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芹沢冬馬に大きな変化は見られない。怒るでも戸惑うでもなく、落ち着いた様子でそこに立っている。まるでその問いを想定していたかのような態度だ。
「なぜそう思ったのか、聞いてもいいかな」
「弟がある日、パパと言ったんです」
あれは弟がいなくなる一年ほど前のこと。きみは弟の部屋で見慣れないおもちゃを発見した。弟のおこづかいで買えるようなものではなかったし、誕生日などのイベントも遠かったので、きみはこれはどうしたのかと聞いた。
すると弟はパパに買ってもらったと答えた。父親のことはお父さんとしか呼ばないので、きみは不審に思ったが、弟はそれ以上なにも言わなかった。単なる言い間違いで済ませようとしていて、その態度はあからさまにおかしかった。
よくよく考えると、弟は以前にもパパと漏らしたことがあった。テレビを見ながら、うとうととしているときなどにその呼び名を聞いたことがある。
他にも奇妙なことはあった。弟は遅くまで外出をすることがあった。きみの父親は仕事柄、出張によく出掛けたが、そんな日に限って帰りが遅くなった。
それを母親は決して咎めようとはしなかった。友達と遊んでいたと弟は言ったが、その友達に後で話を聞いてみると、そのようなことはないと言われた。
「なるほど、そのパパがわたしというわけか」
「子供の死体を隠すのは大変なことです。もし弟がパパという個人に会うことを目的としていたなら、家族には言えないはず。その辺りに放置すればすぐに見つかりますし、一般的な家庭では隠しようがない。片親で広大な敷地を持つ芹沢社長が怪しいと自然に思うようになりました」
あの日もきみの弟はパパーー芹沢冬馬に会いにいった。そこで。
「娘がおかしくなったのも、それに関係していると」
「芹沢さんは見たんじゃないでしょうか。あなたが弟の死体を埋めるところを」
あまりにも衝撃的な光景に、芹沢優愛は記憶を封印していた。
しかしきみと文芸部で親しくなり、記憶の蓋がカタカタと音をたて始めた。失踪したきみの弟とその日見たものを結びつけるのは容易なことだ。そのストレスで彼女は猫殺しに手を染め始めたのかもしれない。
「仮にそうだとして、わたしの動機はなんなのだろう」
「それは」
「いや、きみに聞くべきではなかったか。それこそ、わたしが語るべきものかもしれないのだから」
「認めるんですね」
「ああ、その通りだ。きみの弟はいま、わたしの家の庭に眠っている。きみの母親とは一時、不倫関係にあってね。それで生まれたのがきみの弟ーー息子というわけだ」
真相を明かされても、きみは動揺しなかった。長年追い求めた真実を知ったからといって特別な感慨もなかった。
「それで、どうするつもりなんだい。わたしはまず、きみがこれからどのような対応をとるつもりなのか、それを知りたいんだ」
「警察に行けとでも、言うんですか」
「きみが望むのなら、そうしてもいい」
「それよりもぼくは、なぜあなたがそんなことをしたのかを知りたいんです。息子だから、という理由だけでは決して納得はできない」
「なら、わたしのほうからももうひとつ問いを。なぜ娘はあの女の子を殺したのだろう?」
「それは、猫殺しがエスカレートして」
「たしかに、動物を殺し続けていると、いずれ人へとターゲットが変化するとは言われている。しかし、実際にはその間には飛び越えるべき壁がある。何かしらのきっかけというものがなければ、そう簡単に人殺しまでには発展しない」
「きっかけ、ですか」
「実は、わたしにはひとつ、思い当たるところがある。あの事件が起きる直前のこと、ある郵便物が自宅に届けられたんだ」
「郵便物?」
「わたしは直接は確認していないが、それを受け取ったお手伝いさんによると、それはどうやら遺伝子検査会社からのものだったらしい」
きみの心臓がどくんと、大きな鼓動を打った。
「そこに何が書かれていたのか、わたしにはわからない。娘はどうやらすぐに捨てたか焼いたらしい。橘くん、きみにはなにか心当たりがあるのではないのか」
芹沢冬馬の言い方は、決して問うようなものではなかった。きみの反応を確かめる意図が含まれている。
「遺伝子、検査会社」
そう言えば、芹沢優愛は奇妙なことを言っていた。きみのことをA型だから神経質だと、そう口にしていた。
だが、実際のところ、きみはO型だ。少なくとも、母親からはそう聞いている。血液型を調べる機会など普通はないので、ずっとそう信じていたし、芹沢優愛にもそう伝えた記憶がある。
しかし、芹沢優愛はきみをA型だと言った。
なぜ、彼女はそう考えたのか。単なる勘違いだろうか。芹沢冬馬からいまの話を聞かなければ、そう軽く受け流していたはずだ。
芹沢優愛が遺伝子検査会社を使って独自に調べていたら?恋人であるきみのDNAを採取することなど容易なはずだ。そしてそこににはきみがO型ではなく、A型であるという情報が記されていたとしたら。
つまり、芹沢優愛が調べたかったのは、きみと彼女との血縁関係。
「やめろ」
芹沢優愛はきみの弟を父親が埋めているところを見た。その記憶を取り戻したとき、彼女は橘家と芹沢家との繋がりを考えた。
もしかしたら彼女は、きみの母親と父親が幼馴染みであることをすでに知っていたのかもしれない。
「やめろ!」




