三皿目 ポワソン
突然、礼をしていた群青の雲が千切れるように乱れた。
「敵襲っす! 西家のカチコミであります!」
野々川の面々に囲まれた中で、絆さんはすっと立ち上がった。
「平和を掲げている野々川に銃器などない! そら、鈴木氏!」
彼は木刀を鈴木氏から受け取り、「は!」と構えて前へ出た。空を切ってジグザクに霧散する中に上背のある絆さんの姿がある。
「はあああ……! 僕が二代目だ! 狙いを間違うな」
敵と呼ばれる青みがかったスーツの集団が、「取れや、取れや」と暴れまくりだ。野々川も負けはしない。だが、一人では厳しいだろう。
「後が甘いよ、絆。いや、二代目」
お義母さん(予定)の喧嘩好きが剥き出しだ。ご自身が狙われて絆さんの足枷になることは頭にないらしい。三年前にお義父様は鬼籍に入られていた。本家まで危ぶまれては不幸続きだろう。
「うおっと」とすんでのところで野々川全体が敵の中に埋もれてしまった。
「西ガードマン派遣会社は西家の同族会社だ。どこから得ているのか警棒以外に重装備できている」
「敵とかライバルとかあるの?」
「思い込みだろうよ。顧客が被らないもの」
「さあ、亜美さん、お母さんと本家に入って」
絆さんの大切な方は、私に託された。絆さんに信頼されている。
「絆! やっておしまいな!」と追いかけるお義母様(予定)の背後から、「失敬」と私はお尻を担ぎ上げ、本家の建物に真っ正面から走り込む。
「女は根性だと育てられ、獣医学部でも力業担当部員だった私をなめんなよーだ。モカちゃんぷーだ」
「おやめ! 絆の晴れ舞台を見逃す気かい?」と、現実離れしたお方は足までばたつかせた。思いの外軽かったお義母様(予定)に、白神の父から逃げた百瀬の母を思い起こしていた。
ズガガ……。
ガ……。
「静かになったかしらね」と既に外での喧噪が届かない所へきた。
「およしよ。本家に恩を売ったって、買いやしないよ」
「安全第一でお茶をいただいてください」と簡易湯沸かし器のスイッチを入れ、ティーバッグをライラック色の客用湯呑に添えたてお盆でお出しした。
「ハハハ、命令するなんて百万光年早いよ! 天下取ってからにしな」
本家は平面図を知っていても入り組んでおり、建物の奥にお義母様(予定)のお茶室までは辿り着けない。有事の際に隠し部屋として使用するつもりで、仮に客人が訪ねてきても誰もお通ししていない。
「お見合いの席で、お義母様(予定)と絆さんがよく庭で剣のお稽古をなさるとお聞きしました。だから、大丈夫です」
喉が枯れる程の音程で怒鳴った本家姐さん(跡継ぎ未定)は水分がほしかったようで、お湯が沸くのを待っておいでだ。
「さっと御不浄へ」なんて嘘一つで、私はうさちゃんルームを確認しにとととっと二階へ上がった。ルームの入り口に、「これより先絆以外立ち入るべからず」との板があり、白いうさちゃんのお面が飾ってあった。手に取ると、結構薄汚れている。もしかしたら、絆さんが幼き日におねだりしたものかも知れない。これを彼に見せて元気になって貰おう。
「敵は西家だ! 僕に続け――!」
「へい!」
防弾になっていないらしく、門扉からの声が丸聞こえだ。
「大丈夫よ。うさちゃん達」
八羽おり、各々絆さんがいない時間はケージに入っている。
ズガーン……!
西家の発砲だろう。ざわざわする心をセーブして、障子を少し開ける。
ズガガガーン……!
二度目か。大人の私がシルエットとなって敵に狙われてしまった。
「絆かい?」とお義母様(予定)が蹴出しも構わずに奥から二階にきた。庇い合った二羽に流れ弾が当たるとは、絆さんに申し開きができない。しかし、ここから声を挙げれば一掃されてしまう。私は洋装でよかった。ガーターベルトでまとった太腿に、玩具でもピストルがある。型番までは知らない、ド素人の銃だ。
「障子のスリットは口径よりやや開く。敵は足を崩すのみで致命傷は与えない」
自分に言い聞かせては、三度の深呼吸をする。 三、二……。
「絆さんを松の木に登って狙っている軽業師だわね」
ガーン――!
西家の隠し玉は撃ち落とした。だが、悲鳴がない。
「まさか、タマ取ってないよね。受け身の上手い軽業師だったかも知れない」
「やるじゃないか、二代目姐(仮)」
「しっ」と、お互い面突き合わせた口と口の間に人差し指を立てた。
「私、行かせていただきます」下の喧噪へ身を投じようと覚悟を決めた。
「株が上がるじゃないか」
「さあ、うさちゃん達。おうちに入っていてね」
降りた途端、西家が撤退していくところだった。野々川は群青スーツが山となり谷となりだ。
「引け——」
もしかして、絆さんはこの群青の山にいるのか。まさかの奇襲に殆どの者が口にしていない。
「俺ら野々川が負けた?」
「まさか、本家総崩れ?」
心がぞわぞわとして、先程飲んだ水出しブラックが喉に込み上げてくる。ゲッゲッ。こほっとイガイガを払った。
「おどきなさい!」
幾分か立ち上がれる者もいた。だが、誰もが絆さんに近付けないようだった。野々川の脆弱さを突かれたようだ。
「こういうときに、背筋をしゃんとしなさい」
私は、「似合う」と言われた赤いピンヒールで足音を立てる。
カッコッカッコッ。
「起きなさい。絆さん――」
人の山を掻き分けて、野々川絆という優しい方を抱き起す。
「私達はこれからだったわよね。子を宿していないのに……。キスもまだなのよ」
天を向いて倒れている絆さんに唇を寄せた。内緒だけど、私の初恋。初めてのキスなの。
「皆、耳の穴をかっぽじって聞きな!」
庭の四隅に向かって吠える。本家にいる彼を産みし母をも捉える。
「これからは、野々川は二代目姐が支えて行くよ……!」
叫びながら、うさちゃんのお面を被っていた。
二代目姐だもの。泣き顔を晒す訳がない。
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三皿目【魚料理】
<真鯛のポアレと白ネギのエチュベ・ソースヴァンブラン>
白ネギを甘く炒めて真鯛と合わせる。素材の水分を大切にした料理がエチュベで蒸し焼きがポアレ。ソースも魚料理には定番のものだ。定番中の定番をいくことが信念を貫き通す感じに似ている。