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夏休みに入った直後、きみたち文芸部は芹沢家を訪れることとなった。芹沢優愛の自宅は高級住宅街の一画にある。高台一帯を当初からセキュリティ重視で開発された地区で、定期的に警備員が巡回するようなところだった。 


どの家も大きいが、芹沢家はそのなかでも一際広大な土地を有していた。立派な門構えの向こうには白亜の邸宅、もうひとつ家が建ちそうな庭があり、玄関まで続く道は歩くだけで息切れしそうだった。


芹沢優愛とお手伝いさんに案内される形でリビングに入ったとき、すでに彼はそこにいた。芹沢優愛の父親、芹沢冬馬が立ってきみたちを出迎えた。


「やあ、いらっしゃい。みんな待っていたよ」


芹沢冬馬は精悍な男性だった。トレーニングが趣味なのか、張り付くようなシャツに適度な筋肉が浮かび上がっている。

健康的な焼けた肌に、はつらつとした印象を与える笑顔、きみたちが想像していた社長像とはだいぶ違ったので面食らった部分もあり、しばらく全員が立ち尽くすのみだった。


「ほら、ルイも挨拶しなさい」


芹沢冬馬が頭を撫でるようにしたのは、すぐ横に座る犬だった。白くてモコモコした犬で、体は大きい。


「これは、サモエドですね」


最初に言葉を発したのが部長の片岡春人だった。彼が犬好きであることはきみも知っている。


「そう、よく知ってるね」

「ぼくも将来飼いたいと思っていたので。触ってみても構いませんか」

「どうぞ」


片岡春人が犬を撫で、お手を命じている。きみも犬は好きだったが、その視線は芹沢冬馬のほうを向いていた。


「素直な子ですね。初対面のぼくのいうことも聞いてくれる」

「この子は性格が穏やかだからね。ちょっととぼけたところもあるけど、その辺もかわいいところだね」

「いくつですか?」

「もう六歳になるね。うちにきた頃はまだ赤ちゃんだったんだけど、すぐに大きくなったよ」


片岡春人がガラス戸から庭を眺める。


「これだけ庭が広ければ、外を散歩する必要もなさそうですね」

「そういうわけにもいかない。違う景色を見せたほうが健康にいいとわたしは思ってるから、散歩はかかさないようにしているんだ」


そのためのバイトも特別に雇っていると芹沢冬馬は言った。そしてきみたちに座るように続けた。きみたち文芸部は5名いたが、全員が座っても余裕があるくらいにソファは大きかった。


きみたちはそれぞれ名乗り、インタビューを受けてくれることに感謝の言葉を述べた。

芹沢冬馬はそんなにかしこまることはない、と言った。

ここでは社長ではなく、娘の友達として接したいと。もちろん、仕事の内容についてもしゃべるけれど、それはあくまでも娘が属する部活動への協力という意味合いであると。


片岡春人が聞き手としてインタビューを始め、芹沢冬馬は淀みなく答えていく。

その間、きみが考えていたことは、芹沢冬馬の社長としての手腕や器ではなく、この人物が本当に犯人なのかということだった。


そう、きみは疑っている。この芹沢冬馬のことを。弟を連れ去った犯人なのではないか、と。

根拠に関してはまだ薄弱だ。だからこそ、調べなくてはならない。自分の考えが正しいのかどうかを。


「わたしは学生時代、非常に荒れていたんだ。悪い連中とつるみ、傷害事件を起こしたこともある。いいわけにはなるが、片親だったことが原因のひとつでもあったんだ。そんな自分に熱心に向き合ってくれた警察官がいた。わたしは彼のおかげで立ち直れたと思っているし、自分もああいうふうになりたいと思った」


インタビューのなかで、きみが関心を示したのはその部分だった。片岡春人からなぜこの街で起業したのか、地元以外の理由があるのかと聞かれて、芹沢冬馬はそう答えた。


「だから慈善事業にも熱心なんですね。養護施設にもかなり出資しているとか」

「自分のような存在を生み出さないために、仮に境遇に不幸があっても、人生を前向きに生きられるような環境を作り上げたかったんだ。わたしが留学していた国のひとつ、スウェーデンではそういった制度はしっかりしていた。この国ではまだ子供は物扱いされているような気がしてね、それが残念でならないんだ」


そうして片岡春人のインタビューが終わり、きみたちのほうに顔を向ける。


「それじゃあ、ほかのみんなは質問はあるかな?」


あの件に関して聞きたいことは山のようにあるが、それを口にするわけにはいかない。かといって何も聞かないのもおかしい。

自己紹介のとき、きみはすでに芹沢冬馬から娘の彼氏としていくつかの質問も受けている。こちらが興味をまったく持たないというのも相手に不信感を与えるかもしれない。


「芹沢社長は本が好きだとお聞きしましたが、どんなジャンルのものを読まれるんですか」

「面白いと言われるものなら何でも読むね。元々ジャンルにこだわりはないんだ。そもそものきっかけが邪道なものだったからね」

「邪道、ですか」

「中学時代、ぼくもきみたちのように文芸部に入ってたんだよ。でも、それは読書が趣味だったからじゃない。好きな女の子が文芸部にいたからなんだ」


「それで本を読むようになったんですか」

「うん。彼女は当時はよくライトノベルを読んでいた。でもぼくはアニメのような表紙が恥ずかしくて買うことはできなかった。だからあえて別のもの、純文学やミステリーを読んで、彼女に違いをアピールしようとしたんだ」

「それで、付き合うことはできたんですか」

「さあ、どうだろう」


芹沢冬馬は笑顔ではぐらかすが、きみは何かしらの深い関係があったのではないかと疑う。

彼は先程当時は、という表現を使っていた。ということはその後の彼女についても情報を持っている可能性が高い。


本の趣味というものはそうそう変わるものでもないから、場合によってはいまの彼女も知っているのかもしれない。きみはそのことを指摘した。


「橘くんは鋭いね。さすがうちの娘が見込んだだけはあるのかな」

「いえ」

「わかった。負けを認めよう。彼女とは付き合ったことがある。何歳のとき、ということまでは言えないけどね」

「橘くん、あまり人の恋愛事にずけずけと踏み込むような真似は感心しないが」


片岡春人が顔をしかめて注意すると、それまで一言もしゃべらなかった芹沢優愛が口を挟んできた。


「そういえばお父さん、わたしたちと同じ中学校の出身だよね」

「ああ、そうだけど」

「もしかして、来栖カナタの正体って知ってるんじゃない?あの人も文芸部にいたんだよね」


その名前を聞いたとき、芹沢冬馬の顔にかすかに緊張が走ったのが見えた。おそらく起業してから数多くの難所を乗り越えてきたであろう彼が一瞬でもそんな隙を見せたことに、きみは驚いた。


「片岡先輩って来栖カナタのファンなの。もし知り合いだったら紹介してあげてほしいんたけど」

「いや、ごめん、よく知らないんだ。本は読んだことあるけどね」

「どれが好きなんですか?」


来栖カナタのファンである片岡春人が身を乗り出すようにして聞く。


「わたしはデビュー作の灰色の庭かな。話題の新人と聞いてたから、すぐに本屋で買って読んだんだ。文章は粗削りだったけれど、内容は当時としては新鮮だった」

「来栖先生はキャラクターミステリーを確立された功労者のひとりとも言われています。」

「うん。主人公の女の子なんて、本人の生き写しじゃないかというくらい生き生きとしていた。部活のシーンなどは文芸部の経験が生きたからではないかと思ったよ」


いまの発言は明らかにおかしい。性別がわからない作家に対して生き写しという表現を使うところもそうだが、なによりも文芸部の経験が生きた、という点だ。


来栖カナタの素性はいまも明らかにされておらず、文芸部を救ったのもある程度の名が売れたあとのことだった。

デビュー直後に買ったのなら、来栖カナタという人物が文芸部にいたかどうかもわからないはずだ。にもかかわらず、当時そう思ったと芹沢冬馬は語っている。


だからといって、この情報がきみにとって有益とは限らない。芹沢冬馬にとって隠したい過去があるというだけのことかもしれない。なんでもあの事件に結びつけるのはよくない。ただ、やけに気になることは確かだ。


「ところで、橘くん、お母さんは元気にしているかな」

「お母さん、ですか」

「おや、その様子だと聞いてないみたいだね。わたしときみのお母さんも幼馴染みなんだよ」

「そうなんですか」


きみはそのことを知らなかったが、特別な驚きはなかった。

そうかもしれないと想像していた部分があるからだ。それよりも、芹沢冬馬がきみのお母さんも、という表現のほうが気になった。


「次は親子で遊びにくるといい。きみと優愛が結婚すれば、いずれは顔を合わせる必要があるのだから」

「ちょっとお父さん、結婚って。わたしたち、まだ中学生だよ」

「いまの時代でも、十代で結婚する人はいるだろう。本当に好きなら、躊躇う必要もないんじゃないか」

「だから、早すぎだってば。ねぇ」


芹沢優愛が同意を求めるようにきみを見る。きみはうなずく。


「そうか。そうだな、そんな話をするのはまだ早いか」

「当たり前でしょ。ほんと、恥ずかしい」


芹沢優愛は以前言っていた。父親は異性関係のことをあまりうるさく言わないと。自宅へと呼ばれたことも含め、やはりそのような人物らしい。


それとも特別な意味があるのだろうか。幼い頃からの知り合いなら軽く結婚という言葉も口にできるが、きみとは初対面にすぎない。

芹沢冬馬の口調にはどこか挑発的な響きがあり、何かしらの思惑が含まれていると考えるのも当然かもしれない。


では、それはなんなのだろう。芹沢冬馬はきみを試しているのかもしれない。

芹沢冬馬が犯人だと仮定すれば、この家に弟の死体が隠されているのかもしれない。

きみにあえてこの家を意識をさせることで、その反応を確かめようとしているのかもしれない。なら、それにあえて応じてみることもひとつの手かもしれない。


「もしぼくが優愛さんと結婚するといったら、本当に芹沢社長は賛成するんですか?」

「それもひとつの手かもしれないと思っている」

「ひとつの手?」

「いや、わたしは元々息子が欲しかったんだよ。優愛はもちろん可愛いし、大切な娘であることは間違いがないが、男同士でしかわからないようなことも世の中にはたくさんある。腹を割って話せるような同性の子供がいればいいと何度も思ったことがあるんだ」


「なら、再婚をすればいいと思うんですけど」

「中学生相手に言うことではないのかもしれないが、わたしのような立場だといろいろ面倒なこともあってね。娘の将来を考えると、そうやすやすと再婚というわけにもいかないんだ」


遺産がらみということだろうか。それにしては、素性の知れぬきみとの結婚を勧めるような発言をしている。


どこかしっくりとはこない主張ではあったが、これ以上プライベートな部分に踏み込むのもためらわれた。今日はこれで十分かもしれない。いまは娘の彼氏という立場を演じておくほうが得策だ。


「ひとつ、お願いがあるんですけど、いいですか」


とはいえ、この家に次に訪れるのがいつになるかはわからない。ここでしか聞けない質問というものがある。最後にきみはそれを訊ねてみることにした。


「なんだい?」

「ぼくも犬が好きなので、その子と庭で遊んでみたいんですけど」

「それはやめたほうがいいかな。最近は庭の掃除を怠っているから、この子が怪我をするかもしれない」


芹沢冬馬の反応はいたって自然だった。やましさを微塵も感じさせない平然とした顔をしている。


きみは座ったまま庭のほうを眺めた。弟が埋まっているかもしれない庭をじっと見続けた。

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