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5月 食堂(2)

――side: 橙花チトセ


 オレと赤葉キョウスケは幼いころから何かにつけ比較されてきた。どちらが早く言葉をしゃべれるようになったか、どちらが早く二足歩行生物に進化したか、から始まって、学校の成績はもちろん、絵画コンクールや俳句・短歌など夏休みの課題ですらも張り合わされてきた。

 橙花家と赤葉家には昔から確執があった。オレの曽祖父が赤葉家に嫁入りするはずだった美人を横取りして以来の確執だというが、実際はもっと昔、江戸時代くらいから商売敵だったというからなかなか根深いものがある。

 重要なのは、キョウスケは競争好きなやつで張り合わされるとやる気が出てくるが、オレは萎えるということだった。

 もともと器用だからそんなに努力しなくてもやれば何でもうまくできた。書道でも絵画でもピアノでも最優秀賞や特選は簡単に転がり込んできた。水泳でも陸上でも記録会に出れば地方大会まではわけなく進めた。学業でも全国模試を受ければ成績優秀者名簿に必ず名前が載っていた。まあこれについては相当努力しているが。何事につけ天分はオレのほうがあったと思う。

 いつからだろう? キョウスケに負け越すようになったのは。幼いころはオレのほうが明らかに優秀だったはずだ。あいつに芸術の才能はなかったし、何をするにもセンスというものが欠けていた。うまく友だちもつくれず、オレが遊びの輪に入れてやったことも幾度となくあった。キョウスケの悔しげなまなざしを心地よく受け止めていた。あいつが向けてくる競争心が鬱陶しくてしかたなかったが、あいつの必死の努力を軽く上回ってやるのは気分がよかった。

 今は? 気づかないうちに差を詰められていた。それどころか、一進一退の攻防を繰り返していたのはせいぜい1年のときまでで、もうキョウスケから主席の座を取り返すことは難しくなっている。オレもさぼっていたわけではないのに。あいつに友だちがいないのは今でもだが、もうオレが友だちを紹介してやることはない。

(悔しいのか、オレは?)

 そういうこともあるだろうと思っていた。人生は長い。どこにピークが来るかわからないし、それは70歳を過ぎてからのことだってある。10代の学生の一時期がすべてだと思うような近視眼的な発想で思いつめたりはしない。しかし、あいつのように何かに全力で取り組んだことがないことにどこか引け目を感じているのも事実だった。


 キョウスケが生徒会会長に、オレが副会長に選任されたと聞いても、特に感慨はなかった。それはキョウスケも同じだろう。2年の後期から務めている役職だし、大方の予想通りというところに落としこめた結果に不満はない。

 会長に立候補しないのかと何度もみんなから訊かれた。答えはいつも濁したが、端からそんなつもりはなかった。オレはやはり本気にはなれず、妥協する道を選んだのだった。

 だから、オレのファンが起こしたとされる投石事件はオレにとっては都合の悪いことではなかった。藍葉兄弟はいくつかの点で怪しいと言っていた。オレもそう思う。もしオレのファンが衝動的に起こした事件なら、そいつは黒羽を狙っただろうか? 直接キョウスケを狙うのが一番自然ではないか? たまたま旧校舎の裏の寂れた薔薇園を通りかかって、キョウスケの犬を見つけ、カッとなって石を投げた……しかしそこには無関係の女の子がいた――これだとできすぎではないだろうか? まずはじめの、たまたま旧校舎の裏の寂れた薔薇園を通りかかって、というところからおかしい。

(そんなやついるか?)

 となれば計画的犯行だったと考えられる。環境委員として委員会室に現れた黒羽を狙うつもりで、人目のない薔薇園で機をうかがって、実行に移した。しかし少し考えたらオレの立場が悪くなりそうなものだとわかるだろう。これだとよっぽど頭に血が上っていたとしか考えられない。そしてやはり、黒羽を狙うのは不自然、とまではいかないが、納得しきれないものがある。

 もっと言うなら、はたして生徒会役員選挙くらいでそこまでラディカルな手段をとるだろうか? 身も蓋もないことを言ってしまえば、たかが高校の、しかも半期しか任期がない生徒会の役員を選出するだけの選挙だ。そんなに思いつめるような行事ではないとオレは思うのだが。しかしそうは言っても狂信的なファンがいるのも事実で完全に否定しきれない。

 ファンクラブは犯人探しに血道をあげているようだが成果は芳しいとはいえないようだった。このことにも違和感を覚える。そんなことをしでかしそうなやつなら、ファンクラブが把握していてもおかしくなさそうなものだ。その後完全に雲隠れしているのもわからない。自分のやったことが騒がれて怖くなったのだろうか?

 こんな説明よりは、黒羽のポイント稼ぎのための狂言だったというほうがずっと説得力がある。その場合怪我しかかったという女の子も共犯と見ていいだろう。ただの後輩にそんなことを頼むはずもなく、十中八九男女の仲だ。聞けばその子は環境委員ですらなくて、しかもふたりとも無傷だったというから実に怪しい。ただ証拠がない。そうなると自白に頼るしかない。

(いや……まあ、別にどうだっていいんだけど)

 オレの中ではもうそれで話は終わっていたはずだった。


 連休明けの月曜日。連休中に間の悪い平日が2日あったため自主休校するやつも多く、今日がやっと登校日といった雰囲気だった。生徒総会および選挙はその2日目にあったから、日程の悪さで投票率が下がることを懸念した選挙管理委員会が何度も放送やフライヤーで登校を呼びかけていたが、結局どうなったのだろう?

(どうだっていいか)

 もう結果は出ている。

(昼……誰と食べよう)

 後輩でも呼ぼうか、それとも知り合いを見つけようか、と物色しながら歩いていると、記憶にひっかかる顔があった。ピンク色の長い髪に整った目鼻立ちで、キュートな女の子。

(可愛いな。春風ミユウか。なんだ、黒羽の女だったか)

 好奇心で近づいた。

「あんた毎日よくやるよね」

「すごいね、ほんと」

「そうかな。まあ料理好きだから。あとは慣れかな」

 料理が好きだ、慣れている、と言うだけあって、春風ミユウの弁当は出来がよかった。

(おお)

「いいね、うまそう」

 口を出すと、いっせいに視線が向けられた。

「君が作ったのか?」

「はい、そうですけど」

 答えにはかすかに誇らしげな色が混じっていた。高校生で親にも使用人にも頼らずこのクオリティの弁当を毎日作って来られるならさもありなんと思われる。可愛らしいものだ。

(この子たちでいいか)

 みんな可愛いし、と昼食の相手に定めた。

「今日、君たちと一緒に昼ごはん食べてもいい?」

「もちろん、喜んで」

 以前からの知り合いだったみたいに間髪を容れず承諾されてオレのほうがびっくりした。ちょっとくらい困った顔をされると思っていたのだが。ほかのふたりも、え?という表情をしていた。

(春風ミユウがリーダー格か)

 彼女にはまったく臆するところがないように見えた。

 とりあえず断られなかったことにして、何か買ってくる、と手を振ると、待ってます、と健気な言葉が返ってきた。

 券売機の前の列に並んで何を食べようかと考えているといきなり声をかけられた。

「あのっ! 橙花先輩!」

「……ん? 何?」

 襟の徽章から判断するに2年の男子生徒だった。中肉中背で、好意的に表現すると、素直そうな顔立ち。知り合いだっただろうか?

「もう何をお求めになられるか決まっていますか?」

 何を真剣に訊いてくるのかと思えば、オレの昼食の選択だとは。苦笑すると、その男子生徒は赤面してうつむいた。

(なんだこれ。罰ゲームでもやらされてるのか?)

 だんだん周りの注目も集まってきて、しかたなく答えた。

「いや。これといって食べたいものがなくて」

「あのっ! でしたら、もしよろしかったらこれをどうぞ!」

 彼が差しだしたトレーを呆気にとられて見た。鉄火丼。

(あ、そういうこと……)

「……いやー、ちょっと、それは」

 オレには信者に昼食を貢がせる習慣はない。断ろうとしたが、彼の手が細かく震えていることに気づいてしまった。断ってしまったらどれだけいたたまれない思いをさせるだろうかと考えると、断るのが悪いような気がしてきた。

(こういうのって受け取ってもよかったか? 収賄にはならないよな?)

 不安を覚えつつも、そこまでの規定はなかったと思い返して受け取ることにした。

「……あー、ありがとう」

「いえ! こちらこそありがとうございます!」

 もはや何に礼を言われているのかよくわからなかったが、あいまいに微笑んでうなずいておいた。近くにいた女子生徒が、ずるい、と口をとがらせていた。金銭が絡むと愛も重くなる。代金くらいは払おうとしたが、力いっぱい拒否されて逃げられた。名前も聞けなかった。

(やれやれ。こんなところを黒羽に見られてたら、明日にはオレが下級生の昼食をまきあげたことになってるな)

 トレーを手に席に戻るとそこもまた微妙な空気だった。辟易しながら、気づかないふりを押し通すことに決めた。春風ミユウと緑髪の子がむっつりとしていて黒髪の子が困った様子で眉を下げていた。人間関係がよくわかる図だった。

「早かったですね。鉄火丼だとあまり待たなくていいんですか?」

 黒髪の子が居心地悪そうにしながら話しかけてきてくれた。

「ああ、これね。いや、そうじゃなくて――もらったんだ」

「はい?」

「券売機の前で列に並んでたらさ、鉄火丼でよかったらどうぞって、トレーごと」

「えー、それは……すごいですね」

 顔には、何と言っていいかわからない、と書いてあった。

「きっとファンの方だったんでしょうね。慕われていらっしゃるんですね」

「どうだろうね」

 ここで、まあね、などと言ってああいうのを喜べるほど能天気でもなかった。

 その後自己紹介へと続き、会話が始まるとすぐに打ち解けることができた。1年の3人娘は才女らしく、ミーハーじみたところがなくてみんなしっかりしていた。もうちょっと隙があってもと思わないことはなかったが、いわゆるお堅いタイプでもなく、むしろ好感を抱いた。

(春風ミユウが黒羽と繋がってなければ執行部に誘う第一候補群にしたんだがな。この子たちならキョウスケともうまくやれそうだったのに)

 残りのふたりならば、とも思ったが、春風ミユウの干渉を排することは難しいだろうと思われた。それならいっそ春風ミユウに粉をかけてみようかという気になった。黒羽を捨ててくれたら問題はなくなるし、この子だったらそばにおいて愛でるのも楽しいだろうから。黒羽みたいなのがタイプならオレも十分タイプのうちだろうから、春風ミユウも案外簡単になびくだろう。

「今日は楽しかったよ。君たちみたいな可愛い女の子と一緒にすごせて」

(探り入れてみるか)

「実はさ、たしかでもないんだけど、オレのファンが石を投げてミユウちゃんに怪我をさせるところだったっていう話があって……。もしそうだったなら悪かったなと思って、今日声かけたんだ。機会があったら様子を見て謝ろうってずっと思ってたんだよな。なんか、ごめんな、ミユウちゃん」

「気になさらないでください。先輩に落ち度があるわけじゃないですし、そもそも本当に先輩のファンがやったのかどうかもわからないですから」

 そつのない返答。これで本当に投石事件が狂言だったとしたら厚顔にもほどがあるが。

「ほんと? そう言ってもらえると助かるよ」

「いえ……。あ、そう言えば、橙花先輩、副会長当選おめでとうございます」

 春風ミユウは、今思い出した、といった風に祝福の言葉を口にした。オレは顔面を張られた気分だった。

(これは……皮肉か? やり返されたのか?)

 副会長になったことをあまり祝われたことはなかった。それは当然、オレが会長に立候補すると見られていたからだった。世間では、といっても校内という狭い世間だが、赤葉と橙花の一騎打ちになるだろうと言われていた。オレがどういうつもりだったかはともかく、もしそうなれば友人知人が多いオレのほうが有利だっただろうと思う。その状況で起きた投石事件。あれで風向きが変わった。結果として副会長に立候補し当選したオレに、正面からおめでとうというやつはいない。高校生ともなるとみんなそれくらいの気遣いはできるようになるというわけだ。

(うわ、シズカちゃんもユウコちゃんも気まずそうだし)

 そのことには触れずにすますつもりだったのだろう。しかし春風ミユウがおめでとうと言ってしまったからには何も言わないでいることはできない。具合の悪そうなおめでとうございますに、オレは苦笑いでありがとうと言った。

 春風ミユウがなぜこのタイミングで祝いの言葉を口にするのか? 空気が読めないわけではないだろうから、それはもちろん皮肉として言ったのだろう。なぜ皮肉を言うのかといえば、それは投石事件のことに触れたオレの言葉に含むところを感じたからだろう。

(気が強いな。それに、見た目通りの可愛い性格でもなさそうだ)

 好みではない。じゃじゃ馬と付き合うのはしんどい。ついでに言うならオレにやたらにきつく当たる、関心の裏返しみたいなタイプも苦手だ。やはり恋人は可愛いほうがいい。

(春風ミユウか。どうしたもんかな)


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