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前編

 警察の消えたこの町に、重大犯罪者がやってきているとの噂が流れた。


 海と山に挟まれた小さな土地に散らばる小さな町々と、それらを縫うように走る曲がりくねった街道。この地方の特徴ある風景だ。

 それらの町はそれぞれに自治をしている。

 数十年前に起こった大きな災害により、かつて国家といわれたものはまったく意味をなさなくなった。交通や通信といったものに維持されていた広大な国はその支柱を失ってばらばらとなり、やがて経済圏ごとに都市国家のようなものとして独立せざるを得なかった。とくに経済規模が小さく生産力に乏しかったこの地方はそれら都市国家のいずれからも見放され、散らばった村々は自らの力で治安を維持しなければならなかった。

 軍隊も警察もここには存在しない。頼りになるのは自警団のみだ。


 噂の出元は山の向こうにあるドゥブロヴニクという大きな町からだった。その町で組織犯罪に荷担したそいつは自治警察に追われ、後ろ盾になっていた組織も壊滅させられて町の外へと逃亡したらしい。この町をはじめとした近隣の町には既に人相書きが出回っている。懸賞金もかけられているらしい。


 町の裏通りにあるカフェのマスターは、馴染みの客とその重大犯罪者について話をしていた。

「だからよ、今日からこの店は日暮れで閉めることになった。自警団がそうしてくれって言うんでな」

 話を聞いた客のほうは不服そうだった。マスターは後ろを振り返って続けた。

「お前も日が落ちたら外に出たらダメだぞ。どこにそのお尋ね者が隠れているか分からん」

 話しかけられた12歳の少年は、聞いているような聞いていないような素振りで皿を洗っていた。

「でもよ、ドゥブロヴニクから町に応援部隊が来るって言うじゃないか」

「ああ。でも町の公権力はあくまで自警団だ。協力してくれるのはいいが、こないだのように縄張り争いで揉めればお尋ね者探しどころじゃなくなるぞ。それに」

 カフェのマスターは外を見つめていた。

「どこも山賊やら流れ者の強盗団やらの対応で手一杯だ。そう何人も応援に来られるわけじゃなかろう」


 町ごとに組織された自警団の主な仕事は町の内外でならず者を取り締まることだ。ただそれは町ごとに独立しているために、町々をまたぐような力には無力だった。山賊や強盗団といった組織犯罪にとってはこのような町々が狙い目となる。まるでここだけ中世に戻ったかのようで、お尋ね者の噂が出回るのはもう何度目かのことだった。

 人口たった数千人のこの町は顔見知り同士だが、街道沿いをやって来る観光客が多いためにお尋ね者を探すのは簡単なことではない。もともとこの辺りが風光明媚な土地であることと、街道の先にある宗教都市を目指すための巡礼ルートになっているために、国中が混乱していても人々の流れが絶えることはなかった。


 さっきまでカフェで皿洗いをしていた少年は裏通りを歩いていた。彼の伯父であるマスターから、角にある乾物屋まで角砂糖を買いに行くよう頼まれたからだ。

 時刻は日が傾き始めた頃で、高い建物に挟まれた石畳の通りは日陰で覆われている。

「君、ちょっと道を教えてくれないか」

 旅人のような服装をした男に声をかけられた。背が高くて肩幅が広く、しっかりした体格をしていた。彼は教会の場所を尋ねてきたので、少年は親切に教えてあげた。

「ありがとう」

 その男はよく訓練された軍人のように表情をあまり表に出さなかったが、感謝の言葉とともに少し微笑んだように見えた。

 少年は角砂糖を買い、ふたたび元の場所を通りがかった。

 さっきの男はまだその場所にいたので、不思議がって声をかけてみた。

「すまないが、もう一度教えてくれないか」男は道が理解できず立ち往生していたようだった。

 丁度教会の鐘が鳴ったので、少年はこの鐘の音のほうへ進めばいいと言った。しかし男は首を横に振った。

「鐘の音というものがよく聞こえないんだ」

 少年は彼が耳が悪いのかと思った。しかし会話に支障は無さそうだ。少年は自ら教会の場所へ連れて行くことにした。

「歩けば10分もかからないよ。付いてきて」

 少年の進む方向へ男は付いて歩き出した。男の歩幅は大きかった。顔つきだけでなく体つきも立派な軍人のように見えた。

「おじさんは旅の人?」

「そうだ。今日ここに着いたばかりだ」

「この町の中じゃ特に観光するところなんてないよ」

「人を探している」

「どんな人?」

 男は一枚の写真を取り出した。映っているのは目つきの悪い、痩せた男だった。

「見たことないなあ」

 2人は教会に到着し、そこで別れた。



 カフェのマスターと少年は猫を飼っていた。

 茶色くしっぽの長い猫で、名を「チャトラ」と言った。チャトラは若く元気があり、店からよく失踪することがあった。

「チャトラ、また失踪したのかなあ」

「放っとけ。猫には猫の事情ってもんがあるだろう」

 マスターは気にしていなかったが、少年はチャトラを探して歩き回った。公園に来たところでチャトラのような声が聞こえた。チャトラはある一本の木の上に上ったまま降りられなくなっていた。ちょうどその下から誰かが助けようとしている。

 この間の旅の男だった。

 木に登った彼はすぐにその猫に近づいた。猫の方ははじめは警戒して鳴き続けていたが、やがて男の肩に乗った。そしてすぐに地上へと降ろされた。地上に降りたチャトラはすぐに少年を見つけて駆け寄ってきた。

「ありがとう」

「君の猫だったのか」

 男は無表情のまま「よかった」とつぶやき、立ち去ろうとした。

「おじさん、待って」

 少年は慌てて呼び止めた。感謝の言葉だけでは何か足りないような気がしたからだ。

「うちはカフェなんだ。お礼にコーヒー飲んでいってよ。この町のいろんな人が集まってくるからさ、探している人も見つかるかもしれないよ」

 男は振り返ったが、返答は淡々としていた。

「心遣いは有り難いが、私の探している人物はおそらくそのような場所では見つからない。それに……私は水しか飲めないんだ。すまない」

「じ、じゃあ、手伝うよ! 僕のできる限りで人探しを手伝うよ。この町のことなら知ってるから、人の集まりやすい場所とか全部分かる」

 男は少し思案しているようだった。

「ではこの町の貧民街の場所を教えてくれないか」

 少年はお安い御用だと笑顔で頷いた。


 その日、少年は日没直前になってから帰宅した。

 マスターは不審そうな顔をしている。

「猫探しにどこまで行ってたんだ。チャトラは昼過ぎにはうちに帰ってきてたぞ」

 少年は何も言わなかった。

 旅の男は、貧民街のほかに資材置き場や風俗街といった場所も案内するように言った。ずいぶんと奇妙な場所で人捜しをするんだなと少年は思ったが、あまり気にしなかった。

「あんまり遠出するんじゃないぞ。どこに例のお尋ね者が潜んでいるか分からん」


 ◇


 マスターと少年の住居はカフェの2階にある。

 いつも寝る前には裏通りに面した窓の木戸を閉めて施錠することになっている。今夜も少年はその木戸を閉めようとして、誰かが裏通りを走っていくのが見えた。ほかに人気のない中で彼だけが走っているのを奇妙に思って、彼は窓からよく確認した。

 街灯がぽつりぽつりと明るさを落としている道の上を走る謎の人物。その顔は一瞬しか見えなかったが、旅の男が探していた例の人物のように見えた。

 翌朝に少年は旅の男を探し、教会の前を歩いているのを見つけた。少年が昨日見た裏通りの男のことを伝えると、旅の男はその場所を案内するようお願いした。

 少年は自宅の前の裏通りを案内した。ここからこちらに向かって走って行ったと解説した。解説しているうちに、カフェのマスターがこちらの様子に気が付いたようだった。

「おーい、何かあったのか」

 マスターは軽く声をかけた直後、顔色を変えた。自分の甥っ子と一緒に居る屈強な男が只者ではないことに気が付いたからだ。

「おじさん、この人が人を探しているみたいでね、」

 少年が事情を説明しようとしたところ、マスターは何も言わず、少年を抱きかかえるようにしてカフェの中へ引きずり込んだ。少年はその意味が分からなかった。

「おいお前! あの男に近づくな!」

 マスターは恐ろしい形相で少年に言った。

「あの人はいい人だよ。チャトラが困っているところを助けてくれたんだよ」

「そうだとしても近づくな」

「どうして。ただの旅の人だよ」

「あれは危険なんだ。言ってみれば殺し屋みたいなもんだ。何があっても近づいちゃいかん。例のお尋ね者の話があるだろう。あれと同じくらい恐ろしい存在だよ」

 少年はいまいち言っていることが理解できなかった。

 気が付くと、旅の男は店先から消えていた。

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