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この街では夏休みの期間中、盛大な祭りが開かれる。
必ずしも全国的に有名なものではないが、この街の住人にとっては一大イベントだ。街の中央公園を装飾で派手に彩り、打ち上げ花火が夜空に花開く。
普段ほとんど見かけない屋台に子供たちが目を輝かせ、奥の方にあるステージで開かれる歌手のミニライブにはすでに人だかりができている。
きみと芹沢優愛は提灯に照らされた通路を歩いていた。すでに日が落ちている時間だったが、賑やかになるのはむしろこれからだった。
ここに誘ったのはきみのほうだった。まだ芹沢優愛の体調は万全ではなかった。相変わらず悪夢を見続けているらしい。この祭りは気分転換として最適だときみは判断し、芹沢優愛もそれを受け入れた。
「芹沢さんはこのお祭りに参加するのははじめてなんだよね」
「うん。お祭り自体はもちろん知っていたけど、人の多いところは苦手で」
「ぼくもそうだよ。家で本を読んでいるほうが気楽かな」
それでもきみは、このお祭りは好きだった。弟との思い出があるからだ。
弟は毎年このお祭りには参加していた。とくにあれがやりたいとか、なにが食べたいとかはなく、この非日常の雰囲気が好きだったようだ。
ただきみには、このお祭りの会場となった公園には複雑な感情もある。弟がいなくなった現場でもあるからだ。
あれも夏休みのことだった。二年前の夏、弟は消えた。待ち合わせと思われる場所からいなくなっていて、痕跡らしいものもなかった。
弟の姿が見えないことに気づいたとき、きみは慌てて探した。すぐに誰かにさらわれたと気づいたが、周囲に人の気配はなかった。
弟の元を離れたのはせいぜい十分程度。その短時間で消えたということは、犯人は陰から観察していたのかもしれない。
「どうしたの、橘くん、なにか考え事?」
きみが遠い目をしていたからか、芹沢優愛がそう聞いてきた。
「あ、うん。弟のことをちょっと」
「そっか。もうそろそろ二年だよね、橘くんの弟が亡くなってから」
きみはふいに立ち止まった。いまの発言に強烈な違和感を感じたからだ。
「どうして、亡くなったと断言できるの?」
芹沢優愛はハッとしたような顔になった。
「あ、ごめんなさい。失踪だよね」
「失踪と死を連想することは、決して珍しくはないよ。でも、芹沢さんはこう言ったんだ。亡くなってから二年が経つって。その言い方は、失踪した日にはすでに亡くなっているという意味が含まれている。失踪を誘拐とかじゃなく、殺人や事故に完全に結びつけているんだ。微妙な違いかもしれないけど、普通の人は決してそういう表現はしない」
「ちょっとした間違いだよ。橘くんはA型だから神経質なだけなんだよ」
芹沢優愛の動揺がきみにも伝わってくる。彼女としても、なぜそんなことを口にしてしまったのか、わからない部分があるのかもしれない。
「……そうかな」
「失礼な言い方だったよね。橘くんは生きてるって信じてるのに、勝手に決めつけてしまった」
きみも弟が生きているとは思っていない。常識的に考えればそうだ。彼女を責めるのは間違いかもしれないが、だからといって簡単に納得できる話でもない。
「芹沢さんは当時、なにをしてたの?」
「橘くんの弟が失踪した日?わたしは家にいたかな。橘くんは?」
二年も前のことなのに、芹沢優愛はそう即答した。その点もきみは奇妙に感じたが、あえて何も言わなかった。
「あの日は、弟の誕生日だったんだ。ぼくたちの誕生日には決まって家族四人で外食することになっていた。でも、その日は違った。お父さんが入院をしてたんだ。お父さんは昔大きな病気になって、それで定期的に検査が必要になった。お母さんも病院にいたから、ぼくたち兄弟はお昼から夕方まで留守番をしていた」
「留守番をしている間に消えたって、ニュースにもなってたよね」
「……だから、ぼくの責任でもあるんだ。弟がいなくなったのは。ぼくがしっかりしていれば、あんなことにはならなかった」
「そんなことないよ。そのときは橘くんだって小学生だったんだから」
いまでもきみのなかにある後悔は消える気配がない。あのとき、ちゃんと対応していれば、弟を失うことはなかったのかもしれない。
「そういえば橘くんって、本が好きになったきっかけってなんなの?」
「どうしたの、突然?」
「なんとなく、気になって。ほら、いまの若い人って小説とか全然読まないから」
「ぼくのお爺ちゃんが本好きだったんだよ。その影響かな。前に言わなかった?」
「橘くんって、食べ物の趣味とかってある?辛いものとか好き?」
「とくにはないし、辛いものはあまり好きじゃないけど」
「好きなスポーツとかはある?応援しているチームとかは?」
「芹沢さん、なんか今日変じゃない?なにかぼくに聞きたいことがあるの?」
立て続けの質問にきみは困惑していた。悪夢に悩まされているはずの芹沢優愛が滑舌よく早口でしゃべるのにも違和感を覚えた。
「あ、ごめんなさい。わたしたちって付き合ってるわりにお互いのことをそんなに知らないかなって思って」
それは事実かもしれないときみは思う。きみたちの話題は本ばかりで、それ以外の要素は疎かにしていた。
怖かった、というのもある。彼女のことを知りすぎてしまうと、その父親への疑惑を追求できなくなるのではないかという不安があった。
これを機会にもっとお互いのことを知ってもいいのかもしれない。すでにきみは芹沢冬馬に会っている。いまさら距離云々言っても仕方がないのかもしれない。
きみは芹沢優愛にいくつかの質問をした。将来の夢とか、好きなタレントとか、そういうものを聞いた。
芹沢優愛はそれに答え、また別の質問をぶつけてくる。そうしたやりとりを繰り返していくなか、きみは芹沢優愛という女性を始めてちゃんと理解できた気がした。
だからこそ、彼女の悪夢の原因を突き止めてあげたいと思うようになったが、なぜだかそれに触れることは怖くて、深部にまで踏み込むようなことは聞けなかった。




