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5月 失せ物(2)

――side: 深川シズカ


 教室の奥でユウコとミユウが立ち話をしていた。わたしたち3人はさらっとした友人関係でべたべたしたところなんて全然なかったから、頭を突き合わせるような距離でささやくように話すふたりの姿が不思議で首をかしげた。近づいて、どうしたの、と訊いてみると、ふたりは困った顔を向けて、実はね、と話しはじめた。

「わたしのバッグがなくなったの」

「ほら、キャメル色の。ミユウがいつも持って来てるやつよ」

 わたしはびっくりして、たしかなの、と尋ねた。

「うん、ないのよ。一体どうしたのかなあ」

 そう言ってミユウは当惑げに眉を寄せた。

「いつ気がついたの? もう探した?」

「気がついたのはさっきだよ。この教室は一応ユウコと一緒に探したけど、でも今日は机の横にかけたまま動かしてないの」

 変でしょう、とユウコは緑色の髪をかきあげた。

 どうすればいいのかわからなくて困っていると、ユウコがため息をついた。

「こうして突っ立っててもしょうがないから、とりあえずひとつひとつ確認していきましょう。

 まず朝、たしかにミユウはあのかばんを持ってたでしょ? 昼休みまではあったよね、あの中にミユウはお弁当入れてるもの」

「うん……食べ終わってちゃんとしまった覚えがある」

「そうよね。それからは?」

「うーん、わかんないなあ。気にしてなかったし……」

「午後からは英語、古文、生物だったでしょう。ミユウは7限まで教室を出てなかったような気がする。なくなったのは生物実験室に移動した後じゃない?」

 ミユウをうかがえば、わたしもそう思う、とうなずきが返ってきた。

「そのあとすぐに掃除、終礼があって、解散だよね。ずっとチャンスが……ってチャンスなんて言い方したら他人を疑ってる感じになっちゃうか」

「でもそれしか考えられないでしょ。こんなこと言いたくないけど、誰かがわざとやったとしか考えられない」

 ユウコは不機嫌にそう言いきった。そうね、と言う勇気もなくてわたしは黙ってしまった。でも今まで誰も言わなかったけれど、みんな心の中では疑っていたと思う。誰かが悪意を持ってミユウのかばんを隠したのではないか、と。

「……誰か教室には残ってなかったの? 心当たりがないか訊いてみた?」

 盗られたのかもしれないということには触れずに尋ねた。

「ううん、わたしが来たときには誰もいなかったよ。……そういえば、なんでユウコもシズカもまだ残ってるの?」

「ああ、わたしは部活中だったんだけど、図書委員会から本を返却しろって督促のメールが来て――」

 ユウコは携帯電話を開いて該当のメール画面を見せた。

「ね? 本を取りに来たところでミユウと会ったのよ」

「わたしは今日日直だったから、日誌を書いて教員室に持って行って、先生と少しおしゃべりをしてきたの。帰ってきたらふたりがいたから、どうしたんだろうと思って……」

「日誌書いてるとき誰がいたかわかる?」

「それはちょっと……。ごめんね、覚えてたらよかったんだけど。違うクラスの人もいたし……」

 ちょっと落ち込んでしまう。こういうときにはユウコのさばさばした物言いに救われる。

「こんなことが起きるとは思いもしてないからね、仕方ないよ。ミユウは?」

「あ、わたし? わたしはね、えーと、散歩というか……」

 珍しくはっきりしないミユウの話しぶりだった。

「散歩?」

「うー……ん。まあ」

「何よ、言いたくないことだった?」

「そうじゃなくて。えーと、今家に帰りづらくて……」

 ユウコが眉をしかめた。たぶんわたしと同じ気持ちになったからだと思う。

 家に帰りづらい、という言葉。いつも明るいミユウの、影の部分だった。それをこんな風に知ってしまった。

(気づかなかった。わたし……)

 揚々とわたしが庭で薔薇たちを世話しているときに、ミユウが居所もなくひとりでいたなんて。もっとほかにやるべきことがあっただろうと後悔と罪悪感が胸をぎゅうぎゅうに押しつぶした。

(もっとミユウのこと大切にしなくちゃ。ユウコのことも)

 普段わたしがいかに周りを見ていなかったか、自分のことしか考えていなかったか、ということをこうやって知るのは悲しかった。

「どうして、とか訊いたら答える?」

「あは、ごめん。家庭の事情なんだ。でもそんなたいしたことじゃないよ」

 ミユウは明るく笑って言ったけれど、その笑顔をもう鵜呑みにはできなかった。本当にたいしたことではないなら当てもなく放課後残っているはずがないのだから。家庭の事情で、たいしたことではないようなことなんかない。

 ユウコはそれ以上は追究しようとせず話を変えた。

「わかった。じゃあ違うこと訊くよ。バッグの中には何を入れてた?」

「ありがと。うーんと、バッグの中ね……お財布とカード入れとリップクリームとかが入ったポーチ、あとはお弁当箱……くらいかな」

 わたしはぎょっとして叫んだ。

「えー! お財布やカードも入ってたの?」

「大変じゃないの!」

 ミユウは力なく笑った。

「うん。でも携帯や学生証カードはポケットに入れてるし」

「ああもう! 何か見られて困るようなものは?」

「見られて困るっていうわけじゃないけど……保険証カードがお財布の中に入ってて、それは困るかな」

 ああいうのって失くしたときどうしたらいいのかな、とミユウは呟いた。さあ、事務管理課で訊いてみる?と答えるしか能のない自分が嫌だった。そして案の定首を振られた。

「どうしてこんな……」

 ミユウみたいないい子にこんな仕打ちができる人がいるなんて信じられなかった。

「お金のためじゃないよね、うちの学校の生徒に限って。もしそうなら財布だけ抜き出せばよかったはずだし。バッグをぶらさげて歩いてたら目立つもの」

「どこかに隠されてると思う? もうこの学校にないと思う?」

「わかんない。探してみる?」

「えっ、いいよ。広すぎてたぶん見つからないよ。事務管理課に頼んで探しておいてもらうから」

 ミユウはこんなときでもわたしたちを頼ろうとしない。強くて優しい。

(力になれたらいいのに)

 何もできない自分がもどかしかった。それでも何かやればいいと思うのに、ミユウの言っていることは正しくて、たしかに3人では探しきれないだろう、と頭の合理的な部分が認めているのが煩わしかった。

「事務管理課なんて当てになるの? ゴミ回収したり校門にぼけっとした警備員を立たせといたりするくらいがあいつらにできるせいぜいのことでしょ。生徒の持ち物がなくなったことを屁とも思わないんじゃないの? わたしが前に校内で落とし物をしたときなんか、返ってきたの2週間後だったのよ。落とし物として持ち込まれたのは落としたその日だったのに、それまで何してたのって話よ」

 ユウコの辛辣な言いようにミユウは笑いだした。

「そうだね。でも大丈夫」

「大丈夫じゃない。とりあえず風紀委員会に連絡しましょう。これは窃盗よ、大義名分が立っているから絶対に動いてくれる。人手が多ければ、まだ持ち出されてないなら、きっと早く見つかると思う」

「わたしも手伝う」

 遅れまいと勢い込んで言った。

「ありがとう、ユウコ、シズカも。そうするよ」

 気丈に輝くミユウの目の力強さを見ていると、わたしもなんだか力がわいてきて、ミユウのためにできることなら何でもしたいという気になるのだった。

 ミユウとユウコはそれぞれ担任教師に報告に行ったり風紀委員会への連絡フォームを使うために電子計算機室に行ったりすると言うので、手すきのわたしはとりあえず周囲を探しまわってみることにして一旦別れた。

 

 生徒の教室は3階建ての西館にあった。西館はひとつの階に6教室あり、そこに過不足なく6つのクラスが入っている。1クラス30人編成なので、つまり微増減はあるけれど6クラス180人がひとつの学年を構成しているということになる。

(上級生ということは考えにくいから、同級生が犯人?)

 もう少し絞らないと数が多すぎる。でも有効そうなフィルターは持っていなかった。

(隠すとするなら、自分の教室のロッカーかな)

 教室後方のロッカーを手当たり次第に開けてみようと近づいたけれど、受けてきた躾が邪魔をした。実のところ、こういう事態なんだしきっと許してくれる、誰にも見つからなかったら言い訳の必要すらない、と思いはした。けれど他人のプライバシーを勝手にのぞき見るようなまねは結局できなかった。

 それぞれのクラスの見ても構わないだろう部分だけを見て回り、廊下の中間にあるトイレも、女子トイレだけだけれど1階から3階まで確認した。

(ない)

 携帯電話を見てみたけれど着信はなくて、それなら、と昇降口で上履きを革靴に履き替えて外の植え込みのあたりを探すことにした。

 植え込みをごそごそしているわたしに通りがかった人の怪訝そうな目が向けられるのが恥ずかしかったけれど、だからといってやめるわけにもいかないので目を合わせないようにうつむいて手を動かした。

「あっ」

 どん、と何かにぶつかった。よろめいたけれど倒れるほどではなく、顔を上げると知らない男子生徒がいた。

「すみません。周りをよく見てなくて……」

 わたしは赤面しつつ謝った。

「いや、こちらこそすまん」

 人様を見かけでどうこう言うのは褒められたことではないのだけれど、派手な金色の髪の毛に琥珀色の目を持つその男子生徒は、何かスポーツでもやっているのか体ががっしりと大きくて背も高く、男の人らしい雰囲気が怖く感じられた。

「ところで――さっきから何やってるんだ?」

 大きな声で話しかけられてびくっとしてしまった。

「あの、友だちの持ち物を探していて……キャメル色のかばんなんですけど、心当たりはありませんか?」

 情けないほど小さな声しか出なかったけれどなんとか伝わった。

「悪いけど……。なんでこんなところを探すんだ?」

「いえ、もしかしたらと思って。西館の中は探せるところは探したので」

 苦手なタイプの人を前にしたとき、いつもならすぐ逃げたり物陰に隠れたりしてしまうところを、今日は踏みとどまっていることができた。

(ミユウ)

 ミユウなら無理しなくていいよと言ってくれると思う。でもそれではもうわたしが嫌なのだ。自分の殻に閉じこもっているばかりではだめなのだと確信してしまった。わたしも強くならなければ。

「そうか。……それじゃ」

「あ、はい。どうも」

 会話が終わってほっとしながら頭を下げれば、男子生徒もどこかへ行ってくれた。


 ユウコとミユウに進展がないことをメールしてちょっと顔を上げたときだった。

(あれ? さっきの人)

 見覚えのある大柄な体、金の髪。

(そういえばあの人もこんなところで何をしてるの?)

 思い返せばずっと視界にちらちらしていたような気がする。

 見ていると目が合ったのであわてて会釈をした。また視線を手元に落として、行儀が悪いとわかっていながらこっそり躑躅の陰から彼をうかがった。

 男子生徒はしばらく辺りをうろうろしていたけれど、やがてきょろきょろしながら見えないところへ行ってしまった。

(何なんだろう……?)

 完全にいなくなったと確信できるくらい十分に間を開けて彼がいた辺りに行ってみた。何があるというわけでもない、松や昔の卒業生の記念碑やベンチがあるというくらいのあまり大きくない空間。わたしが来たのは初めてだったけれど、下校する生徒たちが他のクラスの終礼が終わって友だちが出てくるのを待っているところはよく見かけた。

(こんな時間に、それも人を待ってる風でもなかったし)

 不可解だったけれどとりあえず疑問は置いておいて、この場所はまだ探していなかったからついでに探していくことにした。


「あ! あった!」

 躑躅がちょうど途切れたところ、記念碑の陰に探していたかばんを見つけた。

 実を言えば、こんなところにあるとは全然期待していなかった。ないだろうけれど一応探しておこう、くらいのつもりで調べていたのだった。

「なんでこんなところに?」

 それはともかくユウコとミユウに早く知らせないと、と携帯電話を手にしたとき、かばんのファスナーが緩んでいることに気がついた。ミユウはそんなずぼらな閉め方をしない。迷ったけれど、何か不愉快なものを入れられているのかもしれないと思って、心の中でミユウに謝りながらかばんを開けた。

(あ、よかった)

 ありがたいことにわたしの懸念は取り越し苦労のようだった。お財布やカードケースやポーチの中を見ることはさすがにしなかったからたしかではないけれど、少なくともゴミを入れられているなどといったことはなかった。ただ一通の手紙が入っていた。

 ミユウは手紙のことは何も言ってなかったのに、と怪しんで取り出して眺めた。シンプルな白い封筒に入れられた薄い手紙だった。表と裏には名前が書いてあった。

(これ……)

 表には春風ミユウさんへ、と書かれており、裏には――。

「おい、お前、何やってるんだよ!」

 突然声をかけられて跳びあがるくらい驚いた。鼻白んで振り返ると、先ほどの男子生徒が険しい顔で立っていた。

「あ、わたし……」

 男子生徒はわたしの手元をじろっと見た。

「探し物は見つかったんだな」

「……ええ、まあ」

「お前のじゃないんだろ。なに勝手に開けて中見てるんだよ」

 わたしはすっかり怯んでしまって、言い訳もできずにうつむいた。

(どうしよう、どうしよう)

 彼は明らかに気色ばんでいる様子だった。ただでさえ男の人は苦手なのに、それが怒っている相手ともなると本当にどうしていいのかわからなかった。わたしが何も言えず彼も何も言わないものだから、身のやり場のない沈黙がふたりのあいだに落ちた。

「それ」

「え?」

 おそるおそる顔を上げると、きまり悪げな、複雑そうな表情を浮かべて男子生徒がわたしの手の中の手紙を指した。

「その手紙、見たのか?」

「中は見てない……」

 語尾まで持たないくらいの小さな声しか出なかった。

「封筒は見たんだよな?」

「はい……」

 男子生徒はため息をついて、髪の毛をぐしゃぐしゃに乱した。

「あの、金武トモヒコさん、ですよね……?」

 間違いないと確信していたけれど、確認のために尋ねた。

「ああ、そうだよ」

 彼は投げやりな調子で肯定した。

「これ、ラブレターなんですね」

「ああ……」

 金武さんは顔を手で覆ってしまうと、悪かった、と呟いた。

(やっぱり)

 封筒の裏面、そこには金武トモヒコと名前が書かれていた。

 金武さんは観念した様子で脱力したまま動かなくなった。わたしは、どうするのが一番いいのだろうか、と考えていた。このまま金武さんを、かばんを隠した犯人として突き出すのがいいのか、それとも――。

(ごめんなさい、ミユウ)

 ミユウの友人として、わたしがこれからすることが正しいとは思わない。それでもわたしは手に持っていた手紙を金武さんに差し出した。

「お返しします」

「……いいのか?」

「大体の事情は察しました」

 わたしがまず探したのは教室の後ろにあるゴミ箱とトイレだった。嫌がらせをするならたいていはこういうところに放りこむ。ただ単に隠すよりも汚物と同じ扱いをするほうがよりショックを与えることができるから、嫌がらせはもっと効果的になる。しかし、そこにはなかった。このことがわたしに違和感を抱かせていた。

 ここで、手紙を見て、パズルのピースがすべてそろった。

 金武さんは、ラブレターを持っていて渡すチャンスをうかがっていたのだろう。しかしなかなか踏み切れないでいた。ミユウのかばんに入れたのはたぶん衝動的な行動だったのだと思う。だから彼はすぐに後悔した。彼がわたしを詰ったのと同じ理由で――他人のかばんを勝手に開けるのは無作法だから。普通の人はそんなことをされたら嫌悪を抱く。告白しようというのに相手を怒らせたのでは本末転倒だ。そこで取り返そうとした矢先に、ミユウの姿を見てしまったのではないだろうか。そして動転した彼はとっさにかばんごと持ち去ってしまった、というのが事の真相ではないかと思う。

「このことは誰にも言いません。かばんはここにそのまま隠されていたことにします」

「……すまない」

「ミユウにこそすまないと思ってください。ミユウは悪意のある嫌がらせを受けたと思うことになるんですよ」

 わたしの言葉はわたしの胸をも刺した。

 ミユウのことだから、真相を知っても笑って許すのだと思う。真実を伝えたほうがミユウは傷つかないですむ。

「わかってる。……悪かった」

 それでもわたしには、ミユウに向けられた彼の気持ちをそんな風に明らかにしてしまうことができなかった。告白がうまくいけばいいとも思わないし、彼の恋心がどんなものなのかもわからない。けれど、ラブレターをさらし上げて、それでよかったよかった無事解決した、と言ってしまうことが、どうしてもわたしには――。


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