止め
──ギルド内食堂──
僕の盆を見たユウリが驚きの声を上げる。
「寝起きにスイカですか、先輩」
僕は前の席いいかい、と断って席に着く。
「寝起きでお腹空いてるんだ、
名産なんだろう?蛇の目スイカ」
「ミィの話だとそうみたいですけど───」
僕の盆の上には、
例のスイカが四等分に切り分けてあるのだが、
何せデカい。どのくらいデカいかと言うと、
犬よりデカい。
何なら、僕のお腹の中よりも確実に大きい。
いくらお腹が空いてると言えど、
犬一匹は腹に収まるまい。
「一つ要らないか」
ユウリは海老天を掴んだ箸を止めて、
「まぁ、一つくらいなら」
スイカを渡すと、
それを受け取ったユウリの顔がそっぽを向く。
顔がスイカのように赤いのを見て、
僕の顔もだんだん熱くなるのが判った。
───そしてその理由も。
宿舎の事が頭から離れないまま、
二人ほぼ無言で
真っ赤のまま昼御飯を食べるのだった。
「スイカ美味しいぞ」
「こちらの海老天も美味しいですよ」
箸で差し出してくる。
「頂きます」
そのままかぶりつくのは、
海老天が大好物だったからだ。
僕の顔はもう、ユウリの肩に預けて
触れていた時の頭部の
温度をかなり超えて熱くなる。
スジャ近くの森や山を猛スピードで走り疲れて
薄暗く、日の光も消えかかった森の中を歩きながら、
黒髪、黒い外套と黒い瞳の少年は考えていた。
"止め"とは、酷い言葉だと思う。
今まで生きて動いていたものが、
その身一つ壊されたり、
部位一つを切り落とされたりするだけで
死に動かなくなるのだ。
考えてみれば、
それを命令する者がいるならそいつは身勝手な奴だと思う。
しかし、今のギルドマスターこと、
フールは確かに僕に命じたのだ。
「グレイヴ・ドラゴンに止めを刺せ」
と。なら、僕はその命に従うのみ。
殺せ、と言われたのだから、
この刀で斬ればいいのだ、何の未練もなく。
百有る体力のうち一だけ残して捕縛せよ、
なんて理不尽に近い命令よりも、いとも容易い。
この任務では、
相手よりも先に相手の
百有る体力を全損させればいいのだから。
しかし、あのフール。
────たいへん身勝手ではあるのだが、
人に頼んだところだけは、善処だったのではないだろうか。
今は何となくそう思える。
命令は"殺せ"に変わりはない。
だが、フールはあれで"死なせてあげてくれ"と
頼んだつもりなのだろうから。
何せ訊くところによると、
グレイヴ・ドラゴンはホーン・ブルの歴戦の猛者だ。
そんなに頼りになっていた戦友を、
使えないからと言って いとも無慈悲に殺すのは、
そもそも人間としてどうなのか、と甚だ疑問になる。
まぁ、そんな女ではないと、
マグナの口から訊いていたのだが。
これは単なる想像なのだが、
フールが直々に弱った骨竜の元へ出向いて、
「これから君を葬る」と宣告したとしよう。
多分、骨竜はすんなりと
フールの死を受け入れるだろう。
何故かは上手く説明出来ない。
だが同じように、
仮に僕の両腕が切断され、
片足も失い、
黒犬としての生命線が断たれたとしよう。
そしてマグナは"君を葬る"と宣告する。
(出血多量で死ぬとか、
細かい事は置いておいて最早僕が
戦力外故に殺す以外の選択余地がないものとする。)
多分僕も、その死を受け入れる。
前足を失った───それはつまり、
刀が握れない───刀が振れないのだ。
後ろ足を失った───それはつまり、
走れないと言う事。刀が握れない事が
既に侍として致命的なのに、片足まで失うとは、
果たして生きている意味なぞ有るのだろうか。
それでも僕は、
皆の荷物として生きたいと思えるのだろうか。
はたまた、マグナに「生きさせておくれ。」と、
雨降るギルド玄関真ん前で体中雨で濡らして
傷口を雨で染みらせながらも、
何度も頭を水溜まりに
押し付けて土下座する精神は有るのだろうか。
誰か、そこまでして生きたい奴は居るだろうか。
そんな奴が居たら、その時はマグナに殺されるよりも、
そいつにこの命を託す方を選ぶ。
────そんな事が出来るのなら。
「今まで世話になった。
最後に、一度も君が見せてくれなかった
笑顔を見せて貰えないか。見れたらもう、
この世に未練なぞ微塵も無いから」
殺されるなら、生きることが
最早赦されないのなら、
この言葉をせめてマグナに言いたい。
正面の奴を殺す前に笑う人なんて居ないだろう。
でもマグナなら、僕の願いを訊いてくれるはずだ。
仮に訊いて貰えなくても─────
─────僕は潔く殺されよう、
マグナの僕への思いはその程度だったという事だ。
そこに僕への思いやりや、慈悲なんてものなぞ
毛頭無いと言う暗黙の宣告なのだろうから。
僕は今日、骨竜を葬る。一人で。
僕はよく、先程からしているような妄想をするのだ。
その度に思う。
葬られるなら、集団よりもマグナ単独がいい。
だからユウリには消えた二人を探すように言った。
ガイは葛藤していたようだし、
ユウリは戦闘初心者のようだった。
あの子を高レベルの
モンスター迎撃に当たらせては駄目だ。
例え敵が瀕死でいようとも。
ミーシャは多分一番
冷静だったが、居ないので置いてきた。
というのは口実で、僕には今までの
考えが少なからず有るから、
一人で葬ってやりたかっただけなのだ。
仮に狩りが出来なくなったとしても、
迷いの有る奴には殺されたくない。それが本心だ。
そんな思考も、直ぐに薄れる。
敵本陣だ。────しかしどうやら眠っているらしい。
つい癖で辺りに目を凝らしてみる。
僕はこの癖のお陰でどんなに疲れていても、
猟用の落とし穴には一度も引っ掛かったことが無い。
乾いた枝だ。恐らく踏むと、
高くて乾いた音が鳴り、奴は目覚める。
眠る骨竜の周りは、
枝のよく伸びて葉の無い
枯れ木が取り囲むように生えていた。
僕がこのまま立っていると、夜行性だから、
僕が逃げようとする音だけで、奴は目覚める。
木に登っていようとも、枯れているため、
きっとどこかで枝や幹が折れて、
高くて乾いた音が鳴り、奴は目覚める。
どうやらこれも罠のようで、
仮に枝を避けて渡れたとしても、
張り巡らされるように伸びた枝を避けようと進むも、
何処かの枝が服に引っ掛かり、枝が折れて
高くて乾いた音が鳴り、やはり奴は目覚める。
あれ、既視感。
折角こちらから強襲しに来たのにこのお出迎えかよ。
成る程─────
狩りは"しなく"なろうとも、
狩る側の気持ちは"忘れない"
そういう事だな。
攻め所が無い。
すると、むくりと骨竜の顔が起きてこちらを向く。
あれ、備前。
いや、ビンゴか。備前って何だよ、僕。
僕は逃げないし、隠れたり慌てたりもせずに
刀を抜き放って腰を沈める。
骨竜は飛んでこちらに近づき着地するも、
僕が刀を下げると、戦意が無いと認識したのか
襲ってきたり、初対面の時の突進は無かった。
「僕が来るのを判ってたみたいな顔してないか?」
竜は寡黙を続けるが、
何かをこちらに伝えている気がする。
僕の言葉は伝わっているのか?
「任務を承って参った、それは君を葬ること」
骨竜は続きを待っている───?
「誰だか────は伏せまい、フールだ」
それを訊いた瞬間、骨竜は目を伏せた。
悲しそうに見える。
「訊いておくれ、フールは 君が狩りを出来なくなって、
もう君が自分の傍に居られないと責めるようになって
去った事に、とても悲しんでいる」
骨竜が目を開けた。
両の目はしっかりとこちらを捉えていた。
「僕は君の痛みを全部受け止める。
だから君は、
その命の灯火を燃やして全力で僕に掛かってこい」
君を痛め付けたのは僕なのだからな────。
僕が刀を構えるのと同時に、
骨竜は片足だけで立ち上がった。
翼を器用に使っているのだ。
僕は闘志を奮い立たせるように吠える。
骨竜も音のない咆哮する。
骨竜のジャンプキック。
僕はそれを下段からの突きで受け流しつつ、
斬り返そうとする。
しかし骨竜の既に上体の持ち上がった蹴りは、
高さの変更がほぼ自在。
僕の平行斬りは空振りに終わったところを狙って、
骨竜は高らかに飛ぼうとしたが計算外。
僕は既に骨竜の足の小骨を一本掴んでいた。
高度が上がる中、
素早く骨竜の首元まで駆け上がり、
全力で右腕を振り抜いた。
「─────!?」
固過ぎる!でもっ!!
僕は跳んで離れながら、骨竜の翼の皮膜と
突き砕いたあばら骨に体重を乗せた一閃を叩き込んだ。
落下速度はたいへん遅く、
まだ僕の上にいた骨竜の蹴りが僕の左肩に入る。
激痛。しかし着地には成功し、
僕は全力でその場から離れた。
直後、皮膜を裂かれて飛べなくなった
骨竜の巨躯が降ってくる。
それ目掛けて再び高速接近し、
刀を振り抜こうとしたが、
瞬間的に飛躍して、体勢を立て直した骨竜の巨躯から
繰り出す連続の蹴りが僕の追撃を拒んだ。
僕は刀で受け止めると、跳ねて後退し 距離をとる。
土を蹴って片足を慣らしていた
骨竜は大きく息を吸い込んだ。
そしてその音に驚く。
「グオオオオォォォオオオ!!!」
骨竜が─────吠えた────。
骨の一部に、かつて存在した声帯の記憶が
そこには存在するのか────?
それとも、
───幻聴だったのか?いや、確かに────!
そして更に驚くべき現象が起きた。
骨竜の口元から、微かな火の粉が舞っている。
まさか─────?
そして再び、骨竜は大きく息を吸い込んで、
やがてこちらに向けて大きく口を開いた。
避けられない!やむを得まいか。
僕は全力で刀を前にかざして防御姿勢を取った。
口から吐き出されたのは燃えるような赤い炎、
ではなく、輝くような灼熱の銀炎。
"炎を捨てた者"が、
最後の命の灯火を燃やして放った全力の一息。
それは今は亡き筈の、
肉在りし頃の 最高にして最強の武器。
絶対勝利の、万人を焼き払った銀炎だ。
残念ながら僕の不知火には魔法耐性が有るので
一斉効かない筈だが、
鉄の方は耐えられなかったようで、
刀身が段々赤みを帯びてくるのが目で見える。
この鉄は火を知らないらしい。
僕は思わず骨竜の目を見た。
骨竜の目は、銀色に輝いていて、鋭かった。
成る程─────最後は輝いて死ぬか。
格好良いな、それ。
骨竜の目は、少し細くなって
───そうだろう?
と言った気がしたのは、
炎の勢いが弱くなったからだ。
僕はそれを見て心の中で呟いた。
"もう、充分かい────?"
僕は銀炎を振り切って、
光の速さで骨竜へ駆け抜けていた。
もう目の前に首がある。
アンタが最後に
見せた奇跡を受け止めて葬る一撃だ!
─────受け取れ!
先程、無慈悲に弾かれた刀の描く奇跡は、
銀色の光を帯びて、難なく骨竜の首を切り裂いた。
頭の離れた身体が、
無数の灰の欠片となって弾け飛んだ。
跳ねた僕の身体は、拠り所なく地面に降下する。
地面に骨竜の頭が堕ちたのを確認すると、
転げるようにして頭に駆け寄る。
「骨竜!」
その頭角に触れる、
とても硬く冷たくて大きいそれは
やがてゆっくりと微笑んだ───やうに見えた。
刹那、僕の周りに再び、無数の灰の欠片が舞い、
やがて骨竜の後欠片は微塵も無くなってしまった。
僕は刀を納めてから空を見上げて、
「任務遂行」
君はフールに葬って欲しかったかい?
そんな虚しい疑問はだれにも届かず、
ただ僕の頭の中をリフレインし続ける。
僕は骨竜:グレイヴ・ドラゴンに止めを刺したのだった。




