第四十話 洗礼
『キミは、九月からこの地区で黄泉戻師の修行することになってるの。防衛省の仕事としては転勤かな。でも、左遷じゃないわよ。これは栄転よ。
それと学校も転校することになってるわ。さっき健児くんと話しをしていたチカとカメが通ってる西新宿区都立球磨野高校にね』
まさに驚天動地とはこのことだ。この俺が転校!
聞いてねーよ。夏の都大会、プールに海水浴、川釣キャンプ、合宿、秋の体育祭、芋煮会、冬の修学旅行、他にもいっぱいイベント盛りだくさんなのによう。
せっかく澪も鈴葉も紗季姉も一緒になれたのに、俺ひとり見知らぬ土地へ転校って、どういう嫌がらせだよ。
辰巳さん、親父なんで教えてくれねーんだよ。小夜の登場から、サプライズしすぎだろうが。
「健児くん。諦めなさい。支部長と元支部長、そして十六夜は、どうにか乗り切れる奴には基本無説明なの。彼らは、ひとの成長を見て楽しむ癖があるから。
でもね、それって返して言えば、期待されてるってことだよ。キミは結構お【バカ】なところもあるけど、一途で、他人思いで、ここぞという時にはとてつもない能力を発揮する。それはみんなが認めてるの。だからこそ、キミは大事に育てられたのよ。
幼少時の事件、裕次郎さんが人間結界にならざるを得なくなった淀みの猛増殖で、キミが大暴走しそうになったことも踏まえてのね」
「そうそう、決まったものはしょうがない。しょうがない。
むしろ、自ら進んで楽しまなきゃ。それにケンちゃんはラッキーだよ。なんたってこのあたしと同居できちゃうんだから。あんな白鳥のぶすのことなんか、このあたしが忘れさせてあげるわ。
何だったら、婿養子に来ない。ケンちゃんだったら、お父さんすぐにでも家督を譲っちゃうかもよ」
いつの間にか、チカは俺の左腕にまとわりついている。くそー、匂いも感触も良すぎて、なぜか拒絶できねえ。
しかし、にやけた気分もつかの間、急に左腕がガチりと固まるのを感じた。腕はまったく動かせない。まるで鋼鉄の腕輪でもつけられたような感覚だ。しかし、左腕はチカが、か細い手を絡めているだけだ。これは錯覚なのか。
いや、錯覚じゃない。チカが腕を絡めている周囲から薄っすらと気のエネルギーが円錐螺旋を描いているのが見える。これは黄泉戻師の力。これはチカの能力なのだ。左腕だけでなく、体も徐々に固く動かしにくくなっている。
「は、あんた咲に次ぐ黄泉戻師の実力者と聞いていたが、大したことねーな。チカの螺旋導の力に取り込まれるようじゃ。
そんな程度で、俺達のリーダーを張れるのかよ」
何、俺がリーダーだあ。いったい何のことだ。
「ケンちゃん。頑張って欲しいなあ。この状況を振り切れないなら、チカの処女はあげられないよ」
「なにー、おいチカ。こんなダサいカントリーボーイに処女を捧げるつもりなのか」
「ああ、もう、カメはうっさいなあ。誰に捧げようとあたしの勝手でしょ」
「チカ、おまえまだ処女なんか持ってたのか?」
「ケンちゃんとは初めてなら、ケンちゃんに対しては処女なのよ」
「はは、それはいい考えだ。俺とのことを後悔してるのかと思ったぞ」
「ノンノン、キミはあたしの人生においては路傍の石、いえ石棒で単なる通過点だよ。ゴミ」
「だから、ゴミはやめろと言ってるだろうが。俺の名は五味だ。まあいいか。
さて、チカの処女をいただくには、この状況をくぐり抜けたらって話だがな。どうしたサラブレッドさん、もう降参なのかな」
くそ、全く体が動かねえ。合気道のように体制崩されたわけでもないのに体が完全にロックされている。か細い女の子が腕が絡まっているだけなのに。これは力づくで外すしかないか。
「おい木村くん。力づくで外そうとかしてないか。そんなことしてみろ、今かかっている力の均衡が崩れてチカが大怪我するぞ。
忘れたのか、俺達の仕事は秘密裏に、被害を最小限にするだったよなあ。お前さんが飛び地の田舎の山奥で倒した暴走イノシシの処理は山奥ならではのものだ。都会であれをやるのはアウトだと知りな。
もちろん、チカにすり傷のひとつでも負わせてみやがれ、俺がいや関東一円の黄泉戻師がお前を袋叩きにするからな」
くそー、赤毛のゴミ野郎。憎たらしいもの言いをしやがる。いかん、腕が痺れて来やがった。なんだよこの娘、さっきまでさんざん人を誘惑しておいて、全くひでえ仕打ちだな。
「木村、チカが緩めてくれると思っているなら、それは無いと思え。お前がそれを解除できなきゃな、チカはお前の腕をへし折るぜ」
何だと、どん亀。マジかよ。顔はさっきから二ヘラ笑いじゃねーか。そうだ鈴葉は、鈴葉はどうしたんだ。
「大丈夫よ。鈴葉ちゃんなら仮眠室でお休みしてもらってるわ。私は増幅師だから、眠らせるのは簡単よ。
それにあの子、支部長の妹だけあって、底力は未知数だし、普通に暴れるだけでも脅威だからね。邪魔されちゃ困るし、第一私が彼女に悪人視されるのは嫌ですもの。
さあ、どうするの健児くん。もうそんなに時間は無いわよ。腕が折れたら、澪のヒーリングでも骨を早めにつなぐまでがせいぜいよ。剣道の都大会は出れなくなっちゃうわね。
部員はキミみたいにサボりもせず、毎日練習してたのにキミのバカで出場断然か、出場しても個人戦はおろか団体戦で優勝も無理よね。知ってるわよ。健児くんって後輩からの信頼厚いんだってね。健児くんがアドバイスしたり応援するだけでみんな能力以上の力を発揮すると言うじゃない」
くそー、急に美香が醜悪なクソババアに見えて来るぜ。それにしても、なんだこいつらの嫌味な態度は。
「あ、健児くん。今、私のことクソババアとか思ったでしょう。ダメだよ、気持ちを顔にだしちゃ。ああーあ、今ので美香ひどく傷ついちゃったなあ。
チカ、もう折っちゃてもいいわよ。あとは煮るなり、焼くなり適当にやっちゃいなさい」
何、適当にやれってか、マジかよ。新メンバーでのキックオフの話はどこに行ったんだよ。これじゃあ、俺のリンチじゃねーか。
「ケンちゃん、美香さんにクソババアは無いわよ。前に十六夜さんにも言ったでしょ」
十六夜って、黄泉、小夜のことなのか、十六夜咲夜があいつの本名なのか。全く聞き覚えが無いな。
「全く、ケンちゃんの一言のおかげでこの支部の非常食が半分に減ったのよ。例え、本当のことでも縦社会で言うのはタブーよ。
あの時何もなかったから良かったけど、何かあったらここはね、強力な淀みを迎え討つ砦の役割もあるのよ。そんな時、食糧も無しじゃ満足に籠城できないでしょ。
とにかく、ただでさえ目の小じわ程度で健康食品やお肌の保湿に力いれまくるんだから。年上のオバさんへの言葉使いは、若い娘以上に気をつけてよね」
あいつ腹いせにこんな所でやけ食いしてやがったのか。酒があれだから、飯もきっとうめえんだろうな。それにしてもチカの締め付けはかなり強くなって来てやがる。これでは本当に左腕の骨が折れてしまう。なんとかしなければ。でも、どうしたらいいんだ。
焦るな、小夜とのトレーニングと澪の増幅効果を思い出せ。体の中のエネルギーを感じ取るんだ。
俺はとにかく意識を集中させることにした。すると、俺の頭の中で初めて衝撃波を撃った時や淀みに支配されたマユと対峙した時に体が感じた感覚をイメージとして思い起こしていることに気づいた。
俺は呼吸を止めた。そして、体の内側から螺旋のエネルギーを逆転させるようにイメージした。するとイメージは頭の中でより具消化されてくる。ついに青白く光る霧のような螺旋状の渦が回転し始めるのを感じた。回転はより激しくなり、その渦は、チカに掴まれている左手へと移動する。
俺の青白い螺旋の波動がじわじわとチカの波動をかき消していく。一瞬に消しては大変だ。強烈な反動でチカの腕が複雑骨折を起こしてしまうからな。ゆっくり、ゆっくり、チカが締め付けている螺旋の縛りを解くんだ。
チカは自分の力が解かれているのをようやく自覚したようだ。困惑している。チカは螺旋力を高めようとするが強化するそばから俺が解いて行くので次第に体制を維持しにくくなりつつあった。
そして、二、三分程して、力は完全に解けてしまった。解き終わるときは少しだけ反動をつけてやると、チカは「きゃ」と小さく叫びよろけて床に尻餅をついた。パンもろが拝めつい嬉しくなる俺。やっぱチカはいかす女の子には違いなかった。
だが、俺は同時に他の連中もバランスを崩して床に尻餅をつく光景を見て唖然とした。なんと場の全員がチカに力を送っていたのだ。
美香もややパンちらし、大人のフェロモン漂うエロスに俺のムスコは激しく反応を覚えてしまった。
「凄いよ、ケンちゃん」
チカは胸の谷間に俺の腕を挟んで上下動する。
何だあ、今度はすげー、生気持ちいいぞ。ムスコがはちきれそうだ。
「やっぱり、君は凄いね。咲夜が見込んだ程はあるわね」
美香はゆっくりと起き上がり、俺を称え、拍手をしてくれた。カメもゴミもチカも、そして、いつの間にか現れた姉貴と数名の若者たちが、俺を囲んで拍手を送っている。
「流石だ。チカの、いや西園寺の使い手が得意とする螺旋陣の最大陣形を崩す奴が出るとは驚きだ。しかもノーダメージとは恐れ入る。咲が見込んだのは偽りではないようだ。お前は凄え逸材なのかもしれんな」
赤毛のゴミは、態度を改め俺を称えてくれている。
「悔しいが、あんたは俺達のリーダーに相応しいのかもな、期待してるぞ。でも、いい加減、俺を思い出してくれよな」
「カメ、・・・・」
「俺はカメじゃねえ、鬼の頭と書いて、《おにがしら》で、名前が龍と書いて《りょう》と読むんだ。俺は去年の都大会、個人戦の最初の相手だよ」
鬼の頭で、龍だって、・・・、俺は何かが思い当たった。確かに昨年の剣道の都大会で、血気盛んな奴が試合前から、俺らのところへ来て息巻いていた。そして、場内アナウンスで奴が呼ばれ、会場がどっとわいたっけ?
「おお、きとうたつ君、キミだったのか!」
「お前、それは禁句だ。嫌なこと思い出させるな。それはチカが勝手にふりがなつけやがたんだ」
「だって、イタズラで書いてた方の紙をマネージャーの子が持っていっちゃうんだもの、あれは不可抗力だよカメ」
「あゝ、鬼頭で《きとう》、亀頭。それでカメなんだな。納得した」
「納得すんな。せめて、オニと呼んでくれ」
「あたしはヤダ、第一カメの方が絶対カワイイし、呼びやすいじゃん。オニなんて、イカツそうで絶対嫌がられるよ。ケンちゃんもカメの方がいいよね」
「まあ、ここは次期リーダーに決めてもらえばいいんじゃねーか。俺は清十郎でいいぜ。あんたはリーダーだからリーダーと呼ぶぜ」
「あたしはさっきも言ったけどチカでいいよ。プライベートではケンちゃんって呼ぶね」
「あたしは副支部長か、美香さんでいいわよ。表の職業は心療内科医だけどね。ゴミ、いえ清十郎は都立大の大学二年生よ。専攻は応用化学だったかしら。で、チカとカメが都立高校の二年で、健児くんと同級生よ」
「美香さん、チカ、清十郎、カメ。よろしくな」
俺は右手の甲を差し出し、皆にそれを重ねるよう合図した。美香さん、チカ、清十郎が「よろしく」と言いながら順に手を重ねる。カメもしぶしぶ「よろしく」と言い手の甲を重ねてくれた。
「健児、自己紹介は無事済んだようだな」
おお、この声は我が姉貴。そういえば、さっき部屋に入って来るのを見たっけ。
「姉ちゃ・・・・」
「支部長と呼べ、馬鹿者」
言葉を全部言い切る前に、我が姉、木村愛女の真空飛び膝蹴りが、電光石火の早業で俺の顔面にヒットし、俺は頭の中を真っ白にされた。
遠のく意識の中で「スマン、つい」の姉ちゃんの言葉が聞こえた。
■用語解説
【真空飛び膝蹴り】
正確には『真空とび膝蹴り』と書く。
キックの鬼と呼ばれた往年のキックボクサー、沢村忠が得意とした必殺技で、ジャンプしながら対戦相手の顔面や側頭部に膝蹴りを食らわす。トドメの一発的なKO技。




