太陽の話
ピンポ~ン。
チャイムが鳴って僕が玄関に行くと、そこには太陽がいた。
「こんにちは」
太陽が話しかけてきたので僕も返事をした。
「こんにちは」
僕は少し混乱した。なんだって僕なんかの家の前に太陽がいるんだ?
「あの~、何か用ですか?」
僕は恐る恐るといった感じで太陽に聞いた。太陽はそれを聞くと、その顔をパッと明るくさせて(比喩ではなく実際に)陽気に言った。
「いや~、よくぞ聞いてくれました。見ての通り私、太陽なんです。分かりますよね? 太陽」
もちろん分かる。どこからどう見ても太陽は文句のつけようのないほどに太陽だった。僕は太陽にそう言ってやった。
「そうでしょう、そうでしょう。なんてったって太陽ですからね。いや~よかった。実を言うとちょっと心配だったんですよ。私が太陽だって分かってくれなかったらどうしよう、ってね」
太陽はずっとニコニコしながら結構な速度で喋った。
「それで、用は何ですか?」
僕は面倒なことになったな、と思いながらもう一度太陽に聞いた。何しろ相手は太陽なのだ。そう邪険には扱えない。
「そうそう、そうでした。あっ、今時間大丈夫ですか?」
やれやれ、面倒なことになったな。
とりあえず僕は太陽を台所のテーブルにつかせてお茶を出した。太陽は「あっ、こりゃどうも」と言ってペコリと頭を少し下げた。
テーブルに向かい合って座った僕は早速太陽に聞いた。
「それでご用件は?」
のんびりお茶をすすっていた太陽はゆっくりと湯飲みを置くと、相変わらずのニコニコ笑いを浮かべながら喋り始めた。
「いやね、実は私、今度太陽を辞めることにしたんですよ」太陽は明日の天気を占うような顔で言った。
「ほう。それはまたどうしてですか?」
僕はほんの少し興味が湧いてくるのを感じた。太陽が太陽を辞めるなんて、いったいどんな理由があるのか僕にはちょっと見当もつかなかったからだ。
「実はね、今度家を買うんですよ」
家?
「家ですか?」
「そうそう、家をね。まあそんなにでかい家じゃないんですけどね」
太陽はずっとニコニコしながら言う。家を買うのがそんなに嬉しいのだろうか。そもそも太陽が家を買ってどうすると言うんだ?
でも太陽がニコニコ笑ってるので僕は余計なことは言わないようにした。
「でね、家も買ったし、貯金もたっぷりある。もう働かなくてもいいくらいにね。だから太陽を辞めようとしたんだけれど、それは困るって言われたんだ」
僕はゆっくりと二回うなずいた。確かにそれは困る。太陽がいなくなれば洗濯物が乾かなくなる。僕は洗濯物を干すのがわりに好きなのだ。乾燥機なんてとんでもない。
だが、太陽は僕のそういったとても切実な(しかし太陽にはまったく関係のない)思いには気づかずに話を続けた。
「じゃあどうしたら太陽を辞めれますか? って聞いたんだ。そしたら『代わりの太陽を連れてこい』って言われてね。じゃあそうしますって言ったんだ」
「なるほど」
なるほど。
「もう分かるよね。君が太陽になるんだ」太陽は僕の目を見ながら言った。
僕は自分が太陽になることについて考えてみた。そんなことは今まで一度だって考えてみたことはなかったのだ。
太陽になった僕は毎日だいたい決まった時間になると海から顔を出す。そうすれば一日が始まるのだ。そしてゆっくりと時間をかけて空を渡り、反対側の海に音を立てて潜る。そうして夜が訪れ一日が終わる。
それだけだ。そこには何もない。あるいはそこには『極めて太陽的な何か』があるのかもしれないが、僕は(少なくとも今は)太陽ではない。
「お断わりします」
だから僕はその話を断わった。太陽なんてやってられないのだ。
太陽は僕の返事を聞くと信じられないといった顔をした。太陽は僕が断わるとはまったく思っていなかったのだ。
そのあとも太陽は僕を説得し続けた。なにしろ太陽も必死なのだ。
しかし、自慢じゃないが僕は頑固さにかけてはちょっとした権威なのだ。この前の『世界頑固選手権』では三ポイント差で惜しくも二位になってしまったが、その前の大会では七ポイント差のぶっちぎり優勝をしたことだってある。たかだか太陽如きの説得では僕の頑固は崩せはしない。
そうこうしているうちに太陽の時間は終わり、太陽は遠くの海に音を立てて沈んで行った。
僕はお茶が入っていた湯飲みを洗ってきちんと拭き、棚に置いた。そして洗濯物を取り込んで手早くたたんでからタンスに入れた。このあと夕食も作らなくてはいけない。今日はスパゲティにしよう。
夕食も終わって、僕はリビングでゆったりとした時間を過ごしていた。部屋の中には、ベートーヴェンの『月光』が静かに、そして優しく流れていた。
……月?
ピンポ~ン。
やれやれ、面倒なことになりそうだ。