第四話 誓い
「よし、健児くん。突然で悪いが、ちょっとお仕事だ。キミに危険が及ばないよう、わたしがガードするから、これから行くところまでつきあってくれ。
場所は、この繁華街の裏通りだ。ちょっと、走るぞ」
黄泉は突然に走り出した。速い。陸上部のマユの走りを知っているが、あいつよりもスタートダッシュは相当に速かった。長い髪が風になびき、照明に反射しているのか、小さな光の玉が出ているように見えた。
俺も、走りにはかなりな自信があったが、大きく引き離されることはないも、小指の先程の差で追いつけ無かった。黄泉の走りは、まるでチーターのように速かった。
黄泉は、薄暗い裏通りの空き地の塀の壊れた場所から中へ入った。商店街の裏通りは再開発地域に指定されたものの、景気の冷え込みで、五年も放置されているのだ。今では、東京本土から放り出された、ホームレスや浮浪者が住み着き、すっかり、治安も良くない地域になっている場所だ。
「キミは、わたしの後ろにいろ」
黄泉は勇ましい声で指示をし、左のブレスレットを操作した。再びあのVOBなる仮想結界が現れた。目を凝らしてよく見ると、座標を得るためなのか、薄明るいグリット線が見えている。そして、黄泉が見つめるコンテナの積まれた一角には、紫や黒、緑、青といった配色のよくない眩い光を放つガスっぽい靄のようなものが渦巻いていた。もちろん、この場所へ来たとき、あのような物は見えなかった。
「キミ、見えるか。あれだ。あれが、我々が滅しようとするものだ」
「さっきお前がアレと言ってたやつなのか?」
「ああそうだとも。そして、あれが死神や死霊と呼ばれるものの正体なのさ。黄泉戻師の一族は、あれを『淀み』と呼んでいる。淀みは普通の人の肉眼では見えない。わたしたち黄泉戻師でもかすかに見え、感じることは出来るが、VOBを使うことで、より具現化し、被害を最小限に抑えられるんだ。特にこの一帯は、浮浪者やホームレス、不良のたまり場が居たるところにあるからな、奴らの格好の餌場なのさ。
ここ数ヶ月、この辺一帯で、変死体がたくさん出ただろう。確か、四、五ヶ月ほど前だ。全国区のニュースにもなっていたはずだ」
黄泉の言葉に気付く事があった。黄泉が言うように一月の半ばを過ぎたころに町の外れで、たくさんの浮浪者やホームレスが死亡しているのが目撃され、ニュースになっていた。取材のヘリコプターが飛び交い、テレビレポーターに警察、やじうまたちでひしめきあっていた。
俺がやじうまたちをかき分けて現場を見た頃には、遺体には白い布がかけられていたが、その晩のニュースでは、ざっと二十数人ほどだったと言っていた。年齢や性別はまちまちで、家出人や失踪者も含まれていたと記憶している。
ただし、彼らが発見された場所は、各所に点在していたから、まさか、ここがその病巣であることなど誰も知らないことだろう。
彼らは、日中に亡くなったということになるが、それではさっきの黄泉の話とはずいぶん食い違う部分がある。彼らは餓死、もしくは衰弱死はしたが、黄泉が言うマユが迎えるであろう死の末期の姿とはかけ離れすぎているのだ。
「なんだキミ。そのまゆつば話でも、聞き流してそうな顔は」
するどいやつだ。暗いのに目がいいな、いや、勘がするどいのかな。確かに、にわかに信じられないさ。そんな怪談めいた話。それに、淀みにとかに精気を吸われた人間は、体中の水分がなくなり、枯れ木のように痩せ細るという話だったと記憶する。
しかし彼らは、そこまでは無かった。もし、彼らがそんな亡くなり方をしていたら、この町は、いや、日本全国は大パニックになっていた筈だ。
「おい黄泉。ニュースで聞いただけだが、あの時の死体はミイラのように干からびてなどいなかったと思うぞ。目撃者も複数いたし、もしもそうなってたらもっと騒ぎになってた筈だ」
「まだ、今の段階でそれはない。奴らはその時期から、ここを餌場にしはじめただけさ。まだ、喰いはじめということさ。
それに今年の二月、三月は、何度か氷点下になる程、寒かっただろう。気温が高ければ死ぬことはないレベルまでしか生命エネルギーが吸われてなかったが、寒さで体力が落ちて、死んだというわけさ。
そして、温暖化の進んだ昨今の夏はどうだ。晴れの日は、連日、三十五度を超す猛暑になるよな。この町も、去年は三十八度を十回以上も記録しているそうじゃないか。
淀みに進入されると内面衰弱が先に進むから、猛暑や寒さで無理に活動すれば、末期を迎える前に死を迎えることもあるのさ。外見的には熱中症として片付けられてしまうがな。
ここ五十年間は、暖房や冷房設備のおかげで、それが次第にわかりにくくなっていたが、ここ数年から顕著になってきたんだ。おそらく、温暖化だろうと思われている異常気象の影響で、極端に発生しやすくなってきたのだ。
だが、マユはかなりの体力がある。体育会系で一見、無茶なタイプにも見えるが、無理をしない冷静な奴だ。だから、時期が訪れても、体が少々だるい程度にしか感じないだろう」
「だが、何で、そいつらがマユに取り憑いたことがわかったんだ」
「それはな、・・・」
突然、黄泉は目の前にいた何者かにはじき飛ばされた。俺よりは明らかに小柄で軽そうな黄泉の体は、軽々と俺の後ろに飛ばされた。それでも彼女は、猫のようにしなやかな回転をしながら、足でブレーキをかけながら踏ん張った。
「何だ!」
同時に俺も体に大きな衝撃をくらった。仮想結界が邪魔をして分からないが、何かがそこに居た。黄泉は体制を立て直す間に、ブレスレットに触ってしまったのだろう、仮想結界が突然に解除された。
俺の目の前に、突如として身長一九〇センチメートル以上はありそうな、三人のガラの悪そうな不良学生が現れた。制服からして、久遠東商業高校の学生と分かった。
いかにも頭の悪そうな連中だが、およそそれは人の生気が感じられなかった。もちろん、生きてはいる。だが、目がとろんとして、足元もふらついているのに、力はしっかり出ているので、化け物のように思えた。
だが、か弱くは無いが、無防備な女の子をいきなり吹っ飛ばすことなどは許されないことだ。
「黄泉、大丈夫か!」
黄泉はゲホッと、腹を押さえて、なかなか立ち上がれないでいた。
「わ、わたしは、大丈夫だ。そ、それより、健児、おまえは逃げろ!」
全然、大丈夫じゃないだろう。それに何だ、「逃げろ!」てーのは。聞こえないな。女の子を吹っ飛ばすような下郎に尻を見せて逃げる程、俺は落ちぶれちゃいないさ。さあ、来やがれ。
俺は渾身のパンチを目の前の男の顔面に入れた。男はガードもせずにもろに俺の拳を顔で受けたが、「痛い!」とさえ、叫ばなかった。手応えはあった。奴は口の中を切り、頬を赤く腫らして、鼻血を流していた。
「手応えあり!」と油断したのがいけなかった。俺は、無防備の腹に強烈な蹴りを見舞われ、体をくの字に曲がり、黄泉のところまで吹っ飛んだ。顔面をしこたま殴られたのに瞬時に蹴りがくりだせるなんて、いったいどうなっているんだ。
「馬鹿、逃げろと言っただろう。あいつらは今、普通じゃないんだ。痛みなんか感じないのさ」
黄泉はまだ腹を押さえて、動けない様子だった。
「無茶言うなよ。おまえみたいにカワイイ女の子を置いて、大の男が逃げられますかよ」
「キミ、今、わたしを惚れさせてどうするんだ。それにその発言じゃ、死亡フラグ立ってるぞ」
「死亡フラグ?俺死ぬのか?」
「ものの例えだ。でも、キミ、思った以上にいい奴だな。ちょっと惚れたよ」
黄泉のウィンクに、どきりとした。そういうことやっている状況じゃないのに。
「なあ、黄泉。あいつら、どうなっちまってるんだ」
「奴らは淀みにやられたのさ。淀みが私たちの殺気をよんで、近くでたむろしていた不良をけしかけたのさ。淀みを倒そうとするわたしたちからは、ある種の電磁波のような気のエネルギーが放出されているんだそうだ。うちの技術班はそう言ってた。
自分たちを消そうとしている存在として認識している彼らは、物理的攻撃をわたしたちに加えたということさ」
「おまえ、さっき、”応援を待機させろ”とか言ってなかったか? どうして、そいつらは来ないんだ」
「いや、彼らはこの近辺いる。ただ、この程度じゃ、出てはくれないさ。この程度で、助けを呼ぶようなら、わたしはもうお役御免だよ」
そう言うと、黄泉は立ち上がり、肩にからっていた長いものに手をかけた。ワンタッチという言葉が、すんなりと、あてはまりそうなほどに、長めの袋はほどけ、中から金属の竹刀というか、刀のようなものが現れた。アルミニューム合金の一種なのだろうか、とても刃物には見えなかった。
なぜかと言えば、それには刃がついていなかったからだ。柄の先端と、身の先端には渦巻きのような回転羽のような筋彫りがあり、なんとも奇妙な金属の棒身だった。俺は、便宜的に黄泉刀と呼ぶことにした。
「これからわたしが行うことを、よく、覚えておけ。淀みは活動していない動物の肉体には長く留まれない性質を持っているんだ。細かい理由はよく知らんが、そうなっている。
まずは、奴らの動きを止め、”アレ”を集結させて、散らせてやる」
再び、黄泉は左手首のブレスレットを操作して、VOBを作動させた。今度は、人の姿も見えるようになっていた。黄泉は呼吸を整えて、ゆっくりと立ち上がった。彼女の体からはすさまじい闘気が出ているように見えた。
再び、初対面の時に感じた悪寒のようなものを覚えた。黄泉の目は赤黒く光り、髪の毛は風も無いのにふわりと浮いて、肌は透けるように真っ白に変わっていた。
しかし、いったいどうするというのだろうか、黄泉の身長はせいぜい、一七〇センチメートル程度。女子としては背が高いが、不良連中は全員一九〇センチメートル以上もある長身だ。大人と子供というよりも、鬼と一寸法師と言った方が正しいと思えるほどの体格差があるように見えた。
しかし、黄泉は猛ダッシュで、彼らの懐に入り混むと、正面の男の顎に黄泉刀の柄をたたきつけた。男は強烈なアッパーカットを食らい、おそらく脳震盪でも起こしたのだろう、受け身もできないまま地面に崩れた。
残りの二人にも容赦なかった。右と左の男のつま先を交互に踏みつけ、屈んだところを、クビの後ろに手刀を入れて交互に倒してしまった。倒れた三人の男の口からは、まるでエクトプラズムのようなものが漏れ出し、コンテナ群の一角に淀んでいる空気の層に吸い寄せられていった。
だが、コンテナは四段くらい重ねられていて、どす黒い淀みは積み上がったコンテナの三段目と、四段目の中間くらいにあった。その高さはざっと見ても八メートルは下らなかった。
さて、どうみてもガス体でしかない淀みを、あの刀のようなものでどうするというのだろうか?
黄泉は、目を閉じて気を集中させているように見えた。そして、ゆっくりと目を開くと、瞬時に駆け出し、左右のコンテナの壁を蹴りながら器用に上まで登り、黄泉刀を渦の中心に向けて突き上げた。
すると淀みの渦は黄泉刀の中心から遠心力を得たかのように回転し、その中心に引き込まれながら吸い寄せられると、柄の下側から白い気体となって吸い込まれた時とは、逆回転して放出されたかのように見えた。浄化、まさにそのように見えた瞬間だった。
黄泉はふわりとコンテナから降りると、再び呼吸を整えて、黄泉刀をその肩に納めた。姿は既にもとの少女のなりにもどっていた。仮想結界も解除され、周囲はまるで何事も無かったかのように静まりかえっていた。
間もなく、応援部隊とおぼしき男達が入ってきて、気絶している三人を運び出して行った。隊長らしき男は黄泉に近づくと、軍隊敬礼をして、何かを話していた。そして、再び敬礼をして去っていった。間もなく、壁の向こう側で数台のトラクターが移動する音がした。
俺は黄泉に手を差し伸べ、握手をした。
「なんか色々複雑で、不安なんだが。なんとなく、黄泉の話は分かったよ、俺はおまえに協力するよ。そして、マユを助けてくれ、いや、伴に助けよう!」
「ありがとう、健児くん。そう言ってもらえると思ったよ。伴に頑張ろうな」
俺は黄泉の小さな手をしっかりんと握った。女の子の手をいきなり握るなんて、えっちな奴だと思う奴もいるが、これは素直な気持ちだ。彼女は、アスリートのような雰囲気があったし、お互いに手を差し伸べあって握ったのだ。
彼女の手は剣道をやる者特有の大きさはあるが、女の子らしく肌がしっとりとして、生柔らかくて、足と足の付け根がほのかに熱くなるのを覚えた。
俺らは散らばったカバンを拾い上げ、衣服を正して表通りに戻った。
「今日は、このあとどうするんだ」
「どうするかだって? 家に帰るけど。それがどうかしたのか?」
「公務員だからあまり贅沢では無いにしても、駅前のビジネスホテルとかに泊まっているのか?
それとも、商店街の先に女子寮があったよなあ。もしかして、あそこか?」
「いいや、知り合いの家で普通の民家だ。ホームステイというやつさ。公金の無駄遣いはいかんからな」
「俺の家は、この繁華街を抜けて橋を渡った先で、ここから五分もかからないんだが、なんならその家まで送っていくけど、どこなんだ? おまえが住んでいる家っていうのは? ここから近いのか?」
「ああ、近いな、キミん家からさして遠くはないな。でも、気を使ってくれてうれしいぞ」
黄泉は再びウインクをした。ちょっとぐっときた。
「そっか。じゃあ、また明日な。どこで会えばいいのかだけ教えてくれないかな?」
「大丈夫だ。わたしの方からおまえに会いに来るから。心配するな」
ばいばいと手を振る黄泉。
「じゃあ、また明日な」と、俺は黄泉に別れを告げ、駆け足で家え帰ろうとした。すると、「健児くん!」と、鼻歌を歌いながら歩き出した俺を引き止めた。
「赤とんぼは、死者の魂というか亡霊が変化したものと言い伝えはあるが、それは地獄の釜が開く日のお盆の時期の話なんだよ。
これから黄泉の国へ旅立つ人の魂が乗ってるわけじゃなんだ。もっとも、黄泉の国なんてのは、迷信なんだけどね。少しは知恵をつけた方がいいよ。わたしの使いっぱならば、少しでも賢くなろうと努力してくれたまえ」
そう言って彼女は、優等生的なすがすがしい笑顔をして一礼し、すたすたと歩き去っていく。せっかくのいい雰囲気をすっかり、台無しにされた俺。払拭するために、駆け足で、家路についた。
うちの家は久遠舞町でも人気の大衆食堂だ。店の名前は、”おふくろの味”という。物心ついた頃から、爺ちゃんの男手ひとつで育てられた父ちゃんが、受け継げなかった母の味を大事にしようということで名付けたそうだ。父ちゃんは最初は海上自衛官だったんだが、急に転職しちまったらしい。今は食堂のオヤジだが、柔道や空手の有段者でもあり、道場経営もしている。そして、爺ちゃんの剣道場も隣接している。でも、まさか、爺ちゃんが黄泉に剣道の指導をしてたとは驚きだった。まったく、世間はせまい。
俺はすっかり帰宅が遅くなっていることも忘れて、玄関を開けた。そして、「ただいま」と言う前に正面から一撃を見舞われた。
「こらあ、健児おまえはいつまでほっつき歩いとるんだ」
爺ちゃんの声だった。たぶん、一撃と一緒に怒鳴り付けたんだろうが、爺ちゃんの一撃は音速を超えているから、一撃食らってから声が聞こえるんだ。
「今日は部活が休みじゃから、早う帰って、道場の掃除ばせいと言っておっただろうが!
お隣のマユちゃんに聞いたら、おまえは学校終わったらとっとと帰ったいうじゃないか。今の今までなんばしとったとかおまえは!」
爺ちゃんの一撃で、目の前に火花が散り、ふらっといているところに、身のすくむ怒鳴り声を聞いて俺は思い出した。俺が早くに学校を出た理由、そして、黄泉に捕まり、土手に行って変な薬をかがされ、意識がもうろうとしていったことが一気に頭をかすめたのだ。
「おおおおお、そうだったよ。何で今、思い出してるんだ俺。えーーー」
記憶喪失者は、ちょっとした何かのきっかけで、失った記憶を取り戻すことがあるというが、まさにこの時の俺がそういう状態だった。ものすごい早さで記憶が頭の中に連続映像として流れ込んで来た俺は、大声を上げずにはいられなかった。
「こんな夜中に何を大声で騒いどんだ、おまえは、ご近所に迷惑だろうが!」
再び爺ちゃんの渇が飛んで来た。今度は真に入ったもんで、俺は玄関に崩れ落ち、そのままへばりつく俺は、背中にはつらつとしたうら若い女子の声と、小さな両足が乗る重みを感じた。
「たっだいまー、ショウちゃん」
聞き覚えのある声だった。ただ、俺の知っているその声の主はもっと妙なしゃべり口調なのに、その声は天真爛漫さに満ちあふれていた。
「おお、お帰り。黄泉ちゃん、今日はスキヤキじゃけん、早う上がって食べなさい」
「はーい」
「なにー、黄泉ちゃんだと!」
見上げる俺の視界には、あの薄ピンク色で細かな刺繍の入った勝負下着をはいた黄泉が、ポニーテールの元気少女と化して俺の背中に乗っていた。
「あらためまして、こんばんわ、木村健児くん!」
目の前に天使が舞い降りた。




