泣き疲れて
リオ君は教室を出て行ったきり授業が始まっても戻って来ませんでした。
冷える体を抱きしめながら、ぼんやりと黒板に踊る字を追う。
先生が一生懸命授業をしてくれているのに、頭にはなんのコトバも入ってはこなかった。
他の事で気持ちがいっぱいで…それどころではなかったから。
険悪な空気が流れたあの瞬間に私がとった行動は…たぶん間違っていたのでしょう。
サトちゃんとシュウちゃんと…そしてリオ君。
これ以上言い争って欲しくなくて…そしてやっぱりリオ君に、虐められてる事を知られたくなかったのです。だから…あんな見えすいた嘘をついたのですが…やっぱりなれない事をするものじゃないですね。
私のバレバレな発言に怒ったリオ君は授業をサボってどこかに行ってしまいました。
なれない嘘をついたから、こういう結果になるんでしょうか?
それともきちんと説明すればよかったのでしょうか?
でも何て?
リオ君の事を好きな人に机を捨てられました…なんて言えません。
そんな事いえません。彼を取り巻くあのキラキラの輪の中に…あんな事をする人がいるなんて思って欲しくないし、私だって思いたくありません。
あの机は…そうですね、ちょっと遠征してみたくなって小旅行といった感じであんな所まで出向いていったと…そんな風であって欲しい。
それが真実であって欲しい。
グルグルと少ない容量の頭で考えていたら、いつの間にか一時間目の授業が終わっていました。
ぼんやりとした動作で立ち上がり次の授業の支度をしようとしたら
「美晴…顔色悪い。大丈夫?」
いつの間にかシュウちゃんが目の前にいて心配そうな顔で私を見ていた。
「大丈夫ですよ?元気だけが取り柄ですから!」
私は無理矢理笑って拳を突き上げる。
「無理しないでいいから…美晴が辛いのわかってる。保健室いっておいで。服も着替えなきゃだし。ついでに少し休ませて貰いな」
シュウちゃんはニッコリ笑うと私を連れて保健室まで行ってくれた。
水でビショ濡れだった服は先生の頑張りである程度乾いていて、制服に着替えると何故か凄くホッとした。
「美晴、保健の先生には話しつけといたから。ベットで寝てちょっとゆっくりした方がいい」
「シュウちゃん…」
「結城の事気にしてる…よな。あいつ…本当にいつまでも子供のまんま。サトコと話して俺らからちゃんと伝えるから。美晴は気にしなくていい。顔色悪すぎ、とにかくゆっくり休んで」
シュウちゃんはそう言って私の頭をポンポンっと撫でると保健室から出て行った。
保健の先生にうながされ、ベットに入る。
パリパリしたシーツに保健室特有の香り。
静かな中に聞こえる微かな笑い声と、時計のチクタク刻む音。
少し重たい布団にくるまれ…ちょっと息がしづらいかもしれない。
寝たいのに…朝から少し活発に校舎を駆け回ったせいで体が疲れているのに…
体のSOSとは逆に頭はどんどん冴えていく。
そして考えてしまうのです。
リオ君の表情。冷たい声…言われた事。
『あっそ。もういいよ。言いたくないってわけだ。わかった了解。まぁ俺も聞きたくないし、お前に興味もないし。でも…だったらそんな“聞いて欲しい”って顔してるな』
興味も無いし…か。
そうですよね。あるわけないですよね?
最近少しだけリオ君とお話出来るようになったから…私、ちょっとだけ勘違いしてたのかもしれません。昔みたいに戻れるって。あの頃みたいにまた…お話出来るようになるって。
そんな期待が…あったから…
だからすがるような顔で彼を見つめたのかもしれない。
どうしても寝付けなくて、まだ休んでいて良いと言う先生を振り切って
私は保健室を後にした。
だけど…リオ君がいるかもしれない教室にはどうしても戻れなかった。
情けない話ですが…彼の顔を見るのが怖かったのです。
真面目が取り柄の私ではありますが、今日だけは…ごめんなさい!!
授業に真剣に取り組む先生方スミマセン!今日だけですので見逃してください!!
心の中で100回ほど呪文のように繰り返しながら、私はとある場所にむかう。
ずっと行って見たかった場所に行くために。
いつも人がいるあの場所――でも今は他の生徒は授業中。
静かに…ゆっくりと階段を上り、ドアを開けた。
サァァァアーっと気持ちいい風がドアから突き破るように入ってくる。
水たまりが少し残っていて太陽からの反射でキラキラと輝いていた。
ここは学校の屋上。
生徒は立ち入り禁止なんですが…実は鍵が壊れていて誰でも入れるのです。
高いフェンスに囲まれてもいますし…先生方も生徒が入っているの知っているみたいですが、見て見ぬ振りをしていてくれている…そんな場所です。
ぼんやりと立ち尽くしていると、ふわっと風が私の頬を撫でるように過ぎ去った。
朝の土砂降りが嘘のように、空は澄んだ水色でうっすらと白い雲がだだよっていて――
そんな凪いだ景色に私の固まった心が解かされていくようで。
気がついたら頬を涙が伝っていた。
なんでなのでしょう?
いつも私は鈍くさくて彼をイライラさせてしまいます。
本当はただ…昔みたいに笑っていて欲しかった。
いつもニコニコと私の隣にいてくれたリオ君。
我が儘もたくさん言われたけど、そんなことも全部許せてしまうほど
格好良くて…可愛くて…キラキラ輝いていた。
お星様みたいな彼に「美晴」って呼ばれるのが嬉しくて。
ずっと隣にいれたらいいなって思ってた。
でもそんなの無理だって…そうそうに気がついた。
私は『どんくさ美晴』で彼はキラキラ輝く「結城リオ」だった。
違う立場にいるって解ってた。
だから――なるべく彼に迷惑が掛からないようにって…そう思って行動していたつもりだったのに。
何かが間違えてたんですよね?
でも一体どうすれば“正解”だったのか解らない。
親が勝手に決めた婚約話。
秘密にするものだと思ってたのに――そうそうにバラしたのはリオ君だった。
私なんかとの話なんて広まって困るのはリオ君の方なのに。
わからない…わからない。
私はぐるぐる考える。
クラスが一緒になって…婚約話が広まったって
昔の様にパシリをさせられるのは変わらなかった。
でも…まるっきり昔と一緒だったのではなかった。
自販機の前での些細な会話。
あの少しの時間…彼はコトバを選ぶように
ゆっくりと私と話をしてくれた。
困った顔でコトバを紡ぎ、私が返事を返すと嬉しそうに笑ってくれた。
本当に…少しの時間だったけど…私にとって幸せな時間だった。
もっと時間があればいいのに。
もっと一緒にお話したいのに。
そう…思っていたんですが…もう無理ですよね?
私…本当に嫌われちゃったんですよね?
誰も居ない屋上で私は声を上げて一人で泣いた。
泣いて。
泣いて。泣いて。
泣き疲れて―――
気がついたら寝てしまっていた。