二皿目 スープ
「お見合い相手の野々川絆さん——。うさちゃん好きは好印象なんだけどね。あれから話では随分と会社員の多い社長さんだって聞いたけど、やっていけるの? 亜美さんよ」
さて、お見合いのことを思い出しながら、銀座にあるうさカフェ日向で夏の日差しを落とすブルーマウンテンを私はいつまで見詰めているのだろうか。ぼんやりとした刺激が胸から肩にぞくぞくとしてきた。
「モカモカ……。サークルで遊んでいるの? うさカフェはお友達が沢山いて楽しいわよね」
パートナーのロップイヤーラビットモカちゃんを呼ぶ前に心を鎮めたい。料亭でのことをぎゅっと胸に詰め込む。
「元気? 亜美さん」
カフェのテーブルにとんと当てるワイシャツの袖口が視野に飛び込んできた。はっとして顔を上げると噂の絆さんだ。
「え、ええ? シンパシーいっちゃったかな」
「お振袖もいいけど、タピオカ色のスーツも似合っているよ」
ストライプが甘い紺地のスーツ姿が、爽やかに向かい側へ腰を落とした。
「結婚するまでは、白神でいたいな、なんてね」
「そうっすね。僕が野々川を捨てて白神家に入ろか。野々川警備会社は、警備員の中でも要人中の要人、お忍び要人を警護する仕事で、僕には向かないんだ。もっとやわらかい世界にいたい。依頼主が被るライバル会社もいて最近働き手の皆には用心するように声かけしているんだよ」
絆さんは後ろ頭を掻いて照れ隠しというところか。中々厳しいお仕事のようで、渦中の野々川を捨てるとは恐ろしい。千代子お義母様(予定)が黙ってはいない。
「私のうさカフェ日向はどう?」
私はノートパソコンをバッグに仕舞い込み、冷めきったブルーマウンテンでくっと喉を潤した。
「さっきまでね、うさちゃんの里親を探していらっしゃるサイトの再チェックをしていたの」
「すまんね。うちの仲間を手放すのは忍びないな」
優しさにほだされる。結婚するなら母と離婚する父よりもどこまでも別れを譲らないパートナーがいい。
「絆さんと趣味が合うっていいよね。白神の家では、動物の毛アレルギーの父がいたから飼えなかったのよ。大人になってこんなにハッピーな生活が待っていたなんて」
「僕の家にもうさちゃんルームに八羽いてくれて、そりゃあ楽しいんだよ。最初は二羽だったのにね。仲良しさんだったから、赤ちゃんも産んでくれて。亜美さんのところも優しいうさちゃんばかりで、うさカフェ常連になりそうだ」
父が母と別れた話はおいおいすればいいとしよう。すったらこったら、私を素通りして茶色いもこもこが動いていく。
「ああ——! だめん、モカちゃん」
お客様にはお膝乗りの際にキルティングのシートをお配りしている。いつもであればアマイ店長がお連れするのだが、モカちゃんまっしぐらで絆さんの足に寄って前足でカリカリし出した。よしよしと構ってしまう絆さんが羨ましかったりする。
「モカちゃんは乙女シーズン中で、絆さんに懐き過ぎだわ」
「うさちゃん同士も亜美さんと野々川でお見合いしてみる?」
店長が茶色に映える紺色のキルティングを持ってきてくれた。
「やほ。店長、水出しブラックを二つ」
「承知いたしました」
カラコロと氷の踊る音が、八月のお盆を涼ませてくれる。私は恥ずかしくなり、肩に揃えた黒髪を耳にかけた。
「モカちゃん、心配な仕草があってね、病院で偽妊娠と診断されたわ」
「ママになりたいのかね? モカちゃんは」
私は、グレーのキルティングの上にクロミちゃんを膝に迎えた。私が撫でると絆さんも撫でる。照れ隠しにクロミちゃんを高く抱き上げ、私は顔を隠した。
「僕達もいずれは可愛い子どもがほしいな」
母の持ってきた縁談に渋々付き合った二十三歳交際歴なしの彼に、「イエス」としか言えないプロポーズをされてしまった。
「いやだわ……」
「嫌なんですか?」
「違うのよ。もう、ばかん」
楽しいやら嬉しいやらで、直ぐに時間が経ってしまう。
「午後三時に野々川の方でお茶会がありますから、よろしければいらしてください」
「野点だとお電話でお聞きしたわ」
「着付けは大変なので、スーツでお越しください」
エレベーターで地下駐車場に入る。真っ赤なリムジンは池袋を目指し、広すぎる邸内で停まった。運転席の鈴木氏が降り、後方のドアをノックして開ける。
「お疲れさんっす! 二代目姐さん(直)!」
あたしに似合うらしい真紅のピンヒールから石畳に足を置いた途端だ。野々川の軍勢が左右にビシッと並び、群青のスーツが直角に礼をした。人垣の向こうはお義母様(予定)が霞む程だ。
「お帰りな、二代目姐(仮)」
「本家姐さん(跡継ぎ未定)、ただいま戻りました」
「ただいま、お母さん」
和装で立ち姿が一輪の菊のような絵になるお義母様(予定)は、注文が多い。
「どうも気品があっていけないね。野々川の屋台骨として貫禄を持っておくれ」
お義母様(予定)は、姐(仮)、姐(仮)と煩い。警備会社の社員の方々も姐さん(直)、姐さん(直)と煩い。私は、うさカフェ経営が向いているのに。
「絆さん、野々川長室でしたら私もお供するわ」
「あそこはエアコンが壊れているんだけど、大丈夫かな」
「私は恒温動物よ」
「そりゃな」
彼も本当はうさちゃんと暮らしたがっていて、カフェにいるもふもふを介した話も合う。けれども、婚約した日から野々川家が巨大トラストというかコンツェルンというか。最高級の警備会社二代目の絆さんは狙われている訳だ。家族同然のうさちゃん達を私も守りたい。そこで、里親ネットを立ち上げていた。
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二皿目【スープ】
<トマトのガスパッチョ>
トマトとわざわざ主賓の紹介をするまでもない。トマトベースだからだ。スペインはアンダルシア地方生まれのフレッシュ野菜で冷製スープに整える。血を想像したかな。