1:この契約、どう考えてもバグってる
_φ(・_・バ=リーアス)
どこまでも、静かな魔素の海だった。
輪郭などない。光も音もない。
ただ、魂だけが、幾層もの“濃度”の中をゆっくりと漂っている。
そういう場所だ。ここは。
名も、姿も、重力もいらない。
思考さえ、いつしか濁って溶け、ただ流れるだけの在処――
……だったはずなんだよ、さっきまでは。
ああ、この感じ……久しぶりだな。
せっかく夢見心地だったってのに……どこのどいつだ、俺の名を呼びやがったのは!
現界ってのは、もっとこう、壮大で、威厳があって、魂に響く儀式のはずなんだ。
血の誓約に、地鳴りと共鳴する詠唱、空間に刻まれる契印。
それが、俺が知る“まともな”召喚ってやつだ。
だが……今回のこれは?
光はチカチカしてるだけ、術式は歪んで崩れてる。
縫い目の破れた世界の綻びから、無理やり引っ張られたって感じだ。
いわば、うたた寝してたら雑巾みたいに引きずり出された、ってとこか。
俺の足元には、魔法陣――というよりガキの描いた落書きが広がっていた。
線は歪みまくり、魔力制御の封印式は逆、構文なんて見ただけで頭痛がするレベル。
……よくこれで俺を呼び出せたな。物理的に奇跡だ。
そして目の前にいるのは、召喚者らしきガキ。
年の頃は十五か十六。
痩せてて、目の下にうっすらクマ。
ぼさぼさの黒髪、サイズの合わないぼろぼろの服をだらしなく着てる。
顔色も悪いし、覇気もない。まるで世界に謝って生きてるタイプの顔だ。
それでも――その目だけは、“何か”にすがろうとしていた。
……だが、その目を見た瞬間、ほんの一瞬だけ、空気の密度が変わった気がした。
まるで、内側から誰かに“覗かれた”ような感覚――
一瞬の幻覚かもしれねぇが、背筋がわずかに冷えた。
「召喚……できた、のか……?」
おどおどと、ガキが口を開いた。
目を丸くして、俺をじっと見上げている。
久々に引っ張り出されたと思ったら、これかよ。
よりにもよって、こんなガキ。しかも、無自覚。試しにやってみただけって顔だ。ほんと、最悪。
俺は腕を組み、ため息をついた。
契約反応――あり。
魂の署名――なし。
血の媒介――見当たらず。
封印構造――ゼロ。
……待て。
ないないづくしなのに、俺の霊核が“契約状態”を示してやがる。
完全に、理解の外だ。
しかも、魂が俺に向かって自然に“縫い寄せて”きている。
「えっと……名前は……バ……=リーアス……?」
「言わなくていい。……ああ、もう言ったか。……最悪だな」
俺はこめかみを押さえた。
俺の名を、こんなガキの口から聞く日が来るとはな。
軽々しく扱われると、さすがに気分が悪い。
「なあ、ガキ。お前、俺を呼ぶつもりだったのか?」
「え? いや……その、本に書いてあったから……」
「試したら出てきちゃいました、か。よくある。けどな――俺はそう簡単に呼ばれる精霊じゃねえんだよ」
現界五千年、契約はたったの五回。
そのすべてが、時代を動かした連中だった。
王、賢者、女帝、異端の革命者、そして、あの……まあいい。
そういう連中とだけ契約してきたんだ。俺はな。
……まあ、そのうち二回は事故みてぇなもんだったがな。
偉そうに言っても、過去の栄光ってやつだ。
なのに、今――六人目が、こいつ?
「とりあえず、契約が成立してる。解約条件も見当たらない」
「え……? そんな、ほんとに……?」
「ああ。残念ながら、な。俺の中の鎖が、お前に繋がってる。しかも――解約儀式の構文も曖昧すぎて実行できねぇ。呪文の順序も飛んでるし、媒介の条件も欠けてる。今すぐ解約、は無理だな」
俺は倉庫の隅に腰を下ろす。ほこりは気にしない。
契約が切れない以上、ここが仮住まいってわけだ。
「おい、ガキ」
「な、なに?」
「責任、取れよ」
「……それ、どうすれば……?」
声は小さく震えていた。
見れば、その手はじっと動かないまま、服のすそをぎゅっと握りしめている。
「知るか。お前が勝手に呼んだんだ。俺はただ、巻き込まれただけだ」
まったく、ツイてねえ。
こんなガキに呼ばれて、契約されて、しかも解約もできない。
最悪の出だしだ。
だが――どこかで、妙な“引力”を感じているのも事実だ。
このガキ、魔術の才はない。ただし、“何か”がある。
それが何か、まだわからねえが。
……まあいい。少しだけ様子を見るとしよう。
この契約が、本当に“間違っている”のかどうか。
バ=リーアス。
名もなき影。
第五の時代を歩んだ知識と呪いの塊。
俺はまた、間違った場所に現れてしまったらしい。
この契約、どう考えてもバグってる。
でもその“バグ”が、世界を変える――そんな気がした。
(バ=リーアス:……おい、作者。またお前か。どうして毎回、俺ばっかりこんな目に遭うんだ?)
作者「仕方ないでしょ?これも“契約”だからね」
(バ=リーアス:契約って便利な言い訳だな……まったく)
作者「というわけで、次回もトラブル続きの二人(+α)を、どうぞゆる~く見守ってください!」
(バ=リーアス:次こそ平穏な日常を頼むぞ。……無理だろうけど)
作者「……それは契約外です」
それではまた暇な時にでわでわ!