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5月 執行部

――side: 深川シズカ


 終礼が終わったばかりの教室に、突然彼は現れた。藍色の髪と目、少年らしさの残る悪戯っぽい表情、軽やかな身のこなし――ゲームのキャラクターのひとり、双子の藍葉兄弟のどちらか。教室は大きくざわめいた。いつもならすぐに帰っていってしまう人たちもみんなその場に残って、彼が何をしに来たのかを興味津々の目で見ている。彼は異変だった。その日を織りなす布から出た一糸のほつれ。彼は別れ際の雑談に興じていたわたしとユウコ、ミユウのところへ迷いなく足を進め、そして言った。

「オレは藍葉アカリ。春風ミユウさんを、執行部に誘いに来たんだ」


 わたしはマダム・ピエール・オジェについていたバラゾウムシを指先でぷつっと潰した。皮手袋越しだからあまり感触はない。

「ああ嫌だ。どうして気づかなかったの」

 ロザリアンにとっての敵は病害虫だけれど、その中でもバラゾウムシはかなりの難敵といえた。その名の通り象のような角を持つ2~3ミリしかない大きさの虫で、すばしっこく、人の気配を察すると死んだふりをして落下して逃げてしまう。ゴマ粒ほどの小ささではあるけれど受ける被害は甚大だ。蕾や新梢を次々と萎れさせてしまう。週末に強風が吹いたからどこからか運ばれてきたのだろう。

 わたしはため息をついて、それまでやっていた植え付け作業を中断した。


 生活科学部が活動している食物教室へ行って、部員の誰かに頼んでカップにサラダ油を分けてもらった。それを持って戻り、目を皿のようにして庭をまわった。

(見敵必殺)

 バラゾウムシは見つけ次第補殺するのが常道だ。1匹たりとも逃がさないという確固たる意志でもって徹底的に殺すことが大切なのだ。

 初期症状は葉の表面の小さな傷。バラゾウムシの食事痕だ。これを見つけたらその周囲を探す。するとかなりの確率でバラゾウムシを発見できる。少しつつけば足をまるめてコロッと落ちて逃れようとするので、この習性を利用してうまくカップの中の油に落とせば、数秒で動かなくなる。

(ああ、花首が折れちゃってる)

 わたしは萼の根元からポキッと折った。

 産卵されると黒く変色して萎れてしまう。咲くのを楽しみにしていた蕾をだめにされて、胸の中で明確な殺意が燃え上がった。

(殺虫剤……トクチオンとサプロ―ル、撒こう。絶対に許さない)


 せっかく今日はいいことがあって、素敵な一日だと思っていたのに、バラゾウムシに台無しにされてしまったような気分だった。

(もう。ミユウが執行部員に選ばれて喜んでるそばからこれなんだもの)

 あのときのミユウの顔といったら! 頬は紅潮して、目は輝いて、とても綺麗だった。わたしを?と、嬉しさと不安の混じったような声で、信じられないみたいにミユウは尋ねたけれど、わたしは選ばれて当然だと思った。ミユウは綺麗で、明るくて、頑張り屋なのだから。むしろミユウ以外の誰が選ばれるにふさわしいというのだろう? 青葉くんかユウコか、せいぜいそのくらいではないか?

 一方でなんとなく寂しさも感じていた。これからもわたしたちの友人であることには変わりないけれど、学園の生徒全員のミユウになってしまうような気がして。これは独占欲なのだろうか? 頼り切らないように、依存しないようにとは気をつけているけれど、ミユウが誰にでも優しいものだから、わたしの友人なのよと言いたいだけなのかもしれない。

 そのあとよくわからない流れで執行部に紫葉くんと金武くん(同じクラスだったらしい)も入ることになっていた。ミユウ目当てなんじゃないの?とちょっとおもしろくない気分になったけれど、そういえばミユウはヒロインなのだから好意を寄せられて当たり前なのだ。ミユウに彼氏ができたら寂しくなるけれど、それは諦めなければいけないのだろう。

(あ、じゃあ、藍葉先輩が勧誘した理由もそうなの?)

 そう思いついてムッとする。ミユウが可愛いからちょっかいかけるみたいに誘われたのだとしたら最低だ。

(……やだな、わたしったら)

 そう考えるのは藍葉先輩にもミユウにも失礼だろう。藍葉先輩は執行部長として、実力を見込んでミユウを執行部に誘ってくれた、きっと真実そうなのだろうし、わたしはそうと信じているべきなのだ。ミユウが好きになるかもしれない人、彼氏になるかもしれない人なのだ、きっと素晴らしい人なのだろう。そうあってほしい。


(……ここにも)

 鉢植えのメアリー・マグダリンの葉に小さな丸い傷を見つけてわたしは眉をひそめた。バラゾウムシがまず間違いなくどこかにいるだろう。

「出てきて。姿を見せて」

 殺してあげるから。わたしは苛々しながら残酷な気持ちでバラゾウムシに呼びかけた。そうして目を凝らしていると、革靴が小径に敷きつめられた煉瓦を踏む音がして、ガートルード・ジェキルの陰からひとりの男子生徒が姿を現した。見覚えのある姿だった。無造作にきまっている黒い髪、黒曜石のように鋭く輝く目――。

「――黒羽先輩」

 環境委員会の委員長だった。

(独り言を言ってるところ、見られて……?)

 それも、虫を恫喝しているところを。わたしはひどく狼狽し、羞恥でまともに先輩の顔を見られず、すぐにメアリー・マグダリンに視線を戻した。花色は薄いアプリコットからクリーム・ホワイトのあいだくらい。可愛いボタン・アイを繊細で絹のような花びらが取り囲むイングリッシュ・ローズ。今はまだ蕾だけれど。

「なんか、薔薇園が薔薇園になってるんだけど」

 黒羽先輩の声が聞こえた。独り言なのか話しかけられているのかわからなくてちらっと見れば、黒羽先輩はにこっと微笑んだので、あわてて返事をした。

「そ、そうですね……」

「ここってすごく荒れてたのに。君が手入れしたの?」

「……はい」

「すごいね~」

 どうやら先輩はわたしの独り言を聞き流してくれるらしい。からかわれたらどうしようかと思っていたから、少しほっとして微笑みを返した。

「園芸部?」

 先輩は尋ねながらゆっくり歩み寄ってきた。

「あ、はい、そうです」

「ふーん、そう。……でもなんで? オレ、薔薇園は更地になるって聞いたんだけど」

 わたしは目をぱちくりさせた。

(あ、そうか。先輩はご存知ないのね)

 先生方もまさか薔薇園を潰すという計画を事実上保留するというあんな約束を吹聴したりはしないだろうから、環境委員会委員長といえど知らなくても当然なのだ。

 わたしはあの約束を教えてさしあげようかどうか迷った。でも結局、口を閉じておくほうを選んだ。言えば、脅すようにしてお願いを呑んでもらったことにも触れることになるだろう。そんなこと、先生方の名誉のためにも、ミユウの評判のためにも、学園のためにも、言うべきではないだろうから。

 わたしはごまかすためにただあいまいに微笑んだ。黒羽先輩は怪訝そうに首を傾げたけれど、まあいいや、オレには関係ないし、と言って深く追及しようとはしなかった。

「オレ環境委員なんだけどさ、ちょっとここを調査させてもらいに来たんだ~。構わないよね?」

「え、調査ですか? 委員会ではそのような話は出てなかったと思うんですが」

「あ、君も環境委員? うん、急な頼まれごとでさ~。役員会の手伝いだよ。そうだ、もしよかったら君も手伝ってよ。いいよね?」

 委員会の仕事なら上級生だけにやらせるわけにはいかないだろう。わたしは部活動時間がつぶされることを覚悟して、気落ちしながらうなずいた。




――side: 藍葉アカリ


 結局、キョウスケ先輩が警察に呼ばれた件はたいしたことじゃなかった。昼休みにヒカリから聞いた話だけど、なんでも園生学園の生徒を狙った犯罪が増えているから注意してほしいことや、『園生つうしん』で近隣の犯罪や事故の情報も発信していることへの感謝と今後に引き続いての協力要請が主な内容だったらしい。

(キョウスケ先輩もなかなかやるなー)

 『園つう』はもともとキョウスケ先輩の書記時代の企画だった。今はほとんど執行部に投げているけど、制作から初期の運営までをやっていたのは先輩の親衛隊だった。これを警察に褒められ正式に情報提供を受けるようになるということは、すなわち生徒会長赤葉キョウスケの実績になったということだ。

 コータローの予想は半分当たり半分外れといったところだろうか。

(ま、青いマセラッ○ィの件は解決したようなものだし、そう心配はないと思うけど)

 ある女子生徒の私的な制裁によって。事情を知らない警察は彼らの犯行が途絶えたことをきっと喜ぶだろう。そしてひとつの犯罪を撲滅した女子生徒――春風ミユウは、今日、執行部の部員になる承諾をした。予定になかったふたりも加わったけど、ひとりはもともと採るつもりだったし、もうひとりも候補者リストに載っていたから問題ないだろう。

「気楽にしててもいいよー。今日は顔見せくらいだし、いきなり難しいこと頼んだりしないし。挨拶さえちゃんとしてくれれば」

 普段一般の生徒が足を踏み入れることのない旧校舎3階に向かいつつ声をかける。

(うん、オレっていい先輩)


 3人をとりあえず廊下で待たせて役員室に入ると、役員の4人はみんなそろっていて、すでに仕事を始めていた。

 コータローが顔を上げてさっそく文句を言った。

「おい、どこ行ってたんだよ。遅刻だぞ」

「やだなー、仕事の一環だよ」

「なら勤怠表つけてから行けよ」

「それじゃ間に合わないかもしれないと思ってさー。大目に見てよ」

「間に合わない?」

「そうそう。そういうことだから、ほら、執行部室に行って。新しい部員を紹介するからさ。ほら! 先輩たちも知らん顔してないで。行って、早く」

 やいのやいのと急き立てれば、コータローは仏頂面で、キョウスケ先輩はため息をつきながら、チトセ先輩は苦笑しつつ立ちあがった。

「ヒカリ」

「えー、オレも?」

「とーぜん!」

 せっかくのってきたところだったのに、とぶうぶう文句を垂れるヒカリを連れてとなりの執行部室に移動して、みんなの注目が集まる中、廊下で待たせていた3人を呼び入れた。そのときのコータローの顔といったら、控え目に言っても見物だった。

(勧誘した甲斐があったなあ)

「えっと紹介するね。みんな1年1組でー、向かって左から紫葉マサタカくんと金武トモヒコくんと春風ミユウさんだよ」

 コータローはオレが言い終わるか終らないかのうちに飛んで来て、ガシッとオレの腕をつかむと防音設計の役員室へ強引に連れ出した。

「あ、自己紹介してて」

 と言うオレの鼻先でドアが閉められ、ガチャンと錠がおろされた。

 コータローはオレの肩をドンとついた。ちょっとよろめいてコータローに向きなおると、コータローは強張った笑みを見せた。

「ど、どういうことなのかな~? なんで春風ミユウが執行部員になってるのかな~? アカリは一体何を考えてるんだろうね~?」

 動揺しているらしい。

「コータロー、黒羽の真似に逃げるの、やめたほうがいいよー?」

「え、わかる?」

「うんまあ」

「やっぱだめか?」

「うん。すごいキャラがぶれてる」

「そうか――そうじゃなくて。アカリ、なんでオレがお前にあの話したのか察しろよ」

 もちろん察している。オレが執行部の人事権を握る執行部長だからだ。役員は希望を伝えたり助言をしたりすることしかできないから、だからコータローはオレに話したのだ、春風ミユウを間違っても執行部に入れないようにと。

(わかってないなー)

「コータローもまだまだ考えが浅いよね。オレにあんな話したらこうなることくらい予想しなよ」

「はあ? ふざけんなよ。どうするんだよ。手に負えるのかよ?」

「どうしようね」

「おい。まじでお前どういうつもりだよ」

 気のない調子であしらっていると、コータローは険のある目つきで怒りだした。

「執行部に入れたら春風ミユウの問題は執行部の問題になるんだぞ、わかってるのか? もし次あの女が公衆の面前で暴力事件を起こしたら、それは執行部の失態であり醜聞なんだからな。それは取りも直さず執行部長であるお前の責任問題にもつながるんだ。アカリ、お前本当にちゃんと考えたのか?」

 正論、正論、正論だ。

(つまんないやつ)

 飽き飽きだ。

「オレを馬鹿扱いするのはやめてよ、コータロー」

「してねえよ」

「あっそ? ならいいんだけど」

 オレはコータローの肩をつき返して距離をとると、体を反転させてドアの錠を上げて引き開けた。話は終わりだ。

「お待たせー。自己紹介終わった?」

 言いながら入っていくと、みんなの目線がこちらに向いた。執行部員たちからは戸惑いの混ざった、1年生たちからは不安げな色の目線。

(コータローがあんな風に連れて行くから)

 にこっと笑うとちょっと雰囲気がやわらいだ。春風ミユウに目をやると、可愛らしく首を傾げられた。

(こんな綺麗な子が暴力ねえ)

 セー○ームーンみたいなものだろうか?と想像してみた。放課後になると変身して、悪者を惑星だか衛星だかの力を借りてボコボコにする美少女戦士春風ミユウ。愛と勇気のテニスラケットで夜ごとこの世の悪を血祭りにあげ……世紀末的な衣装に身を包んだ春風ミユウがバイクに乗って走り出し、その背景で学園が派手に爆発したところまでは想像できた。

(うーん、こんな感じ? ……まあいいや)

 オレは悠々と歩いた。みんながオレを見つめ、みんながオレの言葉を待っている。この部屋ではオレが主人なのだ。

 中央あたりで立ち止まり、ぐるりと周りを見回す。

「さて。新しいメンバーも加わったことだし、そろそろ本格的に仕事を始めないとね。基本的には役員会の補助だけど、自分で仕事を見つけて来られるといいことあるよ! オレは厳しくやるのって好きじゃない。だるかったらサボってもいいよ。それぞれのやる気に任せるから、結果だけ見せて。それじゃーみなさんよろしく」

 ひとりずつ、それぞれの顔を見る。やる気にあふれた顔なんてほとんどない。それはそうだ、オレたちはエリートでハイ・ソサエティーな、思春期の高校生なのだから。あからさまな態度は疎まれる。皮肉げな、あるいは無気力気味にすかした顔で一身の栄達を望むのが、ここ園生学園生徒会執行部という場所なのだ。

 オレはもう一度春風ミユウの姿をとらえた。優れた容姿、明るい表情、自らに自信ありげな立ち姿。執行部が役員候補として求めるのはこういう人材だ。

(うまくやっていけると思うんだけどなー)

 扱いづらいならばリードをつければいいのだ。野放しにしているから怖いのであって、それなら餌と鞭で手なづければいいのだ。

 ちょっと手を振ってみると、微笑みとともに手を振り返された。このぶんならそのうちお手もしてくれるようになるだろう。


 解散して自分の机についたとき、すぐになぜか非常に凶悪な声色のキョウスケ先輩に呼ばれた。先輩もこの人事に不満があるのかと危惧しながらたらたら歩いて行けば、先輩は椅子にふんぞり返って座り、オレをぎりぎりと睨みつけてきた。役員室に入って、出るまで、ずっと。

 キョウスケ先輩はプリンターが吐き出したばかりの紙をオレの眼前に突きつけた。

「これは、お前の仕事にする」

 見ると、『中庭ビオトープの一般生徒立ち入り制限案』と一番上に記載されていた。その下の概要と目的に目を滑らせる。そこには、ビオトープにアメリカザリガニなどの外来種が増えており、捕獲・駆除し、経過を観察するために、役員会・執行部および環境委員以外の生徒の立ち入りを一定期間制限する、といった旨が書かれていた。

「え、オレが?」

「当然だろ!」

 なぜか怒鳴られた。すごく理不尽だった。


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