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5月 食堂(1)

――side: 深川シズカ


 土曜日は学校の近くのDIYショップで注文しておいたアーチやトレリスを届けてもらって設置することに費やした。アーチは前からあったものも再利用できた。アーチを3つならべてトンネルにしたり、煉瓦敷きのテラスの一面にアーチを立ててそれ以外の面をフレームで囲い、フレームとアーチをトレリスでつないでローズルームをつくったりした。

 オレンジ色の天使が寝ていたベンチは動かすに忍びなく、アーチで覆ってボックスシート風にすることにした。

 日曜日にはなじみの園芸店に軽トラックを出してもらって、父親や兄やお手伝いさんの手を借りて実家から大量の薔薇の鉢苗を学校に運んでもらった。

 鉢苗はわたしが数年前に温室でも作ろうかと思って新苗から買い育てていたものだった。苗木が届いたらできるだけ早く植えこみたいものだけれど、わたしは新苗の場合はしばらくのあいだ鉢植えで様子を見るようにしていた。癌腫を持っているかもしれないし、根に力がない新苗を古株の近くに植えると古株に負けて枯れてしまうこともあるからだった。それに、どんな風に枝が伸びるのか、実際の花色はどんな色か、2、3年はよく観察して性質を見極めておいたほうが、失敗が少なくてすんだ。

「あ、お父さん、その鉢はあとにして。奥から運んでいってほしいの」

「はいはい」

「お兄ちゃん、ジェームズ・ギャルウェイはつる薔薇よ。花壇じゃなくてアーチのそばにおいて」

「はあ? ……わかったよ」

「あれ……ねえ! ファンタン・ラトゥールはどこ行った? もう運んじゃった?」

 わいわいと何人かでやれば作業は早く、楽しかった。


 週が明けて、学校に来て最初にしたことは、天使のベンチの周りを整えることだった。あくまでも天使を主役にするために華美な薔薇は避けて、悩んだ末パット・オースチンを植えた。丸みのあるディープカップ咲きの花形とモダンな明るいオレンジ色が品の良さを感じさせる。それからあまり好きな類ではなかったけれど、小輪でポンポン咲きの清楚なスノーグースも植えた。できあがったオレンジ色と白と緑のボックスシートは、座れば幸せな気分になった。

(これなら天使もまた憩いに来てくれるはず)

 5月の薔薇は活動期に入っていて蕾や花をつけているので、無理にアーチなどに誘引すると枝を傷めてしまいがちだった。だから無理のない程度にアーチに絡めて、今季はそのまま咲かすことにした。完成から程遠い状態にあることが残念だった。


 昼休みになって、いつものようにわたしとユウコとミユウは3人で生徒会館へ行った。生徒会館は、1階は購買部が入っていて、2階は食堂になっていた。わたしたちは昼食を食堂でとるのが習いとなっていた。

「シズカ、またきつねうどん?」

「おだしがおいしいの」

「ユウコもまたからあげ定食だし」

「芸がないと思われてもいい。でもここのからあげ定食は誰にも否定させない」

 ミユウは呆れたように首を振って自分のお弁当箱を開いた。

「わあ、おいしそう」

 ふっくら黄色いオムレツ、ポテトサラダ、トマトソースのかかったチキンソテー、きのこのマリネ。ピンクベージュの女の子らしいお弁当箱に、少し手の込んだ料理がきちんと収められている。空いたところに塩ゆでされたブロッコリーが添えられていて、栄養も彩りも完璧だった。

「あんた毎日よくやるよね」

 ユウコの感心半分呆れ半分の呟きにうなずいて同意を示した。

「すごいね、ほんと」

「そうかな。まあ料理好きだから。あとは慣れかな」

 ミユウは何でもなさそうに言うけれど、わたしは真似できないと思った。ひとり暮らしをしているから夕食くらいは作るけれど、朝食は面倒で抜いてしまうし、ましてやお弁当なんてとても手が出せなかった。

「いいね、うまそう」

 いきなり頭の上から声が降ってきて、首をすくめて見上げると、見覚えのある男子生徒だった。

(天使……!)

「君が作ったのか?」

「はい、そうですけど」

 緊張で声も出ず震えるわたしとは対照的に、ミユウは気後れもせず落ち着いて応じていた。天使がわたしのそばで喋っているということが信じられない気持ちだった。

 天使はわたしの座っていた椅子に手をかけ、にっこりと麗しい笑顔を浮かべて言った。

「今日、君たちと一緒に昼ごはん食べてもいい?」

「もちろん、喜んで」

 びっくりしているあいだに一緒に昼食を食べるということになっていた。彼は何か買ってくる、と言って離れていってしまい、わたしは困惑してユウコとミユウを交互に見た。ユウコも気が進まなさそうに眉を寄せていた。

「ちょっとミユウ、勝手に決めないでよ」

「嫌だった?」

「嫌っていうか……」

 ユウコはこそっと周りを見回してため息をついた。

「すごく見られてるんだけど……。橙花先輩よ? あんまり個人的に仲良くしないほうがいいと思うんだけど?」

(そっか、橙花先輩……そんなお名前だったな)

 周りからの視線が気になるのはわたしも同様だったのでユウコの危惧はすぐに理解できた。橙花先輩みたいな有名人と親しくなると、好奇や嫉妬を集めやすい。ユウコはそういうものを煩わしく感じ、端から距離をとっていたほうが賢いと思うタイプなのだろう。でもミユウも黙ってはいなかった。

「相手が有名人だからって敬遠したほうがいいって言うの? そういうのってちょっと失礼じゃない?」

「話をすり変えないでよ。同席するならわたしとシズカにも断るべきだよって言ってるんだけど」

「それはわたしが悪かったけど、ユウコはそうは言ってないよ。橙花先輩みたいな人とは関わりたくなかったって聞こえたよ」

「その通りだよ。言っとくけど、わたしが誰とどういう風に付き合うかはわたしが決めることだから責めないでよね」

 ふたりとも気が強いというか、自分というものをしっかり持っているから、なかなか自分の意思に反して物事を進めることを許容しない。どちらかの言い分が明らかに正しくてもう片方が明らかに間違っているならわたしも困りはしないけれど、心情的にはユウコの肩を持ちたいし、状況的にはミユウと同じ判断をしただろうから、何も言えなくなってしまう。とりあえず小声で喋ってほしい。

「シズカはどう思――」

「あっ、ふたりとも、橙花先輩が来られたよ」

 意見を求められそうになって焦ったわたしの目に、感謝したくなるくらいのタイミングの良さでお盆を手に戻ってくる橙花先輩の姿が映った。

 橙花先輩はミユウの横、ユウコの正面の椅子を引いて腰掛けた。ふたりは渋々黙って何事もなかったような顔をしたから先輩も諍いには気づかない様子だった。

 不穏な空気をごまかしたくてわたしから話しかけた。

「早かったですね。鉄火丼だとあまり待たなくていいんですか?」

 食堂は食券制になっていて、券売機の前で並び、厨房の前で並び、やっと料理を受けとれるのが常だった。

「ああ、これね。いや、そうじゃなくて――もらったんだ」

「はい?」

「券売機の前で列に並んでたらさ、鉄火丼でよかったらどうぞって、トレーごと」

「えー、それは……すごいですね」

 となりでユウコが小声で、引くわー、と呟いたのをごまかすためにさらに口を開いた。

「きっとファンの方だったんでしょうね。慕われていらっしゃるんですね」

「どうだろうね」

 橙花先輩はなんだか意味深長な微笑み方をした。

 それから手を合わせて食前の文句を唱え、食事にとりかかった。

 わたしたちは、しばらくはありきたりの雑談をしていた。けれど橙花先輩は話題豊富で、人の楽しませ方をよく知っていて、予想していたよりもずっと楽しかった。聞き役に回りがちなわたしにも話を引き出そうとしてくれたり、熱心そうに耳を傾けてくれたりした。ここぞというときには必ず相槌を打ってくれたり笑い声をあげてくれたりするものだから、最初ぎこちなかったミユウとユウコもしばらくするとわだかまりを解いてすっかりリラックスしてお話ができるようになっていた。

 食事があらかた終わると、わたしたちは、先に食べ終わったわたしがみんなの分も汲んできたお茶を飲みながら席を立つタイミングを測って話していた。

「今日は楽しかったよ。君たちみたいな可愛い女の子と一緒にすごせて」

 橙花先輩はそう言ったあとで、お昼を一緒に、と言った意図を明らかにした。

「実はさ、たしかでもないんだけど、オレのファンが石を投げてミユウちゃんに怪我をさせるところだったっていう話があって……。もしそうだったなら悪かったなと思って、今日声かけたんだ。機会があったら様子を見て謝ろうってずっと思ってたんだよな。なんか、ごめんな、ミユウちゃん」

「気になさらないでください。先輩に落ち度があるわけじゃないですし、そもそも本当に先輩のファンがやったのかどうかもわからないですから」

 自分のせいではないからどうしても歯切れが悪くなる橙花先輩の謝罪に、ミユウは笑って首を振った。

「ほんと? そう言ってもらえると助かるよ」

「いえ……。あ、そう言えば、橙花先輩、副会長当選おめでとうございます」

 ミユウの言葉でわたしもやっと祝福の言葉を言い忘れていたことに気づいた。ミユウは可愛らしく、忘れちゃってた、みたいな顔をしているけれど、わたしに同じことができるはずもなく気まずい思いで、おめでとうございます、と続くしかなかった。ユウコもとなりで、おめでとうございます、と頭を下げていた。

(しっかりしてるユウコまで忘れてたなんて)

 橙花先輩はたくさんそういう言葉をもらっているだろうに気恥かしいのか、苦笑交じりに、ありがとう、と答えた。




――side: 春風ミユウ


 わたしたちは昼休みになると、昼食をとりに食堂の4人がけのテーブルについた。そこはわたしたちの定位置で、直射日光が当たらず、空調の風が直接かからず、通路に面してもおらず、観葉植物が適度に他の人との距離を離してくれる、わたしが見つけた特等席だった。ユウコもシズカも当たり前みたいな顔でそこに座るけど、感謝の気持ちを持っているなら出し惜しみせずわたしに伝えたらいいと思う。ふたりが昼食を買いに行っているあいだにわたしが台拭きでテーブルを拭いておくけど、このことにはまだ気づいてもらえていない。でも他の人が見てくれるかもしれないからいい女アピールのためにやっていた。

 ふたりが戻ってきて、トレーの上に載っているものを見て、またか、と思った。

「シズカ、またきつねうどん?」

「おだしがおいしいの」

「ユウコもまたからあげ定食だし」

「芸がないと思われてもいい。でもここのからあげ定食は誰にも否定させない」

(信じらんない)

 そう思って、でもそれ以上は何も言わず、自分の弁当箱を開けた途端にあがるシズカの感嘆の声。

「わあ、おいしそう」

 可愛げのないユウコの感想。

「あんた毎日よくやるよね」

「すごいね、ほんと」

「そうかな。まあ料理好きだから。あとは慣れかな」

(なんでこれくらいできないのよ?)

 料理なんて、いい男を捕まえるための必須技能みたいなものだ。完璧美少女のわたしでなくともやっていれば誰でもできるようになるものなのだ。せっかく女らしさをアピールする機会があるのにうどんをすすったりからあげを突き回したりしているなんて、たるんでいるとしか思えない。誰かイケメンにお弁当をつくってきてあげることになったらどうするというのだろうか? それに美容面を考えたらふたりのような食事の選び方など絶対にあり得ない。わたしの美貌は神から与えられたものではあるけれど日々の努力の果実でもあるのだ。

「いいね、うまそう」

 突然、失礼にも乙女の会話に割り込む馬鹿が現れた。どこの馬鹿よ、と見ると、『六葉一花』の橙花チトセだった。オレンジ色の緩いウェーブがかかった長めの髪、美形、胸元の3年1組の徽章でその人だとわかった。

(やった! きた! 美形!)

 机の下でこっそりガッツポーズ。

「君が作ったのか?」

「はい、そうですけど」

 やはり努力は実る。

「今日、君たちと一緒に昼ごはん食べてもいい?」

「もちろん、喜んで」

 断るなんて考えもしなくてうなずいたら、ユウコは渋い顔をした。せっかくの橙花チトセと親密度を上げるチャンスに水を差されたくなかったからムッとしたけど、ユウコの文句は適当に流しておいた。

(大体ユウコは自意識過剰すぎるのよ。先輩はわたしとごはんを食べたくて誘ってきたに決まってるのに)

 美形と食事できるのだから素直に喜んでおけばいいものを。

「あっ、ふたりとも、橙花先輩が来られたよ」

 シズカが焦ってそう言うから渋々黙った。

 橙花チトセは攻略対象キャラの中で一番美形という設定だけあって、本当につくりものみたいに綺麗な顔だった。性格も明るく社交的らしい。ただしわたし以外の人間には欠点がどこかしらあるもので、彼の場合、ひどい浮気性であると噂には聞いていた。

(あー! せめて一回でもゲームをプレイしてたらなあ)

 出現ポイントや性格やイベントが把握できていないのは痛かった。効率が悪い。5月の今の時期になって初対面とは。

(まあでも時間なんて関係ないよね。わたしの可愛さ賢さ素晴らしさですぐにフォーリンラブするのが物の道理ってものだし)

 わたしが考えに沈んでいたあいだに場つなぎとはいえシズカが漁色美形と話していたのも面白くなく、それはそれとしてお腹がすいていたのでごはんを食べることにした。

 食事のあいだの会話は好調だった。漁色美形はさすが漁色美形だけあって話し上手で聞き上手だった。さりげない名前呼びも全然悪い気がしなかった。

 別れ際にはわたしたちを嬉しがらせるようなことも言ってきた。

「今日は楽しかったよ。君たちみたいな可愛い女の子と一緒にすごせて」

 可愛い、という言葉の9割はわたしにかかっていると思うけど、ユウコもシズカもまんざらではなさそうだった。こういう言葉を照れずに言えるところが逆にいやらしさがなくて、漁色美形の本領発揮なのだった。

 漁色美形は労わりをこめた真面目さでわたしだけをみつめた。

「実はさ、たしかでもないんだけど、オレのファンが石を投げてミユウちゃんに怪我をさせるところだったっていう話があって……。もしそうだったなら悪かったなと思って、今日声かけたんだ。機会があったら様子を見て謝ろうってずっと思ってたんだよな。なんか、ごめんな、ミユウちゃん」

(あの事件がこういう風につながるわけね)

 ここは鷹揚に許す場面だとわたしも心得ていた。

「気になさらないでください。先輩に落ち度があるわけじゃないですし、そもそも本当に先輩のファンがやったのかどうかもわからないですから」

「ほんと? そう言ってもらえると助かるよ」

「いえ……。あ、そう言えば、橙花先輩、副会長当選おめでとうございます」

 わたしとしたことが、ポイントを上げるチャンスを逃すところだった。

 漁色美形は肩書にはこだわらない質なのか、苦笑交じりに、ありがとう、と答えた。


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