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優花と再会してから、ぼくの脳裏には繰り返し芹沢さんの顔が浮かんだ。それまではなるべく考えないようしていた。
ぼくは芹沢さんへの罪悪感があって、過去を正面から受け止めることがなかなかできなかった。
一部とはいえ、過去を語り合える優花と出会ったことで、ぼくの心境にも変化が起こっていた。あの日から芹沢さんに一切向き合おうとしなかった自身を恥じる気持ちが強くなっていった。
それでぼくはこの日、はじめて芹沢さんのお墓を訪れていた。六月の下旬のことで、梅雨とは思えないほどの快晴だった。休日だったので昼間からきていたけれど、他にお参りの人はいなかった。
「芹沢さん」
ほとんど勢いで来てしまったので、語るべきものを考えてはいなかった。ぼくはなにをしにここまできたのか、謝りたかったのか、芹沢さんにただ会いにきたかっただけなのか。お墓の前でぼくはしばらく立ち尽くしていた。
「……ぼくはあのとき、いったいどうすればよかったのかな」
犯人だと指摘したからといって、ぼくは芹沢さんを警察につきだすつもりはなかった。ただ知りたかった。仮に芹沢さんが犯人だったとしたら、その動機はなんだったのかを。とにかく、それを知りたかった。知らなければ、なにも前には進まない気がした。
誰かの気配を感じ、ぼくはそちらに顔を向けた。中年の男性がこちらに近づいてくるところだった。
「芹沢社長」
芹沢さんの父親だった。どうしてここに、とぼくほ疑問に思った。ここは娘のお墓だから、父親の彼が来るのは不思議ではないけれど、ぼくがはじめて訪ねた日にたまたま出会うというのは奇妙にも思えたから。
「久しぶりだね、橘くん」
「……はい」
芹沢社長はぼくの隣に立ち、墓碑に向き合った。桶に入った水を杓で掬い上げ、墓碑へとかけていく。
「この前の雨で汚れたからね、掃除をしにきたんだ。今日は月命日であるし、時間があればなるべく来るようにしているんだ」
今日が芹沢さんの月命日であることを、ぼくはすっかり忘れていた。ぼくが今日ここに来たのは、頭の奥でその事実を認識していたからなのかもしれない。
「橘くん、できればこれからも娘に会いにきてもらいたいんだ。きみにもいまの生活があるのだろうけれど、そのほうが娘も喜ぶから」
「怒ってはいないんですか」
芹沢社長から事件について聞かれたことは一度もなかった。事故、もしくは自殺のきっかけを作ったのは紛れもなくぼくだった。
芹沢社長もそう認識している。あの事件に芹沢さんが関与していることを疑った、とはさすがに警察には言えなかったので、ぼくは別れ話のもつれで彼女が家を飛び出したと伝えていた。
二つの死に関与していることで、ぼくにも露骨に疑いの目を向ける警察官もいた。芹沢社長ならなおさらその気持ちは強かったはずなのに、責めるようなことは一度として言われなかった。
「きみにはなにも責任はない。そのくらい、わたしにもよくわかっている」
「でも、普通の親は、簡単には割りきれないものだと思います」
芹沢社長は腰を屈め、墓碑に視線を合わせるようにした。
「うちの娘なんだろう、あの女の子を殺したのは」
あの女の子、それはもちろん、楠優希ちゃんのことだった。
「知っていたんですか」
「いや、娘本人から聞いたわけじゃない。単なる勘だよ。でも、あの女の子が殺された直後から娘の様子がおかしくなったからね、父親としても事件と結びつけざるを得なかったんだ」
芹沢社長は墓碑に向かって両手を合わせると、立ち上がった。
「まあ、実際にはそれ以前からどこかおかしい感じはしていたんだ。中学に入ってから、娘はぼうっとすることが多くなった。あのときから、娘の異変は始まっていたのかもしれないと考えると、わたしの責任も決して否定はできないんだよ」
「ぼくも、確信があったわけじゃないんです。もしかしたらと思って優愛さんに指摘したら、家を出ていって」
「そうか」
「ぼくがもっと彼女にちゃんと向き合うべきだったんです。優愛さんの心が不安定になっているのなら、まずはその原因を知ろうとするべきでした」
「おそらく、猫を殺していたのも娘だったのだろう。少なくとも、娘が死んでからは、あの事件は起きなくなった。ということは中学に入学してから、何かがあったと考えるべきなんだ。橘くん、きみには何か、心当たりはないかな」
「いえ、ぼくにもさっぱり」
ーー本当だろうか。
「え?」
本当にきみには、心当たりと呼べるものがないのだろうか。
「……探偵?」
いや、きみたちと言ったほうが正しいのかもしれない。
ここにいる二人とも、わかっているはずだ。なぜ芹沢優愛の精神のバランスが崩れてしまったのか。
その理由に、思い当たるところがある。
「やめろ」
なぜ?
きみは真実を探していた。だからわたしが生まれた。この機会に本人に確かめるべきだ。芹沢優愛の異変がきみと出会ったことにあるのなら、芹沢冬馬が犯人である可能性が高い。
「橘くん、どうしたんだい?」
「……」
もう芹沢優愛はいない。芹沢冬馬を追求する場面は、これを逃したら二度と来ないのかもしれない。きみの中にある芹沢冬馬への複数の疑惑は、放置できるような類いのものではない。このまま真実に向き合わなければ、今度はきみの心が犯されていくのだろう。
きみは芹沢優愛の死に十字架を背負っている。
彼女に対する罪滅ぼしをする気持ちがあるのなら、ここで逃げるべきではない。決して。
わたしという存在が消えていないということはつまり、きみのなかに真相を追い求める気持ちが残っているということだ。
「……芹沢社長、なんですか」
「なにがだい?」
「ぼくの弟を、さらったのは」




