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きのせい  作者: Gerbera


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2/2

後編

 1階便所の電気をつけることなく、いきなり扉を開けた。2階と異なり、1階で引き戸なのは和室の襖だけだった。

 暗い室内を、ルーバー窓からの光が薄く照らしている。窓辺についている手洗い場からは、蛇口の閉めが緩いのか、ピチャリという水の滴る音がしていた。

 ひとまず安堵して、ユカは蛇口をキツく閉めた。それでここに音はしなくなるはずだった。


「ッ?!」


 異音がした。

 それも、すぐ近くから。


 ユカは反射的に身をすくませ、音のした方向へ首を回す。

 ————自動で便座の蓋が開くのが、暗い中でもはっきり分かった。


「————はぁぁ……」


 脱力感に、肩を落とした。

 今のは危なかったと、気を引き締める。

 蛇口を閉めるために、ユカは武器を置いてしまっていたのだ。今のがナニカなら、反撃一つできなかったに違いなかった。


 どたばたと1階を検めて周り、最後に和室が残った。

 実際には、薪ストーブ近くの襖以外にも、階段近くの物置部屋も見ていない。しかし、物置部屋は数年前から薪置き場となっており、今も部屋いっぱいに薪が積まれているはずだった。

 隠れ潜む空間などない。


 襖に近づく。

 視界の端に動くものが見えた気がして、ユカは身構えた。

 薪ストーブの覗き窓に映る、ユカの足だった。


 薪ストーブには、中で燃える様子を眺めることのできる、耐火ガラス製の窓がついている。

 中には当然火などない。そうなると、この覗き窓は黒い鏡として機能した。中より部屋の方が明るいが故のことだった。


 ユカは一人でこの薪ストーブを使ったことはなかった。

 一度試みたことはあったが、炎の管理が上手く行かず、煙突から黒煙が吹いて外を煙たくしてしまい、近所に謝罪に行って以降触ることを避けていた。

 それが為に、家の中で最も親近感の湧かない存在がこの黒い薪ストーブであり、そこに映る自分の身体はいつだって不気味だった。

 そんな覗き窓に自身が映されたことを、ユカはどこか不吉な予兆に思えた。


 一層力を込めて包丁を握る。

 無地の襖に手をかける。

 

「ッ——!」


 力一杯に襖を開き、包丁を振り回しながら和室へと侵入する。

 すぐに分かった。

 無人だ。


 和室はどこよりも薄暗い。

 建物の陰になっているのか、障子窓から入る光も弱く、畳の匂いのする空気はとてもひんやりとしていた。

 体内で暴れる熱を、それが冷ましてくれる気がする。

 少し、冷静になれた。


「…………ふぅ……ふぅぅ…………」

 

 緊張が弛緩してくる。

 これで1階はすべて見て回った。

 あと見ていない部屋は2階の自室の隣にある、書斎だけだった。

 位置関係としては、リビングの真上。天井がそのまま書斎の床になっているはずだった。

 しかし、そんな場所に誰かいれば、自室にいてもすぐに分かる。

 リビングにいてもそうだった。

 それこそ、この和室にいたってそれは同じだった。


 誰かが歩けば、その振動は床に伝わり————



————————ミシ……



 そう、このような音を……たて……る。


「————————————————」


 ユカには、聞こえた。

 確かに聞こえた。

 家鳴りだという合理的理解が浮かんだ。

 気のせいだという希望的解釈が浮かんだ。

 そしてそのどちらもが、早鐘を打つ心音と、加速してゆく血流に散らされて消えてゆく。


 足音を殺す。

 襖は開け放たれている。

 薪ストーブの前に出て、吹き抜けを見上げる。

 書斎の障子窓は吹き抜けに面していた。

 障子窓は、閉まっている。


 心音だけが聞こえていた。

 否、鼻息がうるさかった。

 それはユカのものだった。

 

 息を殺して、その障子窓を凝視する。

 室内を照らす茜色が、その障子窓も照らしているようだった。

 そこに、何者かの影が映るのではないかと、全ての神経を総動員して凝視した。


 つまり、ユカは周囲への警戒を完全に解いていたとも言えた。

 だから、それが起きたとき、ユカは状況の判断などとてもできなかった。


 すぐ真後ろ。背中のすぐそば。

 そこに、何かが立っている気配がした。

 振動がした。

 杉の床は、誰かが歩けばその振動をよく伝えた。

 だからユカは、たとえ目を閉じていようと、今歩いているのは軽い体重の人だから母だとか、この重く低い振動は父だとか、そんな具合にある程度の判断ができた。


 低く、重たい振動だった。

 男だと、思った。


「ッ?!?!」


 振り向き様に、包丁を振った。虫を払うような頼りなさだった。


 手応えはない。


 …………そこには誰もいなかった。

 ただ、薪ストーブの方向に向けて包丁を振ったに過ぎなかった。


「…………」


 視界の端に、違和感。

 薪ストーブの覗き窓には、足が映っている。


————足が4本、映った気がした。



- - - - - - - - - -



「は、はぁッ、はッ、はッ」


 気づけばユカは家を飛び出していた。

 喉の痛みからすると、悲鳴をあげて飛び出したのかもしれなかった。

 家から隠れるように十字路を曲がり、さらに走った先の自販機のある場所に、膝に手を当てて喘いでいた。

 腕の痛みは、なりふり構わず室内を腕を振って走った際にぶつけたのかも知れない。包丁はきっとそのときに落としたのだと思った。


 周囲に人はいない。

 ここは最寄りの駅からもかなり離れた場所であり、住宅街ではあるものの、そのほとんどの家には高齢夫婦が暮らしている活気の失われた場所だった。子供の遊ぶ声など、最後に聞いたのはいつだったか。 

 過疎とは地区単位で起きるらしいと、酸欠気味のユカは何かの終わりを見ている気になった。


 近くの雑木林から、ひぐらしの鳴き声が聞こえる。

 けたたましいその声が、家の中ではまるで聞こえなかったことが不思議だった。

 もう空は紺色に移ろい出している。

 小さな古い街路灯が、最近LEDに変わったらしく、嫌に人工的な白い灯りで眩しく感じた。


 喉がひどく乾いていた。それに、両親がいつ帰ってくるのかも把握したかった。

 だからポケットを弄ったが、そこにスマートフォンはなかった。落としたのかもしれなかった。

 体力など使い果たしたにもかかわらず、スマートフォンが無いという不安さが足を進ませた。

 十字路から自販機まで、ほとんど一直線の道だった。

 それらしいものは落ちていない。

 そもそもどの段階でスマートフォンがなくなったのか、曖昧な記憶では分からない。

 どこかから、カレーの香りがした。それがなぜか、ユカの目を潤ませるのだった。


 ふと、玄関の鍵をかけただろうかという不安に駆られる。

 鍵なんて持って出ていないのだから、開けたままだとすぐに分かった。

 だがそれどころではなかったし、開け放たれてもいないなら見た目から戸締りされていないとは分からないはずだった。


 ふと、そもそも玄関を開け放ったままなのではないかと、朧げな記憶が訴えた。

 それは……まずい気がした。

 流石に不用心に思え、蚊が入るのが嫌だった。

 

 考えるべきはもっと他のことのはずなのに、ユカにはどこか、あの家でのことが夢や幻のような奇妙な現実感の希薄さを覚えていた。

 さっきまでの自分があまりにもおかし過ぎたのであって、起きた全てが合理的に理解可能な、なんてことのない気のせいに思えてくる。

 外という正常な空間に出た瞬間に、それはとても説得力を持って感じられた。


 十字路の角から、顔を覗かせて家を見る。

 庭の生垣に遮られて、ここからでは玄関の様子は確認できない。

 ユカはトボトボとした足取りで、どこかバツの悪さを感じながら逃げた道を辿ってゆく。


 そうして近づくと、玄関灯が人影を照らしているのが見えた。

 そのシルエットは、間違いなく母である。


「やば——!」


 玄関を開け放ち、包丁を床に転がして、扉という扉を開けて出かけていた。

 それが今の自身の立場であることや、せめて包丁は回収しておかなければ説明に窮するというようなことに、ユカは電撃的に思い至る。

 走った。包丁はまずかった。刺身包丁など、どんな言い訳も思いつかなかった。


 空っぽの駐車場の前を駆け抜け、庭の門を跳ね開けて、母によって閉められそうになっている玄関扉の隙間へと、勢いをそのままにダイブする。

 鍵をかけられる訳にはいかなかった。


「きゃ! ちょ、あんた何してん————」


 驚愕した母は、ユカの姿を見て固まったようだった。

 汗によってダレた寝巻きは、濡れたことで色を濃くしている。

 ユカ(肩で息をする娘)の様子はどう見ても普通ではなく、髪はボサボサで玄関灯の明かりをてらてらと反射していた。

 つまりは尋常でなかった。


 頭を叩かれたユカは、シャワーを浴びてさっさと着替えろという旨のヒステリックな高音に命じられて、脱衣所に駆け込んだ。


 もちろんその道中で包丁は回収し、一時的に座布団の下に隠した。タイミングを見てスタンドに戻さねばならなかったが、ともかく今は指示通りにしなくては話すら聞いてはもらえない空気だった。


 重しと化していた寝巻きの上下を脱ぎ捨てると、身体がとても軽かった。

 心なしか、緩慢だった思考も正常を取り戻した気がする。

 

 包丁はいつ戻そうかという悩みが残っていた。

 母がいるとしても、まだ猶予はあった。

 母が使う普段使いの包丁と、父が使う和包丁のスタンドは別々だった。だから、少なくとも父が帰って来るまでは、刺身包丁がないことは露呈しないはずだった。


 そこまで考えたユカは、はたと違和感に気づいた。


「あれ————お父さんは?」


 母は父と共に、車でスーパーへ行ったはずだった。


 駐車場は————()()()()()()


 帰りは一緒に違いなかった。

 

 母だけ帰って、父だけいないなんて————



————バタン、と……部屋の扉の閉まる音。






 すぐ背後に、あの気配が立っていた。

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