なんですと?
大学三年生(つまり、成人済み)のお話。
「お母さん、うちのみりんって飲めるんだっけ?」
「は?」
帰宅するなりそんなことを尋ねてくる息子に、母親は食事の支度をしていた手を止めて振り返った。「何をいっているのだ、おまえは」と、その目が語る。
視線の圧力に怯みながらも、言わねばならぬと息子は話を続けた。
「講義の課題で、みりんを飲んでみようって」
「は?」
何を言われているのかはよくわからないが、耳にした「講義の課題」に反応して母親は話を聞くことにした。内容が気になって仕方がないので、食事の支度は完全にストップする。
「で、みりんがなんだって?」
「お酒に関する講義の話で、実はみりんもお酒なんだよと」
うん、そうだね。結構なアルコール度数あるよね、日本酒並の。
つまり、家にあるみりんが「飲めるみりん」だったら、一度飲んでみようという任意課題。
「これさ、家にあるのが本みりんじゃなかったらどーすんだろ?」
「さあ?」
なぜか他人事の息子に、なせか苛立ちを覚える母親の姿があった。
こいつは絶対に理解している。年末近くにみりんを買うときに「なんで屠蘇散がついてるんだよ~~いらないんだよ~~」とぼやく母親を覚えているのだろう。こんなときだけ無駄に記憶力を発揮しやがって。
そんなことを思いながら、母親は言う。
「うちにあるのは、本みりん。知っている中でいちばん甘ったるくないものを買っている」
お取り寄せレベルで探せばもっと甘ったるさの少ないものもあるのかもしれないが、欲しいときにすぐ手に入らないものは困る。まとめ買いして家においておくと、熟成が進むのか色が変わってしまうし。
「つまり」
「飲める」
実は、本みりんもそのすべてがおいしく飲めるわけではない。
伝統的製法の本みりんは、江戸時代に確立された製法にしたがって造られる、もち米、米麹、本格焼酎(米焼酎)を原材料としたもの。じっくり熟成させていくため、時間がかかる。一方、戦後の米不足の折に編み出された標準的(工業的)製法の本みりんは、もち米、米麹、醸造アルコールに水飴を添加し、同じ米の量でも伝統的製法よりも多く(約三倍)の量が造れ、熟成期間も短く(約四分の一)とられている。
標準的製法の本みりんも、飲めないことはない。しかし、伝統的製法のそれと比べるとどうしても甘ったるさがいただけない。おいしく飲むなら、やはり伝統的製法の本みりんなのだ。
飲むためには買っていないが。
任意課題の「家にあるのが飲めるみりんだったら、飲んでみよう」なら、酒盛りをする必要はない。
食事ついでになめる程度から。
小さめの器に少量注ぎ、味見をする。これで受け付けないなら無理をして飲むものではない。母親は自分がみりんを飲めないため、少々の不安を覚えながら見守ることにする。
「あ」
小さく声をあげた息子を見やると。
「これ、けっこう好きかも」
「なんですと?」
味見分をあっさり飲み干し、おかわりを要求されて困惑する母親。まさかの本みりんお気に入り宣言に動揺が隠せない。
先程の味見分よりも多く注いで、ニコニコと飲みだす息子に呆気にとられていた。
その後しばし、「妖怪本みりん舐め」が台所に出没することとなる。
このみりん、高いからやめてほしい。思っても言えない母親であった。
妖怪化は一年もしないうちに飽きた模様。
そもそも家でほとんど飲まないからな、うちの成人。
余談:実家でも伝統的製法の本みりんを使っていたため、知り合ったキッチンドリンカーが「みりんは飲むなよ、トぶぞ」と言っていたのが当時は理解できなかったのだが、あれは標準的製法の本みりんのことだったんだなと腑に落ちたのがまさかの二十年後という。