第二話 使いっぱ
《聞け、木村健児よ! この町は死に覆われている。おまえはわたしの使い魔となって、わたしと伴にこの災い種を滅ぼすのだ!》
黄泉の言葉は何度も俺の頭の中に響いた。特に“使い魔”という言葉にひかかった。使い魔といえば、魔法使いだよな。あいつ、黄泉は魔法使いのようなものなのか?
それとも呪術の系統なんだろうか。呪術師は、詠唱を行うとき、無防備になるというからな。詠唱は数分から数時間の時間を必要とするものもあるらしいからな。呪術師は、詠唱無しにはどんな強力な魔力も引き出すことは出来ない。とか、魔術研究部の奴が去年の文化祭で切々と語ってたなあ。部屋は魔法少女もののポスター張り巡らせ、アニメの魔法少女のフィギア並べてさ。
なるほどな。でも、使い魔って、人の場合もあったのか、そういう話の小説があったようにも思うな。じゃあ、あるんだろう。よし、いいぞ。
それで、都内、いや、全国の高校生(男子の部)でも一、二を争う、剣道二段のこの木村健児様に白羽の矢が立ったと言うことなのか。まあ、爺ちゃんは警察官だったし、県警の全国大会でも何度か優勝してるしなあ。その手ほどきを受けた俺様を日本政府の秘密機関はマークしてたということか。
いやー、まいったなー。マユには勝てねーけど、俺も結構強いんだぜ。ああ、やってやるさ。それでマユを助けられるなら本望さ。さあ、何でも命じてくれ黄泉様、いや姉御。
「おい、健児くん。いったい何をほくそえんでいるんだい。ちょっとキミに頼みたいことがあるんだが」
おっと、早速、来なすったな。なんだ、これから秘密組織の施設に行ってトレーニングか、いいぜ、体力には自信があんだよ。
「それとこれから名前を呼ぶ意外では、”キミ”と呼んであげるよ。そっちの方が、親しみやすいだろう。
なんたって、今日からキミとわたしは良きパートナーなんだからな。わたしのことはなあ、黄泉でいいよ。姉御の方が好みなんだが、キミは一応、男子だし。これからのことを考えるとそう呼ばせた方が無難だと思うんだ」
ああ、いいぜ、かまわないぜ。黄泉、早く言ってくれよ、それで俺はいったい何をすればいいんだい。
「土手の向こうの甘味屋でたい焼き四個と牛乳を買ってきてくれ。牛乳は特濃がいいなあ。あ、金はそっち持ちな」
よし、ガッテンだ。甘味屋でたい焼き四個と特濃牛乳だな、っと・・・
「な、何だって!」
俺は、自分の耳を疑った。甘味屋でたい焼き四個と特濃牛乳を買って来いと聞こえたからだ。しかも、それを何の疑いもなく復唱しているのだ。
「どうした健児くん、早く行って来いよ。あたしは能力使って糖分の補給が必要なんだよ」
「ちょっと待てよ。黄泉!」
「ああ、そうだったな」
黄泉は左手の袖をまくり、はめている金属製のブレスレットの何カ所かを押した。
すると、俺たちの周囲を囲んでいた得たいの知れない紫や青や赤などドス黒い煙のような気体がなくなり、いつもの土手に戻った。もちろん、帰宅中のサラリーマンや部活から帰宅している学生もいた。
「これはな、所謂、結界のようなものだ。正式には難しい名前があるんだが我々は単純に仮想結界”Virtualization Barrier”、VOB呼んでいる。我々の組織はこの町の至る所に、こいつを発生させられる装置を設置しているんだ。わたしのような能力者がそういった場所で、装置を作動させると、周囲の人々に知られることなく仕事ができると言うことさ。
下校中のキミを拉致って、薬を使い、少々残酷な夢を見せたことは大目に見てくれ。キミに協力を依頼する上で、この悪夢は、どうしても知っておいてもらいたいことだったんでな。更に精神隔離モードを使えば、僅かな時間で思考を巡らせる事が可能になる。いったん、我々が敵対するものとの事が起きると、時間との勝負になる。自然界で最弱の霊長類であり、本能で行動ができない我々、人はどうしても、時間の制約を受けてしまう。こういう時に、生体であるが故のハンデとなる時間制約を解除して、精神レベルでの知能活動を優先し、より効果的な作戦を立案する為に開発されたものなのだ。
さっき、キミはわたしに拉致られてから、薬をかがされ、このモードに移行した。時間は二時間弱だったが、キミはその間、約三ヶ月もの時間旅を経験し、早瀬真由美の葬式の後で、この土手の芝生の上で寝そべるに至ったのだ」
彼女は顔を近づけ、俺の眉間をひとさし指でツンと突いた。
「この記憶は、今、偽物として、キミの頭に認識されたが、同時に今後の行動をとるときに敵の動きを予測するなどの情報として役立たせることができるのだ。細かい話を切々と説いて理解させるよりも何十倍も効果的なんだな。
ちなみに、キミが『くそー』と連呼して落ち込んでいた時までが、精神隔離モード状態だったのさ。そしてキミが立ち上がりながら、わたしのパンツをガン見してた以降からは、精神隔離モードを解除してたというわけだよ、精神隔離モードじゃわかり難いから、便宜的に幽体離脱モードと言ってるけどね」
またこれだよ。黄泉は得意げに話すのはいいが、常にマイペースだ、ちっとも俺の疑問とはあさっての方向を見てしゃべってくる。結界のしくみは分かったよ。でも、おまえ、その前にとんでもないこと口走っただろう。俺は、黄泉を凝視した。
「おい、健児くん、変な顔してないで、早くしてくれないか。甘味屋のたい焼き屋は七時には閉まってしまうんだ。もう六時をまわっているから、早くしないと最後の焼きが終わってしまう。
わたしは、熱々のたい焼きが欲しいんだ。あそこのたい焼きはなあ、絹の衣を着ているんだよ。他の店は、柔道着着てるだろう。
絹だよ絹。この上ない薄皮だぞ。しかも、あんこは北海道産のあずきで、黒糖による上品でほど良い甘さがあってなあ。これが、特濃牛乳と交互に食べるとサイコーなんだよ。この町に来てから、わたしの一番のお気に入りなのさ」
なんでこいつは甘味屋のたい焼きにそこまで詳しいんだよ。俺は怒りを通り越してしまいそうだったが、食い下がることにした。
「ちょっと、黄泉。俺はおまえの使い魔じゃないのかよ! 死神と戦う為にトレーニングとかあるんじゃないのか?」
「使い魔? トレーニング? 何だそれ?」
「おまえがさっき俺に言ったんじゃないか。『聞け、木村健児よ!この町は死に覆われている。おまえはわたしの使い魔となって、わたしと伴にこの災い種を滅ぼすのだ!』ってな」
すると、黄泉は左の頬に手をあて、不抜けた顔をした。さらには、首をかしげた。
「覚えてないのかよ! 人の記憶力はどうだとか言いやがったくせに!」
三十秒ほどして、彼女は左の手の平を右手の握り拳でたたいて、「あっ!」と言い、右手の握り拳を口元にあてて、こほんと息を整えた。
「すまない、健児くん。わたしはとんでもない言い間違いをしていたよ。さっきの言葉は取り消してくれたまえ。言い直すから、今度はしっかり聞いてくれよ」
再び黄泉は、右手を伸ばし、人差し指を俺の鼻先につきつけた。今度は目を赤くしなかった。
「聞け、木村健児よ! この町は死に覆われている。おまえはわたしの”使いっぱ”となって、わたしと伴にこの災い種を滅ぼすのだ!」
「は、はい――?」
“使い魔”じゃなく、“使いっぱ”だと言い換えやがった。
「”使いっぱ”って、”パシリ”かよ!」
俺は叫ばずにはいられなかった。
「そうだよ。でもキミはただの”パシリ”じゃない、国家の秘密組織のエージェントに仕える”パシリ”なんだ。これは非常に光栄なことだと、わたしは思うがな」
「そんなのそっちで、用意しろよ!」
「いやいや、わたしたちの組織は少数精鋭でね。しかも、VOBとかさ、結構予算を食ってるから、補助員は現地調達が原則になのだよ」
「アホらしい。何が”使いっぱ”だよ。人をバカにするのもいい加減にしろよ!」
俺は、鞄を拾い上げ、土手を上りだした。そう、家に帰るのだ。
「キミ、まだ話の途中だぞ。どこへ行くつもりだ」
黄泉め、断られて焦ってやがるな。その手は食わない、つーんだよ。お上の役人ってやつはよ、民間人を安い賃金でこき使って、自分たちだけが甘い汁を吸って、肥え太ると相場が決まってんだ。
あの黄泉って娘も、エージェントとか言っているが、政府のお偉いさん方の口車に乗せられているだけさ。
それに、女子高生っぽいなりをしているが、よく見たら、二十五過ぎの厚化粧のオバサンってことも、無きにしもあらずだぜ。俺は、そう自分に言い聞かせながら、土手を上りきると、川下へと歩き出した。
「おーい、キミ! キミ! キミってば」
あいつ、まだ、呼んでやがる。背負った棒で俺をこずくかと思ったが、こけおどしだったんだな。
「キミってば、キミ! わたしと一緒に、立派に勤めを果たせばなあ、一千万円の報奨金が出るんだぞ!」
俺は、思考が一瞬にして止まり、頭の中が突然に真っ白になった。気がつくと、目の前には、黄泉がご満悦そうな微笑みをしている。彼女に差し出した俺の左手には、熱気がこもる甘味屋のたい焼きの入った紙袋が、そして、右手にはじんわりと冷たい、水滴がしたたり落ちる、久遠舞乳業製瓶入り特濃牛乳、五00ミリリットルが握られていた。
「ははあ、黄泉の姉御、この下僕めに何なりとお申し付けください」
俺の体は、黄泉の発した甘美な言葉に反射的に行動していた。甘味屋へ行き、焼きたてのたい焼き四個と特濃牛乳五00ミリリットルを買い求め、両手にそれを持つと、猛ダッシュで土手を超えて河原へ戻り、黄泉の姉御へ献上していたのだ。