4月 オリエンテーション・キャンプ(1)
――side: 深川シズカ
今週いっぱいまで部活動の仮入部期間になっていた。昼休みや放課後になると上級生の勧誘がにぎやかで、新しい生活の、どこかわくわくするような楽しい気分が学園のそこここに漂っていた。
「シズカ、何か部活やる?」
わたしと福田さんは、お互いを名前で呼ぶようになっていた。それは、ミユウとは下の名前で呼び合うのに、わたしたちだけ名字と敬称で呼ぶのは変な感じがしたからだった。名前で呼ぶようになればもっと相手を親しく感じた。ミユウがわたしたちの仲に入って来なければきっとずっと呼び方は変わらなかっただろうなと思うと、ミユウの明るさがわたしの心も明るく照らしてくれているような気持ちになった。
「うん。もう決めてるの。園芸部に入るつもり」
「園芸部?」
そんな部あったっけ、と部活動紹介の冊子を開いて探しだすユウコにわたしはちょっと苦笑い。園芸部は文化部パートの一番後ろのページに載っていた。小さい欄に、園芸部、現在部員4名、連絡先は下記、という言葉とともに部長のクラスと名前、メールアドレスが書いてあるだけだったけれど。
「シズカ、こんなのに入るつもり? 絶対活動してないよ、この部」
「うん、そうかもしれないけど、お花を育てるのが好きなの」
「いいんじゃない? シズカってそういうの似合うよ」
ミユウはわたしを励ましてくれた。
「たしかにそうかもね。コスモスとかスミレとか、そういうイメージだよね」
「ユウコってあんまりお花詳しくないでしょ」
ミユウがユウコをからかうけれど、ユウコは大人の態度で、まあね、と認めた。
ユウコの茶色の目の色や波打つ豊かな緑色の髪は、ときどきユウコを森の精みたいに見せた。園芸に少しも興味がないのにそんな色を持っているなんて、と思うとうらやましかったし、少しだけ妬ましい気持ちもあった。
春の精と森の精に挟まれて、なんでこのふたりではなくてわたしが園芸好きなんだろう、と不思議な感じがした。
ふたりにもどうするのかと訊いたら、ユウコは物理部に入ると言い、ミユウは帰宅部だと悪戯っぽく笑った。
放課後になって3年の部長に入部届けを出しに行った。
「来てくれてよかった。あなたで5人だから今年もなんとか存続したわ。活動は毎週火曜日よ。何してくれたっていいんだけど、年に何度か業者が入って手入れしていくから、あんまりやることもないわ。月に一度活動報告書を出してくれたらそれでいいから。書式はホームページからダウンロードしてね」
言われたのはこれくらいだった。本当にほとんど活動していないようだった。
園生学園は高等部の敷地だけでも広すぎて5人では到底維持すらもできそうになかったから、造園業者に委託していることはわかっていた。全然がっかりしなかった。わたしはむしろそのほうが好都合だった。
旧校舎の奥、山裾に近い木立に沿うように薔薇園があった。訪れる人も見えず、あまり手も入らないで寂れているそこを見つけたのは、オープンスクールの日だった。8月の初めごろ、夕方で、駅の方角には薄いピンクの雲が美しく広がっていた。
敷地は200坪くらいの広さで、学園で一番はじめに建った旧校舎の裏庭としてかつては愛されていたのだろうけれど、もうその面影もなくなっていた。するすると背丈ばかり伸びて虚弱な小枝が密集し、病気や害虫に侵された薔薇が悲しかった。我が物顔に繁茂しているのは生命力の強い野草やハーブばかりだった。
こんなふうに見捨てられているくらいなら、いっそのことそこにないほうがいい。美しさや生命力を失った薔薇を見るとつらくていつもそう思っていた。けれど、よく見ると、年数を重ねた薔薇たちは立派な株立ち持っていた。もしかしたら、と思った。2メートルを超えるまでに伸び切った枝を3分の1くらいの高さまで切り詰め、若い主幹枝を4、5本まで減らせば、きっと本来の生命力にあふれた美しい姿を取り戻してくれるのではないか。わたしは、暑さでからからに乾いた土に根を張って花柄も実もそのままに放置されている薔薇に、生きようとするものの不敵な強さを見たのだった。
この学校に入学しよう、そしてここの薔薇を愛そう、とそのとき決めた。ぼうぼうの草に覆われたこの薔薇園を再びよみがえらせて、わたしの天国をつくろう、と。
入学して初めて薔薇園に足を踏み入れて、ゆっくりと薔薇の一本一本を見て記録をつけて回った。まだなんとかなりそうなものもあれば、もう枯れてしまっているものもあった。
枯れかたもさまざまだった。根腐れしているもの、ハダニやカミキリムシにやられているものもそれなりにあった。黒点病やうどんこ病も無視できなかった。根頭癌腫病が出ていて抜くしかなさそうなのも3割に上った。抜くのはつらいけれど、感染するし黒点病がおさまりにくくなってしまうから、残念だけれど諦めることにした。癌腫は完全防除が難しくて、ほどほどに付き合っていくという人も一定いる。でもわたしは将来のことも考えれば3割に収まっている今のうちに対処するほうがいいように思えた。
(ひどい……)
たしかにときどきは業者の人が来て薬剤を散布したり雑草を抜いたりはしていたのだろうと思う。でも全然追いついていない。
(とりあえずだめそうなのは抜いて、それから土も処分、跡地は熱湯消毒して、ハサミやスコップも消毒して……)
やるべきことにはきりがない。
はりきったのはいいけれど、環境の変化に体がついていけなかったのだと思う。3日間ほど体調を崩してしまって実家に帰って休んでいた。学校ではそのあいだにオリエンテーションキャンプなるものがあった。学校に復帰したわたしを迎えたクラスメイトたちは一泊の研修旅行で友情を深めていて、わたしはその見えないつながりの輪に入り損ねてひとり疎外感を味わった。
学校行事では最初の実力テストがあったり夏服の採寸があったり健康診断があったりした。実力テストの答案と成績表が返却されてきたときには順位の変動がなくてほっとした。ユウコは、また青葉が一番だよ、とむっとしていて、ミユウも、一番を狙ってたのに、と肩を落としていた。どうしてほかの人の順位がわかるのか尋ねたら、学年別の掲示板で上位30人が発表されていたらしかった。
ほかにも、何やら校内がざわめいているなと思っていたら数日前に生徒会の選挙告示があったらしくて、そんなことにも気づかないで一体わたしは普段何を見聞きして考えているのだろうかと真剣に疑問になったり不安になったりした。
――side: 福田ユウコ
シズカの付き合いが悪い。そんなのわかっていたことだが。
(そんなことよりミユウよ。あの子といるとしんどい)
ミユウが悪いというわけではない。そもそもわたしは友だちとべったり仲良くしていたいほうではないから、淡泊なシズカや外向的で友だちの多いミユウと友だちでいるのはすごく楽でよかった。問題は、ミユウの顔の広さというか、有名さなのだった。廊下を歩けばじろじろ見られるし、男子にからかいまじりに声をかけられることもある。学校の有名人である黒羽アツシやわたしの知らない友人たちに出会えば立ち止まって話をしていることもある。そうなればわたしやシズカは身の置き所がなくて、放っといて行くわけにもいかないし、隅で適当に雑談でもしているしかない。
シズカは何も気にしていないように見えていたが、このあいだ隅で雑談をしていたら、わたし最近疎外感がひどいの、と愚痴っていた。シズカが他人に無関心なのは繊細さの裏返しなのかもしれないと、このところ思う。とくにあの控え目な微笑を見ていると。
でも、オリエンテーションキャンプを休むほどだとは思っていなかった。たしかにあんな行事かったるくってやってられないが。いや、本人の言うとおり体調を崩していただけなのかもしれないが。
(友だちがやけに前途多難なんだけど。なにこれ)
オリエンテーションキャンプはなかなか大変だった。わたしたち学級委員は集まって、研修のしおりを作ったり連絡事項をまとめたり日程を組んだりといった事前準備を放課後もつぶしてやった。
当日は晴天で、なんとか無事に終わってくれと祈っていたわたしには幸先よく思えた。シズカがいなくて余計につまらなかったことはつまらなかったが、小旅行気分が少しもなかったと言えば嘘になる。バスに乗り込んで目的地に着くまでは、ミユウが紫葉のとなりに座ったから楽しくひとりオセロをやれた。みやま自然ふれあいセンターでのその後のしょうもない活動の予定は別のことを考えることで消化した。22を7で割ってひたすら小数点以下を求めたり355を113で割ってひたすら小数点以下を求めたり。教員紹介や学習方法ガイダンスはまあいいとして、園生学園についてのクイズだの自己紹介しあってなるべく多くのサインを集めるゲームだの、自分たちで考えたとはいえ阿呆らしかった。
キャンプなんていうが、別にテントを張ったりするわけもなく、旅館に移動しての宿泊となった。ふれあいセンターにも宿泊施設はあったが、そんなところに宿をとる園生学園ではなかった。予算が有り余っているってありがたいよね、という話だ。
夕食や温泉を楽しんだ後、クラス別での交流会があった。そこで序列3位の紫葉マサタカとちょっと話した。いつもひとりでいるので学級委員としては気になる存在だったが、浮雲系の変人といった感じで、気にするだけ無駄だと悟った。
問題はその後にあった。青葉ミズキと春風ミユウが消えたのだ。就寝確認の見回りのとき、ふたりがいないことが発覚した。いい加減疲れていたわたしは簡単にカッときた。それでも、先生には知らせず学級委員だけで内々に処理しようと言うほかの学級委員たちに折れ、こっそり探しまわった。わたしたちの努力にもかかわらず、要領がいいらしい青葉とミユウはどこで乳繰り合っていたかは知らないが何事もなかったようにそれぞれの部屋に戻っていて、わたしをさらに怒らせたのだった。
オリエンテーションキャンプから帰ってきて、明らかにミユウと青葉の関係が変わっていることにみんな気づいた。ミユウは青葉のことをミズキと呼んだし、青葉はミユウのことをミユウと呼んでいた。会話こそそう増えてもいなかったけど、呼び名の変化とさっと交わされる意味ありげなアイコンタクトは、ふたりのあいだに何かあったのだろうと推測させるに十分なものだった。
青葉と何かあったの?とミユウに率直に訊いてみても、秘密にしてるの、と悪戯っぽい笑みでかわされた。秘密だなんて何かあったということと同義で、ミユウとしてはあったことは否定しないけどそれが何かまでは言いたくない、といったところなのだと思う。男女の交際なんてどこまで進んでいても行きつくところはせいぜい性交や結婚なのだから隠しておく意味が見出せなかったけど、たぶんこういうところが可愛いミユウと可愛くないと言われるわたしとの差なんだろうなと納得させる出来事だった。
「わたし、次のテストで1位をとりたい!」
ミユウはそう言ってオリエンテーションキャンプから帰ってきたばかりの気の緩みも見せずに頑張っていた。
「なんで? 別にそんなの、適当にこなせばいいじゃない。奨学金に関係するのは定期試験だけだし、ましてや入試でもないし」
「肝心なときに頑張れるタイプならそれでいいけど、わたし普段から頑張ってないと調子に乗れないんだよね。テンション緩めちゃったら戻りにくいというか。ユウコってばわたしよりずっと合理的な頭してるんだね」
ミユウが努力家なのは間違いない。それゆえわたしはミユウを嫌えないのだ。異性関係が派手そうな美人は苦手だが、理想を持って日々努力している人間には尊敬の念を抱かざるを得ない。
「それにね、ミズキに勝ちたいの」
ミユウはたまに思慮深そうな顔をする。
「青葉に?」
「ミズキって優等生でしょ。あの優等生の仮面をはがないと、次のステップに進めないのよね」
「どういうこと?」
「今まで対等な相手っていなかったんじゃないかな。いつも自分が一番で。そうでなくちゃいけないって思ってるんだよ。ミズキがそう思ってるうちはきっと誰のことも頼らないよ。それだとわたし、ミズキとこれ以上仲良くなれそうにないから」
正直に言って、ミユウがそこまで周りの人のことを見ているとは思っていなかった。世界が自分中心に回っているという気になっているお姫様だと思っていた。
(あー恥ずかしい。浅いのはわたしか)
ステレオタイプで人間を見るべきではなかった。こうやって人を思いやって、行動力があるから、ミユウにみんな惹きつけられるんだなとなんとなく理解した。ミユウの場合、男好きというよりも社交的といったほうが正しいように思われた。
結果は惜しくも2位だったけど、『六葉一花』の紫葉を下したということで、ミユウは上級生や教師連中のあいだでも有名な存在になった。もともとすごく容色がいいところに頭脳もずば抜けているということで『六葉一花』に対する新たな極ができたかと警戒する向きもあったが、ミユウはまったく意に介していなかった。ミユウが気にしているのはミズキに勝てなかったことであって、外野のことなんかどうでもいいといった態度がミユウらしいと、わたしも好意的に思った。