3:……誰か説明してくれよ。なんで俺、虫の姿で逃げてんだ?
_φ(・_・アギス→バ=リーアス)
――やっぱり、やるべきじゃなかったんじゃないか。
でも、違う。僕は、やると決めて、やった。
呼ぶつもりだった。呼んでみたかった。
ただの好奇心じゃない。
自分が何者なのか――何を抱えているのか――知りたかったんだ。
あの魔導書の奥に、それがある気がした。
読めもしない古代文字を、見よう見まねでなぞって、構文を組んだ。
魔法陣を描き、手に小さく傷をつけて、ほんの数滴の血を落とした。
詠唱も途中で止まったけど、それでも――やったのは僕だ。
そして、出てきた。
骨のようで、影のようで、煙のような“何か”。
人の形をしているようで、していない。
目が合った瞬間、心臓が跳ねて、頭の中の言葉がすべて押し流された。
――バ=リーアス。
契約が成立した、と彼は言った。
でも、どう考えてもおかしい。
魔法陣は歪んでいた。血も少ないし、詠唱だって最後まで唱えていない。
……それでも、応じた。
あの名を呼んだとき、確かに――彼が来た。
「そのボロボロの魔導書で呼び出したって? ……よく読めたな、ガキ」
低く響く声。怒っているというより、どこか呆れていた。
だけど、それなのに、胸の奥がぎゅっと掴まれる感覚があった。
まるで、その声だけで――この空間の重さが変わるような、そんな存在感。
「……読めるっていうか、なんか、わかったっていうか……」
自分でも、何を言ってるのかよくわからなかった。
言い訳じゃない。ただ、言葉が追いつかないだけ。
「なあ、お前、本当に俺を呼ぶつもりだったのか?」
バ=リーアスは僕を見つめてそう聞いた。
重たい眼差し。だけど、責めている感じじゃなかった。
「うん。あの本に名前があって。読んで……試してみたかったんだ。だから、僕がやった」
言い切ると、少しだけ胸の奥が静かになった。
バ=リーアスは無言で頭を抱えた。
その仕草が、あまりに人間くさくて――逆に怖かった。
……どうして、こんなことになったんだろう。
いや、わかってる。僕が呼んだからだ。
言葉にしようとしたそのとき――
カツン、カツン。
階段から、誰かが下りてくる音がした。
空気が変わった。冷たくて、硬くて、喉が詰まる。
思考が弾かれ、指先が震える。
「おい、階段から誰か来てる。足音からして、一人だな」
バ=リーアスが、淡々とした声で呟いた。
まるで、遠くの事故を実況しているような無感情さ。
「か、隠れて……! お願い!」
自分でも驚くくらい情けない声が出た。
でも、バ=リーアスは面倒くさそうにため息をついて、姿を霞ませてくれた。
「ったく……契約して数分で指図かよ。さすがに早すぎだろ」
そして――
地下室の扉が、ぎぃ、と音を立てて開いた。
光が差し込む。
暖炉の火のようにやさしいのに、なぜか逃げ場のない光だった。
「……誰かいるのか? アギス……お前なのか」
その声を聞いた瞬間、胸がひりついた。
――ロマーノ院長。
逃げられない。誤魔化せない。
何もかも、見られてしまう。
でも、もう戻れない。
だって、僕が呼んだんだから。
……いやいや、ちょっと待てよ。
なんで俺、今この地下室の片隅で、気配を消して縮こまってんだ?
俺だぞ? バ=リーアスだぞ?
五千年に五度しか契約されなかった、希少性抜群の精霊が、だ。
それがいま、ガキに「隠れて」って言われて、あっさり指示に従ってるわけ。
契約って怖いね。ほんとに。
そしてやってきたのが――なるほど。年季の入ったジジイってやつだな。
白髪に魔素の残滓。なるほど、昔取った杵柄系か。
見た目は優しそうだが、目が違う。あの目は“戦場を見た目”だ。
さて、このジジイがアギスの魔法陣と血の跡を見て……っと、ほら、眉が動いた。
うんうん、そりゃそうだ。いまどき地下室で召喚儀式なんて、ロマンチストにもほどがある。
「……これは、なんだ」
お、声のトーンは落ち着いてる。内心めっちゃ警戒してるだろうが、隠してるな。
なかなか肝が据わってる。嫌いじゃない。
「答えてくれ。アギス、お前が描いたのか?」
そしてお決まりの「説明しろ」ターン。
さあガキ、どう返す? 「ごめんなさい」か? 「本のせい」か?
……って、ああ、ほんとに「ごめんなさい」か。典型的すぎて逆に可愛いわ。
「なぜ、こんな真似を?」
ほら来た。ベテラン監督の詰問タイム。
ここで大人しく正直に話すか、口ごもって余計怪しまれるか――どっちも見ものだな。
「……あの本に、名前があって。呼んだら、……来てしまったんです」
正直だ! 誠実か! いいぞ、でも余計ややこしいぞ!
「“来た”……?」
そりゃそう言うわな、ジジイ。
そもそも君の想定に“俺”という単語が存在してないんだもんな。
「誰かがいるのか?」
おっと、ここで焦点が俺に向く。
こっち見んなよ……とは言わねぇけど、できればもうちょいスルーしてほしい。
だって俺、今、影の中から“じっと見てるだけ”の役なんだよ。なあ、空気読んで?
「……精霊、です。名前は、バ=リーアス」
あーあ。言っちゃった。言っちゃったよ。
……名乗られると、ちょっと照れるんだよな。
しかもその言い方、まるで「ペットの名前はミケです」みたいなテンションでさ。
「その名を、どこで知った」
あ、ジジイ、怖い声出した。
ちょっと威圧してみました感。けどアギス、ビビってる風なのに踏みとどまってる。
根性あるじゃん。意外とやる子かもしれん。
「姿を見せろ」
来た。ついにそのセリフが出たか。
いやまあ、俺も別に隠れたままでいいとは思ってないけどさ……。
「ったく、隠れてやったってのに……バレたならしょうがねぇか」
俺は姿を現した。ちょっとサービスで、いつもより煙のボリューム多めにしといた。
ギャラ発生してないけどな、もちろん。
ロマーノが一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、引いたのがわかった。
「……これが、“精霊”だと?」
そう思うのも無理はねぇ。俺、どう見ても神殿に飾れるタイプじゃねぇからな。
アギスが横から補足する。
「よくわからないです……精霊を見るのは初めてだから…」
おいおい、召喚しておいて「よくわかんない」とか言うなよ。
付き合い立ての彼女か、俺は。
「そりゃそうだろうな。俺も、よくわかんねぇし」
言ってやった。ちょっと照れ隠しもある。
「俺ってば、あんな構文で読まれて、よく現界できたよな……優秀かもな」
ロマーノが一歩前に出た。視線は鋭いまま。
何か試してる。何を見て、何を測ってる? さすがに一筋縄じゃいかないな。
「アギス。これは、非常に危険な契約だ」
おっと、ついに“危険”って単語が出た。
まあ、俺自身が危険物扱いなのは否定しない。けど、その言い方はちょっと心外だな。
「でも……」
アギスが何かを言おうとした瞬間、口が勝手に動いていた。
「ああ、出た“でも”。その後が問題なんだよな、だいたい」
それ、俺の持論。だいたい“でも”の後にロクなことは言わねぇ。
ロマーノの視線が、ぴたりと俺に向けられる。
「お前は、何者だ」
来たか――その質問。
ま、答える気なんてないけどな。
俺は、呼ばれた存在。契約された、間違い。
でも……どうやら、今夜はもう少し面白くなりそうだ。
ジジイが一歩踏み出した瞬間、空気が軋んだ。
魔素の密度が変わる。詠唱がない。だが、発動の気配だけは剥き出しだ。
――詠唱破棄。戦場帰りの術師どもが使う、あれか。
口の動きも、手の構えもいらねぇ。構文はすでに完成してるってわけだ。
「悪いな、召喚された者よ。アギスを連れ戻す」
ジジイはアギスを片腕で抱え、その背に庇うように立った。
瞬間、構文が展開され、紅の光線が空気を裂く。
咄嗟に身をひねる。光が肩を掠め、煙が立ち昇った。
……が、その直後。二発目。
狙いもタイミングも完璧だった。
「――ッ!」
胸を貫かれた。焼けるような痛みとともに、肺が潰れ、視界が反転する。
床へ崩れ落ちる感覚。魔力の流れを一度、完全に断ち――
──だったら、“死んだ”ことにしてやろうじゃねぇか。
意識を保ったまま、幻影魔法を発動する。
目を閉じ、体を横たえたまま、自分自身の“死”を作り出す。
焦げた匂いが、まず満ちた。
焼けた布と肉のにおい、わずかに立ち昇る煙。
胸から崩れた破片が、パラパラと床に落ちる。
そして――黒い灰が、舞った。
皮膚の表面から、衣の端から、身体全体が、音もなく崩れ落ちていく。
煤のような、軽く、乾いた灰が、ふわりと宙を漂い、空気に溶けていった。
それは、この世界で“精霊が死んだ”証拠だった。
「……アギス、見てはいけない」
ジジイの声が、妙に静かだった。
アギスがすすり泣くのが聞こえる。俺の“死体”を見て、信じたんだな。よし、演出は完璧だ。
――さて、出番はここまで。
床に落ちた影を這うように、俺はそっと姿を変える。
重力を無視して身体を圧縮し、黒く、素早く、小さな存在へ。
選んだ姿は――蜚蠊。
誇りと木屑まみれの地下室じゃ、こいつが一番目立たない。
「……俺って、マジで優秀かもな」
壁の継ぎ目に入り込み、足音も残さず、空気の流れに乗って地下室を離れる。
逃げるんじゃねぇ。戦術的撤退だ。
あんなの正面から受けてたら、今度こそマジで灰になってた。
(バ=リーアス:……おい、作者。またお前か。どうして毎回、俺ばっかりこんな目に遭うんだ?)
作者「仕方ないでしょ?これも“契約”だからね」
(バ=リーアス:契約って便利な言い訳だな……まったく)
作者「というわけで、次回もトラブル続きの二人(+α)を、どうぞゆる~く見守ってください!」
(バ=リーアス:次こそ平穏な日常を頼むぞ。……無理だろうけど)
作者「……それは契約外です」
それではまた暇な時にでわでわ!