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6月 閉塞

――side: 深川シズカ


 赤葉先輩は執行部のグループウェアを通じてわたしの時間を1時間予約し、園芸部の部室に来るように指示した。早めに部室に行って鍵を開け、換気をしたり軽く掃除をしたりしていると約束の時間が迫っていて、わたしはあわてて1階の自動販売機でふたり分の飲み物を買ってきた。

(何もないけど、せめてこれくらいは)

 淹れたてのお茶やお茶請けまで用意しても別に赤葉先輩は喜ばないだろうことはわかっていたし、何よりこれからやるのは女子会ではない。それでも、という気持ちでテーブルの上に庭から摘み取ってきたばかりの薔薇を生けた。

 自分が調べてきた資料に目を通しながら待っていると、赤葉先輩は時間ぴったりに現れた。先輩は部屋に入りかけて足を止め、わたしの顔より先に薔薇に目を留めた。そして顔をしかめ、既視感がするな、と呟いた。何のことを言われているのかよくわからなかったけれど薔薇を気に入ってくれたようすではなかったので、傷つきつつも資料を広げて花瓶が邪魔になったふりをしながらよそにどかした。


「問題は、山本マサキをどうやったら有罪にできるかということだ」

 赤葉先輩は指でボールペンをくるっと回した。

「今までに3回逮捕されている。しかしいずれも嫌疑不十分で不起訴だ。こうなると証拠がもっと固まるまで警察はもう動かないだろう」

 不機嫌そうに眉根を寄せ、ついたため息には疲労の色があった。手元の資料は書きこみや付箋がたくさんあって、彼が割いた時間や労力を思わせた。まだきれいな自分の資料が恥ずかしくなって、そっと体に寄せて隠した。

「どれも若い女性をそそのかして盗みを働かせた容疑ですね」

「ああ。3件の被害者は当時大学生だった。しばらくしてもっと馬鹿でちょろい高校生を狙うことを思いついたんだろうな。で、温室で育った世間知らずのうちの生徒が標的になったというわけだ」

 わたしは先輩の理解に追いつこうと一生懸命だったけれど、先輩が用意した4cm近い厚さの資料に頭がパンクしそうになっていた。

「どういう証拠があればいいんですか? えーと、つまり、どこに問題があって嫌疑不十分になったんですか?」

 赤葉先輩は少し考えをめぐらせただけでよどみなく答えた。

「そうだな……いろいろだな、それは。

 まず女たちは家族からしか盗んでいないという点だ。事が家庭内だけでおさまっている場合、警察は普通介入しない。だから女と山本マサキとの関係を立証しないと事件にならない。なのに女やその家族は娘を守ろうとして非協力的になる。

 山本も年季が入っている。やり方が狡猾なんだ。あいつが実行に絡むのは、質屋まで女を車に乗せるところだけだ。盗むのも売るのも女にやらせる。オレは何も詳しく聞かされないまま運転手をやっただけだ、と捕まったら言えばいい。女が山本マサキにやらされたと供述したとしても、オレはそんなことは言っていない、女が勝手にオレに貢いだんだと言い張ればそれでいい。証拠なんてないんだから、あとは言った言わないの水掛け論に終わるだけだ。

 それに下手したら女たちの供述が二転三転する。時間がたてば記憶もあやふやになるし、自分を正当化しようとしてその場その場で都合のいいことを並べ、つじつまが合わなくなることもあるだろう。対して、場慣れていて答え方を知っている山本の供述が一貫していてより信用できるもののように見えても不思議じゃない。

 オレでも嫌疑不十分で不起訴にするだろうな」

 赤葉先輩はボールペンを投げ出して椅子の背もたれに寄り掛かった。

「手詰まりだ」

「たしかに、加賀見先輩が売りに行ったリサイクルショップや質屋の店員は、店に来たのは女の子だけだったと言っていましたね。外車で来たのを覚えている人もいましたけど、それじゃあだめなんですね。言い逃れられてしまうんですね……」

「明らかになっている事件は氷山の一角なんだろうな。沈んでいる残りの部分に解決の糸口があるのかもしれないが、おそらく沈んだままだろう」

「あの、じゃあ3件はなぜ表に出てきたんですか?」

 そこにいくらかの希望が残されていることを期待した。被害者や家族が事件として表沙汰にしたくないという気持ちはよくわかる。なにしろ外聞が悪い。

「被害届が出されたんだ。娘をいいように弄ばれて、犯罪までさせられて、それは親も激怒するよな。窃盗を強要されていたという訴えだ」

 わたしはがっかりした。彼らが勇気を持っていたからではなかった。

「強要ですか? でも加賀見先輩のようすを見る限り……」

「ああ。そそのかされはしただろうが、強要されたといえるかは疑問だよな。少なくとも最初は恋人同士という関係の上で、ちょっと窮状の相手を助けるだけ、くらいのつもりだっただろうし。

 被害届が出されたのは、山本の要求がエスカレートして加害者被害者の関係でしかなくなったためか、親に見つかって山本にやらされていたと罪をすべてなすりつけたためか、親が娘の関与を過小に評価したためかだろう。何にせよ、いずれも言った言わない、やったやらないの水掛け論に終始して嫌疑不十分だ」

「じゃあ、加賀見先輩のご両親にこっそり知らせてもあまり効果はなさそうですね」

「山本と引き離すだけならそれでいいが、そうしたら山本は標的を変えるだけで根本的な解決にはならないだろうな」

 それからは、どうしようもない行き詰まりに自然とふたりの口が閉ざされた。口を開いても事態を打開する素晴らしいアイディアが出てこないなら、言葉などあるはずもなかった。わたしたちはふたりの高校生にすぎないということを切々と感じていた。

 部室の中に夕日が射してきて、赤葉先輩の片頬を照らし、もう片側に濃い陰影を落とした。窓から校庭を見下ろすと、もう生徒たちもほとんどいなくなっていた。オレンジでも赤でもない、もっと淡いピンクの光の中で、見覚えのある姿が見えた気がした。この距離からではその姿はたそがれの中のぼんやりした影だったし、それが誰なのかをはっきり見分けるのは難しかった。でもわたしは、それをミユウだと思った。

(ミユウならもっとうまくやれたのかな)

 今までこんな風に人を当てにしたくなったことなんてなかった。ミユウを思えば、彼女があんまり何でもできるものだから、赤葉先輩や加賀見先輩の助けになれない歯がゆさが自分への苛立ちに変わり、また自己嫌悪へ変わっていった。

 耳を打つ声に意識を引き戻された。

「加賀見にレコーダーでも持たせるか……」

 わたしは代案も出せないのに否定的なことなど言いたくなかった。けれど、赤葉先輩は意見を言わない人間を相手にするような方ではないとわかってもいた。

「危険じゃないですか? もし見つかったら……」

「殴られはするかもな、もし見つかったら。だが多少の危険くらいは冒してもらわないと解決しないだろ」

「加賀見先輩はレコーダーを持つことに同意するでしょうか?」

「しないだろうな。加賀見は山本を刑務所にぶちこみたいわけじゃない。昔の優しかったマーくんに戻ってほしいだけだ」

「え、加賀見先輩、マーくんって呼んでたんですか?」

「知るわけないだろ、そんなこと」

 ではなぜ言ったのか。短く息を吐き出した赤葉先輩は、反応に困っているわたしのことなんか気にも留めない風に資料を整理し始めた。

「こうやっていても時間の無駄だ。お前もう帰れ。オレは執行部に寄ってから帰る。今日はこれで終わりだ」

「レコーダーのことはどうするんですか?」

「先送りにする。煮詰まった頭の出したアイディアじゃあな。時間をおいたら違う考えが浮かぶかもしれない。だから深川もゆっくり休め」

 先輩がわたしの意見を受け入れてくれたのだと気づいた。

「あの、ありがとうございます」

「いや。3年は今週末から修学旅行だからどっちにしろしばらくは何もできないんだ」

 赤葉先輩はそう言って、たしかにそれは本当のことなのだけれど、わたしには彼が照れているということがばれてしまっていた。そのそらされた視線のせいで。




――side: 春風ミユウ


「あーしんど! 話が長すぎ」

 わたしは目の前の扉を蹴り開けて、ふたりが帰ったあとの園芸部の部室に現れた。長時間突っ立ったままだったから足も硬直していたし、緊張していたから肩も凝っていた。手足を大きく動かして体全体で伸びをすると、体も心もほぐれていくようだった。

(うん、自由が一番!)

 やっぱりわたしは妖精なのかもしれない。今まで体を押しこめていた掃除用具入れを見て思った。わたしがあんなところに入っていると、見る人は籠に閉じ込められた妖精を連想するだろう。今こんなに解放された気持ちでいるのも、わたしの背中に透明な翅がついているからだとしても不思議はない。

(まあそれにしても、高校生の男女が密室でふたりきりで話す内容が、あれ? 切ないを通り越して悲劇だよ。色気のかけらもないんだもん)

 想像していたよりずっと真面目だったふたりの会話を思い出していた。わたしは最後まで隠れきれてよかったと胸をなでおろした。途中、何かのアクシデントで物音をさせたり扉を開けてしまったりするかもしれないと危険を見込んではいた。そのときはシズカのことが心配だったと言い訳をするつもりだったし、コメディ調の雰囲気に持ち込んで笑って流してもらうつもりだった。その見通しは甘かったと反省しなければならないだろう。あのシリアスな雰囲気の中わたしが掃除用具入れから転げ出てしまったら、穴があったらお金を払ってでも入りたい気分にさせられただろうから。

 しかし危険を冒した見返りは大きかった。

(シズカもね、もうちょっとグループウェアを触っておくべきだったよね。スケジュール帳を見たら全部の予定が全員に公開されてるんだもん。設定変更の仕方知らないのかな)

 おかげでわたしはふたりが会う場所や日時を知ることができた。

(山本マサキねえ。いい加減このどうでもいい男のネタは終わらせてくれないかな。肝心のストーリーが進まないんだよね)

 部室の内側から鍵を外してドアを開け、そのまま廊下を進む。階段を下りるときに知り合いに声をかけられたけど、ちっともあわてはしなかった。

「は、春風!?」

「あ、お疲れ~」

「おう……どうしてこんなところにいるんだ? 部活入ってなかっただろ?」

「ちょっと、シズカがいないかと思って。それにわたし、部活やってるよ。執行部。同じ部員だったよね?」

(えーと、誰だっけ……そうそう)

「金武くん」

 180cmはある高い身長、スポーツマンらしい大きな体、金色にきらきら輝く髪でなんとなく思い出した。昔から――正確にいつからかはちょっとわからないけど、ときどきしゃべったりする程度の仲だった。下の名前は思い出せなかった。

 金武ナントカはうれしそうにはにかんだ。大型犬の雰囲気があった。

「そういやあれも部活だったよな。あ、深川を探してるんだったよな。見てねえけど……オレも探すよ」

「いいよ、もしまだいるなら一緒に帰ろうかと思っただけだから」

「そうか……。なら、も、もしよかったら……い、一緒に帰るか? ほら、あれだ、もう暗いし」

「暗かったら女の子全員にそんな優しくしてあげるの? すごいね」

「そうじゃなくて、オレは――」

「冗談だよ! ごめんね、からかってみただけ。一緒に帰ろ?」

 悪戯っぽく笑って見上げれば、ワンコは顔を赤くして何も言えずうつむいた。

(おお、相変わらず)

 ワンコは昔からこの手のからかいにまったく耐性がなかった。異性のことでクラスメートたちにからかわれては顔を赤くして逃げ出すのを何度も何度も見た。中学生のときでさえ初心だと思ったものだけど、高校生になった今湧き上がる思いは、主に心配だ。この調子で彼女などつくれるのだろうか?

 

 昇降口で靴を履き替え、ふたり並んで駅まで歩きはじめた。陽はもう沈み、刻々と暗さが増してきていた。わたしはワンコが垂れ流すおしゃべりに適当に相槌を打ちながら、オレ様王子様とシズカの会話を思い出して自分の考えをまとめていた。

「先週の模試どうだった?」

「まあまあかな」

「絶対できただろ。頭いいもんな、春風。オレはだめだった。現代文でこけた自信ある」

「そう?」

(とにかく山本マサキを刑務所に送ればいいんだよね。ほんと変な脚本。でもこの事件を解決したらオレ様王子様の好感度は高くなるはず。さて、どうするかな)

「なんか苦手なんだよな、現代文が。英語も長文読んでると眠くならねえ?」

「慣れるしかないんじゃないかな。予備校行けば?」

(明白な証拠なんてないし……子分の緒方から崩せないかな。無理か。山本に入れ知恵されてるよね。被害者たちも裁判で証言なんてしないだろうし。ほんっと使えない)

「それもいいかもな。でも部活も忙しいしな。そういえばこのあいだ県総体があったんだよ。サッカー部準優勝だぜ」

「そうなんだ。知らなかったな」

(反対尋問にあっても証言が崩れず、窃盗の事実を山本の弁護士に印象を悪くするために使われず、山本のために足を広げる早さが裁判官の心証に影響しなかったら、なんとか有罪に……言ってて虚しい。男に弄ばれるような女って、ほんと救いようがない)

「……オレもレギュラーで出てたんだぜ。ゴールもした。来年は絶対トップ下で10番とってやるって、それで優勝するんだって今から燃えてんだ」

「すごいね。がんばってね」

(うーん。やっぱり頼れるのは自分だけだよね。――よし、やるしかない!)

「……オレの話、つまんない?」

「え?」

 急にトーンの下がった声に考え事から引き戻されて、何を訊かれたかも聞いていなかったから虚をつかれて横を見上げた。ワンコはぶすっとした顔でわたしを見下ろしていた。もう一回言って、と気軽に頼めそうにない空気を感じた。

「どういうこと?」

 わたしは苦しまぎれに訊き返した。

「さっきから心ここにあらずって感じで、目も合わないしさ。上の空で適当に返事だけしてるよな? べつに爆笑してもらえる話をしてるとも思ってないけど、そんな風に……」

 ワンコはそこで言葉を区切って、ため息をついて頭をがしがしとかいた。わたしはさすがにまずかったかなという気にはなっていたけど、正直言ってワンコの話なんかどうでもよかった。

(話の内容がどうとかじゃないんだよ)

 それはワンコもわかっていたみたいだった。

「やっぱり、春風、オレにはかけらも興味ないんだな」

 ぽつりとつらそうに落とされた呟き。否定もできなかった。わたしがユウコやシズカとつまらない雑談を飽きもせずにしていられるのは、今では彼女たちをそれなりに好きでいるからなのだ。攻略対象キャラたちにならいくらでも時間を割けるのは、彼らに強い関心を抱いているからなのだ。

(金武……誰よ?)

 名前も思い出せない男に抱ける関心など、せいぜいこの程度でしかない。

 金武ナントカくんがわたしのことを好きなのはずっと前からわかっていた。視線で追われ、ちょっと会話するたびにテンションを浮沈させ、にやにや笑いの友だちに冷やかされ続ける彼の姿を何年も見ていれば誰だって、それこそバッタだってハエだって向けられる好意に気づけただろう。わたしは一度はっきりと振ったのを義理として、それからはずっと気づかないふりをし続けてきた。

(諦めてくれないかな)

 この学園に入って、『六葉一花』との関係が噂されるようになってさらに彼の人気が増したのも知っていた。

(でも金って……色っていうより、金属だよね?)

 せめて彼が噂されているように『六葉一花』と縁続きでこのゲームの攻略対象キャラだったら、と思って、どうかな、と考え直した。顔も体格もかっこいいし、知性もあるし、運動神経抜群でクラスの人気者。でも、

(重……)

 結局のところ、わたしは追いかけられるより追いかけるほうが好きなのだ。


 わたしとワンコはその場で別れ、動けずにいる彼を残してわたしはまた歩き出した。視線は感じたけど、一度も振り返ったりしなかった。わたしは妖精なのだ、見ての通り。この愛らしい容姿を見れば重度の懐疑主義者も認めざるを得ないだろう。背中にあるのは薄くて透明な翅。身軽で自由。重いものなんかいらないのだ。

 バッグから携帯電話を取り出し、アドレス帳から親友のひとりを選んで通話ボタンを押した。相手はほどなくして電話に出た。

「もしもし、ミユウ? どうしたの?」

「うん。わたし、警察に行こうと思ってるんだ。それでお願いがあるんだけど――」


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