝に持ち掛けた話か。
僕ら戦闘慣れしている奴にとっては、
単に生きるか
死ぬかで生活が決まる事だが、
彼らのように生きるため
だけに働く人々にとっては、
与えぬべき苦痛ではないか。
そんな考え事をしていた
僕にマスターは声をかけた。
「ご注文は?」
ここはテキトーに、
「クワス」
「かしこまりました」
マスターはお辞儀をして去った。
有るのか、クワス。
甘酒でも良かったな。
「そこの少年、君も戦争に?」
先程 戦争について
話していた男二人がこちらを見ていた。
僕はガイに誘われたが........
「........出る、かな」
ここで出ないと言っても、
フールは僕に出るよう命じるだろう。
その為の貸し出しだ。
髭の男が目線を下げた。
「ほう........その若さで......」
この人達も、
僕が黒犬だと言うことは
気付いてないのか。
すると、マスターが僕の前に
薄ら白い液体の入ったグラスを置いた。
「黒犬様、どうぞ。当店自慢の
ブレッドを山の打ち水に漬けて
1ヵ月熟成させたクワスです」
「........」
マスターは知っていたのか。
で、今の通り名を訊いても
男たちは逃げないのだから、
本当に知らないのだろうな。
僕がクワスに口を付けた瞬間、
髪の短い男が声を出した。
「アンタが、黒犬か」
あれ、
知っていたのに逃げなかったのか。
僕は男を見て頷いた。
「噂に訊いたが、
実物は小さくておとなしいんだな」
「ゼジル、噂とな?」
ゼジルと言う名らしい、
短髪の男は腕を組んで、
「ああ、何でも....
受けた依頼は必ず遂行。
配達や駆逐は勿論のこと、
裏では暗殺や怪物狩り
だってやってるらしいぜ」
僕らの目の前でコップを
拭いていたマスターが静かに口を開いた。
「遂行困難な命令に対し、何の文句も
無く"御意"の一言で一心に敵を狩る姿は、
騎士も顔負けの 本物の騎士。
見たことも無い無敵の剣技で一掃。
傷つけられた者は居らず、
近付き難い静かな出で立ち
だが何よりも"本気で人を守る"」
僕はマスターに目を細めて、
「アンタの口調には語りべが顔負けだよ」
マスターは笑ってご謙遜を、と言いつつ、
「ハハッ、
お褒め頂きありがとうございます。
ですが、黒犬様がお気にされるほど、
ここの方々は貴方を嫌っていないのですよ」
!?
ゼジルが頷いて、
「おうよ、むしろアンタに
勝ちたくてギルドの連中は
躍起になってんだ。あんな涼しい
顔をして何で傷一つ無いんだってな」
そう言ってゼジルは
グラスをあおって立ち上がった。
「マスター、勘定。
黒犬の分も入れてくれ」
僕の分はいい、
と言おうと立ち上がると、
「ああ、良いって良いって。
この貸しを........
もし俺たちが戦争に出たらさ。
そん時に返しておくれよ、
俺にぁ 女房と一人娘がいてな。
これが
かわいくてかわいくて仕方がねえの。
仕事から帰ってきたら、
毎日学校で有ったこて話してくれるんだ。
死ねないんだ、まだ。
......ここで死ぬ訳にはいかねえんだよ、
だから、な?」
そう言い終えてゼジルは
財布から僕の分丁度の金額を出した。
「こちらで、宜しいですね?」
マスターの問いにゼジルは頷いて、
僕の肩に手を置いて笑顔で
「じゃあな」と
言って飲み屋を去っていった。
髭面の男は目を
丸くしながら静かに口を開いた。
「あのゼジルが他人に頼み事とは
........これはおったまげたな」
「珍しいのか?」
「珍しいってもんじゃない。
あいつは責任感の塊だ、
貰った仕事は最後まで責任持つし、
あいつの中には
それなりにいいモン持ってる。
黒犬の噂を言っていただろう、あいつ」
「ああ」
「噂訊く前から真面目だったけどな、
黒犬の噂を訊いた途端、俺ももっと
真剣にならにゃあいかんって言ってな。
一人で頑張りだしたと思ったら、
周りも付いて行くようになったんだ。
あいつの言った、
"ギルドの連中は躍起になってんだ"を
真実に言い換えるなら、"ゼジルのお陰で
皆が躍起になってんだ"だよ。
あいつは律儀だから、今だに
周りの方が頑張ってると思っていやがる」
愉快そうにそう言って笑う髭面の男は
腹を押さえながらグラスをあおった。
そしてグラスをマスターに差し出して、
「マスター、バーボン・ウィスキー」
マスターは苦笑いしながら、
「水割りにしますね」
男はえ、もうそんなに
飲んだっけという顔で、
「ああ、今日は仕事夕方から
だから飲み過ぎてもいけねえやな
ありがとよ」
「もう何年こう
してると思ってるのですか」
「ははは、
やっぱマスターには敵わねぇや。
じゃあよ、あの子に
ベイクドチーズケーキと
クワスのおかわりを」
微笑んだマスターは礼をして、
「かしこまりました」
どうやらこの男は
僕を帰らせないつもりらしい。
おい、何でお金払ってるんだ!?
絶対それケーキとクワス代だろう....。
僕の思考を読んだのか、
マスターはこちら側のカウンター
へ寄り際にウィンクして見せた。
ここの人たちはとても気前がいい。
そこは嬉しいのだが、
戦闘と違って"この後"が
ちとどころか相当怖い。
さて、済んだらそろそろ
本格的にギルドに帰ろう。
任務を遂行したとはいえフールの
元から離れてだいぶ時間を空けすぎた。
あの女からしばらく離れて、
後々の任務で
何があるかは知れたものじゃない。
さんざん飲んだくれた後、
酒場から徒歩でギルドまで帰還すると、
威風堂々と不敵な笑みで
待ち構えていたフールが僕の肩に手を置いて、
「やあやあ、ワイズじゃないか。
一昨日ぶりかな、
長い休暇は楽しんだかね?」
治ったらしい手を
だらしなく下げながら
疲れたようなガイの笑みに
僕は努めて引き吊った笑みで返しつつ、
「ああ、散々ひどい目にあったよ」
「そうか────。
休暇を出したのに
お疲れのところ悪いが────」
一瞬目を伏せたフールの顔が一変して、
「戦争に行って貰おうか。
なに、矢なんて飛んで来たり
しないから安心したまえ。
相手は全兵馬乗りの騎士だよ。
どうしても王様はその向こうにある
お国をご所望なのだ、行けるな?
と言うか、行けよ?」
なんと重圧感の凄まじい脅しだ。
最初の"行けるな?"の
使われた意味が皆無な脅しだな。
「....御意」
そうして休暇から早々、
戦争に向かうワイズとガイだった。




