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7月 自動販売機

――side: 藍葉ヒカリ


 日は傾き、黄色い光がやわらかに部屋を満たしていた。アカリは役員会室の窓からじっと外を見ている。高台にある学園からは、住宅街から商業地区、目を凝らせばその先の湾まで眼下に一望できる。とはいえアカリの目的はそんな見慣れた景色ではなかった。

「みんな帰ったー?」

「うん。たぶん。女の子たちは正門から出ていくのが見えたよー。チトセ先輩は車で来たから南門だし」

「誰かいるー?」

「サッカー部員は走ってるけど、土曜日だしそれくらいかなー」

 オレがうなずくと、アカリは窓辺を離れてPCをいじっているオレの背中にはりついた。アイコンにカーソルを合わせてダブルクリックすれば、4つの目玉の前でグループウェアが立ちあがった。オレは画面のID欄に『kiba-kt』と打ち込んだ。

「ヒカリ、パスワードわかるの?」

「わかんない」

 オレたちとは違って、コータローはパスワードを当然のごとく初期状態から変更していた。何度か打ちこむときのコータローの手元を盗み見ようともしたけど、警戒心が強くて無理だった。仕方なくやみくもにアルファベットと番号を組み合わせて3回試行してみたけど、案の定全部エラーが出た。

「やっぱだめだったー」

「適当に打ち込むからじゃん」

「あはは、コータローがパスワードに意味ある文字列を設定するわけないじゃん」

 何言ってんのー、と笑うと、アカリは頬を膨らませた。

 上手くいくはずがないことはオレだってわかっていた。数学Aの範囲は中学生のうちに終わらせている。さすがに組み合わせ問題くらい解けるし、パスワードを破れると本気で期待はしていなかった。

 頬づきをして別の可能性を考える。

「他の人で試してみるー? チトセ先輩は?」

「関心なさそうだったし、何も知らないよ」

「キョウスケ先輩は?」

「無駄。コータローと似たタイプだよ、あの人も」

「ミュウミュウは? 女の子なんだし、どうせ飼ってるペットの名前とかにしてあるんじゃないのー? ココアちゃんとかマロンちゃんとかさー。聞き出せた?」

「うん。ペット飼ったことないって言ってたよー」

 急に面倒くさくなって、オレは椅子から立ち上がった。

「帰るねー」

「ちょ、待って! 飽きるの早すぎるから! もうちょっと調べよーよ!」

「どうやって?」

「え? えーと、コータローの机を漁ってみよーか」

「ミュウミュウと発想が同じ。それはいいけど、コータローの机、文房具くらいしか入ってないよー。潔癖症で持ち物少ない人だから」

「だよねー。じゃあキョウスケ先輩の机は?」

 訊かなくてもわかるだろう。

「オレやっぱり帰るねー」

「待ってってば!」

 腕をがっしりつかまれ、椅子に引き戻された。オレの眉は自然と寄った。気が乗らないことをさせられるのが一番嫌いなのだ。

 アカリはズボンのポケットからくしゃくしゃのレポート用紙の切れ端を引っぱりだしてオレの眼前に突きつけた。

「これ! ヒカリだって気になってるだろー? 黄葉コウタロウと春風ミユウがふたりしてなにやってるのか! ね、もうちょっと調べよー?」

「気にはなるけど……うーん、でもよく考えたら、別にふたりが結託して何かやってるっていう根拠も何もないんだよねー。その怪文書にそう書かれてるってだけ。なんでそんなのにオレが振り回されなくちゃいけないのー? 

 だいたい差出人は誰さ? 外部の人間なら書記と執行部長のオレたちでも知らないことを知ってるってことになるし、内部の人間ならこんなの作る必要あるー? 執行部員なら部長のアカリに話せばいいし、役員なら会長と副会長なんだから自分で調べたほうが早いよねー?

 だいたい目的は何だと思うー? 内容に具体性が皆無じゃん。おおかた、ふたりが何かをやってそうだって疑ってるけど、肝心の何をやってるかはわからなくてこれしか書けなかったんじゃないかなー。で、オレたちに探らせようと怪文書をつくったんだ。オレたちなら役員会にも執行部にも出入りできるし権力があるから。気をつけろって書いたのは、オレたちに無視させないため。そう書けば自分に火の粉が降りかかるかもと思って調べるもんねー。

 わかる? この怪文書の目的は警告でも告発でもないんだよー。オレたちをうまく利用しようとして書かれたんだ。アカリ、いつまでこんなのに本気で付き合ってやるつもりー?」

 しかしアカリは折れない。

「でも気になるー」

(……しつこーい)

 この物事に執着しすぎるところは双子ながら理解できないと思う。アカリが調べたいと言いださなければオレははじめからこんな怪文書に構いはしなかったのに。

 アカリは気になる気になると言いながら、キャビネットを開けて書類ボックスをひっくり返しはじめた。

(帰りたいよー……)

 オレはこのままアカリをここに残して帰ろうか、でも借りた役員室の鍵はどうしようか、などと考えていた。ズボンのポケットの中で鍵がチャリ、と鳴った。

「あ」

 そのとき、思いつきが脳をかすめた。

(いるじゃん)

 なぜ忘れていたのだろう? いたではないか、オレたちと同じくらいずぼらで、かつすべてのファイルを開く権限を持つ人間が。

 オレは椅子に座り直し、キーボードに飛びついた。

(えっと、IDは『chadou-yy』。パスワードは……)

 どうせ変更してはいないだろう。

(『jiritsuarujiyuu』――自律ある自由、と)

 画面を見つめながらEnterキーを押すと、はたしてログインできてしまった。やった!と小さくガッツポーズをしたけど、反面不安になりもした。

(ログインできちゃったよー……。オレが言えることじゃないけど、パスワードくらい変更しとこうよー……。校訓なんかがパスワードじゃ、自分のはおろか生徒のプライバシーは守れないよー?)

「ログインできたよー」

「まじで!?」

 呼びかけると、アカリの手におさまっていたファイルは放り投げられて紙の海の中に落ちた。オレの顔の横に同じ顔が並び、PCの画面を食い入るように見た。

「どうやったの……って、ん? これ茶堂先生のページ?」

「うん。我らが無精者仲間であり尊敬すべき顧問教師のページ」

 オレはファイルのアイコンをクリックし、ファイル管理画面を呼び出した。経理フォルダを開くと、ファイルがずらずらと表示される。未開のファイルもいくつかあったので、一括ダウンロードした。

「いくつか見たことないタイトルがあるんだけどー」

「そーだね。オレたちにはアクセス権をくれなかったんだね、コータローのやつ」

「別にいいけど」

「勝手に見ちゃうからねー」

 アカリの言う通り、見たことのないファイルがいくつも並んでいた。タイトルをひとつずつ確認していく。

「自動販売機の経費削減調査、販売コスト調査、交渉条件、自動販売機設置に関する契約書、新自動販売機設置場所案……」

「自販機関係多くない?」

「多いねー」

「ちょっと開いてみよーよ」

 言われて、とりあえずおそらくこの件について最初のものであろう計画書を開いた。そこには自動販売機について発生している問題と調査することになった経緯について書かれていた。事の発端は、去年起こった震災後に電力消費について問題提起されたことだったらしい。節電の取り組みのひとつだそうだ。

 オレは次々にファイルを開いて読んでいった。

 調査によると、自動販売機について設置契約がなく、電気代は学園が全額負担していた。設置業者は4社あり、消費電力も機種によって1000から2500キロワットまで幅があった。販売料金も業者によってまちまち。さらに販売手数料もとっていなかったらしい。

 契約条件を検討するにあたって販売コストが計算された。例えば缶ジュースの場合だと、原材料費、広告人件費、粗利を含めたメーカーの卸コストが70円。売価は120円にして25円ずつ設置業者と学園とで分ける見通しが立てられた。

 販売手数料をとるか電力代を回収するか、どちらが得かも試算されていた。推定販売本数2万本で1本10円の手数料をとれば年間20万円の手数料収入が見込める。手数料をとる代わりに一般家庭用単価を使って電力負担料をとると年間40万円。学園は高圧電力契約を結んでいるので実際はそれより低い負担額になり、差額分の利益も出る。電力収入で回収するほうが有利で安全と結論付けられていた。

 その他ではばらばらに設定されている販売価格を低いほうに統一、省電力機種の全面導入、利用状況を参考に再設置、競合させるため自販機は複数社のものを併設することなどが交渉条件にくわえられた。そして契約書が作成された。

 成果として、学園が負担していた自販機の電気代が業者負担となり、年間約40万円の収入が見込めるようになった。加えて、契約によって取引業者の管理が行えるようになった。さらに複数業者による競争が促進され、生徒の利便性が向上した。

「…………」

「…………」

 今のオレたちの気持ちをわかってくれる人がどれだけいるだろうか? 例えるなら、無為に過ごしている夏休み、ふとテレビをつけると高校球児たちが甲子園で輝く汗を流して全国のお茶の間に感動を与えているのを見てしまった気分。あるいは何気なしに選手名鑑を見ていて、ひいきにしているサッカークラブで数億を稼ぐスタープレイヤーが自分の年齢と一緒だと知ってしまったときの気分に似ていた。

「……帰ろっか」

「うん、帰ろー」

 オレはログアウトし、PCをシャットダウンした。


 平日と違って人気の少ない校舎はなんだか不思議な感じがする。オレンジ色の夕焼けの下で濃い影が長く伸び、学園の裏手に続く雑木林の樹冠の上に白い月が出ていた。いつも連るんでいる仲間たちがいないのをふと寂しく感じるような、非日常的な空間だった。隣で中華料理が食べたいなどと言いながらアップルジュースをちゅーちゅー飲んでいるアカリは日常そのものだったけど。

 オレたちは南門までのショートカットのために中庭に足を踏み入れた。中庭のビオトープは5月以来関係者以外の立ち入りが制限されている。外来種や移入種の駆除と環境の保全のために。環境委員会との月に一度の評価会議がそろそろあるなと思い出していると、目の前を赤いトンボがすいと横切った。

「ショウジョウトンボだ」

「チョウチョもいるよー」

 アカリが指差す先を目で追うと、たしかに木に蝶が止まっていた。近寄ってよく見てみると黒地に木漏れ日が差したような白い斑点がついた翅がきれいだった。

「アゲハチョウかなー」

「ちがうよ~。それはアゲハじゃないよ」

 背後から突然かけられた声をオレたちは無視した。

「チョウチョってまじキモくない?」

「キモいよねー。ガは嫌いだけどチョウチョは好きっていう人ときどきいるけど、その区別は何なんだろうねー」

「どっちも鱗翅類なんだけどね~。でも便宜的な分け方はできるよ~。チョウは触角が混棒状で後ろの翅に翅刺がないけど、ガは触角が糸状、櫛歯状、葉片状といろいろあって、混棒状のものは翅刺が発達してるんだよ~。この違いがどうして好悪に影響するのかはわかんないけど」

「……あのさー、なんで会話に勝手に入ってくるの?」

「そんなこと訊いてないんだけど」

 苛々してつい反応してしまった。振り返ると、クリップボードとデジタルカメラを手にした黒羽アツシがいた。長い時間ここにいたのか腕や顔は日焼けで赤らみ、襟足は汗で濡れていた。その顔に浮かんでいた軽薄な笑みが、なぜかいきなり凍った。

「ど、どうしたのかな~。アカリ……それ……血? なんで? 平気なの? 返り血?」

「そもそも我に死という概念は存在しない……」

 アカリは無意味かつ唐突に中二病に罹患した。

 黒羽はこの一連の流れをなかったことにした。

「ちなみにそのチョウはゴマダラチョウ。花の蜜じゃなくて樹液を吸うチョウなんだよ~。そいつが止まってる木はクヌギなんだけど、いつかゴマダラチョウだけじゃなくてカブトムシやクワガタムシも現れるようなビオトープにするのが環境委員長としての夢かな~」

「何か用?」

 黒羽はクリップボードでパタパタと自分の顔をあおいだ。

「用? 別にないよ~? 今日は調査のために登校したんだ~。環境委員会で季節別の動植物一覧表をつくることになっててさ~、一日作業でもう大変!」

「ふーん」

「そこにお前らを見かけたからついでにからかってやろうかな~って思っただけ」

 切れ長の黒曜石のような目が意地悪く光った。

「黄葉にやられたね~。そろそろ気づいた、自販機契約の件? 当然だと思うけど、お前らの負けだよ~」

「はああ? 負け? オレたちの?」

 オレはびっくりして素っ頓狂な声を上げた。

「本気で言ってんの?」

 オレとアカリは目を丸くして互いの顔を見合わせた。そして確信した。やっぱり黒羽とはわかりあえない。

「ちょっとさ、冷静になって考えてみなよー」

「コータローはたしかにオレたちをうまく除け者にできたよね」

「ミュウミュウと結託してたかどうかは知らないけどさー、ミュウミュウにドリンクポリシーをつくらせることでコータロー自身からオレたちの目をそらさせた」

「紙パックの除外っていう争点を上手く作り出してオレをそこに集中させた」

「調査書見たよー。紙パック入り飲料の機種は利用者が少なかったみたいだねー」

「だからペットボトル入り飲料の機種と入れ替えを検討してたんだねー。それをオレに知られると妨害されるってコータローは思ったわけだ」

 この点については腹がたつけど、おそらく事実はそういうことなのだ。ミュウミュウはとても目立つ女の子だ。その彼女を表にたたせて目隠しにし、コータローはその裏で真の目的だった自販機契約の交渉を進めていた。

(ご立派だよねー。コータローらしいよ)

「実際に自販機契約の取り交わしにも成功してるしー」

「望んだとおりに事を運べたって言えるかもねー」

「でもさー、それだけじゃん」

「そうそう」

 黒羽は少し怪訝そうな顔をした。

「販売本数に比例した販売手数料をとるよりも一定の電力料をとるほうが有利だっていうのが試算した結果。これ、どういうことかわかるー?」

 決してそんなそぶりを見せはしないけど、黒羽の脳みそはフル稼働して答えを見つけようとしていた。負けず嫌いなのだ。

(ペットは飼い主に似るっていうけど、ほんとだよねー)

 飽きてきていたオレは黒羽の答えを待たず正解を告げた。

「それなら販売本数を上げる必要はなくなるから、紙パック入り飲料の機種を置いておいても不利益にはならないってコータローは考えるだろうってこと」

「選択の幅が広がり、利便性が向上するしねー」

「つまり、オレたちにとっては何にも変わらないってこと」

「これからも紙パック入り飲料の自販機は置かれ続けるし、オレはアップルジュースを飲み続けられるってわけ。今回のコータローの仕事の恩恵は受けながらねー」

「で、コータローがそうやって一生懸命知恵を絞って仕事してたあいだ、オレたちは何やってたと思うー?」

 クヌギの樹皮にカマキリがいるのを見つけ、オレはその胴体をつまんだ。途端にカマキリはカマを振り回し、足をわしわしと動かしてもがき始めた。

「カマキリって複眼だったっけ?」

 目の高さまで持ち上げて興味本位でカマキリを観察するオレを黒羽は非難げに見ていたけど、最後の質問は無視することにしたらしかった。

「……何かやってたんだ?」

「警戒しちゃって。ほーんと、黒羽って馬鹿だなー」

「頭かったいよねー。外見チャラいくせに」

 ぱっと手を放すと、地面に落ちかけたカマキリは翅を出して逃げて行った。

「可愛い女の子と遊んでたんだよ!」

「はあ?」

「必死こいて他人出し抜こうとしてた誰かと可愛い女の子と楽しく遊んでたオレらと、どっちが勝ち組かなんて考えるまでもなくない?」

「お疲れー、頑張ったねー、いい会長になってほしいよねー、コータローには」

「べつに黒羽でもいいけどー」

「でもオレたちはパスしとくよー」

 黒い目がオレたちの考えを推しはかろうと細まる。

「野心とか大望とか、ないわけ?」

「黒羽じゃあるまいし」

「みんな知ってるじゃん、オレたちはぬくぬく育ったんだって」

「それで満足しちゃってるんだ~?」

「別にみんなが一番になりたいわけじゃないよー」

「黒羽の価値観じゃ理解できないかもしれないけどさー」

「オレたちは別に、楽しければそれで」

 黒羽は鼻を鳴らして軽蔑するように言った。

「享楽主義か」

 オレたちはうんざりして肩をすくめた。

「そういうところ。オレたちがついていけないなって思うの」

「人生長いよー? キョウスケ先輩や黒羽みたいなさー、フルマラソンを開幕ダッシュして全速力でゴールまでみたいな生き方、オレたちには無理」

「しかもそれを周りにまで求めるっていう」

「最悪ー」

「やるときはやるけど、手を抜けるところは手を抜かないとさー」

「だからオレたちはチトセ先輩を応援するわけ」

「一応は」

 黒羽はオレたちの言葉にまるで共感できないらしい。相変わらずろくでなしを見るような目で冷たく見下してくる。こういうところさえなければ、と思うけど、オレたちが勤勉な人間になれないように、黒羽も今さら変われやしないのだろう。

「あーあ。近道しようと思ってここを通ったのに、逆に時間を無駄にしちゃったねー」

 いつの間にかあたりは薄暗くなり、白い月は校舎の上の方まで移動していた。


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