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7月 友情

――side: 青葉ミズキ


 高橋先輩は温和そうな丸顔に似合わない、理知的に冷めた表情で言った。

「記事にはできないし、しないよ。記事にしたら橙花先輩、絶対機嫌悪くするでしょ。わたしだってまだこの学園でうまくやっていきたいもの」

 すらりと長くて知性を感じさせる、これまた似合わない、しかし僕好みの指がボブカットの赤毛をくるくる弄んでいる。

 1年1組の教室の窓の外は小糠雨にしっとりと濡れそぼっていて、校舎の建つ小高い山から見下ろす園生の街の輪郭をぼやかしていた。今日はこんな天気だから、いつも放課後にはグラウンドから聞こえてくる運動部のさざめきもない。吹奏楽部の練習する、耳にたこができそうなほど聞きあきた今夏のコンクール課題曲が遠く鳴っている。

 僕は申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「そうですか? すみません、それなのにわざわざ休日に美術館まで行ってもらって」

「いいの。こういうのって交渉のネタになったりするし、それに青葉くんには悪いけど好奇心もあったしね」

 顔を上げない僕を気遣ったのか、高橋先輩は元気づけるような声で請け合った。

「大丈夫! ふたりの間には何もなかったから! わたしがこの目で見てたんだから間違いないって。彼女が他の男と出かけるとかショックだったかもしれないけどさ」

「いえ、いいんです、何もなかったなら。僕が勝手に心配してただけなので……」

「あのふたりは美男美女だものね。きらびやか過ぎて圧倒されちゃった。春風さんと青葉くんはどちらかというと百合百合しい――」

「何って?」

 どうしたことだろうか、うまく聞きとれなかった。

「いやあの、何でも……えへ。うん、春風さんと青葉くんもタイプは違うけどお似合いには違いないよってことを言いたかったのよ!」

「そうですか。ありがとうございます」

「……えっと、ふたりの話はほとんど聞こえなかったんだ。ごめんね。だからなんで春風さんが怒って橙花先輩に水をかけたのかはわからない。勝手なことばっかり言わないでって怒鳴ってたから、橙花先輩の発言が春風さんを怒らせたみたい。橙花先輩が彼氏持ちの春風さんにちょっかいかけようとして、春風さんが思いっきり拒絶したっていうのがわたしの妄想なんだけど、どうかな?」

 てめえの妄想なんか知るかよ、というのが率直な感想だ。

「ごめんなさい。僕、ミユウから何も聞いていないので……。でも、ほっとしました」

 高橋先輩はうなずいて苦笑した。

「橙花先輩って女たらしだもんね。あの人でも女の扱いに失敗することあるんだなって逆に感心したよ。青葉くんも心配ならちゃんと春風さんと話したほうがいいよ、新聞部を使ってこっそり調べるんじゃなくて。いや使ってくれてもいいんだけど。

 ――こんなところでいいかな? 約束してたアジアの現代美術展のレポートお願いね。週末までに。よーし、これで発行部数伸ばせる! じゃあまたよろしくね」

 僕に余計な世話を焼いて、速報新聞『flash+』の編集長、高橋先輩はひらりと手を振り教室を去っていった。


 誰もいなくなった教室で、手空きではあったが何をするにも間が悪く、さりとてただ無為に過ごすのは時間の無駄だったので、待ち人が来るまでの間日直の日誌を適当に埋めながら今までの情報と計画を整理していた。

 ――ミユウと橙花先輩のお出かけは派手に失敗して終わったらしい。せっかく招待券を譲ってやったのに甲斐のないことだ。

 事件のあと、ミユウを悲劇のヒロインだ正義の女性だと持ち上げ、お姫様にするのは造作もなかった。ミユウが男たちをテニスラケットでボコボコに叩きのめしたという話も伝わってしまっていたが、それさえ大した障害にはならなかった。性的暴行をはねつけ、報復の恐怖に耐えたあげく、なおもさいなまれているたった15歳の女の子に対して同情の声が上がるのは必然で、それを煽ればいいだけだった。暴行を加えてくる男に対して最後の手段を行使した女性はいかなる罪に値するのか、と黄葉先輩は生徒会の広報紙で論考した。高橋先輩もそもそもこういう行為を犯罪とみなすべきなのかとコラムで問いかけた。この問題のために緊急に開かれたPTAの会議でも多くの保護者達から擁護を受けた。誰もが意見を持っていた。口を開かなかったのは真実を知るミユウ本人だけだった。

(僕としてはそろそろお姫様から女王様に成りあがってもらいたいんだけど)

 そのための一手だった。橙花先輩に近づかせ、そしてのちに橙花先輩の支持基盤を奪わせる予定だった。戴く者がいなければ女王にはなれないのだから。ミユウに勢力を増してもらい、橙花先輩には落ちてもらう、まさに一石二鳥の予定だった。

(それをまあ見事にぶち壊してくれて……。お姫様は気難しいんだからなあ)

 今後どうするかと考える。

(うーん……深川さんとの関係修復かなあ? 深川さんつながりで橙花先輩にもう一度アプローチしてみるか……。まだ早いかなあ)

 考えがまとまらないうちに教室のドアが開き、待ち人が現れた。僕はつい目を細めた。いつも思うことだけど、彼女がそこに立っているだけで場が明るくなるのは不思議だ。まるで彼女自身から光が発されているかのような気になる。そんな存在感のある女の子はこの世でただひとりしか知らない。

「遅かったね、ミユウ」

「茶堂先生と話しあってたら終わんなくて」

 ミユウは100ワットの笑顔を照射した。そのまま足を進めると、僕の座っている席の前の席にふわりと座った。幾分疲れた彼女の横顔に労わりの気持ちが少しだけ沸く。

「執行部、忙しそうだね」

「うん、まあね。先月さあ、わたし、黄葉先輩に仕事をひとつ任されたんだよね」

「仕事? 何?」

「校内で飲み物をどう扱うか、決めて周知させてくれないか、だって」

「飲み物?」

「そう。熱中症対策だよ。今は休み時間だけ水分を摂取していいことになってるけど、それで十分なのかは考える余地があるんじゃないかって。去年も体育のあとの授業中に体調が悪くなった生徒が何人かいたし、これから体育祭の練習も入ってくるし……」

「そうだね」

「気分がフレッシュされて効率も上がるかもしれないし、黄葉先輩としては今の規則を緩和させてもいいと思ってるって言ってたけど、手が空いてないらしくて」

「結局、授業中も飲み物を飲んでもオーケーにするって話だよね? 教師受け悪そうだからやりたくなくてミユウに押し付けたんだろ」

 ついでに言うならそういうリベラルな考えは生徒会長である赤葉キョウスケの趣味でもない。風向きはとってもアゲインストだ。僕ならやりたくない。

「もう。なんでそういうこと言うのかな」

「そういうことやりそうな人じゃん、黄葉先輩って」

「そうかな」

「あの人、何でも自分でやりたい人だよ。他人任せにするなんて考えない人。自分がやった方が速くて正確だってわかってる人。そんな人が仕事を、どうでもいい雑務ならともかく、他人に任せるかなあ? やりたくない理由があったんだろ」

 ミユウは胡乱げだった。

「何なのその分析。当てになるの? 先輩が言ったように、単に忙しいんじゃないの? だっていつも忙しそうにしてるもの」

「まあ、優秀な人だからね」

「見るからにそうだよね。頭良さそう」

「定期試験では常に平均90点以上をとってる、ぶっちぎりのトップだよ。押しも押されもしない2年の絶対的な首席なんだよ、あの人は」

 キャラメル色の目が感心したように見開かれた。

「ふうん。すごいんだね。わたし1年遅く生まれてて良かったなあ。学年首位とらなきゃいけないとしたらもう攻略諦めるレベルだよ……」

(学年首位とらなきゃいけない? 攻略? 何の?)

 ゲーム感覚でこの競争に割って入ってきたというのだろうか? ミユウもなかなか底を見せない。しかしそれより僕にはもっとひっかかる言い草があった。

「僕は大したことなかったって言ってるわけ?」

「ミズキにはミズキの良さがあるよ。例えば……うーん、ちょっと今浮かばないけど」

 ミユウは冗談を真顔で単調に言う。お気に入りは『わたしは生まれた瞬間から才色兼備だった。もちろん前世でも鶏群の一鶴だった』式の冗談だ。誰かのツッコミが入るまで自画自賛する。ミユウでなければ叩かれかねないが、あらかじめ自分で冗談のネタにしてしまうところにさすがのバランス感覚があった。見方を変えれば自分のネタに笑ってはいけないという芸人の資質を兼ね備えているともいえるだろう。

 僕はミユウの冗談に笑って言った。

「ひどい!」


 話題を変えて本題に入った。

「そういえば、日曜日に橙花先輩とデートしてきたんだってね。どうだった?」

「え、何、嫉妬?」

「勧めたの僕だから。で、どうだった?」

「楽しかったよ。途中までは」

「途中までって、なんで? 何かあった?」

 無邪気な仮面をかぶって何も知らないふりをしながら尋ねれば、不機嫌にしらけた返事があった。

「さあね。なんか、オレを利用しようとするな、みたいなこと言われたかな。わけわかんないけど。わたしが自分の評判を守るためにシズカのほうに友情決裂の責任を負わせてるらしいよ。何なのあの男?」

「まあまあ。利用するなってどういうこと?」

「喧嘩の具にするなってことでしょ。中立でいたいからどっちにも与したくないんじゃないの」

「ミユウはそう言われてカッときて――」

(水をぶっかけちゃったわけ?)

 続く言葉を飲みこむ。

(危ない危ない)

「悪い? 訳知り顔でガタガタ言われるのって大嫌いなの。しかもなぜか一方的にわたしに非があるみたいに言われたし。あーもー本当に嫌になる! いっつもこういうのってわたしが悪いことにされるんだよね。でも仕方ないか! わたし美人だもんね! 納得納得って……できるわけないよね! 美人は性格が悪いとか、今どきどこのどいつが信じてんのって感じ」

「橙花先輩がいるよ」

「そうだね、橙花先輩がいたね。あの人はわたしが性格悪いってなぜか信じてるよね。男ってみんなそう、見る目ないんだから! みんなシズカの見た目に騙されてるんだよ。たしかにシズカは虫も殺したことがなさそうに見えるけど、あの子平気で殺せるんだよ? 教室に入ってきた大きいムカデだってプチってやったのシズカだし、薔薇についた虫なんか毎日のように……。わたしなんか触れもしないっていうのに」

 ムカデは体節構造を持ち、循環系は開放血管系、神経系ははしご形神経系、頭部の神経節は左右融合して脳を形成する、節足動物ではなかったか、というツッコミは僕に指摘されるまでもなく彼女もわかっているだろうから胸の内におさめておいた。代わりにこう言った。

「ああいうタイプは得だよね、かばってもらえて」

 うなずこうとしたミユウは、しかし一瞬不可解げに眉を寄せた。

「そうだね……」

(いけね)

 僕は失敗を糊塗するためにことさら明るい声を出した。

「まあ気にしないでいなよ! 気の合わない人間だっているよ。すべての人間に好かれるなんてできないんだし」

「それがさ、べつに嫌われてるわけでもなさそうなんだよね。魅力に気づいたって言ってたし。よくわかんないなあ。ひねくれてるのかなあ?」

「は? そうなの? ……橙花先輩も難物だからなあ」

(なんかまたよくわからないことになってきたな)

 ため息がこぼれるのも仕方ないだろう。

 ミユウは長いピンク色の髪に手櫛をいれて、首をかしげていた。


「今日も一緒に帰るよね? もうちょっと待ってて。日誌仕上げちゃうから」

「やだー。毎日一緒に帰るとか、なんか本当に付き合ってるみたいじゃない? ほかの男たちが嫉妬しないか心配」

「はいはい」

 くだらない軽口につきあいながらシャーペンを動かす。

(『今日の総括』? 書くことなんかないよ)

 参考にしようと前日分の書きこみを見た。『そんなん大体わかるだろ。いつも通りだよ』。

(誰だよ……。原口か。あいつか。ていうかなんで担任も承認印を捺してるんだよ。突き返せよ、ちゃんと指導しろよ)

 優等生キャラの自分にはできない暴挙だった。引き続き頭を悩ませていると、鈴を転がすような澄んだ声が耳に触れた。

「ミズキ」

「何?」

 紙面を睨みつけたままぞんさいに返事をしたが、次の言葉は到底そんな風には扱えなかった。小さな呟きではあったものの、その言葉は僕のペンを持つ手をピタッと止めるに十分な力を持っていた。

「ミズキだよね、わたしに有利な、シズカに不利な噂を流したの」

「……ごめん、何って?」

「だから、ミズキが、わたしとシズカが仲違いしたのはシズカがわたしに嫉妬心を向けたことが原因だって話に仕立て上げたんでしょ?」

 無邪気の仮面をかぶって口の端で微笑みながら、僕はゆっくり顔を上げた。視線がぶつかるとそのまま僕たちは見つめあい、どちらも外そうとはしなかった。じっと見つめるミユウの顔はどことなく硬質で、わずかに眉が寄せられていた。普段のからかうような輝きはその目になく、怒りのような熱に変換されていた。

「……ばれちゃった?」

「認めるんだね。呆れた」

「ごめん。怒ってる?」

「……どうなのかな」

 とは言うものの、ミユウの口元は強張っていた。それから座っていられないとばかりに立ち上がり、討論会の闘士のように教室の中を行ったり来たりし始めた。

「なんか、話してておかしいと思ったんだよ。基本的にわたしは同性にかばってもらえるようなタイプじゃないもの。今事件のせいでわたしのことを悪く言いづらくなってるのは知ってるけど、叩ける材料が出てきたらすぐに手のひらを返しそうな人なら何人も知ってるよ。逆に控え目で害のなさそうな子ならいくらでも褒めることができるのが女の子だよ。わたしが持ち上げられてシズカが落とされるなんてこの世の摂理に反してる。

 それにわたし、そういう話になってるなんて知らなかった。なんで教えてくれなかったの、ミズキ? 最近よく一緒にいたのに。決まってるよね。わたしにできるだけ介入されたくなかったんだよね。そばにいるようになったのだって、噂をわたしの耳に入れないためなんじゃないの?」

 鋭い糾弾にさらされて僕は無理に微笑を浮かべた。

「僕、尽くすタイプだって言ったよね」

 ダメージコントロールをしただけだ。深川さんには泥をかぶってもらうことになったけど、何の手も打たなかった彼女が悪い。

「わたしのためだったって言いたいの?」

「そうだけど、なんでミユウが深川さんのことをそんなに気にすることがある? 喧嘩したんだろ? 何か不満があるんだよね?」

 ミユウの足が突然止まった。

「気にしてなんか……」

「だったらこんな風に指摘なんかしないで、黙っていればよかったはずだろ。知らんぷりしてればよかった。僕が勝手にやったことでミユウは何も知らなかったんだって顔ができるような状況を、せっかく僕が用意してたんだからさあ」

 ミユウはびっくりしたように、戸惑ったように僕を見た。口元はますます引き締まり、目だけがせわしなく動いていて内心ひどく動揺していることがうかがえた。初めて見る彼女の無防備な表情だった。僕が言ってやらなくたってこんなことミユウにもわかっているはずなのに。聡明な彼女なら、それが理解できないはずなどないのに。

(なのになんでそんな顔するんだよ。……ああもう、柄じゃないんだけどな)

 しかしこれを告げないのはフェアではない。彼女たちはお互いにお互いがふさわしいことを証明した。

「最近ミユウとよく一緒にいたのは、深川さんと福田さんに頼まれてたからだよ。ミユウは怖い目に遭ったばかりなんだからひとりにしないであげてって。帰りも心配だからできたら送ってあげてほしいって。――あのふたりと仲直りをすべきだよ、ミユウ。何があったのかは知らないけど。でもお互いまだこれだけ思いやれるんだからさ、ミユウ、完全に壊れてしまわないうちに……」


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