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離島野草雑記  作者: sanpo
5/6

◆5




 夏波(かな)ちゃんから葉書(!)が届いたのは半年後の、十二月も半ばを過ぎた頃だった。


   《  ……漸く決心がついて納骨を済ませました。

      よろしかったら、ぜひ兄の墓を訪ねてほしいのですが  》


 あの華奢な指に似合った優しげな文字でそう書かれていた。

 勿論、僕は行くことにした。

 島から戻ってからの僕は最低限生活を維持するためのバイトをする以外何もしていなかった。

 すぐ電話をして、翌日にはそっちへ着く旨、伝えた。



 冬の島は様相を一変していた。

 海は錆色で、どんよりとくすんだ空からは雪が灰のようにゆっくり、ゆっくりと舞い落てくる。

 予め連絡をしてあったので、夏波ちゃんは汽船の着く埠頭まで兄の遺品の四輪駆動車で迎えに来てくれていた。夏休みの間に免許を取ったのだそうだ。

 僕たちは〈月白荘〉に戻る前に豊秋の眠る寺へ行った。

 山の中の、その小さい寺の境内からも海が見えた。

「ずっと計画を練っていたの」

 言って、真新しい黒御影石の墓の前で夏波ちゃんはクスクス笑った。

 その悪戯っぽい目は兄とそっくりだった。

「納骨は冬まで待とうって。だってね、そうすれば宇人(たかと)さんに冬の島を見せられるでしょ」

 寺から帰る道で、夏波ちゃんは、僕が東京に戻ってすぐに我山信彦が警察に出頭して来たことを教えてくれた。

 その話は僕には初耳だった。

 信彦は豊秋が死んだ例の夜、二人で会ったことは認めたものの殺害については否認したという。

 六時頃に岬の遊歩道で落ち合って話をした後、八時前には別れた。朝になって豊秋の死を知り、自分が疑われるのが怖くなってつい逃げてしまった、と信彦は言ったらしい。

 僕は黙ったまま、ハンドルを握る夏波ちゃんの指を見つめていた。

 結局、豊秋と争ったり、突き落としたという決定的な証拠が見つからなかったため信彦はそれ以上留め置かれることなく放免されたそうだ。

「ゆっくりしていけるんでしょ、宇人さん?」

 と、夏波ちゃん。

「うん。もし、そっちでお邪魔じゃないのなら」

 と、僕。

「邪魔なもんですか。冬は観光客は全然いないわ」



 養父母の様子は夏に辞した時と似たり寄ったりだった。

 挨拶を済ますと夏波ちゃんは懐かしいあの離れに僕を案内してくれた。

 部屋は豊秋がいた頃と何も変わっていなかった。

 荷物を置き、廊下に出て坪庭を見た。

 低い火棘の影に小さな──五十センチ位の──地蔵がポツンと置いてあった。

 夏にはなかったっけ。

 地蔵の丸い頭と肩にも薄っすらと雪が降り積もっていた。

 周囲を取り巻く対馬暖流のせいで島は雪が少ない(・・・・・)と島の人たちは口を揃えて言う。

 だが、それはあくまでも県内のもっと凄い豪雪地帯と比べての話だ。

 雪に縁のない地域の人間にとって冬の島は雪にすっぽりと覆われているように思える。

 僕は何か履物はないかと捜したが見当たらなかったので、靴下を脱いで裸足で庭に降りた。

 足の裏で雪はピリピリした。

 でも構わずにそのまま地蔵の方へ歩いて行って、雪を払ってやった。

 舞い落ちて来る風情からは想像できないくらい裏日本の雪はじっとりと重く、地蔵の頭や肩は濡れてどす黒い染みになっていた。

「そんなことしてもムダよ」

 振り向くと、いつのまにか夏波ちゃんが廊下からこっちを見ていた。

 夏波ちゃんは笑って繰り返した。

「ムダよ。すぐにまた新しい雪が落ちて来て覆い隠してしまうから」

 夏波ちゃんはお茶の盆を置くと、僕が爪先立てている裸足の足に視線を向けたが、それ以上何も言わず部屋から出て行った。



 彼女が再びやって来たのは真夜中を過ぎてからだった。

 僕は眠れないまま布団の中で天井を見ていた。

 実は、日が沈んで暗くなってから周囲でずっと妙な音がしていた。その音が気になってしかたなかったのだが──布団に入って横になって気づいた。

(ああ、そうか? これが……)

 それは雪の降る音だったのだ。

 雪に音がない、と言うのは間違いだった。だから訂正しておく。

 雪には音があるんだ。何かが裂けるような……例えば細い骨が砕けるような……亀裂音がする。ほら?

 

 ピシッ……

 ピシッ……

 

 どのくらい雪の音に耳を澄ませて、それだけを聞いていただろう。

 その内に雪とは別の音がした。襖を開ける音──



「あなたは気づいてるだろうと思ってた」

 入ってくるなり夏波ちゃんは言った。

「うん」

「ねえ、いつ? いつからわかったの?」

「葬儀の次の日。東京に帰る途中。実は〈梨の木地蔵〉へ寄って……それで、そうかな、と」

 僕は布団から起き上がって、改めて少女と向かい合った。

 妙に懐かしい気がしたのは、彼女が浴衣を着ていて、それが夏、盆踊り会場で見たのと同じものだったせいだ。藍色の地に桔梗の柄……

 この時期、そんな薄物ではひどく寒いだろうに。

 実際、夏波ちゃんは震えていた。

「でも、それ以前に、ちょっと妙な気はしてた。だって、豊秋を見つけたのは僕だろ?

 直接死体を見たわけだから。正直言って事故にしては違和感があった。アレを使ったんだろ?」

 襖越しに、廊下のそのまた向こう、坪庭の方を僕は指差した。

 それで夏波ちゃんには通じると思ったし、現に通じた。

「うん」

 こっくりと少女は頷いた。

 夏波ちゃんは地蔵を使って豊秋を殴り殺したのだ。

 その後で、遊歩道から崖下へ転げ落とした。

 殴られた傷は斜面の岩がつけた傷と一緒くたになった。

 その上、盆踊りの踊り子として借り出されていたあの夜、夏波ちゃんは兄を撲殺した凶器をすぐには隠す必要がなかった。

 彼女は文字通り、夜通し凶器を身につけていたが、誰もそれを不思議には思わなかったのだ。

 何故なら──

 それがこの地域の(・・・・・・・・)盆踊りの(・・・・)伝統的なスタイル(・・・・・・・・)だったから。

 本間兄妹の育った島の南部から国仲(くになか)と呼ばれる一部地域には、石のお地蔵様を背負って夜通し踊り明かす特異な風習が伝わっている。

 時宗は一遍上人の〈踊念仏(おどりねんぶつ)〉に起源を生するとか。

 

 

 あの夜、地蔵を背負った少女の紅潮した美しい頬の色を僕は思い出した。

 篝火の炎と影の中、細い指がヒラヒラと乱れて、荒れて砕ける波を模していたっけ。

 今夜、僕の前にいる夏波ちゃんは凍えた真冬の冷気の中、自分の熱の火照りでやはり頬がバラ色だ。

「何故?」

 レッド・デッド・ネェテル。死者の赤。

 不吉な踊子草色の爪を噛んで、夏波ちゃんは訊いてきた。

「何故、警察に言わなかったの?」





 

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