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7月 暮夜の冒険

――side: 深川シズカ


 その夜、校内を歩いていた者なら誰でも――下校時間はとうに過ぎていたけれど――旧校舎の換気窓から突き出た学園指定のジャージを履いた2本の足を見て、腰を抜かしたことだろう。その足はじたばたともがき、のたうち、空を蹴っていた。学校の七不思議や怪談の類ではない――しかしそう誤解されたとしても仕方のない光景だった。

 わたしは途方に暮れてミユウを見た。ミユウも動揺と困惑を隠せない様子で、暴れ回る2本の足を食い入るように見上げていた。

「ちょっと! 押すなり引っぱるなり、何とかしなさいよ!」

 2本の足が怒鳴った。正確にはユウコが怒鳴ったのだけれど、目に見えているのは窓にぴったりはまった臀部と陸に打ち上げられた魚のように上下する両足だけだったので、そう表現するしかなかった。

「ユウコ、声が大きい!」

 わたしは声を押し殺して叫んだ。もし誰かにこんな姿を見られたら、彼女は一体何と申し開きをするつもりなのだろう?

「まずは暴れるのをやめてよ。近づけないんだけど」

 ミユウの顔はすでにもう帰りたそうだった。

「早くして!」

 ユウコが苛立たしげに足を振ると、靴がスポンと抜けて薔薇の生垣に突き刺さった。ミユウは目を閉じて天を仰いだ。

「ああもう。なんであんたたちの口車に乗っちゃったんだろ……」


 事の次第はこうだった。わたしたちは放課後に園芸部の部室に集まり、旧校舎への侵入経路について話し合った。

「すべての出入り口と窓は、下校時間後に夜警さんが残っている生徒や教師がいないかを確認しながら施錠するのよ。夜警さんの目を盗んで移動しながら校舎に留まるのは難しくないわ」

「ちょっと待ってよ。そうかもしれないけど、登下校記録はどうするの? 下校してない生徒がいるってなったら職員総出で捜索大作戦が始まるよ?」

 ミユウは生徒手帳のポケットに入れられたICカードをかざしながら言った。

 園生学園は裕福な家庭の子女が多く通っているためセキュリティにも力を入れていて、交通機関と連携した登下校管理システムを持っている。ICカードを携帯していれば、学園の門や駅の改札を通過したときに情報が習得される。この情報は学内サーバーで管理され、アクセス権を持っていれば学内のパソコンからいつでも確認できる。それによって生徒たちの所在範囲が推定できるようになっているのだ。

「いったん下校するしかないわね。で、また来るのよ。もちろんICカードはおいてね」

「それで、どうやって校内に入るの? カードがないと門のところで警備員に止められると思うんだけど……」

「忘れたって言えば?」

「そうしたら届出しなくちゃいけないんだから同じよ。あーあ、ちょっと前まではもっとずっと緩くて、なあなあで通してくれてたのに。ほら、先月赤葉先輩が学外の男たちに殴られた事件あったでしょ。あれからやたら厳格になっちゃって」

 ユウコは愚痴っぽく言った。

(門。門か……)

 そのときわたしの頭の中で発想の転換が起こった。

「門から入らなければ問題解決なのよね?」

「どういうこと?」

「薔薇園の裏手、雑木林になってるでしょう? そこから先はすぐ山よ。門もなければ塀もないの」

「それは、シズカ、塀が必要ないほど山が……」

 ミユウは言いかけてやめた。

「……仕方ないか」

 ユウコは問題がひとつ片付いたことに目を輝かせて、わたしたちに次の問題を思い出させた。

「旧校舎へは? どうやって入る?」

「ガタガタ揺らしたら錠が外れる窓もあるんじゃない? 古い建物だもの」

「無理よ、窓の錠はロックがかかるようになってるから。それに古いせいで錆びてるからなかなか動かないわ。だいたいそうやって開けるのに何十分かかるのよ? まだるっこいことなんかやってられない。ガラス用のカッターで窓ガラスを切り落として、そこから手を入れて錠を外せば早いんじゃない?」

「手口がプロの犯罪者っぽすぎる。賭けてもいいけど、翌日には学園中を警官がうろつく事態になるよ」

 頭の動きに合わせてピンクの髪がさらさらと左右に揺れた。

「どうしよう。諦める?」

「まだだめよ。早すぎる。そうよ、それに百聞は一見にしかずっていうじゃない。ごちゃごちゃ話しあってるより自分の目で見てきた方がよっぽどたしかだわ」

 ユウコは憤然と立ちあがった。

 こうして5分後にはわたしたちは旧校舎の屋根と壁以外のすべてをチェックしていた――錠が壊れているところはないか、出入り口のドア鍵はヘアピンで開きはしないか、等々。結果はわたしたちをかなり意気阻喪させるものだった。学園が防犯について真剣に取り組んでいることを確認できただけだった。

(別のアプローチが必要みたい……)

 下校時間後に忍び込むのは考え直そうとわたしが言いかけたときだった。

「あの小さい窓ならどう?」

 薔薇園の端に立って、腕組みをして旧校舎の外壁を睨みながら、ユウコがそんなことを言いだした。ミユウは疑わしげな顔でユウコがあごで示した場所を見た。たしかに他の窓よりずっと上に曇りガラスの入った小さな窓があった。

「そこって……トイレだよね」

「換気と明かり採りのための窓みたい。でも――高すぎない?」

「大丈夫よ。あれくらいの高さなら。幸いなことに外壁は煉瓦よ、足場ならいくらでもあるわ。それにあの窓ならこっそり日中に錠を外しておいてもばれやしないわよ」

「やめときなよ……」

 ミユウは眉を寄せて言った。しかしもちろんユウコはやめはしなかった。

 

 ミユウはアーティスティックなオブジェみたいになった靴を見て憂鬱そうにため息をつき、わたしが生垣から靴を取り上げてユウコの足にはかせようとするのを手で制止した。

「体育館シューズだから足跡を見つけられても問題にはならないと思うけど、靴ははかないでいこう。薔薇の茂みにでも隠しておけばいいよ」

「靴下のまま入るの?」

「ううん。トラベル用のルームシューズ持ってきた。靴下で歩き回るなんて嫌だもの。帰ったら捨てれば証拠もなくなる。ね?」

 わたしは感心しきりで小さく拍手した。手にはゴム手袋が二重につけられている。これもミユウが用意したものだった。決行前、なんだかんだ言ってミユウも乗り気じゃない、とユウコはうれしそうににやにやしたけれど、指紋をつけておくとあとで追及されたとき面倒なんだよ、とミユウは肩をすくめて言った。

「そんな悠長な話はあとでやって! 今はわたしを助けてよ」

 ユウコは腹を立てていたけれど、彼女にとっては悲劇的なことに、今の状態では何をやってもわたしたちの目には喜劇にしか映らなかった。

「ほら、ルームシューズはかせたよ。もう、なんでひとりで先に突っ込んで行っちゃうかな」

 ミユウは諦めたようにため息をつくと、ユウコの体を窓枠にぐいぐい押しこみながら、ぶつぶつこぼし続けた。

「だからわたしはあれほどからあげ定食はほどほどにしとけばって言ったんだよ」

「言っとくけど」

 ユウコは憤慨して言い返した。

「わたしは太ってなんかないわよ! BMIだって21くらいだし、十分標準体型なんですからね! あんたが細すぎるのよミユウ! そんな鶏ガラみたいに痩せてて、そのうちスープの中に入れられちゃっても知らないんだから! それにシズカは身長160センチしかないし……」

「はいはい、わかった。わかったから、騒がないで。……わたしはジョギングしたりジムに通ったりしてるんだからね。こう見えて筋肉質なんだよ。鶏ガラなんて言われる覚えはないんだけど」

「だったらその成果を見せなさいよ! ほら、もっと押して」

「やってる! ああもう……だいたいなんで頭から入ったのよ?」

「先に足を入れるあいだどうやって体を支えるのよ? 馬鹿なこと訊かないで」

「頼むから言い争うのはやめて。静かにして――お願いだから」

 わたしもユウコの足を必死で持ち上げて支えながら、泣きそうになって言った。

 ふたりはやっと黙った。しばらく3人分の荒い息遣いややうなり声や小さな悪態が聞こえていたけれど、懸命な努力の成果はほどなく表れた。

「あ、いけそう」

 ユウコは幾分楽観的な明るい声を出すと、腕に力を入れ、身をくねらせた。すると、ずるずるとこすれるような音とともに体は前に進みだした。クライマックスを越えたことを悟ったわたしたちは急に元気が戻ってきて、いっそう強くユウコの体を押した。それと同時にユウコの体は窓枠をすっかりくぐりぬけ、内側に落下した。

「あ」

「ユウコ!」

 わたしとミユウは顔を見合わせ、勢いよく窓枠に飛びついた。落ちたあたりを目を凝らして見るけれど、中は当然のことながら明かりなどついていない。

「暗くってよく見えない。……ユウコ! ユウコ! 返事して」

 かたい声でミユウは呼びかけた。

 答えがなくて、わたしたちがいよいよ心配になってうろたえだしたとき、内側から不機嫌そうな声が聞こえてきた。

「……あんたたちさあ、親友の体はもっと大切に扱うものでしょうが」

「大丈夫なの?」

「だいじょうぶ?」

 ユウコはことさら皮肉っぽく言った。

「まあ、大丈夫よ、手首が痛いのを除けばね」

 その皮肉でさえも、今は聞けてうれしかった。頭を打ったかと思っていたのだ。

「よかった……」

「よかないわよ。痛いって言ってるでしょ、まったくもう。ふん、でもまあ見てよ! ほーら、ちゃんと入れたじゃない。わたしの言った通りね。わたしがいてよかったと思うでしょ? あんたたちはちょっとそこで待ってなさいよ、わたしに感謝しながらさ。廊下の窓を開けてくるわ」

 その言葉のあと、衣ずれと扉が開閉する音がした。わたしは潤んだ目をごまかすために何度も瞬きをしながらそれを聞いた。隣でミユウがくすくす笑いだした。

「聞いた、あの言いようを? あれこそユウコだよね。わたし、ああいうところ、ほんとに好き」

「うん」

「あの気丈さったら。自分ってものを持ってるよね」

「うん、本当に」

 気がついたらわたしの顔もほころんでいた。

「――開けたよ! 早く中に入って」

 わたしとミユウはくすくす笑いながら、わたしたちのつむじ曲がりな親友のもとへと駆けだした。


「はいこれ、懐中電灯。照らすのは足元だけにして。窓より高いところはだめだよ。巡視中の夜警に光で気づかれるかもしれないから」

 ミユウは手際よくキーホルダー型の小さなLEDライトを配った。わたしたちはそれを手に廊下を忍び足で進んだ。ちゃちなライトのぼやけた丸い光の輪が床をゆらゆら揺れながら照らす。先頭を歩いていたミユウの足がある地点で止まった。

「ここだよ。ここが執行部室」

 そう言うとミユウはポケットから鍵を取り出し、鍵穴に挿して回した。かちゃん、という小さな音がして鍵は開いた。

「ちょっと。なにしれっとここの鍵を持ってんのよ? 職員室から盗んできたの?」

「わたしは部員だよ? 鍵を複製するチャンスなんていくらでもあったよ」

 ミユウは得意げに鍵をかざした。

「毒を食らわば皿までだよ」

「ご立派」

 ユウコはドアの取っ手に手をかけ、そっと引いた。

「わたしが先に行く」

 ミユウはドアの隙間に身を滑り込ませると、周囲をさっと照らした。そしてわたしとユウコに後ろ手でついてくるように合図すると、わずかな明かりを頼りに迷いなくひとつの机に近づいていった。年代物でヴィンテージの趣すらある以外はいたって普通の――ただしペンやらファイルやら電子辞書やらお菓子の包み紙やらが散乱している――事務用机だった。

「――探すよ。わかってるよね? 印鑑とサインをみつけるんだよ」

「骨が折れるわね、これじゃ。こんなに散らかして」

 ユウコがぼやきながらも手を動かしはじめた。わたしも引き出しを上から開けて中を調べることにした。まもなくわたしはパニックに陥った。中はこまごましたものでいっぱいで、絶望的なまでに汚かった。

「ゴミため屋だわ」

 ユウコがひそひそ声で非難がましく言った。わたしも同意見だった。アカリ先輩はゴミ箱と引き出しの区別もついていないのではないかと思われた。

 駅前でもらったのだろうポケットティッシュが4つ、爪切りが2つ、目薬が3つ、ドライバー、ばらばらになったガム、映画チケットの半券、ちびた消しゴム、トランプ、宅配便の不在連絡票、針金の曲がってしまったクリップ、小銭……。

「どうしよう……どうしたらいいの?」

 手のつけようがなくて呆然と呟いた。ミユウは見かねて、手伝うよ、と言うと、ふたつの引き出しを完全に引き抜き、一方の引き出しにもう一方の中身をすべて流し入れた。

「ごちゃごちゃになっちゃう!」

「すでに酷かったと思うけど、これ以上どうやって?」

 ミユウは澄まして言った。

「元通りにしようとしなくていいよ。適当に突っ込んでおけばそれで十分。どうせわかりっこないんだから」

 わたしたちは手に取ったものにライトを当てて確認すると、空いた引き出しの方へ次々に移していった。ついでに片付けてあげたいという衝動に駆られたけれど、ミユウのほうはもっと過激な欲求に駆られていた。

「マッチかライターもどこかにない? 火をつけたらずいぶんすっきりするだろうと思うんだけど……」

 聞かなかったことにして、ユウコに尋ねた。

「まだ見つかりそうにない?」

 ユウコは苛立ちで真っ赤に上気した顔を上げた。

「サインはなんとかなりそうよ。見て、ほら――小切手帳。そこそこの預金はあるみたいね。さすがは藍葉家って言いたいところだけど、高校生にこんな大金を持たせるなんて、親は何を考えてるのかしらね。こんなところに小切手帳を放っておくような馬鹿息子によ? 気が知れないわ」

「他には?」

「教科書にも名前が書いてある。写すならこっちのほうがいいかな。でもごめん、それだけよ」

「こっちも」

 わたしはうなだれて肩を落とした。

 

 突然、パチッと音がして、部屋の電気がついた。凍りつくわたしたちに、明るい声がかけられた。

「何探してるの? オレも手伝ってあげよーか?」

「――嘘でしょ……」

 ミユウはうめき、ユウコは弾かれたように立ちあがってあたりを見回した。わたしはまだ硬直していた。

 軽い足取りでわたしたちの前に進み出てきたのは、藍色の髪の毛、同色の目、開けっ広げで快活な笑顔の――藍葉先輩だった。

(見つかったのね……)

 ショックで声もなく、手足が震えだしそうだった。

「下校時間を過ぎてまで探さないといけないほどのものなんだよね? 遠慮しないでいいからさー、言いなよ。何を探してたのかなー、電気もつけずに、ジャージ姿で?」

 いち早く回復したのはミユウだった。

「先輩……どうしてここに?」

「仕事が終わんなくてさー、顧問に許可もらって残ってやってたんだよ。あ、知ってる? 顧問の許可があれば部活動時間を22時まで延長できるんだよー。もちろん君たちも許可もらってるよね?」

(知らなかった……)

 はいともいいえとも答えられない。ミユウは、そうですね、などと肯定とも相槌ともとれる言葉でごまかそうとしているけれど、無駄なのはみんながわかっていた。この場はごまかせたとしても茶堂先生に確認をとられたらどうしようもないし、部外者であるユウコの存在まではどうやってもごまかせない。

 早急に明らかにしたい肝要な疑問もあった。

(ヒカリ先輩なの? アカリ先輩なの? どっち?)

 その疑問はほどなくして解けた。

「フカリン、ちょっと給湯室に行って麦茶ついできて」

「はい……ヒカリ先輩」

 麦茶を所望するということは、彼がアカリ先輩であるはずがない。

 ヒカリ先輩の分だけグラスに麦茶を入れて持ってくると――さすがに自分たちの分も持ってくるほど豪胆にはなれなかった――、ヒカリ先輩はアカリ先輩の椅子に腰かけてユウコとミユウと向き合っていた。

「よし、じゃあ、そろそろ説明してもらおうかな。みんな、ここで何やってたのかなー? 何が目的だったのかなー? 納得がいくように頼むよ。まさか自分が何をやってたのかわからないとは言わないだろー? それなら通うべきなのは病院であって学校じゃないんだからさー」

 わたしたちはお互いの顔を見合わせた。わたしは目配せで説明役を譲り、ユウコは肩をすくめて、好きなように話したらいいと意思表示した。わたしのせいにすればいいと言ったも同然だったけれど、ミユウはそうしないだけの慎みを持っていた。

「ええっと、これには、その、事情があって……わたしたち、思ったんですけど……えっと、これはみんなで考えたってことなんですけど……」

 ヒカリ先輩はミユウのはっきりしない話しぶりを、口もはさまず聞いていた。澄んだ目でじっと見つめられてミユウは何度も居心地悪そうに身じろぎし、咳払いを繰り返した。ごまかしと虚飾がちりばめられた説明をなんとか終えると、わたしたちはヒカリ先輩を訴えかけるように見た――あなたの双子の弟さんの横暴さが原因なんです、わたしたちにも斟酌すべき事情があったんです。ヒカリ先輩は長々とため息をつき、悩むように腕を組んだ。

「でもさ、君たちの計画は明らかに度が過ぎてるし……」

 わたしは破れかぶれになって、とんでもないことを口走っていた。

「ヒカリ先輩。この際なので、ヒカリ先輩が助けてください。ミユウのドリンクポリシーをつぶさせないでほしいんです。アカリ先輩を説得してください。もしくは藍葉アカリって署名して判子もください。わたしを助けると思って……」

 ヒカリ先輩は仰天した様子で目を見開いた。

「わかってる? フカリン、オレを振ったんだよ?」

「図々しいのは百も承知です。お願いします」

「嫌って言ったら?」

 わたしは自分の机に駆け寄り、一通の手紙を持って戻ってきた。

「これに見覚えはありますか?」

 ヒカリ先輩の眉が寄った。

「このラブレターのコピーとゴシップを書きたてられた『flash+』を添えて、わたしの父の方からヒカリ先輩のご両親に苦情を入れさせていただきます。男に付きまとわれ、こんな噂を立てられたと娘に泣かれたら、父はきっと激怒すると思います」

「えっラブレターさらしちゃうの? ひどくない? フカリンはそんなことする子じゃないよね?」

「わたしだってしたくはないです」

「幻滅なんだけど」

「本当にごめんなさい。でも……」

 わたしは必死だった。

「ふーん。でもそれは、オレが今日のことを見逃してあげて、せいぜい痛み分けじゃないかなー」

「あっ」

 馬鹿、とユウコがわたしの足を軽く蹴飛ばした。わたしは手で顔を覆った。わたしたちの犯行現場を押さえたヒカリ先輩のほうが強いカードを持っている。強いカードを持っている相手に弱いカードを出したのでは対抗できるはずがない。しかもその上何かをやらせようなんて無茶だった。脅すなんて慣れないことをするからこういう失敗をすることになるのだ。後先考えない行動や道理にはずれたふるまいは、相応の結果しかもたらさないとわかっていたのに。

 ところがヒカリ先輩は首を縦に振った。

「わかったよ。協力してあげるー。オレとの共同の仕事ってことでいい? それならキョウスケ先輩と茶堂先生の承認をもらうだけで大丈夫だから」

「え? いいんですか? ――ミユウもそれでいい? ごめんね。ありがとうございます! ……ごめんなさい」

「仕方ないよ。親にラブレター見られるとか、オ○ニー見られるくらい恥ずかしいしー」

「まさに似たようなレベルでした」

 余計なことを言ってしまって、はっと口をつぐんだ。ヒカリ先輩は気にした様子もなくつけ加えた。

「そうだ。オレと……アカリも土曜のパーティーに招待してよ。これで全部相殺にしよ。いいよね? じゃ、もう遅いからさっさと帰りなよー」

 わたしたちはいっせいにうなずき、足早に執行部室を後にした。ドアをぴったり閉め、争うように旧校舎から出てしまうと、倒れこみたくなるほどの安堵感にどっぷり浸った。絶体絶命だったものの、なんとか切り抜けることができた。すべて解決したのだ――無理やりだったけれど。




――side: 藍葉ヒカリ


 侵入者たちが出ていった部室は急にひっそりと静かになって、寂しいくらいだった。オレは隅におかれていた机の陰から身を起こし、ひとりその場に残った人影に話しかけた。

「――アカリ。何かオレに言うべきことはないのー?」

 アカリは愛敬いっぱいに微笑んだ。

「誤解を解かなくてごめん。でもオレ、自分がヒカリだなんて一言も言ってないよー。……麦茶って久しぶりに飲んだけど全然おいしくないよね。なんでみんなこんなのを飲むんだろー?」

「なんで誤解させたわけー?」

「オレの机漁ってんだもん。当のオレに本当のことは言わないだろうなーって」

「ドリンクポリシー、あれどうすんの?」

「ヒカリ、頼んだ」

(頼んだって……)

 無責任さを非難するのは今後自分を弁護しなければいけないときのためにとっておき、今は穏やかにこう尋ねた。

「いいの? ならなんですぐにオーケーしてやらなかったのさ?」

「気に入らなかったからだよー。それと10月にさ、後期の役員会選挙があるじゃん? 1年からはミュウミュウが出てくるって話だしー。ま、ちょっとした圧迫面接みたいなもんだよね」

「どうだった?」

「行動派だねー。短絡的なところもある。でも執念深いよねー。友だちからも慕われてる。それと、ややルールを無視する傾向があるかな。嫌いじゃないよー、オレは。黒羽なんかよりよっぽどまし。コータローは気に入ってないみたいだけどねー」

 あいつサイコだなんて言ってさんざん脅かせやがって、とアカリは口をとがらせた。そしてズボンのポケットからくしゃくしゃになったレポート用紙の切れ端を引っぱりだして広げた。

「春風ミユウと黄葉コウタロウは何かを企んでいる、気をつけろ……か。今日はこれのおかげで気づけたけど、それにしても、この怪文書の差出人は誰? 目的は何なんだろうねー?」


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