第1章 陸者
天空の地
登場人物
山本勘助
山本勘兵衛
香川清景
河田伝兵衛尉
山地孫左衛門
お初
第1章 陸者
朝霧は今日も山並みや峠を輪郭を失った半透明の姿態として霧の中にただよわせ、足下の池さえも覆い隠していた。
池の土塁端に座り込んだ一人の男は、夜露に濡れ、夜明けの寒さで冷え切った身体を動かそうともせず、ただ水面をながめていた。
そこには小魚が既に活き活きと活動を開始している。
突然、男は立ち上がり、足下の小石を拾いその小魚の群に投げつけた。
広がる水紋を男は目で追い、池の対岸が目に入るのに気がついた。
いつの間にか山霧は晴れ、池も山の樹木もその姿をあらわし、少しずつ朝の光を受け、輝きを増しつつあった。
男は満濃池と記された古ぼけた木札を横目に矮躯を更に縮め、しかしながら足早に対岸へと歩を進めた。いつの間にか男の足はまるで水紋を追うかのごとく疾駆していた。
男の名は山本勘助。年の頃15,6歳。
この日は満濃の原で天霧城恒例の猪狩りが行われる事になっていた。
「わいの足にかなう者はおらんて、わしゃ、殿様に頼んで武士にしてもらうんじゃ。」
対岸も近くなったところで、手に手に弓を持った4,5人の侍に会った。
「こりゃ、こわっぱ。どこへ行く」
「あ、逃げたな」
「まて、またぬか」
勘助はこんなところで捕まっては殿様に会えないと、俊足に俊足を重ね走り抜けた。
いつの間にか追っ手は4つも5つもの集団になっていた。
「おっ、猪が出たか」
と、更に追っ手は増え始めた。
「なに、小汚いこわっぱめが、此の原に紛れ込んだのじゃわい。」
追っ手達は駆けながら
「猪の前にそのこわっぱを血祭りにあげようぞ」
「おっ、いたぞ、矢をはなて」
半刻も走り回らせられたあげく追っ手はその男をみうしなった。
「何を騒いでおったのじゃ」
河田伝兵衛尉は、横の床几に腰を落ち着けている山地孫左衛門へと聞いた。
彼らは共に天霧城の家老である。
河田伝兵衛尉は5人の家老の内でも筆頭家老として城主の香川清景の右腕となっている重臣である。山地孫左衛門は新参最下層の家老ではあるが常は塩飽の城で水軍を操る。精悍な体躯を持ち、横一文字に並んだ目で家臣を見ると、その家臣は震え上がる。
今日の猪狩りはこの二人の主催で催され、城主も目見える事となっていた。
「なにやら、人一人紛れ込んでおった様子でしょうな」
少し残った朝霧の中を目を凝らして見つめていた山地孫左衛門が答えた。
そこへ
「つかまえたぞ〜」
と、言う声が聞こえた。
「よし、ここへ引き連れて参れ」
河田伝兵衛尉が横に控えていた者へと言った。
「何じゃこわっぱではないか、こんなこわっぱに手を焼いていたのか、こわっぱ、ここでなにをしていた。」
河田伝兵衛尉が黒い細面に渋面を作って聞いた。
「わいの名はこわっぱではない、勘助じゃ。」
「おうおう、このこわっぱ、捕らえられながらも意を張るわい。そうか勘助か、じゃが勘助、おぬしはここで何をしていた。」
「わいは、殿様に会って侍にしてもらいたいんじゃ。」
山地孫左衛門は河田伝兵衛尉が話しているあいだ、ただ黙してこのこわっぱを見ていたが
「勘助、足の傷はどうしたのじゃ。」
と、聞いた。
「猪狩りに罠を仕掛ける者がどこにいるかい、わいはそれにかかったのじゃ。」
ふてぶてしい顔で周りの侍達に目を回しながら勘助が叫んだ。
「ははは、そうかそうか、これ、このこわっぱを手当てしてやれ」
山地孫左衛門は近従達が勘助を連れ去った後、河田伝兵衛尉へ言った。
「面白そうなこわっぱじゃ、わしが貰おう」
「そうじゃな、お主はあの様な生きのいいのを好むからのう、水者として養うのか、それとも、、、」
河田伝兵衛尉の言葉を遮るかの様に
「いやいや、あれの足を考えると船で使うのには勿体ない。陸じゃよ」
と、最後は自分の感性を探る様につぶやいた。
☆作者より☆
過去の実在の人物が登場人物で出て参ります。中には悪者役で登場させますが、後孫の方々には一切関係はございません。小説ですので、お叱りは御勘弁ください。