水の祈り
僕は今日も一人、森の中でピアノを弾いていた。
「水神様、どうかお言葉を」
そう祈りながらピアノを弾いてみても、水神様は答えてくれない。いつもと同じ、だめだめな一日がまた始まった。
僕、精霊師アクエの役割は、精霊の力を使って神様と対話し、この国の自然を守ること。僕の他にあと二人いるけど、ずっと森の中に引きこもって動物たちと戯れているのは僕だけだろう。
「まただめだったよ、きっと才能ないんだね」
近くにいた水の精霊ニンフに話しかける。この子の力で水神様と対話するのだけど、一度も成功したことはない。
ニンフはあからさまに落ち込んで、背中を丸めてしまった。
「ごめんごめん、君のせいじゃないよ。僕がだめなだけなんだ」
お互いに落ち込んで、余計にその場の空気が重くなった。それを感じた動物たちが僕たちの周りに集まってきた。
僕の水色の短髪に一匹、サファイア色の瞳のそばに一匹、弾力のある頬に一匹、さまざまな動物たちが舐めたり頬ずりをして、落ち込んだ僕を慰めてくれた。
「ありがとう、こんな僕に優しくしてくれて」
その様子を見ていたニンフは青色の長い髪をなびかせ、綺麗なシルク色の羽をぱたぱたと動かしながらどこかへ行ってしまった。
本当は精霊の力と楽器の音色があれば神様と対話できるはず、なのに僕だけはそれができない。みんなは僕のことを落ちこぼれと言って馬鹿にした。その結果、僕は一年間も森に引きこもっている。
「どうしてですか水神様、あなたとお話しできるのは僕しかいないというのに」
こんな独り言も、聞いているのは動物たちだけだった。
精霊の力を使えるのは選ばれた者だけ、なぜ僕が選ばれたのかはわからないけど、水神様と対話ができるのは僕だけなのだ。毎朝ニンフと試しているけれど、一向に返事はこない。でも今のところ自然に問題は起きていない、今のところは。
いつもと同じ日々を過ごしていたある日のこと、森に異変が起きた。森の泉が枯れ始めているのだ。このままだと国に水が行き渡らなくなり、人も動物も大変なことになってしまう。
「どうしよう、水神様、答えてください」
焦ってピアノを弾く。ニンフも一生懸命に力を注いでくれているけど、やっぱり返事はない。そんな僕のところに、火の精霊サラマンダーを連れた精霊師イグニスがやってきた。
「何やってんだ、そんな汚い演奏で答えてくれるかよ」
イグニスはアシンメトリーの赤い髪を派手にかきあげた。目元には赤いアイライナーが目立つ。僕に対してはいつも強気で、あまり仲良くはない。
「でも、どうして泉が枯れ始めたのか聞かないと」
「それなら知ってる」
イグニスは丁寧に説明してくれた。イグニスは火神様と太陽のギターを通じて対話するのだけど、どうやら火神様が泉を枯らしているらしいのだ。
「どうしてそんなこと」
「お前のせいだとよ」
水神様と一度も対話できていない僕を見た火神様は、僕に本気を出させるために泉を枯らしているのだと、言っていたらしい。
「そんな無茶苦茶な」
「知らねえよ、お前がやればいいだけの話だ」
「イグニスから止めるように言ってよ」
イグニスは大きなため息をついて、くるっと後ろを向いて歩き出した。
「行くぞ、サラマンダー」
イグニスと同じような髪型に同じようなメイク、トカゲの尻尾を振りながら僕を嘲笑うようにイグニスについて行くサラマンダー。
「ちょっと待ってよ」
「またそうやって他人に縋るのかよ、そりゃ火神様も怒るわ」
そう捨て台詞を吐いてイグニスは行ってしまった。
僕にはできない。だって水神様が答えてくれない限り、僕にはどうしようもできないじゃないか。ニンフだって一生懸命やってくれてるのに、どうして。
悩んでいる間にも泉はどんどん枯れていた。僕が弾いている泉のピアノも、だんだんと輝きがなくなっているように感じる。ニンフも心なしか元気がなさそうだ。
「ニンフ、大丈夫?」
精霊は喋らない。だけど精霊師には言いたいことがわかる。
ニンフは首を縦に振り、泉のピアノに力を送っていた。でもすぐに力が抜け、その場に倒れ込んでしまった。
「やっぱり、泉が枯れてきているから力が出ないんだね」
僕は申し訳ない気持ちになった。動物たちもこの数日間は僕のところに来ていない。泉が完全に枯れてしまえば、水神様との対話はより一層難しくなるだろう。
「できないよ、僕にはできない」
勝手に涙が出てくる。何もうまくいかないし、ニンフも苦しそうだし、イグニスもあれから助けてくれなくなった。どうしろって言うのさ。
「何を泣いているの、みっともないわよ」
声をかけたのは、地の精霊ノームを連れた精霊師サラだった。
「サラは緑神様とどんな話をしてるの?」
「特に話はしてない、ただ私の演奏を聴いてもらっているだけよ」
サラは腰まである長い緑色の髪を束ねて、近くの岩に腰掛けた。いつも冷静でクールなサラは、僕にさりげなくアドバイスしてくれることが多い。
「そっか。僕、何がだめなのかな」
「ピアノ、弾いてみて」
サラに言われたとおり、僕はいつものように泉のピアノを弾いた。でも少ししてサラは僕の演奏を止めた。
「それじゃあ無理よ」
「どうして?」
「あなた、ただ音を出しているだけじゃない。演奏して」
言っている意味が分からない。僕はちゃんと曲を、水神様にいつも捧げている曲を弾いたのに。
「弾いてるよ、何がいけないの?」
その言葉にサラはため息をついた。イグニスと同じように、呆れたため息。
「泉を見て、何か変わった?」
何も変わらない、枯れかけた泉だ。それを見て焦りが募るばかりだった。
「私の家まで来て、演奏を聴かせてあげる」
サラはそれだけ言って歩き出した。僕はその後をついていき、サラの家にたどり着いた。
「ノーム、準備はいい?」
茶色の短髪に眠たそうな顔、サラの言葉に頷いたノームは庭にあった草原のハープに触れた。
「緑神様、私の演奏をお聴きください」
椅子に腰掛けて草原のハープを弾き始めるサラ。その瞬間、周りの草木は成長し花が咲き始めた。
「すごい、こんな力が」
僕は気づいていなかった。精霊師が使う楽器には、神様と対話する他にもう一つ能力がある。それは自然の促進。サラの草原のハープは大地や植物を成長させ、イグニスの太陽のギターは陽の光の増幅や火を生み出し、僕の泉のピアノは雨を呼んだり水を生み出す力がある。
「やっと気づいたのね、これができたら対話もできるわよ」
「一生懸命やってるけど、水神様は」
サラはまたため息をつく。
「自分が楽しく弾かなきゃ、相手だって楽しくないわよ」
そうだ、僕は一度もピアノを弾きたいと思って弾いていなかった。
「これは義務じゃない、運命なの。弾かなきゃいけないって思うぐらいなら、弾かないほうがいいわ」
サラの言葉に僕は納得した。自分のすべきことがやっとわかったような気がする。
「ありがとう、サラは優しいね」
「泉が枯れたら困るだけよ。さあ、行って」
サラとノームに手を振って僕は泉のピアノまで戻ってきた。泉の水はもうすくうほどもない。ニンフはピアノの上でうつ伏せになって寝ていた。
「ニンフ、もう一度だけ力を貸してくれるかな」
僕の言葉に反応してすぐに起き上がったニンフは、笑顔で頷いた。
「水神様、どうか、僕の演奏を聴いてください」
いつも弾いている曲を、いつもと違う気持ちで演奏する。僕はすぐに何かを感じ、あたりを見回した。
「わあ、すごく綺麗だよ。ニンフ、見てごらん」
僕とニンフの周りにはいくつもの水滴が浮かんでいた。それに太陽の光が反射してきらきらと輝いている。
「アクエ、聞こえますか」
誰かの声がした。だけど姿は見えない。これはきっと水神様だ。
「心のこもった素敵な演奏をありがとう。火神が迷惑をかけたようですね、ごめんなさい。あなたの演奏なら、泉を元に戻せますよ」
初めての対話、僕はすごく感動した。そうしているうちに周りの水滴が一つに集まり、泉のほうに飛んでいった。
ピアノを弾き終わり泉を見てみると、かつての透き通った泉がそこにあった。
「やった! やったよニンフ!」
僕たちは強く抱きしめ合った。と言っても精霊は手のひらサイズだから頬ずりをする程度だけど、それでも僕たちは喜びを分かち合った。気がつくと動物たちも集まってきていた。
「おお、やったか」
「これで一件落着ね」
隣を見るとイグニスとサラが精霊たちを連れて立っていた。
「聴いてたの?」
僕は急に恥ずかしくなってニンフと離れた。ニンフも顔を赤らめている。
「もちろん。お前の初めての本気、見ないわけにはいかねえだろ」
イグニスはそう言うと僕に近づいてきた。
「め、珍しいね、イグニスが僕に興味を持つなんて」
「興味? 興味も何も、俺たち仲間じゃねえか」
不意に僕の頭を撫でるイグニス。その顔は今まで見たことがないほど笑顔だった。
「男の友情は熱いわね」
その光景を見たサラも近づいてきた。
「私も混ぜてくれる?」
そう言ったサラは僕たちを強く抱きしめた。
「お、俺もかよ!」
イグニスは照れくさそうにサラに言った。僕もなんだか恥ずかしくなってきた。
「きょ、今日は積極的だね、サラ」
「いつもこうしたいって思ってるわよ」
その言葉に僕とイグニスは完全に固まってしまった。サラはきょとんとしている。
「あれ、ニンフ?」
そういえばニンフがいない。僕から離れるときはいつも知らせてくれるのに。耳をすませると遠くのほうではしゃぐ声がする。
「楽しそうね、あの子たち」
「遊びたかったんだろ、精霊といっても子供だからな」
「あんなニンフ初めて見たよ」
声がするほうに目を向けると、ニンフとサラマンダー、そしてノームが楽しそうに戯れていた。きっと我慢してたのかな、ニンフも他の精霊たちと仲良くなりたかったのかも。
「僕、これからも頑張るよ。二人とも、ありがとう」
僕がお礼を言うと、二人は僕の手を掴んで笑顔で言った。
「どういたしまして」
僕たちはこれからも一緒に、この国の自然を守り続けていく。