第十話 実戦開始
正式に黄泉戻師に認定された俺は、翌日、久遠神社においてその認定式とやらに出ることになった。平安時代の武士のような服装をさせられ、雅な音楽の生演奏をバックに舞いのような所作を行い、祝詞を読まされた。この仕事が、平安時代末期だか、室町時代くらいからあるらしってことは、爺ちゃんが言ってたが、あんまり話が長くて寝ちまって覚えてねえ。
そもそも、この俺が祝詞なんか読めるわけないだろうって、あたりまえだ。そんなもの一夜漬けでも無理だ。だが、この黄泉戻師の部隊、防衛省科学自然災害対策本部特殊戦術部隊とか糞がつくほど長い名前の組織には、俗に言う”博士”のような人間がいた。科学班の責任者で、その名を音冥寺零士といった、うちの父ちゃんよりは若い感じがした。階級は将補だそうだから、かなり偉い人でもあるようだ。
何でもどっかの企業のエンジニア兼社長だったらしく、社長業を息子に継がせて自分はこちらの仕事一本にやっているらしい。それにしても、名前がふざけている。音冥寺って、陰陽師のもじりなのか、これもコードネームなんだろうな比良坂黄泉同様に。
話を戻そう、で、その博士が作った空気中に投影した大きなモニタに書かれた祝詞を棒読みしたのだ。アメリカの大統領とかが演説の時に見る透明スクリーンに演説原稿を投影して読んでいる映像は見たことがあったが、これはもっと進歩している。なんせ、スクリーンが細かな霧で作られ、目の角度によって文字が見えたり、見えなかったりするのだな。
まあ、VOBといい、何やら科学技術は結構高いという感じなのだが、そのくせ、こういった古くさい儀式めいたことをやったり、目下俺たちが滅せねばならない死神、もしくは悪霊と目される淀みとかいう霊体のようなものの浄化だか掃除だかに、人が出向いて、刀のようなものでやるのだから、どうも、うさんくさくていけない。それでも、お経のような詠唱をしなくていいことには助かった。一般に、悪霊や死神などの封印や撃退には、何かと詠唱がつきものだからな。その辺は、科学的にやっていると感じたよ。
だが、確かに、淀みとかいうやつに身震いするような、背筋が凍るような嫌な気を感じるのも事実だ。目を瞑って視覚情報を閉ざしてもそれを感じるのだから、トリックでも、こけおどしでないことは確かだ。
そして、黄泉刀が俺にも支給された。ピカピカのおニューかと思ったらお下がりのようだ。手渡したのは、久遠神社の若き宮司、安部清明だった。この儀式に関する細かいことは実はあまり説明を受けていなかった。
黄泉や爺ちゃんからはただ受け取れとしか説明が無かった。だが持ってみて思ったが、この刀は意外に重かった。五キログラムはあろうかという重さだった。黄泉が持っている刀と長さはそう変わらない。と、いうことは黄泉の刀も同じ重さがあるということなのだろう。
父ちゃんは居合いもやるので、日本刀の重さはおおよそ知っている。刃渡り百センチで、三キログラムちょっとだ。それよりも二キログラムも重いとは洒落にならないぞ。果たして、こんなものを振り回せるのか?
だが、俺よりも身長で十五センチメートル、体重で二十五キログラムも少ない黄泉様はそれをやってのこているのだ。相手は霊体のような存在だから物理的な抵抗などはないが、これを真っ直ぐ持って振り回すだけでも大変だと感じられた。
だが、刀を抜きひと太刀の舞いをやってみると、意外に重量を感じなかった。日頃の力仕事の成果のなせる業とでも言うべきか。
昨晩、俺が、淀みを浄化する為の戦術の極意を得たので、今日は昼間から実戦練習にと、学校を早退した黄泉に郊外へと連れ出された。
時間がかかる現場への急行に、昔は早馬を使ったらしい、って、いつの時代だよ。現代の早馬は、当然、鉄の馬、オートバイだった。
黒いライダースーツの黄泉は、体の線もしっかり見えて、いけないものでも見ているようだった。意外と言っては失礼だが、彼女はバイクにも乗れた。運動神経はいいのは、はなからわかっていたことではあるが。
しかも、俺への挑発なのか、生の胸元を少しだけ開けていやがる。
バイクは、昨晩、あの護衛部隊の連中が乗ってきて届けてくれた。なんと、最新のMAYAHAのオフロードバイクだった。排気量は二百五十CC。山岳任務用に調整されたカスタマイズ車両だそうだ。当然だが、どこぞのスパイ映画のように、小型ミサイルや機関銃の類は装備されていない。見た目はごく普通のバイクだ。
無論、自動スタータはついているが、俺は、キックでかける派だ。一発蹴りこむと、実に心地よいエンジン音がする。ならしも十分にされているようだ。黄泉は長い髪をヘルメットから出して、「いくそ!」の掛け声と共に走りだす。
こいつは自足で走るのも早いが、バイクも早かった。くそう、黄泉のやつ、いいケツしてる。なんつー、至極の光景だ。男の尻とはぜんぜん違う。
《こら、人のお尻に、邪な妄想垂れ流すな!》
なんだ、黄泉の声がメットの中からするぞ。これ、マイクがついているのか。
《マイクだけじゃないぞ。キミの視線がどこを見ているかのモニタもある。キミはさっきから、わたしのお尻ばかり見ているようだな。
あと、二、三分もしないうちにそんな余裕はなくなるぞ。舌を噛まないように気をつけろ!》
言ってるそばから、黄泉はガードレールの切れ目から斜面を下り始めた。
《ついて来い、ケンジ》
なんという奴だ。それほど斜面は急じゃないし、オフロードバイクに普段から乗る俺にとっては造作もない場所だが、事前に話しもなしで、いきなりとは恐れ入る。ともかく、俺は黄泉の後を追った。
斜面は背の低い草地で、ところどころ土が出ているが、あちらこちらに根っこが地表に飛び出し、樹齢数百余年級の木が切り立っている為、素人ではとても下れない場所だが、黄泉はまるで勝手でも知っているかのように下っていく。そして、やがて林を抜け町が一望できる丘へ出てきた。黄泉はバイクを降り、VOBを入れて、背中に背負ったバックから端末と望遠アンテナを取り出し、周囲を散策し始めた。
モニタを覗いてみたが、複雑な数値が沢山出ていて、周囲の山間が3D化されているのが分かった。しばらくすると、画面に白い斑点のようなものが出始めた。
「ケンジ、よく見ろ。これが淀みが通り過ぎた痕跡だ。淀みの本体は左手にある沼の周辺だろう、風が沼の方に流れているし、かなり大きな気を発している。
キミも沼の方向を向いて正座をして、気を集中させてみろ。道場で座ってる感覚でただ座るだけでいいぞ」
黄泉に言われるままに、俺は沼の方角を向いて正座し、気を集中させた。すると、悲鳴のような、音とも、感触ともわからぬ気が遠く、沼地の奥底から吹き出している感じがした。と、同時に背中に冷たものを感じ、思わず身震いをした。
「やはり、キミは感じるみたいだな。よし、ここからあそこを目指すぞ。ざっと、五キロメートルはあるが、バイクはここまでだ」
「冗談きついぜ。山道の五キロメートルは、平地の十キロメートルに相当するんだぞ。それにあそこまでは沢もあるし、ちょっとした崖もある。確か、十メートルはあったはずだ」
黄泉はそれを知った上で言っていると思ったが、俺は心なしか動揺していることを自分でも感じてた。
「心配はいらない。ザイルなどの道具は、キミの背中のリュックに入っているからな。それにキミは素手でも十メートルの崖くらい造作もないだろ」
なんだ。やけに俺のことに詳しいなあ。調査済みとは言っても、崖を素手で登ったりというのは公にしていない特技なんだがなあ。
森の中は適度に日が射し込み、緑がみずみずしく感じられた。わき水のせせらぎも、虫や鳥の羽音、鳴き声も妙に落ち着く感じがする。
俺たちは、自衛隊が着用しているような軍服のようなものを着ていた。さすがに、森の中ではライダースーツや、いつもの胴着じゃ、怪我するってんでの服装なのだが、迷彩服じゃないのがイマイチだ。色は例によって黒一色。黄泉様は、短いマントのようなものいを羽織っている。髪はポニーテールではなく、大仏様の頭のようにというのか蛇の蜷局巻きのような頭になっていた。いいうなじだ。おっっと、いかん、いかん、邪な心はすぐに読まれるからな。平常心、平常心と。
「キミはこの辺は詳しいんだろう。山菜や果物、野うさぎや蛙、トカゲなんか子供のころに採って食べてたんじゃないのか」
「そんなことよく調べたな。そうだな。この辺はよく、兄貴や姉貴に連れてこられたよ。懐かしいよ」
黄泉に言われるまでもなく本当に懐かしかった。この森は、俺にとってはいわば遊び場といっても過言ではなかった。だが、五年前からはたと行かなくなっていた。正確には裕次郎兄貴が家を飛び出した直後からだった。俺の記憶は、兄貴が家を出た前後のことがはっきりしていない。それにとても、大事な人がいた気がするのだが、それが男だったのか、女だったのか、老人だったのか、同年代だったのかさえはっきりしないのだ。
子供の頃の写真にも知らない女の子と写っているのをたまに見るが、はてさて誰だったのかも分からない。マユや爺ちゃんに聞いても知らないと言う。道場に通っていた近所の子なのかどうかさえ、はっきりしない。子供の頃の記憶なんて、そういうあいまいなものだとは思うのだが。あるとき、成長した彼女が転校生で同じクラスになんて、ラブコメシチュなどはありえんだろうけどな。
「ケンジ、あれアケビじゃないのか」
黄泉がふいに呼びかけ指さす方角を見ると、葉っぱもそれほどない木に瓜のような形をして、中央が少し割れた紫がかった果実があった。確かにアケビだった。
「食うのか?」
「ああ、食べたい。久しぶりだ」
おれは、まかせろと、木に登り、アケビをひとつとってきた。実を割ると、中には蛙の卵のような白い粘液のような実に種がびっしりついていた。口に含むと上品な甘さが口の中に広がった。とろとろの実のような部分だけを吸って種はすべて吐き出した。
「まさに自然の甘さだな。自然に感謝だ」
黄泉は両手をあわせて、森に礼を捧げた。デジャブーか?以前にも同じようなことがあった気がするが、それが誰だったかを思いだそうとしても顔はおろか、姿さえもがまったく思い出せなかった。
俺たちはいくつかの沢をわたり、十メートルの岩場の崖を登って、目的の沼へとたどり着いた。時間はざっと、一時間だった。
沼が近づくに連れて、異様な雰囲気を感じ取ってはいたが、森を抜け出た沼の風景は意外にも何事もない静かな佇みをみせていた。空は晴れ渡り、湿り気もほとんど感じられなかった。木々も青々とした葉をしげらせ・・・・。
いや、あれは葉ではなかった。苔やカビだった。そこらじゅうにカビのような粉が舞っている。そっして、沼に近づくと、腐敗臭が沼の中心から放射線状にただよっている。
遠くから見たときは、きれいな湖と見まごうかのような美しさだった。いや、それが本来のこの苦音湖の姿の筈なのだ。
「淀みが沼に溶け込み沼気を出しているのさ」
「なんで、水に溶け込むんだ」
「理由はわからん。気流の影響なのか、さっぱりだが、沼は沼気を発生させて淀みを育てる温床なのさ」
黄泉は濾過マスクを取り出し、俺にもつけるようにうながすと、沼の反対側の岩山のある側へ回りこみはじめた。沼べりには、鮒や鯉、草むらには野ウサギや野鼠、イノシシなどの死体が散乱していた。
そして、見たくはなかったが、山菜積みや猟に来ていた人の半分朽ちた死体があった。死骸には無数の蛆がが沸き、見るに耐えない惨状だった。
「ひどいな。過去に無い惨状だ。死体の方は、後で、回収させよう」
「大丈夫なのか、他人が入ってこの惨状を見たら通報しかねないだろう」
「その辺はぬかりない。最も、普通の人間はこの場所へは、近づけんがな。この沼気には動物の体を麻痺させる成分が含まれているようだ。ほれ」
黄泉は小型端末の画面を見せてくれた。どうやら成分分析もできるシロモノらしい。クロロホルムやエタノールなどの成分名が確認できる。問題は、この先にある淀みをいったいどうするのかだった。再開発地区で見つけた淀みとは桁違いで強力そうだ。
「健児、伏せろ!」
突然、黄泉は俺にタックルをくらわし、沼地にスライディングさせた。またも、黄泉様の胸元が俺の目の前に!
つーか、頭打ったら危ないだろう。だが、事態はラブコメじゃれあいをしている暇など与えてくれない状況だと察した。沼気で狂ったイノシシが俺たちめがけて突進してきたのだ。
イノシシは、口からは涎をたらし、目は充血して白目が真っ赤になっていた。口の中からウオッカなみのアルコール度数の発酵した息を吐き出し、その臭いだけで酔いつぶれそうだった。マスクのおかげで直接吸い込むことはさけられたが、完全密閉した装備じゃない。長くこの場にいれば、酔いつぶれてしまう。
「お互い、酒に強くて幸いだったな」
え、お互い。これも調べたというのか、一応、健全な高校生なんだから、利き酒できるとか言いふらさないでくれよな。
「健児、淀みに支配された動物は極力殺さず、怪我を負わせないのが組織の信条だが、これは我々の命に関わるから、掟をやぶるぞ。
今度、やつが突進してきたら、やつの眉間にお前の御神刀を突き当てろ」
「そんなことしたら」
「ああ、頭蓋骨は粉砕されて、死亡する。仕方ないんだ。他には軍用ナイフくらいしかない。TVゲームじゃないんだ」
いや、そうじゃないんだが。突進してくるイノシシなんて、プロのハンターがライフルで狙うのでさえ、難しいのに、いっかいの高校生が真正面にたって眉間に突きを入れろだって?そんな打ち込みねーよ。失敗したらただじゃすまないだろう。
「心配するな、キミならできる。できてくれないと。この先も無理なんだ。頼む」
こんな間近で見つめあって、胸をおしつけられて、いい香りいっぱいで、死ぬかもしれない依頼を受けてって、どういうプレイだよまったく。
「いいよ、やってやるよ」もうヤケクソだ。
「あのイノシシはキミの臭いに反応してるんだ。そいつは、どうやらキミの臭いが嫌いのようだぞ。きっと、あいつはオスだろうな。
キミは、女性には何かと好意を寄せられるだろ。キミの部屋によくお邪魔している、マユの家のマヤ(人年齢換算:三十歳)とか、お向かいの鈴木さんのところの美咲ちゃん(三歳)とか、甘味屋の聖子さん(ハ十ニ歳)とかさ。
幼女から、少女、大人、熟女に至るまで、モテモテじゃないか。学校だって、表立って、キミへの告白はないが、一年から、三年までの女子の間では、ワリと人気ものなんだぞ、キミは。
密かに『誰が先にキミの筆おろしをするか?』で、水面下では壮絶な女の戦いが繰り広げられてるんだ。もっとも、キミの近くをうろついている番犬、すなわち、マユの存在が怖くて、手を出せないでいるらしいがな」
こんなときに長話しないでくれよ、黄泉。おまえに、あいつは突進して来ないからって、俺にいちいち伴走して、そんな説明、やめてくれよな。
『誰が、誰に筆をおろされるってか?』
なんちゅう身も蓋もない会話だ。普通は、放課後の校舎の裏に呼び出されて、ラブレター渡されるとか、デートの誘いをされるとか、告白だろう。それを一足飛びして、本番スタートかよ、生々しいぜ。まったくよー。
とんだ肉食系だな、うちの女子どもは。まあ、もとが女子高だっただけに、女子の運動系は男子よりも強いからなっと。
俺は、一方的に直進してくるイノシシを、伴走する黄泉と、伴に左右に避けている。しかし、次の瞬間、黄泉は、「それじゃあ」っといって、一目散に岩陰に隠れた。
彼女が一目散に逃げた理由は、俺にも理解できた。それはもう、本能的にだ。これが、ヤバイ、という感覚が体の芯を突き抜けたからだ。まさに、死亡フラグ確実の殺気だ。
「わたしは、ちょっと、ここで休ませてもらうよ。キミはこれまでの修行の成果を試せ。
無理なら三十分くらい逃げ回れば、相手の方がばててうごけなくなるさ。じゃ、よろ・・・・・」
視界から消えた黄泉の遠くなった声は、よろしくと言いかけて、ぱたりと聞こえなくなった。俺は黄泉の名を何度も呼ぶが、あいつは、ぴくりとも反応しなかった。
「マジかよ。これじゃあ、生け贄じゃねーかよ!」と、叫んだところで、それに反応してくれる声はすでに無い。
俺は出来ることをしなければならばならなかった。それは、命ある限り逃げ回ることだった。




