駅の古い時計
小さな地方駅の待合室には、壁掛け時計がひとつしかなかった。
塗装は剥がれ、ガラスは曇り、秒針の刻む「チク、チク」という音だけが、静まり返った空間にやけに大きく響いていた。
人々はよくその時計に文句を言った。
「これのせいで電車に乗り遅れたんだ」
「完全に壊れてるだろ」
ラカは、決して文句を言わなかった。
彼は毎日その駅に来て、同じベンチに座り、小さな手帳に列車の発着時刻を書き留めていた。
壁の時計によれば、列車はいつも遅れていた。
公式の時刻表によれば、間違っているのは壁の時計だった。
ある日、駅員が彼に声をかけた。
「君、学生だろ? 腕時計かスマホを使いなさい。あれは古い時計だ、信用しちゃいけない」
ラカは黙ってうなずいただけだった。
それでも、記録はやめなかった。
日が経つにつれ、駅に来る人々は同じ確信を抱いていた。
公式ダイヤは常に正しい。
電車が遅れれば、天候や運転士、あるいはシステムのせいにした。
ある夕方、電車は――来なかった。
不安が一気に広がった。
スマートフォンは圏外になり、構内放送も流れない。
駅員たちは青ざめた顔で行ったり来たりしていた。
ラカは手帳を開いた。
壁の時計によれば、その列車は今日、最初から来る予定がなかった。
彼は立ち上がり、駅員のもとへ近づいた。
「七キロポスト付近の旧線です」彼は静かに言った。
「先週から亀裂が入っている。だから列車は、表に出ない形で迂回されています」
駅員は彼を見つめた。
「どうして、それを?」
ラカは壁の時計を指さした。
「この時計は、線路の運用が変わるたびに合わせ直されます。
乗客のためじゃない。保線や技術担当のためのものです。
公式ダイヤは、いつも対応が遅れる」
駅員は言葉を失った。
そして慌てて、指令所に電話をかけた。
数分後、構内放送が流れた。
列車は迂回中のため運休、乗客は代行バスへ案内される。
事故は起きていない。
けが人もいない。
人々は次第に落ち着きを取り戻した。
誰かが、疑わしそうに壁の時計を見上げた。
「じゃあ……あの時計が正しかったのか?」
ラカは手帳を閉じた。
「正しいか、間違っているかじゃない」
「何を信じるか、というだけです」
彼はそのまま立ち去った。
時計は再び刻み始める。
遅く、古く、そして――いつも通り、誰かを説得しようとはしなかった。




