◆4
豊秋の葬儀は通常より三日遅れて執り行われた。と言うのも──
地元の警察が彼の死に僅かながら事件性を嗅ぎ取ったせいだ。
単なる転落事故死ではないのではないか? と警察は疑ったようだ。
実は、豊秋が自宅を出て行った夜以降、幼馴染の漁師の我山信彦も行方知れずになっていることが判明した。
島の警察官は信彦の居所を懸命に捜したが、彼の所在は杳として掴めなかった。
(結局、僕が島に滞在している間、彼は見つからなかった。)
当然のことながら、死体の第一発見者である僕はあれこれ詳細を訊かれた。
勿論、見知っていることは全て話した。
例えば、豊秋の死の前日、彼と信彦が二人して岬で話し合っていたこと等々……
検死の結果、豊秋の直接の死因は頭部強打による頭蓋骨骨折とわかった。
高所よりの転落死と言うのは正しいのだろう。
島の唯一の斎場は山の中にあった。
そこはまた、最後の野生のニッポニアニッポンが生息していた場所だという。
「観光の予定を狂わせてしまってごめんなさい」
斎場から戻って、ささやかな膳が用意された〈月白荘〉の大広間で最初に夏波ちゃんが僕に言った言葉はそれだった。
夏波ちゃんは、取り乱すというよりは放心状態で葬儀の日までを過ごした。
豊秋の養父母に至ってはその落胆ぶりを表す言葉を僕は思いつけない。
元々、養父の方は老齢のため寝たきりの状態だったのだが、事故の報を受けて以来、養母も床についてしまった。それで、通夜も告別式も全て夏波ちゃんが喪主代行という形で取り仕切った。
少女はシンプルな黒の半袖のワンピースに身を包み、毅然として顎を上げて、立派にやり遂げた。
「親友を亡くして観光もへったくれもないさ」
僕は正直にそう言った。
「宇人さんが島にいてくれて本当に良かった。お葬式に出てくれて兄さんも喜んでいるでしょ?」
消息不明の──ひょっとして殺人者の──我山信彦について、僕と夏波ちゃんは一言も話題にしたりはしなかった。僕たち以外の、葬儀に出席した人たちと、それから、島中の殆どの人たちが彼について囁き合っていたにせよ。
広間のあちこちで交わされるこの信彦に対する疑心暗鬼の会話が完全に途切れたのは一度だけ。
我山家からの弔問客がやって来た時だった。
信彦の父、我山元は、かつては息子同様屈強な海の男だったに違いない。
しかし、数年前、脳梗塞を患ってからは一人では歩けなくなった。
父を支えていた娘は、ちょうど夏波ちゃんと同じくらいの年齢で、可哀想に周囲の視線が耐え難いのだろう、腕を掴んでいる父と一緒に彼女自身も震えていた。泣き腫らした目は真っ赤だった。
流石にこの時ばかりは夏波ちゃんも、焼香する父娘から目を逸らして隣に座っている僕の手をキュッと握った。
小さくてひんやりした手だった。
盆踊りの輪の中で幾千もの波を織り出していた手とは思えないほど。
「明日、帰るよ」
僕は小声で告げた。
「長いことお世話になったね? 夏波ちゃん」
次の日。
〈月白荘〉を辞して、本当は朝一番のフェリーに乗るつもりだったのだが、実際には僕はそうしなかった。
急に思い立って、〈梨の木地蔵〉へ寄って行くことにした。
思えば死の前日、豊秋が連れて行ってやると約束した処。
── あそこも変わっているぞ。吃驚すること間違いない。
それで、ぜひとも見たくなった。
順徳天皇を奉祀した御陵から続く峠の上にその小さな地蔵堂はあった。
豊秋の言ったのはこのことだったのか……!
僕は──勿論、吃驚した。
なんとそこは、何百、何千という石の地蔵で埋め尽くされていた。
それが尋常な数ではないのだ。
堂に入りきらず、びっしりと境内中溢れかえっている。
苔生した地面は言うに及ばず、なにせ地中にも埋まっている有様だ。その上にまた積み重ねてある。
大きさは、大きいもので1メートル。小さいのは10センチに満たないものもある。
皆、石のお地蔵様で、抱きかかえようと思えばできる大きさだった。
あまりの光景に圧倒されて突っ立っていると、犬の散歩中らしいおじさんが声をかけてきた。
「驚かれたでしょう? 凄い数ですからなぁ……」
駆けたがる柴犬のリードを引っ張りながらニコニコして言う。
「こんなにあるので、こっそり記念に持ち帰る観光客もいるんですよ、いやはや」
別に、僕にそれとなく釘を刺したわけではないだろうけど。
「でも、だとしたら──」
頭に浮かんだ疑問を僕は率直に口に出して訊いてみた。
「数が減っちゃうんじゃないですか?」
だが、とても減っているようには見えない。
意を得たり、とばかり男は微笑した。
「ご覧の通り、それが決して減りません。地蔵を持ち帰った皆さんは必ず返しに来られますからな。
と言うのも、どうしたことか、持ち帰った人は身に災いが降りかかるそうです。謝罪を込めて新しい地蔵を加えて行く人もいるほどで。また一方で、願をかけて持ち去る人もいる。そういう人は願いが叶ったらやはり返しに来ます。その際、お礼に別の新しい地蔵も置いて行く……
こういうわけで、ここの地蔵様は、万が一にも増えることはあっても減ることはないんですよ!」
これも? 忌み花と同じ類の、伝承の力だろうか?
一人きりになると僕は地面に膝をつけて改めてじっくりと地蔵たちを眺めた。
物言わぬ夥しい数のお地蔵様たち。
お互いの隙間から草が伸びている様は壮絶でさえあった。
かつて友は幾万の降る雪について同様の表現をしたが。
僕は納得した。音のない、静謐なものほど凄まじい。
頭上高く枝を伸ばした木々が、風が通り過ぎるたびに揺れて、不思議な模様を地蔵たちの上に描いている。まるで染みのようだ。
「!」
そして、突然、僕は全てを理解した。
ひょっとして?
そうだったのか?
立ち上がることができず、僕は長い間、石の地蔵たちの中に蹲っていた。
午後の船で僕は東京に帰った。