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7月 変化

――side: 春風ミユウ


 この学園において、中でも執行部や役員会に属する男たちは、自分は他の人間より優秀だと考えている。総じて自信家で、育ちの良さから来る尊大さがある。女なら欠点となりかねないこれらの特徴は男の場合なぜか魅力的に映るようで、校外の女からも彼らの実家の経済力とあいまって非常に人気が高く、『園生男子』というジャンルを作り上げるに至っていた。『一般女性1000人に聞きました! 彼氏にしたい大学生ランキング』でも園大生は2連覇を成し遂げ、高等部で「外部受験しようと思ってたけど園大でもいいかも」と言う馬鹿を続出させた。また、駅前で見かけたフリーペーパーでは特集までされており、『ノーブルな雰囲気にやられました(笑)』だとか『玉の輿に乗りたい!!』だとかいった、今宮神社の祭神でさえも付き合いきれないような女たちの戯言が載せられていた。

 生徒会経理にして2年の絶対的な首席であり、来年には生徒会長になると目されている男、黄葉コウタロウも例外ではなく、園生学園の生徒然としていた。しかし彼は癖の強い他の攻略対象キャラたちと違って、事なかれ主義者と揶揄されるほどに穏やかでしっかりした気性で知られている。青い○セラッティ事件で警察の事情聴取を受ける薄幸の美少女であるわたしを終始かばい、気遣ってくれたことは記憶に新しい。黄色い頭髪はわたしの目をチカチカさせるけど、眼鏡越しの猛禽類のような目はクールで素敵だった。

 

 わたしはできあがった企画書を穏健眼鏡に見せた。

「あるべき姿……生徒が熱中症にならない。空調による教室内の空気の乾燥にも配慮する。目標……こまめに水分補給を行うことで脱水状態に陥るリスクを低減させる。施策……授業中にも飲みものを飲むことを許可する。――こんなものでどうでしょう」

 穏健眼鏡の黄色い目は紙面を上から下に動き、少し細められた。

「うーん、大体こんな感じでいいと思うが……」

「どこか問題ありますか?」

「いや。ただ、教師たちから反発をくらいそうだなと」

 わたしは肩をすくめた。

「同じ感想を別の人からももらいました。でも別に飲みものくらい、と思いますけど」

「儒教的精神じゃないかな。何かを口にしながら目上の人の教えを受けるのは、どこかやっぱり失礼な気がするだろう。特にその目上の人たちにとっては。それに教師は授業や生徒を自分たちがコントロールしたいんだろうし。だから教室内のルールを生徒自身で決められてしまったら、俗な言い方をすれば、ムカつくと思うよ」

「先生方へ無礼を働くための施策じゃありません」

「わかってくれると思う。なんだかんだ言ってもここの教師たちはこの学園のやり方を理解しているし、程度はそれぞれだけど賛同してくれている。でもおもしろくはないだろうなと」

 相手がイケメンならともかく、なぜわたしがオジサンオバサン連中のプライドを慮ってやらなければいけないのか。

「黄葉先輩がわたしにやらないかって回してくださった仕事じゃないですか。消極的なことばかりおっしゃるんですね」

 思わず咎めるような言い方になってしまった。それはそうだろう。わたしがこんなどうでもいい仕事を真面目にやっているのは、すべてこのイケメンのためなのに。

 

 この仕事は穏健眼鏡からふられた仕事であり、おそらくはこの仕事を成功させる過程において穏健眼鏡に助言をもらったり上手くいかなくて落ち込んでいるところを慰めてもらったりして次第に先輩後輩という関係から変化していく、という流れなのだろうと思う。激しい恋愛というよりは不器用ながらもゆっくりと穏やかにふたりの気持ちを育てていくのがこのルートではないだろうか。だとしたらちょいちょい手を抜いて上手くいかない風を装いつつ自己嫌悪している感じの演技で優しく慰められ励まされ、あなたのおかげで勇気が出てきました的立ち直りの気丈な笑顔を見せ、そしてそして――。

(……――楽しくない。どうして)

 ただ苦しいだけだった。少し前まではこうではなかったのに。攻略がうまくいっていないときでさえ楽しかった。切磋琢磨できるクラスメイトたちに囲まれ、胸をドキドキさせるようなイケメンたちとの駆け引きに熱中し、そして隣にはいつも……。

(どうして)


 穏健眼鏡は小さく苦笑して、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ、と謝った。

「……そうだな、もっと建設的な話をしよう。教師たちへあらかじめ敬意を示しておかないか?」

「敬意ですか? どうやって?」

「許可に制限を加えるんだ。例えば、容器を倒して教材や教室が汚れたり授業が妨げられたりしないように、容器はキャップつきのものに限定する、というのはどうだろう? あなたたちの授業は尊重する、という意思を見せておけば、感情的な反発はやわらぐだろう。それにもしこのことで何らかのトラブルが起きたときでも、授業の妨げにならないように、の文言は教師たちに有利に働くだろうから、このあたりを落とし所としてくれるんじゃないか?」

「そうですね……。自分たちに制限を加えることで『自律ある自由』感も出ますしね」

 やる気が出ないまま、ほとんど投げやりにうなずいた。

「ああ、校訓な」

 言いながら穏健眼鏡は少し眉をしかめた。わたしが校訓を嫌味らしく口にしたのが引っかかったのだろう。いつものわたしらしくない失敗だった。穏健眼鏡が誰よりも実直な人間であることはわかっていたのに。しかし取り繕う気すら沸いてこないのは自分のことながら不思議だった。

「困ったことがあったらいつでも相談して。じゃあ、頑張って」

 わたしは愛想をかきあつめて微笑んだ。


「やりなおし」

 穏健眼鏡のアドバイスを取り入れて修正した企画書を執行部長の藍葉アカリに見せた際の、彼の第一声がこれだった。

「……なぜですか?」

 双子(弟)は口からストローを放しはしたものの、椅子をギイギイと後ろに傾けながら、そんなこともわかんないのと言わんばかりの口調で答えた。

「あのさあ、熱中症対策っていっても、休憩時間に水分とればいいだけだよね? 何時間も授業やるわけじゃなし。たった45分なんだから、その時間くらいは勉強に集中できるんじゃないのかなー?」

「ですから、体育の授業のあとなどは着替えで時間が取れないこともありえますし、熱中症リスクが高まっているんです」

「何言ってんの。水飲むのなんか数秒じゃん。どうしてもその時間がとれないっていうならそれこそ保健体育の授業時間内に飲むべきじゃない? 運動後のケアの適切なやり方を教えるのだって授業内容に含まれてるはずだよー」

「授業内容やそれをどう教えるかについては担当教諭が授業計画に基づいて決めることであって、執行部といえどもわたしたち生徒が口を出せることじゃありません」

「提案はできるよー。教師は拒否もできるけど」

(なるほど、部長の反対が障害なわけか)

 これでわたしはもう一度穏健眼鏡のところへアドバイスを求めに行くことができる。そうやって会話の回数を重ねていって親密度を上げていくのだろう。

(めんどくさ……)

「そうですね。でも飲みものについてルールを変えることもできます」

 億劫だったので試しに食い下がってみた。

 双子(弟)はため息をつくと、がしがしと頭をかいた。

「あのさー、今のままじゃオレひとり納得させられないの、わかってるー? いくらこういうこともありえますって言われたってピンとこないんだよね。定量的に示してくれないとさー。数字がないってどういうことー? それじゃあ必要性がわかんない。保健室の訪室者記録調べてくるなり何なりできるだろー?」

 もちろんできる。

 双子(弟)はまたストローを口にくわえて椅子をギコギコし始めた。もうこれ以上何も言うべきことはないという、言葉よりも雄弁なジェスチャーだった。

 わたしは会釈をして引き下がった。やるしかないのだろう。




――side: 深川シズカ


 藍葉ヒカリ先輩はその日、にこにこと明るい笑顔で現れた。いや、明るい笑顔はいつものことだ。正確にはこうだろう――藍葉ヒカリ先輩はその日、にこにこと底抜けに明るい笑顔で現れた。そして無農薬で育てている庭の一画からジャムにするための花びらを摘んでいるわたしに手に持ったはちきれそうなビニール袋を見せて言った。

「フカリン、甘いお菓子は好き?」

「……それは?」

「駄菓子! コンビニで買い占めてきた。どれが好きー? えっと、うまい棒とチロルチョコとフエラムネとウメトラ兄弟!――これビックリマークまでが商品名ね――と、あといろいろあるけど」

 わたしは手をいっそう忙しく動かして今それどころではないことをさりげなくアピールしつつ、心苦しそうに断った。

「……結構です。ありがとうございます」

「遠慮しないでいいよー。どれも安いし」

 袋が重かったのか、ヒカリ先輩は手近なところに荷物を置いて休もうというそぶりを見せた。

「あ! そこのベンチはだめです!」

 わたしは思わず叫んだ。

「なんでー?」

 くるりと振り返ってわたしをじっと見つめる藍色の目は驚きと怪訝さを含んでいる。わたしのめったに出さないような焦った大声と自己主張のせいで。ヒカリ先輩の問いにわたしは言葉を詰まらせた。

(天使のベンチだから)

 そこはわたしがこの庭で一番大切にしている場所だった。天使にもっとも似つかわしい薔薇を植え、天使のためだけに愛情を注いで世話をしている、いわば聖域なのだ。しかし天使自身でさえも知らないわたしのその変な思い入れをヒカリ先輩に言えるわけもなく、その場で思いついた嘘をついてしまった。

「……そのあたりはまだ害虫の駆除が終わってないので」

 そう?とヒカリ先輩は首をかしげた。わたしはごまかしたくて、ヒカリ先輩にその場から離れてほしくて、思ってもみなかった誘いを口にしていた。

「……柿の種をいただいてもいいですか? テラスで休憩しましょう」

 

 ヒカリ先輩は言葉少ななわたしの分も代わりを務めて一方的によく喋っていた。

「ほらフカリン、食べて食べて。誰かといるときに食べてるお菓子を分けないやつって最悪じゃん? オレそういうやつをひとり知ってるけどさー、そいつは将来絶対死刑になるって信じてるもん。オレは違うから。そりゃさ、チョコのバラエティパックとか買って、帰る途中で1、2個食べちゃうこともあるよー? 気づいたら分け合うには少なすぎて結局全部ひとりで食べちゃうこともあるけどさー、でもそれはひとりのときだけだから」

「はあ、そうなんですか」

 相槌を打ちながらポリポリと柿の種を口に運ぶわたしに、ヒカリ先輩は相変わらずにこにこと話しかけてくださる。その話しぶりにはいつも相手を楽しませてあげようというサービス精神が感じられた。学園の人気者とはこういうものかと思う。気の利いた話題も振れないし、ウィットに富んだ返しができるわけでもない自分がだんだん情けなく、申し訳なくなってくる。

「あの、わたしなんかと話してて面白いですか?」

「食べ物は話題としてはだいぶ楽しい部類じゃない? 例えば天気の話なら同じくらい無難だけどそんなに膨らまないよね? 熱く議論を戦わせることもないしさー。オレ曇りが好きなんだよねー、君もー? だよねー、オワリ、だろー? でももしフカリンが焼きそばに入ってるキャベツが大っ嫌いなら今日からオレの親友になれるわけ。わかる? 仲良くなりたいんだよー」

 ふんわりと上手くかわされてしまった。

「どうしてわたしに構うんですか?」

 ヒカリ先輩はクーピーラムネをいくつか口に放りこみ、残りを袋ごとわたしにくださった。

「えー? そりゃ、興味があるからだよー」

「なんでわたしなんかに……」

「何言ってんのー? オレがフカリンに興味があるのは、フカリンがオレに興味を抱かせたからだよね? フカリンがオレのこと気になってたんじゃないの?」

「はい?」

 なんだか突飛な意見を聞いた気がした。頭をガツンと打たれたような衝撃を受けた。

(この人、天動説の人だ……!)

「それに、冷たくされると燃えるじゃん?」

「……他に基準は?」

「顔は中の下くらいが一番興奮するかなあ? 綺麗すぎるとちょっとねー。あ、べつにフカリンが中の下って言ってるわけじゃないよ? オレの好みの話ね。あーでも、彼女にするなら可愛い子のほうがいいかなあ? どうだろ。このへんの妥協点が難しいよねー」

 はいともいいえとも言いづらいではないか。

「えっと、とりあえず本音はもう少し隠したほうがいいと思います」

「フカリンは、オレみたいな男は嫌い?」

 めまいがしそうだった。今までわたしの周りにこうまで明け透けに自分を全部見せつつすごい勢いで他人との距離を詰めようとする人はいなかった。ミユウやユウコとさえお互いに必要以上に踏み込んだりはしなかった。カルチャーショックだったし、未知との遭遇でもあった。

「――どうしてそんなにガツガツいけるんですか? 拒絶されることが怖くないんですか?」

 ヒカリ先輩は少し考えて、別に、と首を振った。

「打率が低くたってバッターボックスに立たないとチャンスもないんだよ?」

「下手な鉄砲も数撃てば当たる的な……」

「そうじゃないって。わかんないかなー? オレにだって選球眼はあるよ。誰でもいいわけじゃない。それに、ほら、なんだかんだ言ってフカリンもオレと喋ってくれるようになったじゃん。オレが何もしなかったら、今でもフカリンを部室の窓から見下ろしてたよー」

 すごいなあと思う、心から。わたしにはとても真似できない。

(何もしなかったら見てるだけ、かあ)

 わたしはどれだけ長い間見ているだけだったことだろう? 耳が痛い。

 先輩の開けっ広げさにつられてわたしもついずけずけと尋ねてしまった。

「でも、相手もヒカリ先輩を好きだと言えば、そこで飽きてしまうんでしょう」

「えー? うーん、そういう傾向がないとは言えないなー」

「どうしてですか?」

 ヒカリ先輩はまったく悪びれない笑顔を見せた。

「そこまでが一番、甘くておいしいところだから、かなー」


 わたしはずっと、流されるように生きてきた。嫌いなものを嫌いと言えず、人と違うものを好きと言えず、ただ人から嫌われるのが怖くて、人にもたれかかられるのも嫌で、できるだけ周囲に埋没するよう心がけてきた。言葉少なにうつむいて、物事が頭の上を通り過ぎていくのを待つのがわたしの処世術だった。

 帰る準備をして椅子から立ち上がったヒカリ先輩は、美しく咲き誇る薔薇を見回し、言った。

「薔薇、くれない? 一輪だけでいいから」

「……だめ、です」

 ただ薔薇を育てることだけが、わたしの表現であり、愛だった。だから、彼に渡せるものなんてこの身のどこにも、この庭のどこにもない。わたしはヒカリ先輩と分かちあえるものなんて何も持っていない。持っていないのだ。

「もうここには来ないでください」

 藍色の目が丸く見開かれた。

「オレ、フカリンに嫌われてた?」

「いいえ」

 同じ時間を過ごす中で彼の魅力に何度も気づいた。さらに悪いことに、それなりに好きになってもいた。ただわたしにはそれで十分で、これ以上進展の望みがない関係にヒカリ先輩を縛りつけておくなんてしたくなかった。だから少しだけ、ヒカリ先輩を見習ってみることにしたのだ。言葉に、行動にしなければ、物事は変わらないから。

「もし先輩が本当に誰かを好きになって、その誰かに花をあげたいと思うようなことがあったら、そのときは先輩のためにいくらでも花を包んでさしあげます」

 そのときわたしの気持ちを悟ることができる程度には、わたしと先輩の距離は近づいていた。

 ヒカリ先輩はうなずき、夜空のような輝く目が長いまつげに隠れた。


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