一皿目 オードブル
こんにちは。
いすみ 静江です。
ようこそお越しいただきありがとうございます。
拙いながら懸命に書かせていただきました。
お楽しみくだされば幸いです。
「白神亜美さん……」
「は、はい!」
私の返事は上ずっていた。
「うさちゃん一家ごと結婚を前提にお付き合い願います!」
料亭の庭園で差し出された野々川絆さんの手がとても逞しかった。黄色い菊と流水をあしらう振袖が、躊躇いながらも引き寄せられてしまう。トクントクンと自身の鼓動が絆さんに聞かれやしないかと恥ずかしくなった。
「私はお付き合いとか初めてなのよ。ずっと女子大学の附属できたから中学校や高等学校も生徒は女子しかいない環境で育ったわ。父の白神日向だけは、母と別れてからもずっと支えてくれたの」
絆さんの手は、まるで小鳥が羽を休めるように止まり木として待っていた。私は振り切る程の冷たさがない。
「私と一緒になると、父の資本で始めたうさカフェ日向のうさちゃん達に囲まれちゃうぞ」
頬に手を当てて後ろを向き、羽の重さ程に指の先をあるべき絆さんの手の上に重ねた。とくっとなって跳ね返りたくなる。
「どうされたの? 絆さん」
ちいさな震えが繋がれた手から伝わってきた。こらえきれない絆さんの表情が一秒とて同じではない。
「いやあ、緊張するものですね。感極まってしまって」
絆さんは高い空へ向かって一呼吸した。
「日曜日ではなく水曜日のお見合いは、野々川さんのお仕事関係と白神の父に聞いたわ」
「料亭・哉にいい想い出があってですね。現役だった父らと三人で会食をしたとき、僕が『空が綺麗で、ここは水曜日の天使がいるんだ』とか言いまして」
確かに東屋から出て、降り注ぐ天気が素晴らしく美しくて手で掬う仕草に自然となる。都会の作り物の自然風景の中、あまりにも空が青くて素敵だった。風に似た実直で朴訥とした絆さんの熱い手へと腕を伸ばしたのが、正しかったのか。ことの次第は一つの出逢いから始まった。
「絆さんの水曜日の天使は、もしかしたら新しい命かしら。人は文明を重ねてゆく中で神秘的で素晴らしい偶然と出会い過ぎるわね」
「奇跡は愛することと愛されることがお互いにないといけないと思う。僕は亜美さんを守っていきます」
釣書は十分な警備会社の経営者で、お写真では栗色の髪がうさちゃんのモカに似て愛らしい感じがした。父が持ってきたお見合いだが、形ばかりだと思っていたけれども、実際にお相手を前にすると恥ずかしくて仕方がない。距離を縮めていきながら料亭の中庭を望む格式ある部屋へゆっくりと帰った。
「まあ、うさちゃん八羽もお暮しなんですね。来週の水曜日にうさちゃんハウスにお邪魔したいわ」
「あ――。恥ずかしいですが、僕もちいさな動物さん達が好きでして」
釣書にあった「ちいさなパートナーはうさちゃん」は本当らしい。
「どうしようもなくキュンになるわよね」
「そうっすよね」
お部屋に戻るときには、お互いのうさちゃんの話ばかりしていた。友達とも恋人とも違う、同胞が近いのだろう。しかし、お見合いの席で頷いたからにはレールの先に結婚が待っている。私のうさカフェを自分で続けていきたい点が引っかかっていた。
「あらまあ、絆もまんざらでもないね」
背筋をしゃんとした千代子お義母様(予定)が豪快に笑った。あまりにも大きな声だったので、楽しくて私も微笑む。
「どうした、鈴木氏。車のことかい?」
絆さんに耳打ちをしていた。こくっと頷くと「承知した」と返す。
「亜美さん、うちの会社にもライバル会社がありまして。不法就労者を多く雇って水増し人海戦術が得意な西ガードマン派遣会社なんです。仕事が雑だから干されがちで、逆恨みされてましてね」
「私一人なら逃げられるけれど、うさちゃんは勘弁してほしいわ」
まあまあと割って入ったのは父だった。
「めでたい席です。お仕事の話はまた今度」
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ホテル・白神ラパンにて。
一皿目【前菜】
<あん肝のポワレ・フォワグラ風>
高級食材の名を連ねれば、さも美味しいだろうと思い込むだろう。しかし、煮ても焼いても寧ろ食べるのがあん肝たる所以は変わらない。結婚にブランドは必要ないのだ。