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5月 車(2)

――side: 黄葉コウタロウ


 会長が警察に呼び出された。

 すぐに執行部は何事だとけっこうな騒ぎになった。赤葉キョウスケは品行方正で知られているというわけではないとはいえ、栄えある園生学園の生徒会長なのだ。生徒会長が警察から呼び出されるなど前代未聞の事件といえた。

 その日のうちに会長は顧問の茶堂先生とともに警察署に出頭した。副会長は執行部全体に緘口令を敷き、明日会長と顧問から説明があるだろうと言った。

 双子はこれ幸いとばかりに仕事を放り投げて、ファンからもらったというパンプキンタルトをぱくついていた。

「キョウスケ先輩、どうしたんだろ?」

「ね。警察に呼び出されるなんてさ」

「さあな。悪いことにならなければいいがな」

 オレも雑談に加わって、会長も悪いことをいろいろやってそうだからな、と藍葉兄弟と軽口をたたきあってはいたが、それなりに心配もしていた。

「今ごろ逮捕されてたりして」

 そうなったらおもしろいのにな、という幻聴がつい聞こえてしまった。

 オレはため息をついた。

(今回のことは絶対おもしろいことにはならんぞ)

「何の容疑で?」

 訊けば、それぞれ会長に対する信頼感あふれる答えを返してきた。

「さあ、違法賭博とか?」

「脅迫とか?」

「賭博は現行犯逮捕じゃないと難しいし、脅迫も相当悪質じゃないと警察は動かない」

 オレが切って捨てると、えー、という声が、なぜか副会長から聞こえてきた。

「夢のないことを……」

「……すいません」

 つっこまないでおいた。

「じゃあコータローは一体どういうことだって言うわけ?」

 ヒカリはブラックコーヒーのカップを傾けながら言った。

「どんなおもしろいことを聞かせてくれるんだろ?」

 アカリはこちらを見もせずパンプキンタルトを切り崩していた。タルトにさくっとフォークを突き刺してぱくっと口に運ぶ。口を動かしているようすは別においしそうでもまずそうでもなく、こいつに渡したファンの子もさぞかし作ってやり甲斐がないだろうなと思った。

「コータロー?」

「それ、うまいか?」

 促されたがオレはあえて答えず、話を変えようと試みた。

 ここで意気揚々と語りだすやつはただの阿呆だろう。尋ねておいて、答えられたらその答えを否定し、ではお前の考えを聞かせろと言われて得意げに自説を開陳する――赤面ものだ。うざすぎる。

(危ねー。阿呆になるところだった)

 アカリは深い藍色の目でオレを見つめ、ひょいと首をかしげた。

「このタルト?まだ残ってるから欲しいならあげるよ」

 また幻聴が聞こえた。こんなもの、と。

「給湯室の冷蔵庫の中だよー」

「いや、訊いてみただけだ」

「ふーん。別に、普通の味だよ。ふつー」

 アカリはまたぐさりとタルトにフォークを突き刺した。

「あっそ。じゃあまあ、オレは仕事に戻――」

「それよりさ、コータロー。コータローは呼び出しがどういうことかわかってるみたいじゃん。言ってみなよ」

 ヒカリが話を戻した。

(今のは話が終わる流れだっただろ?)

「……わかってねえよ」

「照れてないでさー。そういうの今はいらないから」

「逆にうざいよ」

 こいつら双子は今も昔もいとも簡単にオレを挫けさせる。彼らは無邪気そうな顔で平然と生意気さを振り回している。まだ人生で一度も挫折をしたことがない人間に特有の、自惚れの強い生意気さだ。今までに誰もこいつらに、だめだ、と言った者はいないのだ。黙れ、といった者はいないのだ。オレがこいつらに、『コータローって自分のこと頭いいと思ってるだろ』、『そういうところ鼻につくよね』、と言われたようには。

 おかげでオレは自分の小賢しさに気づくことができたが、それはそれとして、オレはこいつらが苦手だ。

「……たぶん、会長自身のことで呼ばれたわけじゃじゃないだろうとは思ってる。そもそも警察署に来るように言われたってところが変だろ。もし会長自身に関係があるなら連絡して来たりせずにいきなり現れて、赤葉くん、ちょっと署まで一緒に来てもらえないか、となるはずだ。今回のことは学校に電話がかかってきて、事務管理課から会長に連絡があったんだ。この経路から考えても明白だろ。

 じゃあどういう用事で呼ばれたのかってことだが――」

「何?」

「うーん、完全な想像だし、違ってるかも知れないし……」

 あまり確かでないことは言いたくない。

「コータロー、だからそういうの、もういいってば」

 ヒカリはフォークを持った手で払いのけるような仕草をした。少々機嫌を損ねはじめたようだった。オレがもったいぶっているように感じられるのだろう。

 言うしかあるまい。

「――十中八九、うちの生徒関係だろう。何か犯罪の被害にあったか、その危険があるかで配慮してほしいことがあるとか、あるいは執行部や生徒に何か情報提供を求めたいとか、どういう話かまではわからないがそういうことじゃないかと……あー、会長も判断して今日のうちに出て行ったんだろう」

「最近うちの生徒を狙った犯罪があるらしいことを聞くしな」

 副会長がさりげなく助けに入ってくれたので、感謝をこめた視線を送っておいた。

「ですよね。恐喝グループとか青いマセ○ッティとか」

「何それ?」

 アカリはパンプキンパイを食べ終えてアップルジュースを紙パックからすすっていた。

「お前『園生つうしん』見てないだろ。最近じゃ1日2万アクセスくらいあるんだぞ」

「それPV数だろ。同一端末からの複数アクセスを除外したら4千か5千くらいになるんじゃないの」

 ヒカリの冷静な指摘にちょっと言葉が詰まった。

「何が悪いんだよ。――いいから、犯罪タグつけてある記事読んでみろよ。最近増えてるから」

「生徒と直接関係ありそうなのはやっぱり下校途中の生徒を狙った恐喝と女子生徒に声をかける青いマ○ラッティに乗った男だよな」

 副会長は憂鬱そうに髪をかき上げた。

 双子たちは何に笑いのつぼを刺激されたのか、あははとおかしげに笑いだした。

「オレたちってお金持ってると思われてるからな」

「親が高額所得者なのは事実だけどね」

(よく笑えるよ、実際に被害者が出てるっていうのに)

 ふたりが聞けば、そう言われるのは心外だと言うだろう。犯罪が起こったことをおもしろがっているわけでもなければ被害者を笑っているわけではなくここは公の場でもない、そう主張すると思う。それはオレもわかっている。さすがにそこまで常識が欠けているのなら役員にはなれなかっただろうし、オレも付き合いを見直しただろう。しかし、だからといって、不謹慎ではないか?

(オレがお堅いのか? くそ)

 やはりオレはこいつら双子が苦手だ。


 その日はそれでお開きとなった。

 腕時計を見ると18時半少し前だった。オレはいつもより早い時間に迎えの車に乗って帰っていた。北へ向かっていた国道を西に折れ、山沿いの細い道をさらに北上し、もう少しで自宅というところだった。赤信号にひっかかって停車していたフロントガラスから、同じく赤信号で停まっていた青い車が正面に見えた。

(……マ○ラッティ!)

 身を乗り出して見ると、車内にふたりの男とひとりの女がいることがわかった。女のほうは園生学園の制服を着ているようだった。

(まじかよ!)

「おい、前の青い車をつけてくれ」

「は?」

「頼む」

 突拍子もないことを言いだしたオレに、しかし運転手はうなずいた。

 信号が青に変わって発進した前の車は、驚いたことにオレの自宅のほうへ走っていった。

 そこは古くからある屋敷町で、維新前のままの趣が残っているところだった。時代が変わった今になっても屋敷に住む人とそれに仕えた人たちの区別がなんとなく残っていて、屋敷の住人であるオレたちを一応大切にしてくれている。近所の人が始終出入りしては畑で採れた野菜をくれたり子どもたちの面倒を見てくれたりと、不自由させないようにいろいろと世話をしてくれるのだ。

 マセ○ッティはただでさえにぎやかではないところをさらにゆっくりと人気のないほうへ道を進むものだから、オレはずっとひやひやさせられた。お世辞にも自分が乗っている車が尾行向きの目立たない車だとは言えないこともあって、いつ尾行がばれるかわかったものではなかったからだ。だから○セラッティが停まったときにはとうとう怪しまれたかと思って緊張した。

 追い越して少し走らせてからこちらも停車し、オレひとりで戻ってみることにした。携帯電話だけしっかり手に持って。


 オレが見たのは一方的な暴力だった。

 助けに入らねばならなくなるだろうと思っていた。携帯電話には110番をあらかじめプッシュして、あとは通話ボタンを押すだけの状態だった。――しかしオレの手はまったく必要ではなかった。

 車の中から男が放り出された。予想とは違う展開にオレは首をひねった。男は意識があるのかないのか倒れたまま動かなかった。そのあとピンク色の髪の少女が悠然と降り立った。うんざりと言いたげに顔をしかめて、しかし動作は優雅だった。

 少女は手に何やら場違いなものを持っていた。

(テニスラケット?)

 訝しんで眉を寄せたオレの前で、その斬新な使用方法が実演された。彼女はしなやかな腕を振り上げ、そのまま勢いよく男の顔面に振りおろしたのだ。

 オレが今までに聞いたことのない音がした。明らかに骨が折れた音。人体が破壊された音だ。男の苦痛にうめく声も聞こえた。

 オレは息をつめて、ただ凍りついてその光景を見つめていた。

(1年の……春風ミユウ、だよな……?)

 全校生徒の顔と名前を覚えており、一致させることができた。しかしそれを後悔する日が来ようとは思わなかった。見なかったことにして帰りたかったが、しっかり記憶に刻まれてしまった。

(おいおい)

 オレが呆気にとられているあいだにも春風ミユウは次なる凶行に及んでいた。腕をもう一振りしてあごにも痛撃を加えたのだ。

 事ここに及んでは、オレはもう女子生徒を保護するために出て行こうとは欠片も思っていなかった。その必要性をまったく感じなかったし、むしろ身の危険すら感じていた。

 春風ミユウはスカートを優雅にひるがえらせて運転席側に回り、ドアを開けるとそこからも意識のない男を引きずり出した。犠牲者はもうひとりいたらしい。その男も顔を血で染めていた。

 春風ミユウが止めを刺す前に飛び出すべきかどうか、オレは真剣に悩みはじめていた。学園の生徒が殺人事件を起こしたとなればもう揉み消せないだろうし非常に外聞が悪い。それに前途ある若者の未来を考えれば止めてやるのが親切というものだろう。しかしオレにはどうにもあのラケットの前に立つ勇気を持てなかった。

(殺しはしないよな……というかしないでくれ)

 恟々としているオレの目に春風ミユウの次の動作が映った。かがんでひざをつき、髪を右肩に寄せて、哀れな男の顔に顔を寄せたのだ。その様子は事切れようとする者の最後の言葉を聞きとろうとしている聖女のようにすら見えた。次に彼女が男の手首をとったことで、あれは息があるかどうかを確かめていたのだとわかった。春風ミユウはバイタル・チェックをしていたのだ。

(どうかしてる)

 オレはぞっとした。あの暴力は恐怖によるものでもなければ怒りによるものでもなかったのだ。春風ミユウは、まったく冷静なまま、眉ひとつ動かさずあれだけ人を傷つけることができるのだ。

 暴力はそれで終わりではなかった。バイタル・チェックの結果痛めつけようが足りないと考えたのか、思いっきり男たちの股間を蹴りつけた。

(うわ!)

 女はあの痛さを理解できない。テニスラケットで顔面を砕かれるのとどちらがましかとは一概に言うことはできないが、どちらも悶絶ものだ。じきに上も下も腫れあがるだろう。

 春風ミユウは最後まで容赦のない女だった。彼女は車のドアを開けると運転席に乗り込み、上着を脱いでミラーやシートの位置を調整しシートベルトを締めると、重症の男たちをその場に放置してそのまま走り去っていった。オレは呆然とそれを見送った。


 電話の向こうの声は興奮と興味が透けていたものの、珍しく真剣な色があった。

「――それは、すごいものを見たね、コータロー」

「どうせお前のことだから自分が見たかったと思ってるんだろ」

 少し非難のこもったオレの言葉にアカリは悪戯っぽく笑った。

「まあね。でもオレだったら車に気づいても追いかけたりしないから、どっちにしろ見れなかったと思うよ」

「おい」

「怒んないでよ。これくらいの野次馬根性も事なかれ精神も、誰でも持ってるじゃん。ほんと潔癖なんだからさあ」

 オレはため息をついた。こいつら双子に苛々したら負けだ。

「まあでも、春風ミユウかー。乱暴だとかいう話は全然聞いたことないけど、ほんとに本人?」

 疑われてむっとする。

「絶対間違いない」

「うーん、コータローがそういうならそうなのかなー。顔も可愛いし目立つからあんまり見間違いとも思えないしね。それにうちの白い制服まで見間違えるなんて――」

「絶対にない」

「――だよねー。まあ、春風ミユウには怪しいところもあるから、不思議はないっていったらないのかも」

 アカリが何について言及しているのかにはすぐに思い当った。

「投石事件か」

「うん、そう」

「オレは考えを改めた」

「うん?」

「あの女はサイコだ」

 アカリは小さく笑った。

「笑い事じゃない、オレは本気だ。春風ミユウは表面的には魅力的なのかもしれない。可愛い、それは同感だ。明るくて社交的だとも聞いている。否定はしない。でもそれだけじゃないことは明白だ。

 怪しい男について行くなんて思慮深いとは言えないだろう。刺激を求める傾向があるのかもしれない。冷静に人をテニスラケットで殴るところからは何がうかがえる? 人に共感できない人格、冷淡さ、衝動性、ルールを知っていながら自分の行動と責任を結び付けられないところがあるのかもしれないな。

 そのあと車を奪ってそれに乗って悠々と去っていくところからは? これも衝動性、罪悪感を覚えない精神性、責任感のなさ、多様な犯罪歴――」

 意外にも低く落ち着いた声でなだめられた。

「素人が決めつけるのはよくないよ。とりあえず本人に事情を訊いてみたら?」

 言われて、黙りこんでしまった。たしかに今のオレは冷静ではない。冷静なつもりだったが、興奮して頭に血が上っているような気がする。冷静ではない頭で結論を出すのは尚早かもしれない。だとしても、まさかアカリに諭されるとは……。

 しかし悪感は晴れない。

「――そうだな。ただ、賭けてもいいが、あの女は病的な嘘つきだぞ。まともに答えるとは思えない。辻褄が合わなくなっても嘘をつき続けるだろうよ」

 とりあえずオレにこの件について春風ミユウを問いただす気がないことを遠回しに伝えた。あの女の恨みを買う恐れがあることはすべてお断りだ。

「……ふーん、まあ、オレは見てないから何とも……」

「近づかないのが正解だよ」

 これが結論だ。

 思案げな間をおいて、アカリはおもむろに口を開いた。

「それで、コータロー、警察や救急には連絡した?」

「なんでオレがそんなことしなくちゃならないんだ?」

「……別に、訊いてみただけ」

 相変わらず双子はよくわからない。


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