第二十話 ショウと千代
俺は、正盛と陽炎の悲劇の一幕の後、侍の時代を回遊した。侍たちの戦いとは別に、詠御師、いや黄泉戻師たちの活動は激しさを増していた。戦争によって大量に人が死に、悪天候に作物が育たず、食料が不足し、一揆や餓死が起きる。
鉄砲が伝来し、火薬が使用されるようになると更に多くの命が瞬時に奪われる。江戸時代は大きな戦が無かったとは言われるが、戦が無くなれば無くなったで、人口が増え、寿命が伸びるので、より一層の食料や家が必要となり、自然が破壊されていく。狩猟をしない多くの人々を生かすために、他の動植物の命が一度に大量に奪われる。その度にその土地の淀みは乱れ、蓄積し、爆発的に増殖する。淀みに捕らわれた人や動物は、時に奇異な行動を起こし、他の命を倍返しに無慈悲に奪いとる。まさに淀みとは、死霊や死神だ。
こんな絶対的な自然の猛威と真っ向から戦う黄泉戻師の仕事とは、何と儚いことか! 人の生活とは何とも自然に理不尽なことなのか! 淀みとは強大な自然の力そのものだ。こんなものと戦っていったい何の意味がある! 時の黄泉戻師たちは、常にその問題に突き当たり、自問自答を繰り返している。結局、誰も答えを見つけらぬまま、人生を全うしている。
《みんながお互いを思い合って、幸せに暮らせれば、それでいいんじゃないのかなあ》
どこからか聞こえて来たその言葉は、どこかこどもっぽい意見だが、素直で真意をついているように思えた。
《地球上のどの生き物も自分が生きるために、他の生物の命を奪わなくちゃいけないんだから、これは自然の摂理だよ。人間様はちょっとだけ、その手段がズルいってだけで、悩むべきことじゃないよ
地球は地球のものさしで生きてるんだ。百年も生きれない生き物のものさしで何を測ろうともそれは地球からすれば0に等しいんだよ》
それはもっともな話だ。
《でも、そんなちっぽけなものさしの中であっても、わたしには、わたしが幸せにしたいと思う人々が互いを思い合って生きていける手助けをする力があるんだ。だったら、それを使わないでどうするんだ。
ちっぽけな奴は、ちっぽけな中で必死に己の生と向きあって、理不尽な力にあがなって生きればいいのさ。己の儚い生にへばりついて必至にあがなうことが、この世に生きるということなんだとわたしは思うよ》
そうだ、全くそのとおりだ。
俺は、どこからともなく聞こえてきた声に同意していた。やがて、闇がやや明るみを帯びてきた。丁度、まぶたは閉じているが目は開いていて、瞼越しに光を感じているという感じだ。
ようやく、俺は、このへんてこな夢から覚めるのか。不思議な体験だったな。事実だったかどうかわからないが、有意義だったよ。よし、目を開けるぞ!
「ショウ、ショウってば、起きてなさい。ショウってば」
ショウ? ショウって誰だ。女の子の声だが聞き覚えがないなあ。俺の体を揺さぶっている。なんだ、まだ夢の中なのか、いや、瞼が開けられそうだ。開けて声のヌシを見てやろう!
俺は、ゆっくりと瞼を開けた。おぼろげにその声の主の顔が見えてきた。おかっぱがちょっと伸びたような黒い髪に、黒装束をまとった中学校一、二年生くらいの少女が目の前に立っていた。
ベットから起き上がった俺は、結構、大人のようだ。手は、さっきの正盛のようにごつくはない。木村健児の手とさほど変わらない。やはり剣道をしている者の手だった。
「ショウ、やっと起きたのか。相変わらずお寝坊さんだな」
「チー坊。駄目じゃないか。こんなところに来ては。許可が出ているとは言っても、ここは男子寮だ。女人禁制なんだぞ」
右手で眠い目をこすりながら、左手でチー坊の頭をなでた。つやつやしたいい黒髪だった。
「ちょっと、ちょっと、誰がチー坊だ。わたしは、千代、比良坂千代だ。自分の妻の名前くらいちゃんと覚えておけ」
チー坊は俺の手を払いのける。小さな少女の手なのに、力はかなり強かった、掌も若干だが大きい、こいつも剣道をしているようだ。
「なんだ。ショウ、また、かみさんが面会に来てるのか」
部屋の奥で新聞を読んでいた同僚の一人が声をかけた。
「すみません、佐々山さん、主人がいつもお世話になっています」
声こそ幼いが、そのもの言いはまるで、貞淑な妻のような、つつましやかな挨拶だった。いっせいに大笑いるする同僚たち。無理も無い、女性というより、女の子がマッチしそうな子供が言ったのだ。おかしくて腹がよじれたのだろう。でも、なんだ、この雰囲気は。そういえば今、比良坂千代と言ってたぞ。千代って、婆ちゃんの名前じゃないか。それで、こいつが、ショウ。昭之助、爺ちゃんかよ。婆ちゃんの旧姓って、比良坂というのか。黄泉と同じじゃないか、どうなっているんだ。それとさっき新聞読んでいた奴、佐々山と言ってたぞ。黄泉の本名も佐々山だった。て、ことはあれが黄泉の爺ちゃんなのか。言われて見れば目元がよく似ている感じがする。
「もう、ショウったら髪がくしゃくしゃ。今日は大切な日なんだから、早く整えて、そして、顔も洗って、歯も磨くのよ」
婆ちゃんは、鏡を取り出し、爺ちゃんに渡した。爺ちゃん、若けー。二十歳か、もうちょっと上くらいかな。父ちゃんと、裕次郎兄貴を足して二で割ったような感じだ。もちろん、俺にも似ている感じはあるがな。
「千代さんにかかっちゃ、剣鬼の木村も形なしだな」
「そうだな。千代さんは、名門、比良坂家のご息女にして、黄泉戻師の立派な使い手なんだからな」
「それに、千代さんは一尉だしな。俺たちよりも階級は上なんだから、お前達も失礼の無いようにな」
爺ちゃんは、警察官だと聞いていたが、この階級だと自衛官だよな。そういえば、黄泉も俺も自衛官の階級だったぞ。
爺ちゃんは一張羅っぽいよそ行きのスーツに着替え、中学生の婆ちゃんと寮を出た。婆ちゃんは相当に有名人のようだった。階級章もあるからだとは思うが、皆、敬礼をする。すごいぞ、婆ちゃん。齢十二歳にしてこの貫禄。しかも、こんな凸凹カップルなのに誰ひとりとして下品に茶化すものなどいない。さっき、同僚達に大笑いされたのは、婆ちゃんの発言ではなく、だらしのない爺ちゃんの方だったのだ。
しかし、爺ちゃんたちは、いったいどこへ行っているのだ。寮の正門は出たが、ここは何かの施設の敷地内のようだ。正門らしきものが遥か前方に見えるが、そっちには行かないようだ。どんどん人気が少ない場所へ移動してるな。まさか爺ちゃんたち、愛の営みでもするのか。いや、不味いだろう。仮にも孫が見ている前で、大人と少女の濡れ場なんてなあ。いかん、涎が。
あっ、違った。どうも裏口にまわっているようだな。あー、焦った、焦った。
裏門につくと二人は左右に別れて、双方の鍵穴に鍵を差し込み、タイミングをはかって回すと、裏門は何か動力的な力でゆっくりと開いた。裏門を出ると、大きなロールスロイスのリムジンが止まっていた。後部座席のドアを執事が開けて、俺たちが乗るのを待っているようだった。
先に、婆ちゃんが乗り、後から、爺ちゃんが乗る。目の前には、なにやら、気むずかしそうなお婆さんが座っていた。お婆さんは運転手に指示を出し、車を走らせた。行き先はいったいどこなのだろうか。
「大お婆さま、こちらがわたしの婚約者の木村昭之助様ですわ」
婚約者? 何だまだ、結婚してなかったのか。そうだよな、女の子の結婚は十六歳からだからな。に、しても婆ちゃん、さっきと違って大人っぽい落ち着いた声だ。
「初めまして、わたくし、木村昭之助と申します。階級は三尉です。微力ながら、千代さまの補佐を務めさせていただいております」
爺ちゃんは一礼した。
「あなたのお噂はよく伺っております。よほど、剣がお強いとか、確か、剣鬼の木村とかおっしゃるのでしたかしら」
「いえ、そのような呼称は、ただの仲間内の戯れ言です。まだまだ、そちらの大旦那様の足下にも及びません」
「千代さん。お噂通りの真面目な方でわたしは安心しましたわ」
「いえ、大お婆さま。千代さんはとてもすばらしい方です。ご年齢以上に大人です」
あれ、さっきまでチー坊とか、子供扱いしてたのに調子いいなあ。だけども、寮を出て行く時は、きちんとエスコートしてたよな。一人の女性として、なんか昔のアメリカ映画でも見ているようだった。
「木村さん、このたびは誠に勝手なお願いをして申し訳ありません。これもこの国を安泰にするための国事とお思いください。二十歳も過ぎたお方に、十歳も年下の娘と婚約させてしまって申し訳ありません。でも、この子は、年齢以上に社会経験も積んでおります。母親が現役の黄泉戻師の長、第五十七代目、比良坂黄泉なのです。それ故、親の躾が満足に行き届かず、少々、生意気で負けず嫌いなところはありますが、勘弁してやってください。
わたしが申し上げるのも何ですが、千代はとても根はいい子なのです」
「大お婆さま、おやめください、千代は恥ずかしゅうございます」
「ふふふ、千代は本当に立派におなりになりましたわね。ごめんなさい。悪気は無いのですよ。そのお姿をお父様にも是非、お見せしたかったわ」
「はい、父にも見せたかったです。こんな素敵な方と巡り会えました」
比良坂黄泉とは、歌舞伎役者などと同様に、代々、襲名する名前だったのか。今は、千代婆ちゃんの母親が、比良坂黄泉だと言っているが、じゃあ、佐々山紗希は、今の黄泉はいったいどうなってるんだ。
爺ちゃんの親友、佐々山の爺さんは、木村家とは遠縁でもなんでもなく赤の他人の筈なのだがなあ。そういえば、あいつ、スカウトがどうしたとか言ってたなあ。
「木村さん。ご存じだとは思いますが、この仕事は国家安泰の為の大事なお仕事です。我ら比良坂一族は、この日の本に集落が成り立った時からある歴史の長いお仕事です。
しかし、その内容は、およそ一般の方々には理解されぬ仕事でもあります。もちろん、仕事の内容は秘密厳守となります。我らが対処すべきものは、意志なき自然現象ですが、時折、これを使い人々の生活や国家を脅かす者もおります。そのような者達は、通常の組織では探し出すことも、対処することも不可能です。そのために我々が裏にいるのです。
我々の祖先は陰陽師から派生した、詠御師です。詠御師は森羅万象の断りを知り、自然の生死の流れを見極め、人の生活が自然に影響を与えぬよう、また、自然の変化が、人々の生活に大きな害をもたらすことが無いようその境界を見極め、人が自然と共に暮らせるようはからっておりました。
しかし、やがては陰陽師を介した政治の道具に使われるようになりましたが、下総正盛の反乱で、その仕事の内容は大きく変わり、現在に至ったのです。
詠御師だった女官、陽炎が、宮中に赴いた正盛に見初められ、蛮族の討伐成功の暁に、その女官を嫁にくれと申し立てたのが不幸の始まりでした。
その女官、陽炎は、最初から政治の道具にすぎず。時の帝は、陰陽師と結託し、正盛が治める下総の国に眠るとされる、淀みの泉を手に出来ると考えたのです。
帝は歳をとり、若い皇子を帝とし、上皇となってから事を起こしました。皇子は自分の子では無かったのです。
決行の日、陽炎は、里へ下り、野伏を集める為に囮となり、逆に野伏らに、淀みを吸わせ正盛討伐の軍隊としました。
淀みを吸ったものは、人であれ、動物であれ、淀みの集合する場所へ移動する習性があることを利用したのです。また、彼らは、気を失っており、一切の痛み感じません。それは例え、手足を切り落とされてもです。脊髄を損傷したり、頭を落とされれば、運動の神経系統が使えなくなり、動かなくなります。
また、彼らは、生の力を持つものを襲いその源の力、エネルギーを吸い取ります。そして、淀みの泉の奈落に落ち、息絶えると吸った淀みが体を脱し、泉を満たしたのです。淀みを体に宿した彼らこそ、古来より言い伝えられる人知を超えた物の怪の正体だったのかもしれません。
陽炎は、陰陽師の言霊の術中にあり、十年経ってもその暗示から逃れることが出来ませんでした。それでも彼女は、ひとつだけ、暗示に逆らい果たしたことがあります。それは、正盛との間にもうけた子供らを助けたことです。
但し、その身代わりとして家臣の子供達が犠牲となりました。子供らは正盛が見てもわからぬよう、見るも無残な姿にされました。陽炎は、正盛との子供達を正盛の元々の許嫁であり、腹心の部下でもあった巴に託したのです。そこまでが、良心ある陽炎としての行動でした。
上皇の傀儡である陽炎は、いともたやすく正盛の一族の殲滅に成功しましたが、思わぬ誤算もありました。それは、正盛の一族も、また詠御師と同じように淀みを知り、淀みの泉の守り目だったということでした。陽炎は正盛を殺して泉の奈落に落とし、自分も命を絶ちあとを追うつもりでした。陽炎は、自分が捨て駒であることを知っていたので、僅かに生きながらえるよりも、正盛と共に死にたかったのでしょう。
でも、それは失敗に終わりましたが、最後は正盛の愛に救われました。巴は体こそ動かすことがかないませんでしたが、陽炎と正盛のやりとりを一部始終聞いており、事の顛末を知りました。
巴は、陽炎と正盛が奈落に落ちた後、子供達と共に下山しました。巴は、淀みの泉からすさまじい紫と黒が入り交じった雲のようなものが吹き出し泉を中心に下の方へ降り、再び上昇して、京の方へ向かったのを見たそうです。
巴は、下山するときに無数の侍の死体を見たとのことでした。その死体は、生気でも吸われたかのようにやつれ果てていたそうです。
あの事件の後で、詠御師の仕事も様変わりし、淀みを沈静化するお役目となりました。正盛の体から発する強力な淀みが地に眠る淀みと結合することを恐れて、正盛の体を泉の奈落から引き上げ、体をばらばらにして、日本の各地へ地中深く埋めたのです。
しかし、正盛の体から発する淀みはおびただしく、時折、疫病や飢饉を発生させたと目されました。これもあって、室町時代になってその霊気を分散させる性質のある大岩で封印したのです。
陽炎と正盛の子供達は、巴とその一族の働きにより、その後も生き延び詠御師と詠御師を補助する武芸の秀でた者へと別れました。詠御師となったのが、我ら、比良坂一族です。
そして、いつしか詠御師は、黄泉戻師と変わり、それにちなんで、一族で最も優れた詠御師には、男女を問わず黄泉の名を冠することになりました。
現在の黄泉は、この子の母親です。その先代はわたしです。この子の母親が引退すれば、この子にその名が移ることになるでしょう。この子の姉もかつては強力な黄泉戻師でしたが、不幸な事故がもとでその力の大半を失い、今はとうていこの子には及びません。他にもこの子には兄弟姉妹が居ますが、黄泉戻師となれましたのは、この子の姉とこの子だけなのです。
近代に近づくにつれて、次第に一族から詠御師としての力が薄らいでいるようでなのです。これも人が自然から遠ざかっている表れなのでしょうね」
話が一段落終わったのか、大お婆さまは、皆に失礼してお茶を一服された。
「大お婆さま、ひとつお伺いしてよろしいですか」
「はい、何でしょう」
「正盛の子孫で、詠御師を補助する武芸の秀でた者たちはどうなったのですか?」
「はい、現在もその子孫の方はおられます。こちらは詠御師の力よりも武芸が重視されましたので、養子に入るなどもして、現在は、比良坂姓を名乗る者は、おそらく居ないと思われます。
木村さん、あなた方、木村一族はその末裔にあたります。そういう意味では、千代とあなたは、遠い親戚であると言えるでしょうね」
そうか、婆ちゃんが亡くなって、比良坂家の詠御師の血統が絶えたのか。それで、資質のあった佐々山紗希が、スカウトされたということなのか。
あれ? そうなると、待てよ、俺たち兄姉弟は、詠御師と詠御師補佐の子孫となるのか?
爺ちゃんはともかくも、父ちゃんや兄貴、姉貴は黄泉戻師じゃないんだ。一番末の俺が、まだ何も出来ないこの俺だけが黄泉戻師の修行してるって何かおかしくないか!
いや、待て待て、佐々山紗希が黄泉として我が家へ来るまで、黄泉戻師の話なんて、一言も聞いたことが無かったぞ。色々あって記憶が交錯しているが、佐々山紗希だって一般人だろう。それがどうして、急に詠御師の力を持ったんだ。これはインチキ超能力少年少女とは違うだろう。あいつは、急に力が覚醒したとか言ってたが。一般人でもある日突然にそんなものが覚醒するものなのか。考えれば考えるほど謎だらけだ。
そういえば、前御巴が何か言ってたよな。爺ちゃんが、黄泉戻師の組織の総監で、基地がうちの地下にあるとかないとか。そんな漫画みたいな話があるのか。うちの家族は実は、地球防衛隊だっとかいうオチなんて子供でも信じねーぞ。
でも、この五年後に婆ちゃんに一体何が起きたというのだろうか。病気をしている感じは無いし、こうやって見ているだけでも見とれてしまうほど健康的で愛らしい。
若い爺ちゃんが、婆ちゃんにぞっこんになるのも仕方ないかもな。この調子でいけば、婆ちゃんは数年でいい女に成長しそうだ。大お婆さまも歳はわからないが、商店街で井戸端会議をしているご近所の婆ちゃん連中とは品格というか、立ち振る舞いというか、何もかもが違っている。生物学上、女とういうだけで、この二つの種族はまったく、別の生物に見えてならない。
もっとおかしいのは俺だ。俺は一体全体、さっきから、何でこんな夢ばかりを見ているのだ。夢にしてはあまりにもリアルだ。これはまさか、あのVOBなのか?
『そうだ、これはVOBだ。木村健児よ』
頭の中で声がした。それは、音冥寺霊士の声だった。




